25 May 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| GRAMMY.com Interview

 Photo: Jamie Wdziekonski


無期限の活動停止を発表後、現在北米ツアー中の幾何学模様(Kikagaku Moyo)。グラミー賞の主催で知られるザ・レコーディング・アカデミー(The Recording Academy)にギターのTomo Katsurada氏が取材を受けたインタビュー記事を翻訳しました。インタビュアーは、サンフランシスコ州立大学やUCバークレーで音楽ジャーナリズムを教えるジャーナリストGary Moskowitz氏


【元ネタ英語記事】Behind The Smoke & Mirrors With Japanese Psych-Rock Legends Kikagaku Moyo(2022年5月4日)

以下、当サイトによる翻訳

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紫煙と鏡(Smoke & Mirrors)の裏側へ

 日本発サイケデリックロックの伝説(レジェンド)・幾何学模様と共に

「音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能」。5枚目のアルバムのリリース(5月6日)とファイナルツアーを目前に控え、幾何学模様(Kikagaku Moyo)のギタリスト、Tomo Katsuradaはいう。

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日本発サイケデリックロックバンド幾何学模様の創設メンバーが、新宿エリアの高田馬場駅前ロータリーでジャムセッションを始めたのは10年前のことだった。界隈にはスケートボーダーやアーティスト、近くの大学生が多く屯していたが、そんな環境の中、Tomo KatsuradaとGo Kurosawaは、毎回顔ぶれの変わるミュージシャンたちを引き連れ、夜通し終わりのない音楽探検の旅に出かけていた。70年代のサイケデリックロック、昔ながらの民謡、インドの古典音楽、クラウトロックが合わさったような音だった。


バンドの編成をドラム、ベース、ギター2本、シタールに固定すると、二人はレコーディングを始め、都内でのライブ活動を開始。東京のあちこちでサイケデリックロック・フェスを主催していると、オースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest /訳者注:現レヴィテーション(Levitation))から声が掛かり、その後10年をオーストラリア、ヨーロッパ、日本、英国、アメリカ合衆国でのツアーに費やすこととなり、年間約100本ものライブをこなしてきた。


Kikagaku Moyo - "Smoke and Mirrors" Live at Austin Psych Fest (2014)


幾何学模様はこれまで、フルアルバム4枚とEP数枚をリリースしている。Spotifyで最も人気の高い曲の中には、7分超の大作にもかかわらず600万回以上再生されているものもある。が、それら人気曲には、すぐに展開が読めるポップソングのようなシンプルさはない。幾何学模様の楽曲は、ゆっくり時間をかけて広がり、再びキュッと引き締まり、最終的に、「落としどころ」と思われた場所を超越する。


例えば、2018年のアルバム「Masana Temples」に「Dripping Sun」という定番曲がある。この曲は、ビートを刻むベースラインと控えめなワウギターで始まるのだが、そこにギターのメロディーが乗り、ドラムに駆り立てられそのまま駆け上がっていくかと思いきや、ささやき声のヴォーカルと共にスローダウンして静かに落ち着き、小気味良いコーラスへと滑らかに移行。…そこからは一気に、サイケデリックロックの絶頂に向けジャムセッションに突入。結局、最後はまた静かに落ち着く…という構成だ。「Green Sugar」、「Smoke & Mirrors」、「Tree Smoke」のようなファンの人気曲は、激しくインプロビゼーション(即興演奏)され、ライブで演奏される度に進化し続けている。


Kikagaku Moyo - Dripping Sun


やがて幾何学模様はカルト的な地位を確立させていくのだが、その理由のひとつに彼らのDIY的アプローチがある。幾何学模様はバンド独自のサウンドを作成・レコーディングし、バンドが所有するレーベルGuruguru Brainからリリースする。ちょうど今年まで、ツアーさえステージクルーなしで行っていたくらいだ。


幾何学模様は、小規模なバーから正統派の音楽ホールまで様々な場所でライブをこなしてきた。ここ数年は、ちょっとユニークな場所でもライブを行っていて、サンフランシスコのカストロ劇場(Castro Theater)、アムステルダムにある以前は教会だったパラディソ(Paradiso)等のヴェニュー、またPALPフェスティバル(PALP Festival)ではスイスアルプスの山頂でライブしたこともある。グッチ(Gucci)やイッセイ・ミヤケ(Issey Miyake)といったファッションデザイナーともコラボしており、彼らのライブ演奏によるユニークな音響がファッションショーに花を添えた。


Kikagaku Moyo @ Swiss Alps for PALP Festival (2017)


Kikagaku Moyo @ Paris for Issey Miyake Fashion Week Show (2016)


2022年5月6日、幾何学模様は最後の作品となる5枚目のアルバムをリリース予定で、無期限の活動停止を前に長いファイナルツアーを行う。先日GRAMMY.comは、アムステルダム在住のギタリストTomo Katsuradaの自宅をZoomで繋ぎ、バンドの始まり、この10年の歩み、バンド休止の決定について話を聞いた。


Kikagaku Moyo - Kumoyo Island (Full Album-2022)


5枚目のアルバムはこれまでの作品とどう違うんですか?


これまでのアルバムは、全部ツアーで経験したことからインスピレーションを得て、それを元に曲作りをしていました。毎日が違う街なわけですから、とてもトリッピーな経験です。メンバーと一緒に出かけたり、いろんな街を散策したり、外食したり、映画を観たり、音楽を聴いたり…。


でも今回はコロナのせいで、あまりライブができなかったので、リモートでの曲作りになりました。この曲を一緒に演るとしたらどうやるだろうってイメージしながら…。(ツアー中のように)メンバーと一緒に過ごす時間があまりなかったので、あらゆる元ネタが想像上のコンセプトになりました。僕らの頭の中にある架空の遊び場的な…。もう完全に空想の世界に入り込んじゃってましたから、アルバムが僕らっぽいサウンドになっているか不安でしたが、とても幾何学模様的なサウンドに仕上がってると思います。


今回のワールドツアーを終えた後、バンド活動を休止すると決めたのはなぜですか?


5人でやれることは全部やり遂げたって心から思えたからです。僕らはいつも、時を重ねても色褪せない作品を作ることと、心の底から誇れる音楽を作ることにコミットしてきました。究極的には、僕らのバンドとしての旅を自分たちの思いどおりの形で、最高潮の状態で完結させたいっていうのがありました。ファンからのサポートもそうですが、これまでのことは本当にありがたく思っています。


僕的には、サイケデリックの音楽シーンに場所を空けて身を引くことで、後進に道を譲りたいっていう気持ちも強いです。音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能ですし…。僕はインスピレーションのサイクル(輪)的なものを信じていて、将来僕らのオーディエンスの中からそういった輪がどんな風に繋がっていくのか見届けるのをとても楽しみにしています。


話をバンドの始まりに戻しましょう。TomoとGoはどうして一緒にバンドを始めることにしたのですか?幾何学模様を結成する前は何をしていた?


3才から13才まではチェロを弾いていて、毎日練習していました。それから僕の姉がパンクバンドでギターを弾き始めたんですが、その影響は結構デカかったと思います。スケボーにハマって、スケートボードの動画制作をして、高校ではポップパンクバンドのギターを担当していました。


僕がGoと出歩くようになったのは、Goがアメリカ留学から帰ってきてからです。映画をたくさん一緒に観て、Goのバンドのポスター制作もやりました。曲を作るようになったのは、僕がオレゴン州ポートランドの大学から帰国してからです。


アメリカでの生活からはどんな影響を受けた?


2010年頃、スゴいレコード屋にいろいろ出かけてサイケデリック音楽にハマっちゃいました。その頃はまだまともに英語も話せなかったのに。


外国にいてレコ屋に行くとホッとしたんですよ。日本って皆が同じような考え方をして協調性を重んじるような集団思考で、アメリカの個人主義的な思考と全然違うんですよ。20才の時、ホントそれは感じました。おかげで僕は自由になれたんです。アメリカ人っていつも自分のことばっか話してるじゃないですか。僕的には「うわ~!僕もそれやっちゃっていいの?」って感じでしたね。


Kikagaku Moyo performing at St. George Church (Lisbon)
 with Bruno Pernadas and Jacco Gardner


サイケデリックロックに魅かれたのはなぜですか?


Goと僕が一緒に行動するようになってから、60年代や70年代のサイケデリック的なものについていろいろ話してたんです。本とかバンドとか映画とか…。僕が今まで観た中で一番綺麗なモノクロ映画は、「エロス+虐殺」っていう作品なんですが、すごくクールな3時間の映画で、少なくとも4回は観ました。


「エロス+虐殺(Eros + Massacre)」Intro(YouTubeに完全版アリ)


日本だと、ミュージシャンって言うと職人技的なことになっちゃうんですよ。一方通行の音楽、ちゃんとした方式の音楽。でも僕が交流するようになったのは、音楽やってる若手アーティスト、音楽やってる映像作家とかスケートボーダーで、皆んな自分達が受けた影響をうまく組み合わせて音楽制作をしていて、それこそ僕らが本当にやりたかったことだったんです。


バンド初期の頃のリハーサルってどんな感じだったんですか?


夜中の12時から朝5時まで演奏できる場所を確保したんですが、僕とGoだけの時もありました。2週間に一度、5、6人で6時間のジャムセッションをしてたんですが、参加しないか友達を誘っていました。いろんな人が出たり入ったりで、その頃はまだ曲とかは作ってなかったです。どうやるのかも分からなかったし。ちゃんとしたギターの弾き方も知らなかったけど、特に気にしていませんでした。フィーリングだけで弾けちゃってましたから。音楽の理論とかどうでもよくて、6弦がEだってことも知りませんでした。ひたすら他の人が出す音を聴いて弾く。本当にユルかったです。


最初に幾何学模様をスタートさせた頃、東京でライブするのってどんな感じだったんですか?


東京・サイケ・フェス(Tokyo Psych Fest)っていう音楽イベントを月イチで始めました。サイケデリックって、いろんなものからの影響が組み合わさって出来てる音楽だと思うんですが、僕らが好きなものが好きな人達が東京中から来てくれたらいいなと思ってやっていました。で、フェスからのコンピレーションを出すのにレーベルを立ち上げて、LPやカセットテープのリリースを始めました。本当に楽しかったです。僕らはオースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest)に出たくてたまらなかったんですが、東京・サイケ・フェスを始めて1年でオファーをゲットすることができました。それからですね、すべてが変わったのは。すぐにヨーロッパや英国から呼ばれるようになりました。


Guruguru Brain's 1st. Compilation Album "Guruguru Brain Wash" (2014)


バンド初期に経験したツアーはどんな感じだったんですか?


2013年くらいの頃は、まだ学生だったり仕事してるメンバーもいて、職場や学校から1週間休みを取ったりしてやってたんですが、ツアーをするには時間の制約があって、事はゆっくりとしか進みませんでした。アメリカツアーに向けてビザを取ろうと一年前から働いて貯金し始めました。


はじめは自分達のレーベルがなかったので、いろんな面でとてもDIY的でした。好きなアメリカのバンドに一緒にライブしないか声を掛けてみたり…。サンフランシスコのムーン・デュオ(Moon Duo)とか、ポートランドのエターナル・タペストリー(Eternal Tapestry)とか。ムーン・デュオの日本ツアーのブッキングを手伝ったりして、いろんなことを教えてもらいました。で、アメリカツアーをやるべきだとか言ってもらって、アメリカに挑戦する自信を深めるようになりました。


Tokyo Psych Fest Spinoff (2013) - Moon Duo X Kikagaku Moyo



幾何学模様のライブって、スピリチュアルで瞑想的なところがいいですよね。潮の満ち引きみたいに穏やかな音とアグレッシブで派手な音とで緩急があって…。ライブでのパフォーマンスについてはどんな風に取り組んでいるのですか?


演奏する時はとにかく楽しみたいと思っています。で、そのためにはインプロビゼーション(即興演奏)するところを空けておく必要があるわけです。毎回ライブで同じセットをやったりはしないので、ひとつとして同じライブはありません。セットリストは、僕が毎晩変えてるんですが、自分のバイブスとメンバーのバイブスを考えて、ストーリーライン(筋書き)を作っていく形で、僕らのアルバム全曲から選曲するDJミックスみたいな感じですね。で、メンバーで出来上がったセットリストを見て、演る。(インプロ部分については)前もって何も決めてないわけですから、難易度は常に高いですね。


今回のことでTomoやバンドメンバーにとって、ひとつの時代が終わってしまうわけですが、次は何をする?


自分はホントまだ何も考えてないです。ただ考える時間がたくさんあるってことだけは分かってます。たぶんメンバーは、それぞれ新プロジェクトをやっていくんじゃないかな。僕は今年、初めてギターのレッスンを受けました。あとWorldwide FMで「Bootleg Bunny Show」っていうラジオ番組をやっていて、ソウルとかサイケデリック、あとジャズの7インチをかけたりしてるんですが、とても気に入っています。


Katsurada氏選曲によるWorldwide FM "Bootleg Bunny Show"