24 June 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| ガーディアン(The Guardian) インタビュー

 Photograph: Jamie Wdziekonski


【元ネタ英語記事】Japanese rockers Kikagaku Moyo: "Watching people board a train - that's psychedelic!"(The Guardian 2022年6月23日)




日本のロックミュージシャン幾何学模様:「電車に乗る人を見ているのもサイケデリック!」

最後となるツアーでグラストンベリーに出演するKikagaku Moyo(幾何学模様)。見逃せないサイケデリックロックバンドである彼らが、徹夜のジャムセッションから生まれたサウンド、「クリエイティブな不完全さ」、自分たちの流儀で身を引くことについて語った。



サイケデリック音楽と言えば、Jimi Hendrix Experience(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)、The 13th Floor Elevators(13thフロア・エレベーターズ)、ウッドストックのぼやけた画像等を思い浮かべるだろう。しかし、日本のバンドKikagaku Moyoにとってサイケデリアとは、母国のカウンターカルチャーのヒーローであり強烈なファズの嵐を吹かせるAcid Mothers Temple(アシッド・マザーズ・テンプル)やFlower Travellin' Band(フラワー・トラベリン・バンド)等に代表されるものである。Kikagaku Moyoのフロントマン・Go Kurosawaが、現在の東京についてコメントする。「東京の音楽、映画、カルチャー、技術の完璧さを求められるんじゃなく、何にも縛られない自由さ。僕らにとってのサイケデリアは、ヒッピーシーンから来るものではなく、自然の中や、お寺から聞こえる読経の中にあるもの。毎日電車に乗る人を見てるんだったら、それだってサイケデリックだと思います」。

Kikagaku Moyoのライブでは、時に長髪のメンバーが10分に及ぶジャムセッションを繰り広げるが、そのダイナミックなエネルギーの源は、2010年代初頭の大学の街・高田馬場(東京都新宿区)まで遡る。ヴィンテージショップ、大学生が集うバー、深夜営業のレコーディングスタジオを転々としながら、Kikagaku Moyoは5人組のバンドとして結成され、今や日本のロックシーンの最前線に立つ存在だ。彼らの空中浮遊に近い感覚に誘うライブパフォーマンスや、聞くものを虜にするアルバムの数々の賜物であろう。しかし、5枚目のアルバム『Kumoyo Island(クモヨ島)』のリリース後、お別れの海外ツアーが終了すれば、Kikagaku Moyoは解散してしまう。自らが創り上げてきた世界観の継続を断ち、それらが希釈されていく可能性を回避するというのは、実に非アメリカ的な選択である。

KurosawaとTomo Katsuradaが初めて出会ったのは2012年。Kikagaku Moyoというバンド名は「幾何学模様」と訳される。「夜中から朝6時までジャムセッションのやり過ぎで、気を失う頃にはまぶたに幾何学模様が見えていた」とKatsuradaは語る。Kurosawaの弟Ryuが、シタールの修行を受けたインドから帰国し、その後すぐベースのKotsu GuyとギターのDaoud Popalが加入。Kurosawaがドラム、Katsuradaがギターで、ヴォーカルを2人で担当するようになる。初期のジャムセッションには、よくあるヒップホップ、メタル、インド古典音楽、ブルース等、メンバーの多種多様な音楽の趣味が表れていた。経験の浅さゆえ、バンドには自由さがあったし、サウンドにもはっきりとした輪郭はなく、ループのあるアンビエントなストーナーロック、レトロなファズギター、魅惑的なシタール…と様々だった。



フロントマンでドラマーのGo Kurosawa (Photograph: Burak Çıngı/Redferns)



2枚目のアルバム『Forest of Lost Children』では、技巧を凝らさない自然なジャムセッションである「Semicircle」から始まり、ブルージーなギターの「Kodama」、Ananda Shankar(アナンダ・シャンカール)のカバー曲「Street of Calcutta」の熱のこもったシタール、暗く哀愁漂う「White Moon」等を収録。本作は、後発のアルバムで彼らが繰り返すことになるある種のパターンが顕著になった作品だ。つまりKurosawaのドラムがクレッシェンド(次第に強く)に向けてスタートを切り、盛り上がり、そして瞑想的な終わり方をするという形である。

「歌詞が少ないのは、音楽で自分の旅を想像する余地を与えたいから。アルバム1枚1枚は、1本の映画のようなもの」だとKatsuradaは言う。確かに『Kumoyo Island(クモヨ島)』は、広大な土地を孤独に旅しているような気分にさせる。「曲を作る時は、まずメンバー5人が楽しく遊べる遊び場を作ろうとします」Kurosawaは語る。「そこに言葉を加えるのは、さっき言った想像力(イマジネーション)を限定してしまう気がするんです」。

『Kumoyo Isaland(クモヨ島)』は、「ツアーの経験、車窓やステージからの風景、僕らが経験したカルチャーに影響を受けています」とKatsuradaは言う。日本やヨーロッパでの公演を経て、Kikagaku Moyoがアメリカでのデビューを飾ったのは、ニューヨークのBerlin(ベルリン)という、壁の中にある穴蔵のような薄暗いヴェニューで、ステージは地面からわずか数インチ程の高さの小さな壇だった。筆者はそのライブ会場におり、Kurosawa弟のシタールに触れることができるほど近くに立っていた。その後、ヴェニューは大きくなっていったが、彼らの遊び心、リフやソロを想像を超えて膨らませ、観客を集団的心理に浸らせるという姿勢は未だ健在だ。ステージ上の彼らは、催眠術のようでファンキーで、ユーモラスで親しみやすく、鼓膜が破れそうな長いソロを変わらぬ笑顔で弾き続けている。

アルバムが完成すると、別れを告げるという決断がバンドに訪れた。それは彼らの音楽同様、本能的なものだった。「僕らはやりたかったこと全てを実現させたんです。サイケデリックのフェスに出て世界ツアーをするという野望、これも叶いました。曲を作るだけじゃなく、アートやグッズ、Kikagaku Moyoが何であるかというヴィジョンを創るのにも時間とエネルギーを費やしました。だから今、僕らの旅を僕らの思いどおりの形で、出来るだけ最高の形で完結させることができるんです」とKurosawaは語る。




ジャムセッション … 2018年、ステージでの幾何学模様 (Photograph: FilmMagic)




バンドは今月、グラストンベリーを含むヨーロッパツアーを行っており、その後アメリカを周るが、最後のライブは母国のフジロック・フェスティバルで行うことになっている。まさに完璧な一巡だ。KatsuradaとKurosawaは自ら選んだベースであるアムステルダムに戻るが、2人はそこでGuruguru Brainというレーベルを運営し、彼ら以外の秘蔵アーティストのサポートに注力する。Kikagaku Moyoのレガシーは、バンドの「クリエイティブな不完全さ」にあり続けるのだとKatsuradaは言う。そして、笑顔でこう締めくくった。「若い世代に受け継いでもらえるような場所を残したいんです。専門的な技術がどれくらいあるとか、世界のどこの出身かとかは全く関係ない。僕らが発信し続けてきた『音楽は国境や言葉の壁を超えられる』っていうメッセージが届いているといいなと思います」。




●Kikagaku Moyoは6月25日(土)現地時間午前11時30分、グラストンベリー・フェスティバルのWest Holtsステージに出演。6月27日(月)は、ロンドンのEarHで公演。