4 December 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| Bandcamp Daily インタビュー

 



幾何学模様(Kikagaku Moyo)を初めて観たのは2014年吉祥寺のWARPだった。2013年から始まった東京サイケフェスもその頃にはもう国際的になっており、ブリスベンやインドネシアのバンドの面々が出番を終え客席から他バンドを盛り上げる等、本当に楽しそうで若さが眩しかったのを覚えている。

そんなわけで2022年12月3日のファイナルショーが終わってしまい、(きっとまた戻ってくるという予感はありつつ)幾何学模様の残したレガシーについてずっと考えている。目黒パーシモンホールのMCで桂田氏は「僕たちは自分でレーベルをやって、自分でマネジメントをやって、この場で一緒に時間を共有するところまで出来たっていうのが僕らの財産かなと思います」とコメントしていた。海外進出するバンドは数あれど、幾何学模様は自主レーベルでツアーのロジ周りからマーチのデザインまですべてDIYでやってのけた唯一無二の日本のバンドと言ってよいはずだ。

今回選んだBandcamp Dailyのインタビューでは、彼らがなぜ自主レーベルから3作目をリリースすることになったのか等、幾何学模様の苦難の歴史についても触れられているので、彼らの残したレガシーとして後に続く日本のバンドのためにも翻訳しておくことにする。

【元ネタ英語記事】A Farewell to Kikagaku Moyo, Psych Lords of Japan(2022年8月9日)

以下、当サイトによる翻訳


10年前バンドを始めた頃に決めた目標のことを幾何学模様(Kikagaku Moyo)のメンバーは覚えている。世界を見て回り、オースティンサイケフェス(※現レヴィテーション(Levitation))のようなサイケデリックロックのイベントでプレイしたいと考えていたのだ。

「で、気付いたんです。やりたかったことはほぼ全て実現させたって。いや実際、それ以上ですね」アムステルダムの自宅からビデオチャットで繋いだドラマーのGo Kurosawaが言う。

「アメリカのバンドって大体『ビッグになれ、成長しろ!ハイ次!前進あるのみ、絶対止まるな、終わっちゃダメだ」みたいな感じですよね」ギタリストのTomo Katsuradaが、同じくアムステルダムの自宅から笑いながら付け加えた。「そういうのすごく資本主義的だと思うんです。どうして終わりにして新しいことができないのか?って」

それはまさに幾何学模様が5枚目にしてファイナルとなるアルバム<Kumoyo Island(クモヨ島)>(2022年5月に自主レーベル<Guruguru Brain>からリリース済) のレコーディングの最中に決めたことだった。決して妥協を許さないバンドの姿勢によって、幾何学模様の5人(Katsurada、Kurosawa、Kurosawaの弟Ryu、Kotsu Guy、Daoud Popal)は、この10年で東京のアンダーグラウンドロックシーンを代表する世界的存在に成長した。幾何学模様は、スモーキーなフォークジャム、静かに燃え上がる壮大なシタールの世界観、そして波のように押し寄せる反響の中繰り広げられる激しいロックのライブ空間を創出してきた。

「あぁ、ひとつの事をやり遂げたなって感覚が僕らにはあったんです。だから『OK、次は何か違うことをしよう』ってなるのは自然なことなんです」Kurosawaは語る。

二人がBandcamp Dailyの取材に応じたのは、グラストンベリーフェスティバルのウエストホルツステージ(※2022年6月25日)でのセットを含め、彼らにとって最後となるヨーロッパツアーを終えた数日後だった。「ウエストホルツステージ史上、最高のレコードセールスを記録したって言われたんですよ今回の大陸横断ファイナルツアーでの最も特別な思い出としてKatsuradaが語ってくれた。それをDIY的なオペレーションでやってのけたことにもプライドを持っている。

「アムステルダムでのライブ(※2022年6月22日)はヨーロッパツアーのループ(輪)が閉じたって感じがした」とKurosawaは言う。「ヨーロッパで演った最初のライブがオランダだったし、それが僕らの始まりだったから」

幾何学模様には、この秋の最後の北米ツアー(※2022年9月14日~)を目前に控え、まだ一連のライブが残っている。その後バンドは終焉を迎えるが、彼らの創り上げた新たな表現方法を探索するのは誰にでも可能だ。幾何学模様が21世紀のサイケデリックロック最強のディスコグラフィーを完成させたバンドの一つであることを考えれば、それは我々に与えられた正当な機会でもある。




Kikagaku Moyo


KatsuradaとKurosawaの出会いは、Katsuradaがポートランドでの留学から東京へ戻ってきて間もない頃だった。「Go君の出身地、高田馬場(東京)の共通の友人が多かったし、僕は近くの早稲田大学の学生だったんです」Katsuradaが語る。「Go君の小学校や中学の友達が作ったスケーターグループに僕もいたんです」二人は音楽や映画、食べ物を通じて意気投合し、膨大な時間を共に過ごすことになる。

「海外とコミュニケーションできる日本人が自分らの周りにあまりいなかったんです。結構言葉の壁ってありますし、日本から出て生活した経験がないと世界はとても閉鎖的に見えてしまう」とKatsuradaは言う。「全部日本でやらなきゃ、みたいなね。だけど選択肢はたくさんあるわけだし、僕らはいろいろとアイディアを出し合っていました」

二人は自分たちの持つエネルギーに気付いて音楽をやってみることになるのだが、Kurosawaによると、ただひとつ問題があり、それは二人ともあまり楽器の演奏の仕方を知らなかったことだという。Kurosawa曰く「ドラムの叩き方も分からなかった」そうで、Katsuradaは初期の自分たちを ”高校の前座バンド” に例えた。

その後すぐ他のメンバーをバンドに引き入れてライブ活動を開始。テクニック不足を自称する彼らであったがアイディアは豊富にあり、ジャムセッションをしまくってどんなサウンドを出したいのか、歌に対するアプローチはどうすべきか考えるのに多くの時間を費やした。「特にはっきりとした歌詞を歌う必要はないと思ったんです。歌詞をメロディーとして使うか、感情を込めた楽器にすればいいって」そう語るKatsuradaは、自分が日本育ちで何を言っているか全く分からないままミッシー・エリオット(Missy Elliott)を聞いていたことを例に挙げた。

「最初のレコードはほとんどデモみたいなものだった」Kurosawaは2013年のデビュー作であるセルフタイトルアルバムについてそう語った。「ムーン・デュオ(Moon Duo)のオープニングアクトをやった時、人に配れるものを何か録音しろって言われたんです。ただライブをやりまくるだけじゃ何もならないって」その結果リリースされた作品は、畳み掛けるようなスピード感のあるロック("Zo No Senaka")、フォークサウンドの断片("Lazy Stoned Monk")等、その後10年に渡り彼らが応用することになるサウンドの原型を模索したものとなった。技術的な習熟度に比較的欠ける点が特に障害となることもなく、むしろ自由な実験を可能にする強みにさえなっていた。

技術的に優れていないと彼らは言ったかもしれないが、それは自分たちのサウンドを広く知らしめる可能性を広げたに他ならなかった。


Forest Of Lost Children


幾何学模様は都内各所でライブ活動を続け、日本では一般的なノルマ制(Pay-to-Play)にこだわらない小規模なヴェニューを中心に活動していた(時々、路上ライブも)。だが、5ピースのこのバンドは海外ツアーをスタートさせたいと目論んでいた。

世界ツアーをやるにはアルバム1枚作る必要があるって分かったんです」Katsuradaは笑いながら2枚目のアルバム<Forest of Lost Children>を制作した経緯について説明した。「急いでたのは僕らの方だったんです」(※別インタビューによると、オースティンサイケフェスへの出演(2014年5月)が決まったので急いでセカンドアルバムを制作したとのこと)

2枚目のフルアルバムは、制作に要した超特急のスピードにもかかわらず、彼らの持つコンセプチュアルな衝動と世界中から受けた多種多様な影響が見てとれる作品となっている。「ある部族が住んでる架空の島からの音楽…的なのを作りたかったんです。"Street of Calcutta” とか、いろんなサウンドをミックスしました」とKatsuradaは語る。曲の多くはデビュー当時に書かれたものだったが <Forest of Lost Children> で見事に融合し、そのハイライトとなったのは変幻自在のサイケデリックロック ”Smoke and Mirrors” であった。

あるレーベルがバンドのバックアップに興味を示したため意気込んで本作を送ってみたところ、「レーベル全員が『ダメだ、気に入らない』って言ってきて、結局契約できなかった!」とKatsuradaが語る。それでも世界への野望を叶えるべく、幾何学模様はニューヨークの小規模レーベル<Beyond Beyond Is Beyond Records>を見つけ、この作品をリリースした。このこともあり、バンドの夢の舞台のひとつである2014年のオースティンサイケフェスへの出演をはじめ、アメリカでのライブの数々が実現した。本国日本では未だニッチな存在であったにもかかわらず、幾何学模様は瞑想的で幻覚をもたらす音楽でその名を轟かせ始めていた。





House In The Tall Grass


どのような注目を幾何学模様が集め続けていようと、彼らのレーベルに関する欲求不満がそれに影を落としていた。「3枚目のアルバムでレコードレーベルと契約するのを僕らは心待ちにしてたんです。なのに誰も興味を持ってくれなかった」Katsuradaは後に<House in the Tall Grass>となるアルバムについてそう語った。「皆んな『It's not my cup of tea(好みじゃない)』って言うんです。Facebookのメッセンジャーで何度見たことか。『好みじゃない、好みじゃない…』」

「それで自分たちでリリースしてみようってことになったんです」彼はそう結んだ。

2016年までには、既にKatsuradaとKurosawaは自主レーベル<Guruguru Grain>を立ち上げていたのだが、そのきっかけとなったのが渋谷のルビールーム(Ruby Room)というヴェニューで定期開催していたパーティー(※東京サイケフェスのこと)だった。このイベントに出演していたサイケデリックなアーティストを集めたコンピレーションアルバムの制作を決め、2014年レーベル第1弾としてリリースしたのだ。彼らのレーベルはすぐ、シベールの日曜日(Sundays & Cybele)、クラウトロックにインスパイアされた南ドイツ(Minami Deustch)といった日本のサイケデリックロックに加え、アジア各国のバンドの音楽にスポットを当てる場となった。

「(自主レーベルを)始めた当初は、セルフリリースは考えてなくて、バンドとは別物だった」とKurosawaは言う。「でもレーベルが見つからなかったとき、自ずと自分たちでやることになったんです。他に選択肢がなかったから」

<House in the Tall Grass>は二人にとって重要な作品となった。仕事を終えてスタジオに向かい、2,3時間かけて制作し、帰りの電車でラフミックスを聴く。そんなアルバムの制作過程をKurosawaは誰よりもよく覚えているという。

「その時点でやっと、前よりずっと多くの海外ツアーができるようになっていました。その頃ですね。バンドを皆んなにとって経済的に安定したものにして、他のレーベルに頼らなくてもやっていけると悟ったのは。<House in the Tall Grass>は、すべてDIYでやるって決めたときのアルバムなんです」そう語るKatsuradaは本作のレコーディングで自分のソングライティングのスキルが上がったと感じたという。

このアルバムは国際的に評価される幾何学模様の始まりを告げた作品である。デモやその他諸々に対するレーベルの反応など気にせず好きなことが自由にやれるのだ。「バンドのメンバー5人がいいと思えば、もう何も話す必要はない。フィルターは一切ないんです」Kurosawaは言う。これ以降、幾何学模様はEP、コラボレーション、フルアルバムの全てを自分たちの思い通りの形でリリースすることになる。


Kumoyo Island


幾何学模様のアルバムの多くは、ツアー先でのジャムセッションや巡業中の思い出からメンバーがインスピレーションを得て生み出されたものである。だが新型コロナウイルスのせいで、そんなクリエィティブなパイプラインが断たれてしまった。

「ツアーができなかったので、一緒に演奏するとしたらどうやるだろうって全部想像して生まれたアルバムなんです」とKatsuradaは言う。「おそらく曲の半分はリモートで作曲したものじゃないかな」

以前のアルバムとは異なり<Kumoyo Island>は、Kurosawaが "宅録感覚" と呼ぶものを特徴とした作品となっている。世界情勢がもたらした制限のおかげで、各メンバーが作曲に時間をかけることができたのがその理由である。「一緒に演ったらどんなサウンドになるだろうって想像する必要はあったんですが、各メンバーが実験的なことをすることもできたし、いい感じにメンバー5人のバランスが取れたんです。そういうのが透けて見える作品になってると思います」

「でも最終的にはバンドサウンドっぽい音になってるから満足してます」Katsuradaは言う。「僕らって本当によく一緒にツアーしてライブをやりまくってるから、自宅で曲作りをしてもバンド的なものになるんです」




アルバムを完成させるためにメンバー全員1ヶ月間東京に戻り、バンドをスタートさせたときと同じレコーディングスタジオ(※ツバメスタジオのこと)で最後のアルバムを録音した。おかげでいつもより自由な感じでセッションできたという。「快適でしたよ。スタジオも知ってるし、サウンドエンジニアも知り合いだし。失敗してもいいし試行錯誤だってできる」Katsuradaは語る。

<Kumoyo Island>はこれまでで最も意外性のある作品であり、バンドのサイケデリックな側面を、ファンク(”Dancing Blue”)や癒しの音の風景(”Daydream Soda”)と融合させたものとなっている。”Cardboard Pile” のようなファズを効かせたロックからラストを飾る ”Maison Silk Road” のシタールの瞑想まで、幾何学模様の全キャリアの音楽スタイルがよく現れている。彼らの日本人としてのルーツは、オープニング曲  ”Monaka” によりはっきりと見て取れるが、この曲はKatsurada曰く、石川県の「あまり豪華とは言えない」温泉地(※加賀温泉のこと)やスキーリゾートで育った子供の頃、彼がよく聞いた民謡を取り入れたものである。

このアルバムはバンドにふさわしい最終作であり、KatsuradaとKurosawaは本作を「二人にとって今、最も意味のあるアルバム」と自負している。

一連のファイナルツアーが終われば、二人は<Guruguru Brain>に注力することになり、今後たくさんのリリースが予定されている(同時に二人は、バンドメンバーに送金する等、幾何学模様に関するあらゆる事務作業もこなさなければならない。これは彼らがバンドの権利関係の全てを所有しているからである)。また二人はこれからも個人、場合によっては新たな編成で音楽活動を続けていくようだ。でもまずは、しばしのお別れである。

Katsuradaは今回のフェアウェルツアーについて「とても楽しんでいます。かなり感情的にはなるけど」「これまで音楽をやっていて最高の経験です」と語った。



◆あわせて読みたい当サイト幾何学模様(Kikagaku Moyo)記事:



25 November 2022

【祝来日×3】Starbenders(スターベンダーズ)in JAPAN |メンバーは日本をどう思っているのか?

In Kyoto | Japan Tour 2022 
 


3度目の来日で、弾丸ツアー前半戦を無事走り抜けたUS発「美し過ぎる☆グラムロックバンド」ことStarbenders(スターベンダーズ)。これまでキットカット抹茶味、富士山、新幹線、京都観光…と日本進出中の海外アーティスト初期の「お約束」を一通り体験した4人。そんな彼らのSNSをチェックするのは毎度とても楽しい。

ではメンバーの4人は「日本や日本のファンのことをどう思っているのか?」日本に関する小ネタを含め、スターベンダーズの過去記事&過去インタビュー動画から気になるこの点をキュレーションしてみた。

*All photo credit: B.I.J.Records


Video Shoot in Harajuku (Japan Debut Tour 2018)


まずは日本デビューツアー(2018年10月24日~)出発前のキミ・シェルター(Vo&G)のコメント:


キミ:バンドにとって海外ツアーの実現はずっと大きな夢だったし、中でも日本は最重要視してた。「Closer Than Most」っていう曲に「Tokyo in the fall(秋には東京で)」っていう歌詞があるんだけど、自分が未来を予言していたのかは分からない!メンバー全員、東京に行って東京を体験できるってことにとても興奮してる。 

Source: https://showsigoto.com/starbenders-interview/ (2018年10月5日)



Japan Debut Tour 2018 Flyer



その後、日本デビューツアー(2018年)を終えて帰国し、「日本はどんな感じだったのか、アメリカで演るのと何が違うのか」訊ねられたクリス・トカイ(G)とアーロン・レセイン(B)は次のように答えている。


クリス:日本は信じられないくらい素晴らしくて、観るもの体験するものがありまくりだった。文化もとても魅力的。東京は活気に溢れて賑わいがある素晴らしい街だった。日本でのライブは、アメリカではあまり見かけない音楽への尊敬や情熱が見てとれた。すごくポジティブでアーティスティックな環境だったよ。僕らのライブに来てくれた人は皆んな純粋に音楽やライブが好きで来てくれていた。本当に真剣に聞いてくれて、リアルで確かな何かを見て感じるためにそこにいる感じだった。

アーロン:アメリカだと音楽に対してちょっとシニカルになったり知ったかぶりしたりすることもあるよね。日本は音楽全般の価値を認めるってことに、もっと堂々としてる感じがする。そういう音楽熱があるのはすぐ分かるよ。街中にレコード屋があるし、トラックが側面にアーティストの画像が貼りつけて走ってたりするから。どこに行ってもデッカいLEDスクリーンでニューアルバムを宣伝してたりとかね。オーディエンスの音楽に対するアティチュードは全体的にとてもピュアで楽しんでるって印象を受けたな。

Source: https://www.audiofemme.com/playing-atlanta-starbenders-interview/ (2018年12月5日)


アーロン:僕らのバンドだけかもしれないけど、僕にとってスゴく印象的だったのは、日本人がどれだけピュアに音楽全般を愛してるかってこと。あれにはホント衝撃を受けた。アメリカだと、音楽に対してちょっとシニカルになったりもするよね。自分の左っ側の人が手拍子してなければ自分もしない…みたいな。日本だとそんなの全く気にしない。好きな曲が聞こえてくれば、人目なんて全然気にせずその世界に浸る。日本以外ではあんまり見かけないけど、そういう情熱的で堂々とした音楽愛があるんだ。日本版<JULIAN>リリース時の前回の日本ツアーでタワーレコードで歌ったりしたんだけど、アメリカにはもうタワーレコードだってないよね!僕的にそういうのは意味のあることで、日本でのアート全般に対するアティチュードを反映してると思う。

Source: https://wildspiritzmagazine.com/starbenders(2019年5月21日)



Final "Uchiage" Party in Harajuku (October 29, 2018)


また「今までで最も自慢できること&大変だったこと」について質問されたエミリー・ムーン(Dr)とクリス・トカイ(G)が挙げてくれたのは、なんと日本のこと!


エミリー:日本ツアーが一番自慢できることでもあり大変だったことじゃないかな。海を渡って14時間フライトして全く違うカルチャー(を持つ人達)に向けて音楽を演奏するのは、アワアワしたりもしたけど充実感があった。これから旅が始まる!なんて実感は空港に着くまであんまりなかった…って言えば、メンバー全員の気持ちを代弁出来てると思う。日本に着いてからは言葉の壁が大変だった。サウンドチェックの時のことはハッキリ覚えてる。箱(ハコ)専属のPAの人にこれっきゃ言えないの。「レッド・ツェッペリン!レッド・ツェッペリンみたいな音にして!」

クリス:日本でプレイするっていうのは、まさに夢が叶ったってことと同じだった。ライブでは素敵な人に何人も会えたし、素晴らしいアーティストと同じステージに立つことも出来た。ロックンロールがいかに万国共通であるかの証拠だよね。僕らの間には何千マイルもの距離があるのに、爆音のギターやドラムへの愛と情熱を感じるのは同じなんだから。素晴らしい経験だったよ。バンドにとって一番大変だったのは言葉の壁じゃないかな。あと馴染みのない習慣とか生活スタイルに慣れるのも。東京で時間が経つにつれ、だんだん周りの環境にも順応していろいろ覚えたし、おかげで僕らは日本のカルチャーに開眼したよ。

Source: https://www.audiofemme.com/playing-atlanta-starbenders-interview/ (2018年12月5日)



Japan Tour 2019 Flyer


さて、ここからはスターベンダーズが語った日本絡みのエピソードを紹介したいと思う。1つめは、ギタリストの「機材トラブルあるある」について質問されたキミ・シェルター(Vo&G)のコメントで、彼女が「センセイ」と日本語で呼ぶニコ・コンスタンチン(※スターベンダーズのMD。以前レディー・ガガの音楽ディレクター兼ギタリストも務めていた)に叱られた話(笑)


キミ:前に日本ツアーをした時、何も持ち込めなくて、エフェクターを含めギア一式全部レンタルしなきゃならなかったんだけど、Gipson Japan(ギブソン・ジャパン)が良いギターを貸してくれて、ライブハウスにあるアンプもMarshall(マーシャル)のシルバージュビリーとか超イケてたんです。トラブったりとかもなかったし。…で、最初のライブが数回終わったんだけど、バンドのプロデューサー兼マネージャーのセンセイ(※ニコ・コンスタンチンのこと)がギターのチューニングが合ってないってずっと言ってて。「君ら何かおかしいぞ!ライブの始めから終わりまでずっとチューニングが狂ってたの、分からないのか?!」的な感じで。で、ニコがギターとかいろいろいじくりまわしたんだけど、どこも変じゃないから、結局また自分達3人が責められ続けてた。時差ボケのせいでニコは喜怒哀楽が激しくなってたと思う。

とうとう自分はそれに耐えられなくなって「ねぇ、私たちバカじゃないよ、これには何か単純な原因があるはず」って心の中で思って、「誰かチューナーのセッティング、チェックしてたっけ?」って考えてみたら…。何とクリスとアーロンのチューナーはレギュラー設定なのに、自分がレンタルしたBOSS(ボス)のチューナーが半音下げにセットされてて、そのせいでずっと怒られっぱなしだったのが分かった。この話から得た教訓は、自分はバカじゃないと信じるなら細かい点までチェックせよってこと。

Source: https://v13.net/2020/03/geared-up-starbenders-kimi-shelter-discusses-her-les-paul-set-up-influential-guitarists-and-new-album-love-potion/ (2022年3月31日)


@Tower Records in Osaka (2019)


最後に、「ステージではよく冗談を言うか」と訊ねられたキミ・シェルター(Vo&G)が、笑いをこらえながら答えた2回目の日本ツアーでのエピソードを(リンク先動画9分20秒~)。

 

キミ:あの時のツアーは長丁場だったから、ちょっと小さめな街(※熊谷)にいた時の話なんだけど、メッシュのボディースーツを着てたんですよ。ちょっと裸に見えるんだけど、裸じゃないみたいな(※下の写真参照)。で、出番の前にチームの人に「I'm not naked(私は裸ではない)」って日本語でどういうのか訊いたんです。そしたら教えてくれて…何だっけ…「ワタシハハダカデハナイ」。で、ステージに上がってそれを言ってみたら(笑)観客の皆んなが…(笑)一瞬意味分かんない…みたいになって(笑)、自分はまた「ワタシハハダカデハナイ~!」って叫んだんです。そしたら皆んなが「イェ~~!!!」みたいになって。…まさかそんなこと言うとは思わなかった!みたいなことを日本語で言うだけで日本の人を笑わせられるってことよね。皆んな「やられた!」みたいになっちゃてたし。努力を重ねてそこの文化とかいろいろ楽しんじゃえば一瞬で壁はなくせるし…、まぁ前回のツアーはそんな風に進んでいったってわけ。

Source: https://www.youtube.com/watch?v=CyBbxABEDjw (2022年9月2日)



in Kumagaya (April 27, 2019) | "I'm not naked"



今ではステージを去る時、「Good NIght!」の代わりに「オヤスミナサイ!」と叫んでいるキミ・シェルター。今回の日本ツアーも残すところ後半戦あと5本。後悔しないよう、まだスターベンダーズを目撃していないなら、是非ライブハウスに足を運んでほしい(今ならまだ小さい箱(ハコ)で観れる!)。


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21 November 2022

【祝来日3回目】グラムロックの新星☆Starbenders(スターベンダーズ)インタビュー

Photo Credit: Nico Constantine


昨年「隔離覚悟で来日」と意気込んでいたUS発・美し過ぎるグラムロック・バンドStarbenders(スターベンダーズ)が、コロナに阻まれた幻の3度めの来日をついに実現させた。そう、彼らは今、日本に滞在中なのだ。

実はこのバンド、日本では全く無名だった2018年に初来日を敢行。日本独自のEPのリリースまで果たしている。そんな掟破りなプロモーションを展開しているのが彼らの日本でのレーベルB.I.J. Records。「Big In Japan」を意味すると思われるが、「No Risk. No Future. 」を謳い、高校生がお小遣いで来れるライブを目指してチケットの価格設定もお安め(今回のスターベンダーズの場合、洋楽なのに前売4,800円、早割パス4,000円!)。何だか応援したくなるイノベーティブなレーベルなのである。

というわけで、スターベンダーズがSNSで「読んでね」とリンクしていたロサンゼルスのメディアWEHO TIMES(West Hollywood Times)が行ったインタビュー記事を翻訳してみた。2022年11月6日にLAで行われたライブのPR目的のインタビューではあるが、メンバーの幼少期の話、家族構成等、興味深い内容なので是非読んでほしい。そして何よりもライブに足を運んでほしい(今ならまだ小さい箱で見れる!)。なお、元記事の写真のチョイスがあんまりだったので、イケてる写真に勝手に差し替えたことも一応付け加えておく。

【元ネタ英語記事】Q&A: STARBENDERS is Bringing Glam Rock to The Hollywood Palladium(2022年11月4日)

以下、当サイトによる翻訳



最新の「グラムバンド・ワゴン」にまだ飛び乗っていない君に、今、最高にグラマラスなスターベンダーズの4人を紹介しよう。まだこのバンドを聴いたことがないのであれば、是非彼らのことを知ってもらって、11月6日Palladium(※パラディウム:LAのライブ会場)に行くことをお薦めする。スターベンダーズは、サウンド的にもヴィジュアル的にも僕らをイカせてくれる存在だ。

個人的に、僕はスターベンダーズに感謝の気持ちを表したい。彼らの8年以上に渡るロックンロールへのコミットと貢献、そしてアートとしての音楽をクリエイト&プレイし追求していく上で、全力で個人主義を貫き「本物」を表現してくれていることに対してである。

が、まずはバンドの背景について少々。スターベンダーズーはジョージア州アトランタ出身。2013年、リードシンガー&ギタリストであるKimi Shelter(キミ・シェルター)が、昔所属していたバンドのメンバーであったAaron Lecesne(アーロン・レセイン)にコンタクトを取り、新プロジェクトを始めて結成された。ギタリストのKriss Tokaji(クリス・トカイ)とドラマーのEmily Moon(エミリー・ムーン)の加入後、スターベンダーズが契約を結んだのは、以前レディー・ガガの音楽ディレクター兼ギタリストを務めていたニコ・コンスタンチンのレーベル<Institution Records(インスティテューション・レコーズ>であった。コンスタンチン氏をプロデューサーに迎え、スターベンダーズはこれまでインスティテューション・レコーズからEP3枚、フルアルバム1枚、7インチ1枚、シングル6枚を、また<Sumerian Records(スメリアン・レコード)>からシングル2枚とフルアルバム1枚をリリースしている。


キミ、以前君は他のアーティストの曲から影響を受けたスターベンダーズの曲について具体的に挙げていたよね。ピーター・マーフィー(※バウハウスのVo.)、ABBA、スティーヴィー・ニックス(※フリートウッド・マックのVo.)、ビョーク、LAのヴァン・ヘイレンやガンズ・アンド・ローゼズ。実に多彩なジャンルのレパートリーだね!プリテンダーズのクリッシー・ハインドやミッシング・パーソンズのデイル・ボシオからの影響も感じられるかもだけどどうかな?


キミ:そういったアーティストは大好きだし、皆んなすごいと思う。私達バンドメンバーの共通点は、同じような影響を受けて育ってきたこと。パンクとポピュラー音楽の間、ジェンダーの間、ジャンルの間とかに私達の共通点はあるんだけど、今言われた二人のアーティストもそうなんじゃないかな。ダイレクトな影響は受けていないけど、その二人が切り開いた道っていうのは確かに存在する。



Kimi Shelter/キミ・シェルター(vo,g)



育った環境とか幼少期に辛かったことについて、それぞれ話してもらえるかな?

エミリー:子供の頃、私の家族はよく引っ越してた。6年生になるまでに5回位引っ越したと思うけど、そのせいで子供なりの友情を築くのが難しかった。中学・高校の頃によくある仲良しグループに入るみたいなやつ。おかげでいつも自分は一匹狼みたいに感じてた。

キミ:昔から自分はとてもワイルドな想像力の持ち主だった(ワイルド過ぎて、それがヘアスタイルに現れてた)けど、学校や先生、クラスメートのせいで大変だった。クリエィティブな面でも物理的にも気持ちのはけ口は何とか見つけられたけど、自分の経験した容赦ないイジメはとても辛かった。サバイバル出来たのが自分でも不思議なくらい、本当に暗い日々が続いてた。残念だけど、人と違ってるってことは、多くの人を怖がらせるみたい。ちょっとだけそういうのが変わってきてるのは嬉しいんだけど、薄暗い場所は未だに存在してるし、自分はそんな薄暗い場所で青年期を過ごしたんです。



Emily Moon/エミリー・ムーン (d)


キミとアーロンは郊外育ちだったよね。それってどんな感じだった?自分らしくいられると感じてた?大変だったことで話せることはある?きょうだいは?いるとすれば何人?

キミ:たしかにいろんな機会に恵まれてたとは思うけど、それが当たり前とは思ってなかった。人と違ってるってことはそれなりに大変だったけど、青年期には素晴らしい友人グループにも恵まれたし、そのおかげで乗り切ることが出来た。きょうだいは2人いて、私は真ん中。

アーロン:子供によくあることだと思うけど、僕も大人になって最終的に自分が何になろうとしてるのか探しあぐねてた。どこにもなじめなくて結局、両親は僕を退学させてホームスクーリング(※自宅での教育)することにしたんだ。楽器を始めて皆んなとプレイするようになるまで、ありのままの自分でいるのが心地良いなんて感じたことがなかった。きょうだいは5人いて、3ベッドルームの家に8人で住んでたんだ。そういうのがツアー三昧の生活の良い練習になってるよ!



Aaron Lecesne/アーロン・レセイン (b)



クリスとエミリー、君達は都会で育ったの?それとも郊外?それはどんな感じだった?苦労したことで話せることはある?きょうだいはいるの?いるなら何人?

クリス:僕が育ったのはアトランタの郊外。結構早い段階から、落ち着いた生活を送るのは自分には向いてないって分かってたよ。退屈で変化がないと感じてたから。孤独感みたいなのがあったかな。音楽にハマってるような、自分が好きなタイプのキッズなんてほとんどいなかったから。その中でも楽器を演ってバンドを始めたいヤツってなるとますますいやしないし。僕には最初から冒険心や旅への憧れがあったから、ロックンロールのバンドマンになってノマド的にプレイするっていうのは魅力的に映ってた。

エミリー:私はどっぶり郊外育ちかな。いい感じのこじんまりとした袋小路にある家に住んで、多くはないけどいろんな年齢の子供達がいたこともあったな。かくれんぼにローラーホッケー、ニンテンドーのゲームとかたくさんやって楽しかった。自分には兄がいるんですが、今オースティンで家族と暮らしてます。



Kriss Tokaji /クリス・トカイ(g)



皆んなに聞くけど、幼少期、家ではどんな音楽がかかってて、それは誰の曲だった?

キミ:母親は熱狂的なクラシック音楽ファンだった。父親のISUZUのトゥルーパー(※別名ビッグホーン。SUV車)では、いつもポストパンクや大学のラジオ局がかかってた。それと祖母から丁重に受け継いだのがモータウンとオールディーズ。

アーロン:僕が子供の頃、母親はギターとピアノを弾いて歌ってたから、僕の最初の音楽体験は母の楽器をイジったこと。

クリス:両親は二人とも大のロックファンだった。父親もギターを弾くから似ちゃったよね。AC/DC、ヴァン・ヘイレン、シン・リジィとか聞かせたりするから。母親はレッド・ツェッペリン、KISS(キッス)、ガンズ・アンド・ローゼズ、ジャーニー、ドアーズのファンだったから、母親の好みにも影響されちゃったな。

エミリー:子供の頃、両親が死ぬほどパーティーを開いてて、父親がDJしてたのを覚えてる。二人ともティナ・ターナー 、ロッド・スチュワート、ビージーズの大ファンだったんだけど、まぁ基本的に踊れるやつなら何でもいいんだよね。あとパリに3年住んでたから、両親は自分達で選曲したフランスの音楽をシェアするのも楽しんでた。私も好きだったな、ヴェロニク・サンソンとか。


Photo Credit: Vegas Giovanni



歴史的に見ても音楽はスタイルに影響を与えてきたし、その逆もまた真実なわけで。音楽は君達それぞれのスタイルに影響を与えた?それとも君達の音楽に影響を与えたのはスタイルの方だった?どちらが先でそれは何歳の時だった?

キミ:自分のスタイルを確立するまでにはちょっと時間がかかったな。バンドがうまく走り出すようになったら音楽の方向性も固まっていって、その他諸々もうまくいくようになった感じ。(Starbendersっていう)バンド名はデヴィッド・ボウイへのオマージュとして付けたから、グラムロック的な方向性でスタートするのは自然だったし、時間が経つにつれてルックスも自分たちらしいものになってきて、ちょうど今それを楽しんでいるところ。

アーロン:僕の場合、音楽とスタイルが代わりばんこにリードして、もう片方に影響してる。

クリス:僕の場合、常に両方だね。ロックンロールはビジュアル的にもサウンド的にも速攻、僕の心を掴んだんだ。子供の頃、母親がキッスの「Alive」のCDを持ってたんだけど、アルバムカバーをじっと見つめて、バンドの衣装と存在感、マジですげぇなと思いながら聴いてたのを覚えてるよ。キッスはルックスもサウンドもマジでスゴかったよね!ガンズ・アンド・ローゼズからも同じような影響を受けたな。音的に速攻ハマったんだ。サウンド同様、見た目も悪(ワル)かったしね。彼らの美学って、音楽もそうだけど、かなりの部分が「表現方法」にあったよね。音楽と表現は同時進行していくものさ。



Photo Credit: Vegas Giovanni



キミ、男だらけのロッカーと業界のお偉いさんっていう男性優位な状況でやっていかなきゃならない女性ロックミュージシャンにアドバイスするとしたらどんなことがある?

キミ:耳を傾けてもらうべき声として、ただ恐れず突き進むこと。あと自分自身に限界を設定してしまう人にならないよう注意すること。ぶっ飛ばしていきましょう。

女性ロックミュージシャンとして個人的に大変だったことって具体的に何かありましたか?

キミ:詰まるところ、自分という人間が自分の最大の敵であり批評家でもあるってことが分かってきた。何よりも大事なのは、自分自身にもっと寛容になること。

エミリー:それってたぶんミュージシャンならどんなジェンダーにも当てはまることじゃないかな。自分の価値を知ること。少なくとも自分はそういうのに苦労してきた。チャンスが巡ってきても、それが自分にふさわしいのか迷ったりして。

男のロックスターって、チャーミングでクールで魅力的で、露骨にすぐヤレそうなグルーピーの女性について話したりするけど、女性ロッカーとして似たような経験ってあります?遠慮しないで好きに話してみて。

キミ:この質問にはありきたりには答えられないですね~。自分と魂(ソウル)レベルで繋がっていたいって人はたくさんいたけど、それってお互いを褒めたり感謝したりするってこと。露骨に「(性的に)人間的」なものは超えちゃってる感じ(笑)

アーロン、クリス、寄ってくるグルーピーで一番多いジェンダーは?

アーロン:ガチで答えるけど、バンドと寝るのが明らかな目的で人が集まるようなライプになんて、僕は興味ないよ。

君達が80年代のバンドだったらこんなこと訊こうとは思わなかっただろうけど、あらゆる年代の人が似たようなルックスになろうとしてるのを見るのに僕は失望してるんだ。

だから自分が誰であるかを表現する手段として、意図的に自分自身のスタイルを創り出そうとするような傾向が君らみたいな若い世代のミュージシャンに見られるとすごく嬉しいんだ。君らの場合、アンドロジナス(※男女両性の特徴を持つ)的なファッションを身に着けるのが多いよね。

アーロン、クリス、アンドロジニー(※両性具有)について話してくれるかな。二人の個人的な自己表現に関連してると思うんだけど。

アーロン:それって何よりも自由についての話だよね。ジェンダーバイナリー(※性別を男性・女性の二択で分類する考え方)って、聖職者や政治家が考え出したものでリアルとは言えないよね。アンドロジニーって、僕の個人的スタイルや表現とも関係してるけど、本当の自分を受け入れるってことで、自由なものだし、制度上自分が誰で何であると"されているのか"は全く関係ない。

クリス:僕にとってアンドロジニーは、個人的にはただの意識の問題で、女らしさという後光に包まれた男らしさが思い浮かぶかな。メイクとかジュエリーは好きな自己表現の手法だし、メッシュやフィッシュネットのシャツなんかも大好きだよ!

スパンデックスのピチピチのパンツにフィッシュネットのトップスかシャツ、厚底靴で着飾ってみたいと思ってる郊外のキッズに何か言うとしたら?

クリス:他の誰かが着てるものや他の誰かに着ろと言われたものは無視して、自分がどんな格好をしたいのか自分の魂(ソウル)に委ねること。自分のスタイルって、自分自身のアーティスティックな表現と同じで指紋みたいなもの。僕の場合は間違いなく、自分の音楽的ヒーローのファッションから多くのインスピレーションを得てきた。自分らしいひねりを加えてね。ファッションって、その人の精神やエネルギーを映し出すものだし、ファッションを通して本当の自分をもっとさらけ出すことができる。

アーロン:なりたい自分になれ。そしてそれを人生のあらゆる面に当てはめろ。それが自分の自信になったら更に進んで周りの人間をインスパイアせよ。本当の自分に満足していれば、あなたのことをリスペクトして受け入れてますよってことが周りの人間にも伝わるもの。「グラムファッションとは、まさにひとつの社会奉仕の形である」って今、初めて聞いたでしょ。




in Tokyo (2018)



80年代初期からのウエスト・ハリウッドには、あり得ないほど多様な人間が集まり始めた。LGBTQ+の居住者、サンセット・ストリップにあるクラブのオーナー、ユダヤ人の多いフェアファックス地区のビジネスオーナー、ロシア系ユダヤ人移民等。それと同時に、グラムロック、ニューウェーブ、パンク、ラップが全部同時発生して、音楽やファッションの斬新なシーンが爆発的に広がっていった。ウェスト・ハリウッドは、1984年の設立以来、LGBTQ+を自認する人々、アーティストやミュージシャン、移民にとっての安息の地となった。

スターベンダーズが主催、または参加したチャリティーライブ(多くの場合LGBTQ+でホームレスの若者のため)の数々は、非常に素晴らしく賞賛に値すると思う。

ロサンゼルスの非営利団体<Children of The Night>のために開かれた素晴らしいチャリティーライブイベントに出たことはもっと多くの人に知られるべきだね。キミがスターベンダーズを巻き込んだんだよね。<Children of The Night>はここアメリカで1万人の子供と若者を人身売買、ポルノ、売春からレスキューしてきた。そう、まさにここアメリカ合衆国で!

アーロンもジョージア州アトランタの非営利団体<Lost-N-Found Youth>の活動にバンドを参加させたよね。ホームレスのLGBTQ+の若者にサービスを提供してる団体だね。読者を代表して「皆んなありがとう!」と言わせて頂くよ。

アーロン、「権利を奪われた若者を援助するのは、政治的声明とは違う」って考えを述べた以前の発言について説明してくれるかな?

アーロン:その発言について考える一番シンプルな方法は、博愛主義と政治は別物だってこと。政治は苦しみを和らげる手段にはなり得るけど、その2つの言葉に互換性はないよね。

自分にとって身近な問題への関心を高めるため意欲的に活動する件について、個人的に話したい人はいる?(チャリティー活動に対する)責任感はある?他のバンドも君らが先導してるような活動をやるべきだと考える?今後参加する予定の慈善活動や、サポートしている活動について何か言いたいことはある?

アーロン:メンタルヘルスサービスや依存症からの更生へのアクセスに関することかな。そういうのは僕にとって重要で、僕がミュージシャンであるかないかにかかわらず重要になってくると思う。周りの人に対する社会的義務のコアな部分って、僕の職業によって大きく変わるものじゃない。詰まるところ、社会的義務っていうのは、どのみち自分の持つ価値観に基づくもの。僕の場合、誰かがリードしてやってるからやるわけじゃない。やるのは「機能してる1人の人間」だから。あとアーティストが活動家になる責任があるとも思ってない。一般的にも、アーティストが本気で入れ込んでるわけじゃない活動についてもね。そういうの(アーティストが活動家になること)って速攻、社内企業家(※イントレプレナー。社内で正社員をしながら新規事業の立ち上げ等を先導するポジション)的なことになっちゃうからね。個人的には音楽の目的をあまり崇高なところには求めてないんだ。音楽は社会を変える原動力にもなり得るけど、娯楽や現実逃避にだってなるからね。それのどっちが有意義とかはないと思う。

キミ:自分達はただ音楽表現とライブ活動を通して愛と受容の気持ちを示したいだけ。どんな形であれ素晴らしいコミュニティーに貢献できるのを誇りに思うし、できるだけ多くの方法でいつも愛のメッセージを届けていきたい。

自分のことはLGBTQ+、アライ(※LGBTQ+ を理解し支援する立場)、またはその両方のどれを自認している?

エミリー:自分はクイアを自認してる。

キミ:私は間違いなくアライね。



Collaboration with ANNA SUI 
(Photo Credit: Vegas Giovanni)



キミ、郊外育ちの女の子はどうやってレディー・ガガの音楽ディレクターだったニコ・コンスタンチンに出会って一緒に仕事することになるんだろう?その話について聞かせてくれるかな?

キミ:ニコとは彼が音楽ディレクターを担当してた他のバンドのオーディションを受けて知り合ったんです。音楽に対する彼のほとんど子供みたいな愛情と無邪気さのせいで、ニコのことは、自分が知ることになったうんざりするような砂漠の中の蜃気楼みたいに思えた。幸いなことに、私と仕事を続けたいと思ってくれたみたいで、それからのことは歴史ね!

キミ、君の歌詞は欲望についてや、辛く複雑な恋愛関係に関するものが多いよね。君が描くような失恋の深みを経験する時間って、作曲とツアーの合間に持てるものなの?

キミ:特に区別はないから、余分な時間なんて必要ない。自分のマインドは緑が育ち過ぎた庭みたいなものだから、ネタは豊富に集められる。

2019年に3枚目のEP<Japanese Room>をレコーディングして日本だけで流通させるっていう奇抜なアイディアは誰が考えたの?それって戦略的な決定だったの?それとも自然発生的にそうなったの?

キミ:自然な流れの中で、素晴らしい日本のレーベルB.I.J.レコーズから出しました。

で、君達は今「ビッグ・イン・ジャパン」なわけだけど、日本のマーケットのためだけにEPを制作することで、外国に、より忠実なファンベースを作れたと思う?

キミ:ツアー2本を通して自分たちを日本に紹介するチャンスが与えられた。光栄にも曲のリリースもできたし。またもうすぐ11月に日本に戻るんだけど!

よくツアーしてるよね。ツアーでのルーティーンにはどんなのがあるの?スキャンダラスでロックンロールなアクティビティーがあれば歓迎するんだけど。

キミ:起床、コーヒーを飲む、ドライブ、コーヒーを飲む、サウンドチェック、(コーヒーを買いに)散歩、ライブ演奏、物販を売る、素晴らしい人々と会う…、朝起きてコーヒーを買えるように寝る。

クリス:ツアー中の毎日のルーティーンは大体1杯のコーヒーで始まるね。そこから始まって、1日を通して行うアクティビティーや物事の選択はすべて、できるだけ最高なロックンロールショーを円滑に演るためにしてるよね。その願望に従って自分は動いてる。


STARBENDERS - Blood Moon




アーロン、君は18ヶ月禁酒したお祝いをしたって発表してたよね。飲酒のチャンスがたくさんあるはずのツアー中にどうしたら酒を断っていられるのか(他の誰かの匿名性を侵すことなく)教えてくれるかな?

アーロン:自分だけの力じゃ禁酒できなかったと思うし、自力ひとりではシラフでいないと思う。こういう(ツアー三昧の)ライフスタイルを送ってる仲間に力をもらって、今度はその力を(観客に)お返しするんだ。まさにグループでの努力の成果だね。依存症の人って孤独に苦しむから、依存症からの回復はコミュニティー(地域社会)にかかってるんだ。そのコミュニティーが僕を前進させる何かの大部分を占めてる。

お酒を断った状態は、君の想像力をダメにしている?それとも膨らませてる?

アーロン:(禁酒は)自分が気付かなかったクリエィティブの扉を間違いなく開けてくれたと思う。100万年もの間、自分が洋服を縫ったり改造したりするようになるなんて思ってもみなかったし。今じゃ曲をリリースするたびに記念のジャケットを作ったり、退屈しのぎに思いついたアイディアを試したくて新しい洋服を作ってる自分がいる。僕らのバンドは間違いなく洋服やファッションが好きだし、それと並行してちょっとした手芸のアーティストになろうとしてるけど、かなり楽しいよ。

話せる範囲で、シラフでいることについての最もネガティブな誤解は何だった?

アーロン:たまに、シラフでいるのは楽しみ過ぎた罰だって考えてる人がいて、差別的な扱いを受けることもある。だけど(そもそも禁酒しなければ死んでたかもしれないのに生きてるわけだから)お祝いしたり、できるだけハッピーに過ごしましょうっていう生活スタイルなわけで。個人の成長やコミュニティーを通してね。僕は依存症の人や回復過程にある依存症の人に対し、社会がはっきり押し付けてくるネガティブな意味合いについてはあまり考えないようにしていて、皆んなが輝ける場所に貢献する方にもっと集中するようにしてます。






ロサンゼルスでのライブについては不満を漏らすミュージシャンもいますよね。あまり好ましい観客とは言えない業界の無料招待客がうじゃうじゃいて、優先席や立ち見席を占領してる場合も多いから。

キミ:人がいっぱいの客席を見るのは大好き!それが何であれ、自分はそういうのは気にせずいつもプレイするようにしている。ジョージア出身女子にとってLAでのライブは、未だにかなり魅力的だから。だから皆んな見に来てね!

アーロン:LAでのライブについて僕が聞いた不満の中で、そういうのが飛びぬけて最悪ってわけでもないよ。

皆んなこのインタビューに参加してくれてありがとう。よく考えられた率直な回答にも感謝します。11月6日に会うのを楽しみにしています。


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24 September 2022

Starcrawler(スタークローラー)|Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)ネット上のヘイトについて語る

 

End of the Road Festival (2022) @UK (Photo: Burak Cingi/Redferns)


Starcrawler(スタークローラー)の3枚目のアルバム<She Said>の海外盤が2022年9月16日にリリースされた。関連する英語記事やインタビュー動画をチェックしていたところ、ちょっと前(2022年6月17日)、アロウ嬢が自分の体型に関するヘイトについてインスタグラムに投稿した件を取り上ている記事を発見。アロウ嬢が自分のことをいろいろ話していて興味深いので翻訳してみることにする。

【元ネタ英語記事】Starcrawler's Arrow de Wilde on battling body-shaming trolls and being proudly different: 'My worst fear is just being forgotten'(Yahoo Entertainment 2022年9月20日)


以下、当サイトによる翻訳

ロサンゼルスのネオ・グラム、ガレージ・ロックバンドStarcrawlerは、3枚目のアルバム<She Said>のリリースに向けBig Machine Records(ビッグ・マシーン・レコード)と契約。今や新しいロックシーンをけん引する存在となった彼らは、My Chemical Romance(マイ・ケミカル・ロマンス)、Jack White(ジャック・ホワイト)、Nick Cave(ニック・ケイヴ)のようなメンツとツアーし、Dave Grohl(デイヴ・グロール)、Elton John(エルトン・ジョン)、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のSteve Jones(スティーヴ・ジョーンズ)、Tom Petty(トム・ペティ ※Tom Petty and the Heartbreakersのこと)のギタリストMike Campbell(マイク・キャンベル)、Nikki Sixx(ニッキー・シックス)等の有名人のファンを獲得。特に、Garbage(ガービッジ)のShirley Manson(シャーリー・マンソン)はフロントウーマンArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)の激しく恐れを知らぬ姿に自身の姿を重ねているようだ。

が、残念なことに、Starcrawlerの知名度が上がるにつれ、23才のデ・ワイルドの細身で長身の体型に、主にネガティブな注目が集まるようになった。やがてネット上のヘイトは激しさを増し、デ・ワイルドはインスタグラムで荒らし的なコメントに対処せざるを得なくなったという。


「こんなこと書くべきじゃないし、絶対に書かないと自分に言い聞かせてた。子供の頃から私の身体を見てあれこれ決めつけてくる人達に対処してこなきゃならなかったけど、ここ数日はこれまで経験した中で一番酷かった」。

 

デ・ワイルドはインスタグラムのキャプションにそう書き込み、昔からズバ抜けて背が高く痩せていたことを示す子供の頃の写真を添えた。


「インスタグラムやTikTokでの私の身体に関するヘイトの数ってバカみたい。この件についてこれまで取り上げることはしなかった。正直、誰に説明する必要もないと思ってたから。自分の両親や親戚は今の私より痩せてるとは言わないけど、私と同じくらい痩せていた。瘦せ型なのは遺伝で、背が高いのも遺伝。自分は身長6フィート3インチ(=190cm)あって、異常に代謝が良く、ウンコは1日3回するし、誰よりも大食い。コレについてはホントどうにかしたくても何も出来ないんです。だけど自分が本気でイヤなのは、仮に私に摂食障害があるとして『チーズバーガーを食え』だとか『死にそう』だとか言ってくることが本気で私のためになると思ってるわけ?『痩せ過ぎだ、もっと食べなきゃ』『デカ過ぎだ、もう食べるな』。こういう人達って、自分が持ってる偏見を"アドバイス”だとか”心からの心配”だとか偽ってるだけで、実際はろくでもないヘイトだったりする。どんな体型の女性だって体型を変えろなんて言われる筋合いはないはず。苦しんでるんじゃないかって思う人が自分の娘、姉妹、妻だったら、そんなこと言います?ヒトの身体についてあれこれ言う権利があるってなんで思うんだろう?それになぜ私の身体には"個人的なアドバイス(PSA:Personal Self Advice)"が付いてまわらなきゃならないわけ?」



(Photo: Gilbert Trejo)



「長いことそういうのが続いてたから、頭の片隅ではいつか何か言わなきゃな~とは思ってたんです」。LAの自宅の裏庭からZoom経由でYahooエンターテイメントと繋いだデ・ワイルドはそう語った。ちょうどTroubadour(トルバドゥール ※ハリウッドのライブハウス)でのプロムをテーマにしたShe Said発売記念パーティーを盛大に行うための飾り付けを作っているところだった。「でもいつも先延ばしにしちゃってて。それに絶対に望ましくない方向には行ってほしくなかった。でもTikTokを始めたら…、コメントが何百件も来てほとんど全部が私の身体のことを言ってた。そういうのには慣れてるんですけど、投稿1件につき数件みたいなのには慣れてたんだけど、今回のは殺到と言った方が良くて『死ねばいいのに』みたいなのとか、もう異常でした」。

あのインスタグラムの投稿は、彼女が拒食症であるとの噂を打ち消すためにしたのではないとデ・ワイルドは強調する。そんなことをしても無駄だからだ。「自分の言うことを全然信じてくれない人達っていうのがいて、どうすることも出来ないんです。生まれつきこんな風に痩せてるんだって言っても全然信じてくれない。どうしろっていうのか全然分からない!やりたいんならチーズバーガー20個、強制的に食べさせてもいいけど、そんなことしても私の見た目は何も変わらないって断言しときます」。むしろ彼女は実際に摂食障害に苦しむ人が日常的に戦わねばならないネット上での侮辱に異議を唱えるため、あの投稿をしたのである。

「自分には摂食障害はないけど、摂食障害がある人をヘイトする人がいるっていうのが本当に変。仮に私が拒食症か過食症だったとして、こんな酷いコト言って私のためになると本気で思ってるわけ?効果があるとかマジで思うわけ?拒食症とかで苦しんでる人のことが気に入らないっていう人達がいるの、本当に面倒くさい」。デ・ワイルドはそう不満を漏らす。「メッセージでああいうのを見つけるのはもうウンザリ。『なんでそんなに怒ってんの』って感じ。他人の脳ミソの中までは分からないけど、ますます落ち込んじゃうと思う。だって、自分が本当に摂食障害だったら、ああいうコメントを見たらさらに悪化すると思う。…私に『ちょっと心配で』とか言ってくる人の意味が分からない。超気が狂ってること言ってるのに、『ちょっと心配になって!ヘイトのつもりはないです!ただ心配で!』みたいな感じ。こっちとしては、アナタ何も心配してないっしょ。私のこと知らないでしょ。なのに何で心配する必要があるわけ?って感じ」。



Starcrawler - "Roadkill"



子供の頃からずっと、デ・ワイルドは周囲に馴染めず、小学校ではあまりに他の子と違っていたため「ちょっとイジメられた」のだと明かしてくれた。実は、Starcrawlerの2019年の楽曲「Lizzy(リジ―)」は、「子供の頃にトラウマになったある出来事」について書かれたものだという。小学1年生の時、Lizzyという名前のクラスメートが、まるで映画<Carrie(キャリー ※アメリカのホラー映画(1976年))>のワンシーンのように学校のトイレでアロウを待ち伏せしていた。「トイレの個室でオシッコしてたら、突然Lizzyが友達とやって来たのが聞こえて、誰かをヤル気満々だった」アロウは回想する。「足を隠そうとしたんだけど(※アメリカのトイレのドアは防犯の為短く、足が丸見えになる)、Lizzy達は中に誰がいるのか確かめようと個室のドアをバンバン叩いてきて、私はウンコもしてたからホント恥ずかしかった。で、Lizzy達は私を見つけて悪態をつき、私の足首を掴みながら何か叫んでた」。



Starcrawler - "Lizzy"


Sleeping in the bathroom stall

Teacher screaming at me

Lizzy wants to have some fun

But I know what that really means

Took my lollipop, ripped my valentine

Little miss garbage girl

Push me for the very last time

I think I'm falling down

I'm falling down...


またデ・ワイルドには、名高いロックフォトグラファーでありビデオディレクターでもあるAutumn de Wilde(オータム・デ・ワイルド)とベテランドラマーAaron Sperske(アーロン・スパースク:Beachwood Sparks(ビーチウッド・スパークス)、Father John Misty(ファーザー・ジョーン・ミスティ)、Ariel Pink(アリエル・ピンク)、Pernice Brothers(パーニス・ブラザーズ)等で活躍)の娘として、普通でない環境で育った為、周囲に馴染めないという悩みもあった。「ウチにはいつも色んなバンドメンバーが泊まりにきたり、訪ねてきたりしていて、自分はそういう環境で育ちました。それが普通だと思ってたんです」。アロウは肩をすくめた。10才位になるまで両親のロックンロールなライフスタイルが普通ではないことに気付かなかったという。自分の家より標準的で保守的な友人宅のディナーに招かれた時のエピソードを話してくれた。

「全員でテーブルを囲んで食事したんですが、そんなことしたこともなかったんです。理由の一つは両親が離婚してたこと、二つ目の理由はウチはいつもテレビとか見ながら食事していたこと。(食事は)大切な儀式的なものじゃなかったから、そういうのを経験したことがなかったんです。で、そこんちのパパはアイルランド系カトリック教徒だったから『それでは感謝の祈りを捧げましょう(=Say grace)』みたいなノリで。自分の両親は信心深いとかそういうのではなかったから、自分はもう食べ始めちゃってて、そこんちのパパに怒られちゃった」。アロウは回想する。「そこんちのパパの顔が真っ赤になってて超怒ってたけど、自分にはどうしてか全然分からなくて。『グレース(Grace)って誰?』って感じだった。あの時が『あ、そうか。きっとこっちが普通なんだ』ってはっきり自覚した瞬間だと記憶してます」。



Starcrawler - "Stranded"



しかしながら、子供時代の変わった環境はアロウをロックンロールの道へと導くことになる。「ウチの両親って、インスピレーションを掻き立てるように音楽を教えてくれたんですよ。必ず会話の一部になってて、やらされてる感がない」。そして中学生になるまでに「自分のスタイルが見えてきた」のだという。「Bikini Kill(ビキニ・キル)にハマって、Black Flag(ブラック・フラッグ)、それからOzzy Osborne(オジー・オズボーン)やその周辺の音楽に出会って、クールなモノにハマり始めたんです。まだあんまりよく分かってなかったですけどね。自分はちょっとしたTumblr女子的な感じだったんですが、そのおかげで自分以外にも世間の標準からズレてる女子がいることに気付けたんです」。また彼女は「ロックの世界にいる人ほぼ全員」が、自分のような社会不適合者であることに誇りを持っているのに気付いたという。「高校時代、カッコいいとされてたロックスターで私が知ってるのって、Mötley Crüe(モトリー・クルー)のVince Neil(ヴィンス・ネイル ※破天荒キャラで有名)だけだったと思いますが、なるほどって感じですよね」彼女は笑う。

皮肉なことに、アロウは彼女が通う高校で最もクールなキッズだったとも言えるだろう。10代になる頃までには自分の個性を受け入れ、KISS(キッス)をテーマにした16歳の誕生パーティーを開催、ハリウッドにある70年代にインスパイアされたヒップスター・バー<Good Times at Davey Wayne's>で父親の結成したカバーバンドで歌うことさえして、敬愛するCherie Currie(シェリー ・カーリー ※The Runawaysのリードボーカル)をコピーしてThe Runawaysの<Cherry Bomb(チェリー・ボンブ)>をシャウトしていた。「パフォーマンスの良い練習になりましたね」と彼女は語る。アロウはまた、年上の友達でThe Runawaysの熱狂的なファンであるLily(リリー)とLAのクラブシーンに繰り出すようになる。「リリーは過酸化水素水で脱色したFarrah Fawcett(ファラ・フォーセット ※テレビドラマ<チャーリーズ・エンジェル>等で有名なアメリカの女優)の髪型で、短いホットパンツにシルクのボンバージャケットを着て学校に通ってた。自分も髪をブロンドにブリーチしていろんなクラブに一緒に行ったけど、クラブに潜り込むのはそんなに難しくはなかったです」。




(Photo: Gilbert Trejo)



そしてついに反逆者仲間であるHenri Cash(ヘンリー・キャッシュ)を誘いStarcrawlerを結成。クラブシーンを制覇し始めた頃、アロウはまだ高校生だった。校内でヘンリーに近付いたのはアロウからだったが、初めての台詞は「キミカッコいいじゃん。ギターは弾く?」だったという。「自分はまだ良いパフォーマーではなかったし、ステージ上ではめちゃビビってた」とアロウは語る。Starcrawlerがレコード契約を獲得するのには時間がかかったが、天性のアロウのカリスマ性はスタートの頃から明らかだった(アロウ談:「StarcrawlerのことをIndustry Plant(インダストリー・プラント ※自然に売れたように見せかけて実は業界のバックアップを受けている / 実際にはメジャーと契約しているのにインディペンデントだということにしているアーティスト)だと思ってる人がいたら、信じて。LAではそんなの関係ない。デモ音源を送っても返信はゼロだったんだから!)。バンドはやがて地元でバズることになるわけだが、それはStarcrawlerが2015年頃のLAの他バンドとは全く違っていたからであろう。

「高校の頃に自分が行ってたライブって、悪いけど、つまらなかったんですよ。見てて退屈だったから自分でやってみたいと思うようになりました」アロウは語る。ステージ上で目立つため、アロウはCherie Currie(シェリー ・カーリー ※The Runawaysのリードボーカル)のようなコルセットやAlice Cooper(アリス・クーパー)風の拘束衣を着てステージに立ち始め、Gene Simmons(ジーン・シモンズ)がやるように偽物の血を吐いた。初期のStarcrawlerのライブは、前述した映画<Carrie>のプロムのシーンを連想させる残忍で挑戦的な見世物だった。「人の注目を浴びることをやりたかったんです。少なくとも記憶に残るもの。嫌われたとしても忘れることは出来ないから」アロウはそう説明した。「自分にとって一番怖いのは、ただ忘れ去られることなんです」。




Arrow de Wilde (2019) (Photo: Tim Mosenfelder)



やがて、忘れられない存在となったアロウとバンドメンバーはRough Trade(ラフ・トレード)と契約を結び、ロックの新しい救世主として歓迎された。GarbageのShirley Mansonは「Starcrawler、特にアロウは音楽業界で女性が置かれている規範に挑戦しているように思う」と述べている。事実Mansonは、アロウがステージ上で自信が持てるようになるようアドバイスをくれたとアロウは明かす。「彼女は私を叱咤激励してくれた人のひとりだった。『そんなに怖がるのは止めて。アナタがイケてるって私には分かるけど、そんなに観客を怖がってちゃダメ』って言ってくれた」。

最近のアロウは、もうハリウッド的な芝居がかった演出で人目を惹く必要はないと感じているという。Big Machine(ビッグマシン・レコード)でのデビューで、Starcrawlerのサウンドが、アメリカーナ(※カントリー、ルーツロック、フォーク、ゴスペル、ブルーグラスなど、アメリカの様々なアコースティックルーツ音楽スタイルの要素を取り入れた音楽ジャンル)や90年代のインディーズのテイストを取り入れて進化したからだ。「もう血はやってないんですよ。飽きちゃったし、わざとらしくなっちゃってるし。ラスベガスのアトラクションに転向したいわけでもないですから」アロウは語る。しかし最近のロック復活の渦中において、Starcrawlerの時代は間違いなく到来しているようだし、ロックの復活をリードしているとも言えるだろう。今やStarcrawlerのやっていることは、ノーマル(!)と見なされてさえいるかのようだ。



Starcrawler - "She Said"



「高校生の頃、…って2017年卒業だから、そんな昔のことじゃないですけど、ロックが好きな人なんてマジでひとりもいなかったんです。今はまたロックを聴くのが普通のことになったって感じるけど、長い間ロックは親世代の音楽だと思われてて、普通キッズ達って親が聴いてる音楽なんて聴かないですよね」アロウは語る(アロウの血筋を考えると間違いなく皮肉なコメントであるが)。「だけどロックは、キッズ達も共感できるような新しいフレッシュな感じで復活しつつあるって感じるし、キッズ達もそのうち古いものを評価するようになるんだろうなって思います」。


※本インタビューの一部は、Starcrawlerが出演したSiriusXMの番組「Volume West」から抜粋している。SiriusXMのアプリでインタビューのフル音源が聴取可能。


◆あわせて読みたい当サイトStarcrawler(スタークローラー)記事:



18 August 2022

Simone Marie Butler | プライマルスクリームのシモーヌ・バトラー出演ドキュメンタリー映画「Year of The Dog」(2021年)

"Year of the Dog" - サウンドトラックは全曲Little Barrieが担当


Primal Screamのベーシスト、ラジオDJ、他バンドへの参加等、多彩な活動を見せる”僕らの姉貴”ことシモーヌ・マリー・バトラー(Simone Marie Butler)。実は2021年に、路上で暮らすホームレスとその飼い犬についてのドキュメンタリー映画の製作に携わり、自ら出演&ナレーションまで務めている。

この1時間7分のドキュメンタリー映画であるが、日本からはダウンロード不可のようで、あまり報道もされてないようなので、シモ姐のコメントが一番多く載っていた英語記事を翻訳してみることにする。とにかくトレーラーだけでも見てほしい。ちなみにサウンドトラックは、全曲あのバーリー・カドガン(Barrie Cadogan)が担当している。


Year of the Dog | Official Trailer


【元ネタ英語記事】Primal Scream’s Simone Butler on her “eye-opening” new documentary, ‘Year Of The Dog’ (NME 2021年11月12日)

以下、当サイトによる翻訳


ドキュメンタリー映画の新作『Year of the Dog』のプレミア上映に先立ち、プライマルスクリームのベーシスト、シモーヌ・マリー・バトラーが、ホームレスとその犬達を描いた映画の製作中に見出した様々な発見についてNMEに語ってくれた。

本新作はポール・スン(Paul Sng)監督(『Poly Styrene: I Am a Cliché』『Dispossession: The Great Social Housing Swindle』『Sleaford Mods: Invisible Britain』等の作品で知られる)のディレクションによるもので、ミュージシャンでありDJでもあるシモーヌ・バトラーが、Dogs On The Streets(DOTS)(ホームレスとその犬達の健康と福祉のために活動するボランティアグループ)とタッグを組み、彼らが路上生活から永遠に抜け出せるよう支援する様を描いた作品となっている。

映画の概要はこうである。「世界的なパンデミックは社会で最も弱い立場にある人々がいかに危うい存在であるか露呈させた。『Year of the Dog』はストリートドッグとその飼い主の絆に光を当て、英国最大の試練の時に繰り広げられた小さな生き残りの物語を描いた作品である』。


雑誌「Big Issue」のベンダーとシモーヌ・バトラー


動物好きのシモーヌ・バトラーが初めてこの団体の存在を知ったのは、犬を飼おうといろいろリサーチしていた時のことだった。Soho Radioの自身の番組『Naked Lunch』でDOTSの創始者ミッシェル・クラーク(Michelle Clark)をインタビューしてから、本ドキュメンタリー作品のアイディアはすぐ形になり始めた。

「DOTSの活動はとても素晴らしいのに、メディアが十分報道していないと感じたんです」バトラーはNMEにそう語った。「住む家を失ったことや路上生活者だということ、それにそういう人たちが犬を飼うことにつきまとう偏見に一石を投じたくて、何か発信しようと考えたんです」。

バトラーは、この映画製作がいかに「目から鱗の経験」だったかについても語ってくれた。ホームレスの人々が路上で犬を飼うことに対する誤解や通説の数々を払拭する手助けをした経験のことである。




「自分が責任を持たなければならないもう一つの命がそばにいるのって大きな安心感につながるし、路上で生活する人達にとって手助けにもなるんです。やるべきことや責任が生じますからね」バトラーは言う。「それに頑張る理由が出来ますよね。路上で生活するのって絶望的で過酷な状況にもなりますから。犬の面倒を見ることやその犬との尊い絆が、そういう状況に置かれた人達にとってどれほどの生命線になるのか、この経験のおかげで本当によく理解できたんです」。

バトラーはこう続けた。「ちょっと前に友人に言われたんです。自分の犬を飼ったら一瞬で家族になってその子のために死ねるって。住む家がない状況だと人との交流やつながりが希薄になることもあると思いますが、犬の存在や、犬のおかげでできたコミュニティーが、彼らに帰属意識を与えてくれるんです。路上生活ほど孤独で危険な場所はないでしょうから、そういう関係性ってとても大切なんです」。

映画製作への参加から学ぶことも多かったと認めながら、バトラーは過去に抱いていた自身の思い込みが覆されたことも話してくれた。「以前の自分は(路上生活者に飼われるのが)犬にとって良いことなのか疑問に思っていました。でも犬の世話をする路上生活者の人達って、自分より先に犬に食事を与えるんですよね。そういう犬って信じられないくらいよく躾けられているんですが、きちんと社会化されていて、自分を守りケアしてくれる飼い主といつも一緒にいられるからですよね」。

「そういう犬達って、自分を無条件に愛してくれる人間と信じられないくらい素晴らしい生活を送っていて、気性もとても穏やか。問題行動がある犬は一匹もいませんでした。中傷するつもりはないですが、犬のしつけに真面目に取り組もうとしない飼い主だっていますよね。でも路上で四六時中飼い主と一緒に過ごせる犬は、飼い主といつも変わらない関係を保つことができています。お互いに本当に気遣い合ってるんです」。

また本作では、英国の路上生活に関する厳しい統計データにも目を向け「深刻な社会問題」だとしている。バトラーが本作の製作から導き出した結論は、「路上で暮らすホームレスとその犬達に対し、もっと正しい知識を持って思いやりのある見方をすべきであり、この問題にどう対処すべきかもっと深い知識が必要」とのことである。<以降、上映イベントスケジュール部分省略>


ダウンロードはこちらから(UKとアイルランドからのみ可)


◆あわせて読みたい当サイトSimone Marie Butlerインタビュー記事翻訳:


9 August 2022

テンプルズ(Temples) | メンバーが語るサム・トムズ(Sam Toms)脱退の真相とは?

 


2018年のドラマー、サミュエル・トムズ(Samuel Toms)の突然の脱退。これについて無難な答えに終始していたテンプルズ(Temples)のメンバーが、独メディアにチラっと本音を語ったインタビューがあったので、遅ればせながら翻訳してみることにする。思えば初来日の時も、サムだけがUKから直行。他のメンバーはドラムに代役を立てたSXSWを終え、アメリカから来日…。他のメンバーが長年、サムのバンドに対する姿勢に不満を持っていたことが読み取れる内容となっている。

【元ネタ英語記事】Temples - Interview (Bedroomdisco 2019年9月27日)

以下、当サイトによる翻訳


これまでアルバム3枚をリリースされているので、アルバムの制作過程について、スタートから完成までどう進めていくか、バンドなりのお考えがあると思います。テンプルズの通常進行のレコーディングって、ざっくり言うとどんな感じなんですか?

トム:僕らの場合、いつも時間がかかりますね。作曲とレコーディングについては、かなり集中的に取り組んでいるので、もしアルバムを6週間で完成させるとしたら、どうすればいいか分からないかも…。じっくりアイディアを練り上げてから、1枚のアルバムと呼べるものに時間をかけて仕上げていくスタイルが僕らは好きですね。

ジェームス:曲によってはコアとなる要素が出来上がるのにミニマムな時間しかかからないこともある。例えば『Hot Motion』がそうで、リズムセクションとメロディーが先に上がっていて、僕的にはあの曲を盛り上げてるのはベースだと思うんだけど、完成まで数日しかからなかった。曲によっては熟成するまでに時間を要するものもあるから、平均的なやり方みたいなのはないんですよ。他の曲を仕上げるのにかかりっきりで2ヶ月位ほったらかしにしてた曲もあったかもしれない。ある曲のアルバム内での位置付けとか、どこを変えなきゃならないとかは後になって初めて気付くものだし、なかなか分からないものなんです。じっくり考える期間を経たからこそフレッシュな視点が持てるんですよ。

アダム:このアルバムは、プロダクションとか、しっくりくるアレンジの仕方だとかに重点的に取り組んでいて、余分なものは削ぎ落されてる。前作ほどエフェクトも多くないし。


ファーストアルバムを出してから、60年代志向のヴァイブスから脱皮したいと思われていましたか?

ジェームス:アプローチの仕方を変えたいとは思ってましたけど、60年代風なサウンドはもう出来ない、シンセサイザーは止めようとかは思ってなかったです。ファーストアルバムについては、昔の誰かのモノマネに過ぎないから好きじゃないって人が割とたくさんいたことは心に留めておくべきで、そういう人達にとってあのアルバムは目新しくもなく、オリジナリティーにも欠けるわけです。(2枚目以降について)僕らはもっと現代的なものを作りたかったんだと思います。そうする上で、自分たちの本能的な直感とは真逆なものを追い求める形になって、自分達の特徴的なキャラクターの中には楽曲から抜け落ちたものもありました。ファーストアルバムは基本、直感に従っただけ。セカンドアルバムは直感との闘いで、自分たちが前にやったことより優れた何かを生み出せれば…って考えながら制作した感じ。


ファーストアルバムが好きだって公言した人もいましたよね。ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)は、ああいう音楽をもっとラジオで聴きたいって言ってましたし。そういう期待に応えるのは難しいと感じていましたか?ハードルが上がって重たいとか?

アダム:最初の頃は、そんなこと考えてる時間さえあまりなかったですね。すぐにツアーに出なきゃならなくて、それも世界中を廻るハードなツアーで、今まで見たこともない場所に行ったり、アメリカのテレビ番組に出たのはとても奇妙でシュールな体験だったんだけど、全てが本当にあっという間だった。それから2年間ツアーを中断して、内に籠って『Volcano』を作り始めたんですが、重たいとかは思わなかったですよ。

ジェームス:セカンドアルバムっていうのはかなり特殊で、この感覚は、1枚目にしてアルバムを大当たりさせた人じゃないと、説明しても分かってもらえないと思う。取るべき道はたった2つ。ファーストアルバムと同じことをしてファンの多くをキープするか、何か新しいことをするか。ホント、特殊な状況なんですよ。次回作を作りたいわけなんだけど、そこには一定レベルの期待値みたいなのがあるから、ファーストと全く同じことはやりたくないっていう…。プレッシャーはあったと思いますよ。曲は書けるんだけど、セカンドにふさわしいサウンドを探しあぐねてた。サウンドは見つかったし、シンプルにまとまったアルバムにはなったけど、もう二度とセカンドアルバムを作らなくていいっていうのは最高ですね。


Temples - "You're Either on Something"


サム・トムズ(Sam Toms)がバンドのドラマーでなくなった理由を明かして頂けますか?

ジェームス:サムとはずっと話し合う必要があると思ってたんだけど、それで脱退してもらうことになったんです。バンドっていうのは、いつもメンバーの顔触れが固定されてなきゃならないなわけで、お互いに気遣いあう関係性も必要。個人的なレベルだけじゃなく音楽的にもね。僕らは自分たちが作る音楽に真剣に取り組んでいるし、それがライブパフォーマンスっていう話になると、ステージで全員揃って演奏するっていうのが絶対ハズせない肝になるわけです。ライブ後に何が起ころうと全然構わないんだけど、そのことでライブや自分たちの音楽活動に支障が出るとしたら、それってクールだとは言えないですよね。僕らは何年もそういうのに目をつぶってこなきゃならなかった。だから決断する必要があったんです。


ある意味、自己管理がなってなかったということ?

トム:そうだと思いますよ。それって無条件なことですよね。僕らは皆、ノーサンプトンシャーにあるケタリングっていう町で一緒に育ったようなもので、そういう絆って人と人を団結させるものじゃないですか。バンドの中では自分の担当するパートを演奏しなきゃならないわけで、ジェームスが言ったように、もしライブをやるのに支障が出るとしたら、それは僕らの音楽活動に妥協することになってしまう。


支障が出るってどんな風に?

ジェームス:(現場に)来ないとか?

トム:うん、主にそれだよね。4人組として演奏出来ないことが結構あったけど、気分のいいものではなかったですね。


えっと、サムは今、規律にうるさいことで知られるファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)でプレイしてますよね。完璧にうまくやっていくには…。

全員:(笑)

アダム:彼らは全員同時に遅刻するだろうから、誰も遅刻してないってことになる。なかなかしたたかな策略かも。


このアルバム(3作目の『Hot Motion』)のドラムパターンは面白いですよね。まるでディストピアのマーチングバンドからやって来たようなサウンドに聞こえる楽曲も多いです。事前に発表されたコメントの中で、『The Howl』のことを、『古代の祖先に敬意を表し、足を踏み鳴らし前進していくリズムセクションに鼓舞される戦闘への招集』と表現していらっしゃいます。(サードアルバムは)歴史的な意味での英国人気質的なものを狙った作品なのでしょうか?

トム:そうですね、(3作目は)英国の歴史だとか感性から来ている部分は多いですね。ストーリーテリングやソングライティングに対するアプローチの仕方や歌詞、楽曲の壮大さ、メロディーに対するこだわりとかもね。今僕らがやっていることの強味でもあり、自分達のことをそれほど真剣に考えない英国人的な気質とブラックユーモアなコメディーの要素が組み合わさってるっていうか。

アダム:でも意図的にではないよね。『この曲は英国っぽくなったかな?』とか、じっくり考えてやったわけではないです。僕らが英国人で英国音楽のファンだからそうなっただけで、持って生まれた気質なんでしょうね。

ジェームス:コメディーでも童謡でも脚本でも、悲劇とユーモアをほぼ一言で言い表すことが出来るのは、僕らのDNAの中にあるものだよね。このアルバムにはそういった要素がある。うん、これは英国のレコードなんだけど、僕らの中にあるヨーロッパ人の部分も現れてる。だからブレクジット(Brexit)なアルバムじゃないし、『ブリテン・ファースト(Britain First)』でもない。


国民投票には行かれたんですか?

全員:はい。




EU残留に投票?

アダム:僕ら3人共、それと僕らと同世代の知り合いは、ほぼ全員そうだよね。

トム:統計的に言うと、(投票後に)亡くなった人の数と参政権を得た人の数をプラスして投票結果に足せば、今なら残留っていう結果になるらしいよ。

アダム:僕らの故郷ケタリングは、離脱のパーセンテージが最も高い地区のひとつだったよね。

トム:ってことは、僕ら残留組3人は孤立しちゃってるってことか(笑)。


アレクサンダー・ボリス・ド・フェファル・ジョンソン(Alexander Boris de Pfeffel Johnson)が次期首相になることについてはどう思われますか?

ジェームス:崩壊していく世の中を目の当たりにするっていうのはエキサイティングかも(笑)。保守党が与党でいる限り、僕らとの共通点は何もないですね。国民をさらに分断するおかしなことさえ導入しなければ、誰が首相になろうとどうでもいいかな。僕らの国で助けを必要とする人達にとって、首相が誰とかあまり関係ないんですよ。いいなって思える候補者はゼロだから。ホント笑っちゃいますよね。ボリスって道化師みたいで、まるで漫画のキャラクター。一国のリーダーって感じではないですよね。


『Atomise』という曲は、我々が種として生き残る為、環境に配慮すべきだという警告とも取れます。迫りくる危機に対して行動を起こそうといったメッセージを発信すべきだと思われていますか?

トム:そうですね、全くその通りです。自分達を取り巻く環境とのスピリチュアルな繋がりというか、一方で自然を恐れながら、究極的には自然と繋がっていたい…みたいな。でも6月のベルリンが摂氏40度とかって恐くありませんか?氷冠が溶け出して、やがて世界が水没するとしたら?僕らは母なる地球を大切にしないといけないんです。


特に、皆さんは島国出身ですから…。

全員:その通り!

アダム:みんな忘れちゃってるけど、英国はあんなに小さな島なんだし、僕らは小さな島国の民族でしょ?小さな変てこな島の民でしかない。もし母なる自然が津波か何かを引き起こすことがあれば、もう壊滅的ですよね。


もっと軽い話題に移りましょう。サイモン・レイノルズ(Simon Reynolds)が最近、グラムロックとそのレガシーに関する著書『Shock and Awe』を出版しました。『The Beam』や『Step Down』といった楽曲には、このジャンルと同様の興味が見て取れますが、バンドとして、耽美なグラムロックからどんな影響を受けていますか?

トム:僕もあの本を買って半分読んだところです。レイノルズの言葉を借りれば、1950年代以降の音楽でアイコンという概念が生まれ、そのアイコンに1970年代の奇妙キテレツな加工が施された結果、狂気な世界観で面白みのある新たな一面が音楽にもたらされた…ってことだと思います。

ジェームス:グラムロックにはちょっといかがわしいいところもありますよね。ヘアグラムとか、呼び方はどうであれ、グラムロックのパクリとか思われたらヤだなぁ(笑)。ああいうアンドロジニー(両性具有)なところが、ちょっといかがわしく感じるし、ブリティッシュなのかも。だけどレコーディング方法を除けば、音楽的にそんなに変わってるわけじゃない。トムが言ったように、50年代の曲のセンスって、基本コード少なめで、ハッピーでメランコリックなメロディーで、ちょっと童謡チック。でも70年代になると、カミソリの刃みたいな、ミキサーにかけられたか、おろし金の上に乗っけられたようなギターサウンドの渦に放り込まれる。かなりヘビーで、グラムロックにもそういうところがあるんだけど、とても本質的で直感的で大胆不敵、誰かが身を潜めて隠れてるみたいなサウンドじゃない。グラムロックには僕らも感じるものがあるし、アイディアを取り入れてる曲もあります。まぁ音楽の引き出しの一部ですね。

トム:でもグラムロックのサウンドにはもっと注目すべきじゃないかな。例えばボウイ(David Bowie)やボラン(Marc Bolan)。グラムロックに必須の神秘性や魔力がなければ、うわべだけの使い捨てとしてすぐ忘れ去られてしまう。賞味期限だって短い。僕らがグループとしてグラムについても追求しようとしてるって、みんな分かってくれるといいんだけど。


Temples - "Hot Motion"


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24 June 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| ガーディアン(The Guardian) インタビュー

 Photograph: Jamie Wdziekonski


【元ネタ英語記事】Japanese rockers Kikagaku Moyo: "Watching people board a train - that's psychedelic!"(The Guardian 2022年6月23日)




日本のロックミュージシャン幾何学模様:「電車に乗る人を見ているのもサイケデリック!」

最後となるツアーでグラストンベリーに出演するKikagaku Moyo(幾何学模様)。見逃せないサイケデリックロックバンドである彼らが、徹夜のジャムセッションから生まれたサウンド、「クリエイティブな不完全さ」、自分たちの流儀で身を引くことについて語った。



サイケデリック音楽と言えば、Jimi Hendrix Experience(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)、The 13th Floor Elevators(13thフロア・エレベーターズ)、ウッドストックのぼやけた画像等を思い浮かべるだろう。しかし、日本のバンドKikagaku Moyoにとってサイケデリアとは、母国のカウンターカルチャーのヒーローであり強烈なファズの嵐を吹かせるAcid Mothers Temple(アシッド・マザーズ・テンプル)やFlower Travellin' Band(フラワー・トラベリン・バンド)等に代表されるものである。Kikagaku Moyoのフロントマン・Go Kurosawaが、現在の東京についてコメントする。「東京の音楽、映画、カルチャー、技術の完璧さを求められるんじゃなく、何にも縛られない自由さ。僕らにとってのサイケデリアは、ヒッピーシーンから来るものではなく、自然の中や、お寺から聞こえる読経の中にあるもの。毎日電車に乗る人を見てるんだったら、それだってサイケデリックだと思います」。

Kikagaku Moyoのライブでは、時に長髪のメンバーが10分に及ぶジャムセッションを繰り広げるが、そのダイナミックなエネルギーの源は、2010年代初頭の大学の街・高田馬場(東京都新宿区)まで遡る。ヴィンテージショップ、大学生が集うバー、深夜営業のレコーディングスタジオを転々としながら、Kikagaku Moyoは5人組のバンドとして結成され、今や日本のロックシーンの最前線に立つ存在だ。彼らの空中浮遊に近い感覚に誘うライブパフォーマンスや、聞くものを虜にするアルバムの数々の賜物であろう。しかし、5枚目のアルバム『Kumoyo Island(クモヨ島)』のリリース後、お別れの海外ツアーが終了すれば、Kikagaku Moyoは解散してしまう。自らが創り上げてきた世界観の継続を断ち、それらが希釈されていく可能性を回避するというのは、実に非アメリカ的な選択である。

KurosawaとTomo Katsuradaが初めて出会ったのは2012年。Kikagaku Moyoというバンド名は「幾何学模様」と訳される。「夜中から朝6時までジャムセッションのやり過ぎで、気を失う頃にはまぶたに幾何学模様が見えていた」とKatsuradaは語る。Kurosawaの弟Ryuが、シタールの修行を受けたインドから帰国し、その後すぐベースのKotsu GuyとギターのDaoud Popalが加入。Kurosawaがドラム、Katsuradaがギターで、ヴォーカルを2人で担当するようになる。初期のジャムセッションには、よくあるヒップホップ、メタル、インド古典音楽、ブルース等、メンバーの多種多様な音楽の趣味が表れていた。経験の浅さゆえ、バンドには自由さがあったし、サウンドにもはっきりとした輪郭はなく、ループのあるアンビエントなストーナーロック、レトロなファズギター、魅惑的なシタール…と様々だった。



フロントマンでドラマーのGo Kurosawa (Photograph: Burak Çıngı/Redferns)



2枚目のアルバム『Forest of Lost Children』では、技巧を凝らさない自然なジャムセッションである「Semicircle」から始まり、ブルージーなギターの「Kodama」、Ananda Shankar(アナンダ・シャンカール)のカバー曲「Street of Calcutta」の熱のこもったシタール、暗く哀愁漂う「White Moon」等を収録。本作は、後発のアルバムで彼らが繰り返すことになるある種のパターンが顕著になった作品だ。つまりKurosawaのドラムがクレッシェンド(次第に強く)に向けてスタートを切り、盛り上がり、そして瞑想的な終わり方をするという形である。

「歌詞が少ないのは、音楽で自分の旅を想像する余地を与えたいから。アルバム1枚1枚は、1本の映画のようなもの」だとKatsuradaは言う。確かに『Kumoyo Island(クモヨ島)』は、広大な土地を孤独に旅しているような気分にさせる。「曲を作る時は、まずメンバー5人が楽しく遊べる遊び場を作ろうとします」Kurosawaは語る。「そこに言葉を加えるのは、さっき言った想像力(イマジネーション)を限定してしまう気がするんです」。

『Kumoyo Isaland(クモヨ島)』は、「ツアーの経験、車窓やステージからの風景、僕らが経験したカルチャーに影響を受けています」とKatsuradaは言う。日本やヨーロッパでの公演を経て、Kikagaku Moyoがアメリカでのデビューを飾ったのは、ニューヨークのBerlin(ベルリン)という、壁の中にある穴蔵のような薄暗いヴェニューで、ステージは地面からわずか数インチ程の高さの小さな壇だった。筆者はそのライブ会場におり、Kurosawa弟のシタールに触れることができるほど近くに立っていた。その後、ヴェニューは大きくなっていったが、彼らの遊び心、リフやソロを想像を超えて膨らませ、観客を集団的心理に浸らせるという姿勢は未だ健在だ。ステージ上の彼らは、催眠術のようでファンキーで、ユーモラスで親しみやすく、鼓膜が破れそうな長いソロを変わらぬ笑顔で弾き続けている。

アルバムが完成すると、別れを告げるという決断がバンドに訪れた。それは彼らの音楽同様、本能的なものだった。「僕らはやりたかったこと全てを実現させたんです。サイケデリックのフェスに出て世界ツアーをするという野望、これも叶いました。曲を作るだけじゃなく、アートやグッズ、Kikagaku Moyoが何であるかというヴィジョンを創るのにも時間とエネルギーを費やしました。だから今、僕らの旅を僕らの思いどおりの形で、出来るだけ最高の形で完結させることができるんです」とKurosawaは語る。




ジャムセッション … 2018年、ステージでの幾何学模様 (Photograph: FilmMagic)




バンドは今月、グラストンベリーを含むヨーロッパツアーを行っており、その後アメリカを周るが、最後のライブは母国のフジロック・フェスティバルで行うことになっている。まさに完璧な一巡だ。KatsuradaとKurosawaは自ら選んだベースであるアムステルダムに戻るが、2人はそこでGuruguru Brainというレーベルを運営し、彼ら以外の秘蔵アーティストのサポートに注力する。Kikagaku Moyoのレガシーは、バンドの「クリエイティブな不完全さ」にあり続けるのだとKatsuradaは言う。そして、笑顔でこう締めくくった。「若い世代に受け継いでもらえるような場所を残したいんです。専門的な技術がどれくらいあるとか、世界のどこの出身かとかは全く関係ない。僕らが発信し続けてきた『音楽は国境や言葉の壁を超えられる』っていうメッセージが届いているといいなと思います」。




●Kikagaku Moyoは6月25日(土)現地時間午前11時30分、グラストンベリー・フェスティバルのWest Holtsステージに出演。6月27日(月)は、ロンドンのEarHで公演。