13 December 2018

元テンプルズ(Temples)サム・トムズ(Sam Toms)インタビュー | 脱退の真相とは?


バンド公式から何の発表もないまま、テンプルズ(Temples)のドラマー・サミュエル・トムズ(Samuel Toms)が突然消えた。現在テンプルズのドラムはサポートメンバーであるオランダ人レンズ・オットインク(Rens Ottink)が務めている。誰もが知りたかったサム脱退の真相がついに本人の口から語られた!…というわけで、檀家(テンプルズのコアファン)注目の本記事を和訳してみることにする。

【元ネタ英語記事】[Interview] With ... Samuel Toms(IT'S ALL INDIE 2018年12月6日)

以下、当サイトによる翻訳



インディーロックのベストドラマーというキャリアは、憧れと羨望の的であり続けているが、テンプルズ (おそらく世界的に最も高く評価され愛されている現代のサイケデリックロックバンド)から脱退する際、サミュエル・トムズが確かな希望を抱き、エネルギーとクリエイティビティーに溢れていたことは間違いない。才能あるドラマーでありソングライターでもある彼は、ケタリング出身の4ピースバンドからの脱退以来、いくつかの音楽プロジェクトを同時進行させるのに超多忙な日々を送っている。

最初にサミュエルがやったことの1つは、ドラマーとしてエクスペリメンタル・ポストロックバンドファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)への加入の誘いを受けたことだった。元々ファンでありバンドの友人でもあった為、そこに迷いはなかった。またサミュエルには、かねてからソロ・アーティストでありたいとの考えもあった。1人で音楽をやるのは真新しい夢などではなく、何年もの間思い続けてきたことだった。決意というよりは自然な成り行きで次のステップに進んだ…ということのようであるし、まだテンプルズに所属している頃からずっと作詞作曲も行っていた。

サミュエルはリズムギターを弾き、そして歌う。曲を書き、素晴らしいミュージシャンとプレイし、奇抜でエッジの効いたエンターテイメント的ライブをする…というのが彼のやりたかったことだ。6年いたバンドを抜けるのには、明らかにアドバンテージがあったし、脱退によってさらに大きな解放感とインスピレーションも得られた。いきなりオファーを選べる立場になったのは、彼に好奇心と情熱があったからである。またサミュエルはシークレット・フィックス(Secret Fix)のフロントマンでもあり、トーイ(TOY)やザ・プロパー・オーナメンツ(The Proper Ornaments)のメンバーであるマックス・オスカーノールド(Max Oscarnold)とコラボし、ザ・テレスコープス(The Telescopes)ではギターもプレイする。

あれだけの長い期間テンプルズの正式メンバーを務めたのが特別な経験であるのは言うまでもない。そんなバンドを脱退し、次に進んで新プロジェクトに身を投じ、別のミュージシャンと共にやっていくには、相当な努力や献身、頑張りとエネルギーが必要になる。だがサミュエル・トムズはそれらの全てを注ぎ続けている。そんな1人のミュージシャンの新しいキャリア、過去と未来の思考や考えをもっと聞きたいとの好奇心から、この非凡なミュージシャンと貴重な独占インタビューを行い、皆さんにお届けできるのは我々IT'S ALL INDIEにとって誇りを超えて余りあるものがある。


すっごく色々変化したわけだけど、自分の現在の状況についてどう感じてる?

とてもラッキーだったと思ってる。なるべくしてこうなったって感じで素晴らしいし、これがずっと続くことを願ってる。

ファット・ホワイト・ファミリーのメンバーになるなんて想像したことはあった?

ファット・ホワイト・ファミリーのライブには何度か行ったことがあった。以前テンプルズで何度か同じフェスに出てたから。それから別の友達を通じてパーティーで出会って頼まれた。最初はSecure Men(訳者注:FWFメンバーであるソウル・アダムチェイスキー(Saul Adamczewski)率いるインセキュア・メン(Insecure Men)のこと)でプレイするはずだったんだけど、まだテンプルズにいた頃で忙し過ぎたから結局誰か他の人が入ったんだけど。でもすべてがうまく運んで、テンプルズを抜けた時、ファット・ホワイト・ファミリーが「メンバーになりたい?」って聞いてきたから「もちろん!」って感じだった。

ソロに転向するのってどんな感じ?今のところは楽しい?

ソロに関しては、僕的にはずっとやり続けてきたことだと思っていて、まだテンプルズにいる頃から曲は書いてたけど、脱退してからさらに多くのインスピレーションが得られるようになったのは確か。何曲かレコーディングする予定だからどうなるか見てて。自分だけのことだから、今自分がしてることをどうにでも出来ちゃうわけで、全くもってすべて自分次第。アルバム1枚作ってそこからスタートしたいと思ってる。誰かリリースしたいって人がいてくれればクールだけど、誰もいなきゃ自分でプレスしてDIYで発売するさ。

自分のサウンドや歌詞をどう説明する?

ある意味、大人のテーマを持った子供の曲みたいな感じ。サイケデリックロック全般にはうんざりしてて、僕がお決まりのサイケデリックものについてじゃあ話しましょうって言ってる間にも、パンダ・ベア(Panda Bear)みたいなアーティストはどんどん前進してるわけでさ、ギターバンドにリバーブかけまくらせてるだけじゃなくて。

ポップなメロディーに本当にくだらない歌詞っていうのにマジで興味がある。自分の曲は雰囲気モンじゃなくてかなりドライにしたかったんだ。風刺とか社会的メッセージにも興味はあるけど、あんまり真面目にはしたくなかったんだよね。ふざけてスタートしたものなら誰も後から馬鹿にしたり出来ないしね、自分だって似たようなことやってきたわけだから。シンプルな曲が書きたかったっていうのはあるね。まだ直しを入れるかもしれない曲もあって、もっとモダンなサウンドにするかも。ダブとか何かのミックスとか、まぁどうなるか見ててよ。

どんな主題や状況からインスピレーションを得ているの?

ヒドいこととか、いろんなものにイラっとしてるんだ。多分皆んなの多くがイラっとしてるものにね。でもアートに政治を持ち込むって考えはキライだから、僕の曲は生活とか人間、アティチュードについてだね。「ウォーク・ハード:ロックへの階段(The Dewey Cox Story)」って映画観たことある?「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(Walk The Line)」のパロディーみたいなやつ。映画の途中で何かが起こって「ちょっと待った!それって曲になるかも」みたいなのがあって、そういうのが僕の頭にセンサーを送ってこようとする。何かイラっとくる時とか、何かが目に付く時とかいつでも。この映画が他の人にとって面白いかどうかは分からないけど、気晴らしにはなると思うよ。

音的にどんな影響を受けているのかは単純な話ではないし、それが何であるか見極めるのも容易ではない。だがサミュエルのライブを観たことがある者は皆、その表現のユニークさには同意する。オリジナリティーと個性があるのだ。スクイーズ(Squeeze)、シド・バレット(Syd Barrett)、テレヴィジョン・パーソナリティーズ(Television Personalities)、アイバー・カトラー(Ivor Cutler)と自分を重ねる人もいるとサミュエルは語る。

テンプルズのスタイルは曖昧でとても詩的だったけど、僕の作品は完全にストレート。


Photo Credit: Martin Shaw



テンプルズと同じぐらい最高のミュージシャンでバンドを固めなきゃっていう考えはある?

ラッキーなことに仲がいい友達は皆んな素晴らしいミュージシャンなんだ。モノを分解するみたいなことは大好物でマックス(・オスカーノールド)とはそれをやってるよね。例えばマックスがチープなYAMAHAのキーボードを弾いて、僕がギターとかでもいいかも。今夜のセットはちょっとプロトパンク寄りでもっとエレクトリックにする予定。バンドで3曲演って、それから僕だけで1曲演ることになると思う。ポップソングか酒飲みの曲。大体いつも楽しいよ。

サミュエルの曲のタイトルには「Booze and Hippies For Hate(憎むべき酔っ払いとヒッピー)」というのがあり、そのうちリリースされるデビューアルバムに収録するつもりらしい。「The Professional(ザ・プロフェッショナル)」という知人についての曲もある。

曲のタイトルには何となく自虐的な「Useless Pr*ck(役立たずのペニス)」とかもあるけど、僕に同情してもらうための曲じゃないよ。「Jimmy Riddle's Milk(ジミー・リドルの牛乳)」とか「Special Disease(特殊な病気)」って曲もある。僕にとって曲のタイトルはとても重要でアートワークと同じくらい力を入れてる。タイトルを書いてる時はあらゆることを考慮するようにしてる。

リリースはどうするつもり?誰かアプローチしてきた人はいる?

今のところまだ誰も。たぶんまずは何かを仕上げなきゃならなくて、シングル曲作ってビデオを公開して、そしたら何か具体的なものを示せるよね。シングル曲って、今僕がやってるのはコレですって皆んなに知らせるためのものだからね。とある有名でビッグなバンドをマネジメントしてる男性とずっと話してるんだけど、僕をヘルプするのに興味を持ってくれるかも。

テンプルズのことに話題を移すけど、脱退についての情報発信がほとんどないようだけど、それについてはどう考えてる?

テンプルズの誰も何も言ってないよ。ファンからのメッセージで「どうなってんの?」「なぜ一緒にプレイしないの?」みたいなのが来てるから、(脱退を)認めるとか、ありがとうとか何でも、テンプルズがちょこっと投稿してもいいんじゃないかとは思うけど。

脱退する時点での雰囲気はどうだった?

メンバーにとって僕はちょっと頭の痛い存在ではあったけど、要は僕らって家族みたいなものなんだよね。全員同じ小さな町で育ってるんだけど、家族とだって一生一緒に住んだりしないよね。どっかの時点で家を出て新しい悪友が出来るわけで、僕がやったのはそういうこと。

脱退のきっかけは?

メンバーに出ていくように言われたんだ。詳しくは今言わないけどそんなひどいものではなかったよ。僕らのどっちもそろそろ別々の道を行く時期だって感じてはいたんだけど、たぶん僕自身に今イチそれを認めてないところがあったかも。(脱退については)その人が考えるようにその人なりのストーリーを作り上げてくれればそれでいいし、それがどういうものか知りたいよね。

でも脱退についてはだいぶ前から考えてはいたんだけど、ツアーに出て世界中廻って稼いでたし、途中で止めるわけにもいかないから難しかったんだ。誰でも自分っていう存在が何なのか自問自答する時期ってあるけど、多分僕はもうちょっと早く脱退するべきだったんだろうなって思う。自分自身と他の人達にもフェアでいるためにね。

彼らとこの先長くは一緒にやらないだろうなって悟ったのはどの時点で?

多分、バンドに加入してそんな経ってない頃。僕っていつも物事にきちんと関わるのを楽しむタイプの人間なんだけど、テンプルズに関してはすっごい他人事だった。ある意味、それってクールなことではあるんだけど。ドラムだけ叩いてその他諸々については心配しなくていいっていうのは良かったんだけど、その一方で誰か他の人が舵取りする船に乗ってるっていうのは好きじゃないんだ。それってちょっと怖いことだし。あんまり嬉しくない決定がされちゃうとかそういう類のことだね。だけど本当に素晴らしい時間を過ごせたし、それが6年続いた。世界中ツアーしたし、素晴らしい人達とも出会ったし、すっごい楽しんだよね。

テンプルズの長期間の世界ツアーの中でどのライブが印象に残ってる?

日本のフェスでのライブには、本当にスペシャルなものもあった。単独で演った日本のライブの多くも素晴らしかった。マンチェスターはいつでも間違いなく凄かったね。キッズ達がいつもバカ騒ぎで、テンプルズの曲でモッシュするのが好きなんだ。メンバー全員ガチで具合悪かったライブもあったな。イピサ島でプレイしたんだけどあれは変な経験だった、僕らに合わなかったってだけだけど。

翌日ベニカシズム(訳者注:スペインのフェス)で演ることになってたんだけど、ちょうど僕らが大きくなりかけで人気が出始めたぐらいの頃で、僕らを観に来る人なんているのか全く分からなかった。(最初行ったら)誰もいなくて僕らは全員バックステージに下がってたんだけど、(本番で)ステージに歩いていったら何千という観客が僕らを観に来てた。ちょうど日没の時であれは最高のライブだったなぁ。まだ具合悪かったけどアドレナリンに助けられて何とかやり切った。あれはとってもマジカルだったなぁ。

最も思い出深い瞬間や経験ってどんなのがある?

間違いなくあの頃出会った人達だろうね。今じゃほぼどの大陸に行っても一緒に過ごす友達がいるし。だけど単なる友達なんかじゃなくて素晴らしいキャラクターの持ち主でもある。この世に存在するとさえ想いもしなかった人達なのに、そういう人達の人生がまるで映画みたいだったりするんだ。今まで自分が出会った人達に思いを巡らすのはとても楽しいし、皆んな本当にいい人達なんだ。

カンザス・シティに素晴らしい友人がいて、ただ彼の家に行くってだけでスペシャルなんだ。皆んなあんな場所に行ったことないと思うよ。高価とかではないんだけどベランダがあって、家の前に座って行きかう人達に挨拶して、マジでロマンチックで素晴らしいんだ。

クリントンって奴なんだけど、彼と友達になって、次回テンプルズでライブしにカンザス・シティに来たら「君たち全員迎えに行くから。30分で着くよ」とか言われてたんだ。で、その後僕に電話を掛けてきて、外を見ろって言うから見てみたら、ピンクのキャデラックに乗っててさ。めちゃ明るいピンク。それからその車で遠出したんだけど、どこに連れて行くのか言ってくれなくて。結局どこだかよく分からない場所にある年配の女性が経営してる古いヴィンテージショップだった。

その女性は1970年代からこの店をやってるんだけど、僕らにスーツをくれたから2人でちょっとフレッド・アステア(Fred Astaire)みたいになって店を出た。シルクハットも被ってね。クリントンとピンクのキャデラックで街中をドライブして最高の日を過ごしたな~。ま、そういう感じのことだよね。そういうのがツアーを特別なものにして、勿論いいライブも出来ちゃうわけで、その2つのために僕は生きてるよね。

自分にはあまり特別には聞こえなかったけど…。そのような出来事はあなたのアイディアやクリエイティビティにどの程度影響するんでしょう?

ある時ドキュメンタリー制作のアイディアが浮かんだんだけど、いつかそれを形にしたいと思ってる。「Ambassadors(アンバサダー達)」っていうんだ。ツアーに出た時に出会う人達は皆んなアンバサダー(大使)みたいだから。とある街に行って、その人がその街にいて街中案内してくれて楽しませてくれる。僕のアイディアは誰かと一緒にいることについてで、そういう人達のリストを作って、リストの中の人のところに行って一緒に1週間過ごして生活の様子を撮影するんだ。アンバサダー全員が僕のところに会いに来て、僕の家で盛大なパーティーをするなんてのもいいかも。世界中から、最高の人達全員。

クールなアイディアだと思うよ。たくさん追跡取材できるしアンバサダーになるバンドをピックアップしたりとかさ。例えばだけど、ファット・ホワイト・ファミリーをフィーチャーしてアンバサダーとして撮影したら、彼らのクレイジーな友達のこと全員見せられるよね。そういう友達の皆んなにもギャラをもらう価値があるし、彼らの周りにいると凄くインスパイアされるんだ。だからバンドの華やかな面だけにフォーカスするんじゃなくて、表面を掘り下げてバンドのルーツを見せる。

ファット・ホワイト・ファミリーに関する最新情報は何かある?彼らとのこれからのプランについて話してもらえますか?

今レコードを1枚仕上げてるところ。めちゃカッコいいサウンドだよ、すばらしいんだ。彼らは常に本当に素晴らしいものを作ってるし、レコーディングによってかなりサウンドが違ってくる。あんまり詳しくは話せないけど。喋り過ぎると殺されるかもしれないからさ。でも来年僕らは新しいマテリアルをリリースする予定で、それからはツアーの毎日だね。だから自分のソロの作品を早くやっちゃわないとね。


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7 November 2018

Trampolene(トランポリン)|Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)NMEインタビュー


2018年11月、ギター&ヴォーカルのJack Jones(ジャック・ジョーンズ)は急遽来日を果たしたものの(11月5日Fred Perry東京でアコースティック・ソロライブを敢行)、来日しそうでしないバンドとして日本でのライブが切望されるUKウェールズの3人組Trampolene(トランポリン)。中でもその場末感(いい意味で!)でロックな生き様を体現するベーシストWayne Thomas(ウェイン・トーマス)は目が離せない存在である。副業でバーに勤務するウェインが「働きながらバンドをすること」について語ったNMEの記事を翻訳してみた。

【元ネタ英語記事】Don't give up the day job - the pop stars with 'proper' careers on the side(NME 2018年9月19日)

以下、当サイトによる翻訳(該当箇所のみ)


Text by John Earls

ストリーミングサービスがミュージシャンの稼ぎを激減させてからというもの、ポップスターはいかにして生活に十分な金を稼げばいいのか?NMEは3人のミュージシャンとそれぞれの(非常に異なる)副業について話しをした。

インディーズのバーテンダー
Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)、 Trampolene(トランポリン)

5年前スウォンジーからノースロンドンに引越してから、Trampolene(トランポリン)のベーシスト・Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)は自身の参加する3人組バンドがLiam Gallagher(リアム・ギャラガー)、The Libertines(ザ・リバティーンズ)、Kasabian(カサビアン)のアリーナツアーをサポートするのを見てきた。だがウェインは、それを地元のパブのバーカウンターで働きながらやらなければならなかった。そのような輝かしいサポート枠やフルデビューアルバム「Swansea To Hornsey」、多数のEPを収録した最近の28曲入りコンピレーションアルバム「You've Got To Pick A Pocket Or Two」にもかかわらず、Trampolene(トランポリン)はどことも契約しないままである。「長い間やってきて、バンドを走らせていくのが苦行でしかないこともあったよ。(副業するのは)ちょっと自分を擦り減らすようなものだからね」とウェインは認める。「金欠が足かせになるのはイラっとするよね。だけどA地点からB地点に行くのにレコードレーベルなんて必要ないってことを僕らは証明してきた」。

Trampolene(トランポリン)が止まったり進んだりを繰り返しながら上昇している中、ウェインはずっと同じバーで働いている。客には有名ミュージシャンも数名いるらしく、ウェインは名前を挙げるのを渋ったが、結局バンドが共にツアーしたLiam Gallagher(リアム・ギャラガー)がその中にいることを認めた。「生まれた時からテレビで見てるような人がそれでもまだごく普通の人間だってことが分かるし、そういう人達が礼儀正しく話し掛けてきて一緒に楽しく喋ったりできるっていうね」、ウェインは語る。「リアムみたいないい人達の周りにいられるのは、バンドでの自分自身の成長にとっては良いことだよね。人とどう接するべきかについてちゃんとしていられるからね」。


TRAMPOLENE - Friday I'm In Love


バーでバイトするというライフスタイルは、ウェインが言うようにオフの時間が必要なミュージシャンにとって完全に相性の良い職業である。「一番簡単に始められて抜けるのも簡単な仕事だよね。僕が働いてるバーのオーナーは、ゼロからあのパブを始めたから、Trampolene(トランポリン)に同じ精神があるのを分かってくれる。僕らが這い上がっていくのを見てるし、ずっと支えてくれる後援者だね」。

どことも契約がないというフラストレーションにもかかわらず、ウェインは代わりの昼間の仕事に集中したいとは思わないと断言する。彼もシンガーのJack Jones(ジャック・ジョーンズ)も前途有望な学校のサッカープレイヤーだった。ジャックはSwansea City(スウォンジーシティ)でプレイし、ウェインはWales Under-16やCardiff City(カーディフシティ)のライトバックだった。二人は出会った途端、その情熱を音楽に切り替え、ウェインは学校に行くのを止め、その代わり初期のデモ作りに取り掛かった。資格も何もないが、Trampolene(トランポリン)だけでなく、彼はアーティストでもあり「Artwork Of Youth」というアパレルの販売も行っている。「バンドにいるとクリーンな服って持たないものだよね。だから自分でデザインしたものを着るようにしてるんだ」。一方ジャックはPete Doherty(ピート・ドハーティ)のソロバンドでもプレイする詩人であり、またドラマーのRob Steele(ロブ・スティール)はまだスウォンジー在住で、フロテーションタンクセンター(訳者注:カプセルに入り水に浮かんでリラックスするための施設)を経営している。ジャックはそこの感覚遮断タンクを曲のインスピレーションを得るのによく利用していたという。

バーの仕事の方がライブするより儲かる場合もあるようだ。11月にヘッドラインナーツアーに出るウェインは言う。「ロンドンからダンディー(訳者注:Dundee。スコットランドの都市)まで運転して赤字でしょうもない奴らのためにライブしてまた帰ってくる価値なんてない。そういうのもやってきたけど、ああいう良くないライブってのは未だにあり得るからね。良いプロモーターは誰かってこともそういうイヤな経験から分かるようになるものさ」。


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5 November 2018

Trampolene(トランポリン)|Jack Jones(ジャック・ジョーンズ)インタビュー

Photo by Lee Thomas

UKウェールズの3ピースバンド、Trampolene(トランポリン)のJack Jones(ジャック・ジョーンズ)が11月5日午後7時~Fred Perry東京で緊急ソロライブ!!あまりにも急過ぎるお忍び来日案件がSNSで話題になったのはこの記事とジャック自身のハッシュタグ”JackInJapan”がきっかけだった。…というわけで、本Independent紙の記事を取り急ぎ翻訳!


【元ネタ英語記事】Now Hear This: New music from Robyn, Steve Aoki and BTS, NAO and The Struts, plus a Q&A with Welsh rock band Trampolene (Independent 2018年10月26日)

以下、当サイトによる翻訳(該当箇所のみ)



テキスト by Roisin O'Connor

今週の私のスポットライト・アーテイストは、過去に何度も取り上げているもう1つのバンド(デビューアルバム「Swansea to Hornsey」は自分的2017年ベスト10アルバムにさえ入っていた)。

ウェールズの青年達<Trampolene(トランポリン)>は、Jack Jones(ジャック・ジョーンズ)がフロントーパーソンを務めるバンド。彼はまた素晴らしい詩人でもあり、Peter Doherty(ピート・ドハーティ)のバンド<The Puta Madres>のギタリストでもあり、The Libertines(ザ・リバティーンズ)とも多くのツアーを行っている。

私はここでTrampolene(トランポリン)の「The One Who Loves You」のMVを先行公開させて頂いているが、これはベーシストであるWayne Thomas(ウェイン・トーマス)の弟Lee Thomas(リー・トーマス)の撮影によるものである。基本的にジャックが湖でボートを漕いでいるだけという作品だが、観るだけで不思議と心が鎮まるように仕上がっている。

本ビデオは、ジャックが最近受け取った不運な健康に関する知らせと重なるものとなった。その件や音楽、ピート(ドハーティ)に関して私が知らされたことについて下記でお読み頂きたい。



Trampolene - The One Who Loves You



OK、ジャック。調子はどう?

こんにちは、ロイシン。調子はまぁいいよ。僕と話してくれてありがとう。全てが君にとってうまくいってるといいんだけど。ちょうど電話を壊しちゃったばかりで…上に座っちゃってね。電話の受信しか出来ないから、このメールはJai(ジャイ:Peter Dohertyのマネージャー)の電話で、東京行きのフライトに間に合うよう急ぎながら打っています。東京ではソロでTrampolene(トランポリン)名義のインストアを演る予定になっているんだ。

関節炎の診断のニュースを聞いて残念に思います。あなた個人にとって、またあなたの音楽にとって、これは何を意味するのでしょう?

ずっと手と首がちょっとおかしくて…、主に酷い痛みとか腫れだったんだけど、それについてあまり調べたりはしてなかったんだ。で、The Sherlocksとのツアー後のある朝、両手が開かなくなってギターも弾けない、ペンを持って字も書けない、手でドアも開けられない…ってなって怖くなって、本当にビビっちゃって。僕は死ぬのか、無価値な人間になって人生をどうすればいいのかも分からないってなって…。でもOK…僕は死んだりしないよ。リウマチ性関節炎ってやつにかかっちゃったんだ。クローン病に関係する自己免疫性の疾患なんだ、長く続いちゃうヤツだね:)

これが何を意味するか…僕らはどのライブもキャンセルしないけど、11月と12月のAliveツアーの後、ちょっと休むつもりなんだ。それからレコーディングも来年まで遅らせて、その間に自分の病気や治療について理解して、あんまり痛みを感じずにギターを弾く方法を編み出すつもり。だから今はたくさんの愛と痛み止めの薬、それとおじいちゃんがよく言ってたように…「神に挑戦せよ」、つまり新しい方法を見つけるために何をするかってことだよね。

新しいPeter Doherty(ピート・ドハーティ)のアルバムについて少し話して欲しいのですが。どんなサウンドで、レコーディングはどんな感じだったのかと、あと彼自身はどうだったのか?

何て言えばいいのかな…レコーディングは海が見渡せるノルマンディーの綺麗な家で1週間以内でやったんだ。あのバンドにはジプシーっぽい感じがあるよね。The Puta Madres ― たぶんバンドメンバーの国籍がバラバラだからそういう風になるんだと思うんだけど ― キーボードのKatiaはフランス出身、ドラムのRafa(スペイン)、ヴァイオリンのMiki(アメリカ)、ベースのMiggles(フランス)、僕(ウェールズ)そしてピート(イギリス)。

「Who's Been Having You Over」「A Fool There Was」「Traveling Tinker」「Paradise Is Under Your Nose」みたいなほとんどの曲は、夏にフェスで演奏した曲で、Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)の素晴らしい「Ride Into The Sun」のカバーもあるよ。できるだけ自然になるようライブ録音したんだけど…彼が以前やったものとか僕が以前聴いたもの、うん、少なくとも僕の耳で聴いたものの何にも似ていないサウンドだね。あんな風にピートと一緒にギターを弾いて曲作りをすると、僕の心が開放されるんだ。彼自身は元気にやってるし、彼みたいな人って他にいないよね、いい意味でね。でもある種の人には彼を放っておいてあげてほしいって思うよ。


Photo by Daniel Quesada


音楽や詩の面では他にどんなことをやっていますか?

えっと…僕はいつも後ろポケットにいくつか詩や曲を入れています。先月、コンピレーション(2枚組アルバム)「Pick A Pocket Or Two」をリリースしたんだけど、僕らのデビューアルバム「Swansea To Hornsey」には収録していなかった曲や詩が全て入っています。ニューシングル「One Who Loves You」も発売されたところです。あと僕は本を書いてるんだけど、これはどうなるか分からないな。ほぼ完成してるバンドについてのドキュメンタリーもあって、新しいトランポリンのアルバムも既に半分できてるし、ちょうど故郷スウォンジーに戻っていたところだったんだ。

あなたの愛すべき故郷の3大ベストって何ですか?

それは簡単さ。僕のママ。僕の友達。僕の犬。




18 October 2018

プライマルスクリームのSimone Marie Butlerインタビュー | Evening Standard

Photo Credit: Eva K.Salvi


Soho Radioの自身の番組「Naked Lunch」でゲストがあまりよろしくない日本に関するジョークを言えば即座にフォローしてくれる僕らの姉貴ことPrimal Scream(プライマル・スクリーム)のSimone Marie Butler(シモーヌ・マリー・バトラー)。数年前のインタビューで「フィアンセ」という言葉を連発しており、最近愛犬絡みの投稿も多いことからもしかして…等思いつつ、UKのEvening Standardのショート・インタビューを翻訳してみた。

【元ネタ英語記事】Primal Scream's Simone Marie Butler interview: 'Mick Jagger is a very fit man' (2018年10月5日)

以下、当サイトによる翻訳



シモーヌ・マリー・バトラーは2012年以来、プライマル・スクリームをパワーアップさせてきた。前任のマニ(ザ・ストーン・ローゼズ加入の為、脱退)とベーシストを交代した年である。彼女はバンドメイトのボビー・ギレスピーやアンドリュー・イネスと共に世界ツアーを行い、Soho Radioに自身の番組を持つ。

「もし自宅が地面に飲み込まれるようなことがあれば、中に飛び込んでベースギターとパスポートを取ってくるでしょうね」。バトラーは言う。「そうすれば少なくともツアーには行けますから」。結局ベースがすべてなのである。


これまでステージから見た一番奇妙な光景は?

前、フェスで誰かが車輪付きのゴミ箱をステージ前でクラウドサーフさせてたことがありました。会場にはラブドールとかあらゆる物が飛び交ってますが、あれはかなり印象的でした。ああいうのってすっごく重いんですよね。


最も「夢じゃないか」と思った瞬間は?

グラストンベリーでローリング・ストーンズをサポートしたことは、自慢に聞こえないよう普通に話すのが難しいですね。でもあれが自分にとって人生のクライマックスなのは間違いありません。


完璧なロックスターを作り上げるのに必要なものは?

ミック・ジャガーのハムストリング筋。彼はとても壮健な男性ですよね。デヴィッド・ボウイの衣装。あとプリンスのヴィジョン。ダイヤモンズ・アンド・パールズ・ツアーの時、アールズ・コートの最前列にいた14才の自分を今でも覚えています。あの時もうプリンスは皆の憧れの存在だったけど、彼の功績はこの先ずっと生き続けるでしょうね。


ロンドンについて学んだことって何かありますか?

ピムリコ(Pimlico)は昔にタイムスリップした街だってこと。あそこはまだ1500のガス灯が現役で、係の人がハシゴ片手に全部廻って、朝晩毎日点灯・消灯してるんです。


何かジョークを言って下さい…。

少年が学校でベースのレッスンを始めました。最初のレッスンから帰宅した時、お父さんが言いました:「今日は何を習ったんだい?」。少年は言いました:「最初の2弦、EとA」。

次の日、帰宅した少年はお父さんに言いました:「パパ、今日は次の2弦を習ったよ。DとG」。3日め、少年は言いました:「今日はレッスンに行かなかった。ライブがあったから」。


※訳者注:ベースは4弦あり、4弦=E(ミ)、3弦=A(ラ)、2弦=D(レ)、
1弦=G(ソ)が開放弦(指で弦を押さえないこと)で弾ける。



シモーヌ・マリー・バトラーはFender社のアプリ(fender.com/play)のアンバサダーを務めている。



◆あわせて読みたい当サイトSimone Marie Butlerインタビュー:


16 October 2018

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| The Aquarium Drunkard Interview

KEXPライブ収録日(2018年8月1日)の幾何学模様(Kikagaku Moyo)
photo by KEXP flickr

2018年8月のUS西海岸ミニツアー時、ついにKEXPライブ出演を果たし、現在それとはまた別の(!) 全米ツアー中の幾何学模様(Kikagaku Moyo)。バンドのスポークスパーソンであるゴウ・クロサワ氏(ドラムス&ヴォーカル:写真左から2人目)が4枚目のフルアルバム「Masana Temples」(2018年10月5日発売)について答えているインタビューを翻訳しました。インタビュー元は毎度お馴染みロサンゼルスのメディアAquarium Drunkard。

【元ネタ英語記事】Kikagaku Moyo / 幾何学模様 :: The Aquarium Drunkard Interview(2018年9月25日)

以下、当サイトによる和訳(前文は省略)




皆さんは「Masana Temples」のレコーディングでジャズミュージシャンのブルーノ・ペルナーダス(Bruno Pernadas)氏をプロデューサーに迎える為、ポルトガルのリスボンまで赴かれました。彼と繋がり一緒にやってみてどうでしたか?

去年のいつだったか彼のソロアルバムを見つけて、ツアー中よくかけていました。僕らはニューアルバムのレコーディングを計画中で、僕らにはない違う視点を持ったプロデューサーを探しているところでした。ある日、彼にメールして僕らのレコードのプロデュースに興味があるか聞いてみたんです。彼は僕らのことを知らなかったんですが、それは良いサインだと僕は思いました。彼自身のレコードは全てセルフプロデュースしているのですが、他のアーティストの作品をプロデュースしたことはないということで、そういうのもやりがいがあって僕らにとっては刺激的でした。結果にはとても満足していて、一緒にやらせてもらって彼のアイディアを取り入れられたことをとても誇りに思っています。


前回のアルバムの時とは違って、今メンバーは東京で一緒ではなく、それぞれ違う場所、違った国にさえ住んでますよね(訳者注:ゴウ・クロサワ氏とトモ・カツラダ氏(ギター&ヴォーカル)はアムステルダム在住)。今回のアルバムと以前のアルバムを比較してみて、そのことは作曲やレコーディングをどう変化させたのでしょう?

東京で共同生活をしていた頃は、一緒に集まって出かけていろんなことを話して年中ジャムセッションしていました。今、僕らは離れて住んでるかもしれませんが、ツアーになると4~5ヶ月間毎日24時間一緒で、また同じようなことをしています。ブラブラして音楽を演ってビデオゲームをする。僕が思うに、大きな変化のひとつは皆んなもっと個人の時間を持てるようになって違ったインスピレーションを得られるようになったことじゃないでしょうか。結構よくスカイプで話していて、何聴いてるとかどんな曲作ってるとか情報共有しています。僕らには専用のDropbox(訳者注:ドロップボックス。オンラインストレージサービスのこと)があって毎週アイディアを全部そこに落とし込むようにしています。アイディアの貯蔵庫ですね。メンバーの誰かが曲作りをしたくなったら、そこからアイディアを取り出して自分のアイディアと合体させる。最近はあまり一緒に練習する時間が取れないので、曲が60~70パーセント程度出来上がった時点でライブで生で演ってみて、曲が出来たってなる前に、メンバーや観客がどう感じるかチェックするようにしています。


2014年のインタビューで、スタジオでは通常1曲につき2テイク以上やることはなく、ミスも全て包み隠さずありのままのバンドの姿として発表するとおっしゃっていました。この点については今もまだそうなんですか?ペルナーダス氏はそのレコーディング方法に何か反対したりしませんでしたか?それとも皆さんのいつものやり方に賛成でしたか?

実際、今でもこのニューアルバムで同じやり方をしてますし、ブルーノも同じ考えでしたね。最初のテイクを終えたら、彼がミキシングブースから「皆んな凄く良かった!」って叫んでるから、僕らはいくつかミスしたって分かっててもお互い顔を見合わせて「じゃ、良かったってことで!」ってなってましたね。


先程と同じインタビューで、あなた方は幾何学模様の音楽を「芸術(アート)」だとは考えておらず、何かもっと原始的で衝動的なもの、何か身体と魂の両方に悦びをもたらすものと考えているとおっしゃっていました。先程のスタジオでのわずかなテイクのお話と併せて、レコードの幾何学模様と生で演るライブパフォーマンスとの比較についてどう思われますか?あなた方の楽曲はライブでやることで、どのように進化し続けているのでしょうか?

ライブのセットでは未だに初期の頃の曲も演っていますが、どの曲も違った風に進化してますね。メンバーが、ジャムのパートでさえ、曲をキッチリ演ろうとしてるなと感じる時はいつも全くリズムを変えてしまって、皆んながどうリアクションするか見ています。ライブでプレイする醍醐味はこれに尽きますね、いつもと全く違う何かをやるチャンス。レコードと同じに演りたい曲もありますが、変化させたい曲もあります。僕が思うに、ライブ直後にどの曲を演ったか覚えてないのが良いサインです。あまりセットリストのことに囚われず旅に出てるみたいなライブだったからそうなるわけで、旅のステイ先がそれぞれセットリストの曲になるわけです。僕らはいつも違うルートを辿っていくのでステイ先それぞれというよりは旅全体について心地良くなるんです。





アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa)が1906年に執筆したエッセイで、ビクトローラ(訳者注:Victrola。卓上蓄音機の商標名)とレコード音楽プレイヤーの隆盛について嘆いています。人が音楽から引き離されるのではと考えていたようです。人が楽器の演奏方法を学ばなくなるとか、音楽的な衝動が奪われてしまうとさえ考えていたようです。「音楽の歩みとは、その最初の日から今日まで、我々の魂が今どうあるかを音楽に表現させることだけにある」と書かれているのですが、この考えに何か共感するものはありますか?あなた方がレコーディング中できるだけ即興性に訴えるようにしていることと何か類似性はあるのでしょうか?

言いたいことは分かるし共感する部分もあります。ジミ・ヘンドリックスのパフォーマンスを生で見たことがある人は、レコードで聴いただけの人とは違う体験をしてるって思いますし。でも音楽的な衝動が奪われるかどうかは分かりませんね~。それはリスナー次第じゃないでしょうか。僕らにとってはライブでの自分達なのか、レコーディングでの自分達なのかが大事です。自分達の好きなことをして自分達のままでいて自分達自身に忠実であることがとても大切です。例えミスしても、それが僕らなんだし。


いつもと全く違う場所、ポルトガルのリスボンにいるということは、レコーディングにどんな影響があったのでしょうか?この前のEPはプラハ録音でしたから、今回が特に変わった経験だということにはならないのかもしれませんが。

3月にUSツアーをやって直接リスボンに飛んだので、実際変な気分ではありましたね。アメリカはめちゃくちゃ寒くてメンバー全員具合悪くなってたんですが、リスボンに着いたらあんなに気持ち良い暖かな気候で晴れまくってて、海沿いを散歩したりしてましたし、レコーディングスタジオは木々に囲まれていました。あの太陽が降り注ぐ真夏のヴァイブスは確実にこのレコードに影響してますね。


ニューアルバムのタイトルについて少しお話頂きたいのですが、「Masana」はユートピア(理想郷)的社会のコンセプトで、このアルバムのために創作された言葉なのでしょうか?アルバムの各曲が「Temple(寺)」であって、その何かを定義付けしているのでしょうか?それともアルバムのタイトルには何か別の意味がありますか?

それについては皆さんに想像して頂きたいので回答不可です!



幾何学模様(Kikagaku Moyo) - Masana Temples (2018) (Full Album)



あなた方はまもなく中国ツアーを終え、今後アメリカからカナダまで、もっと長期のツアー(訳者注:9月28日~10月28日)に出て、その後ヨーロッパ中を回り(11月7日~12月3日)ツアーを終えるスケジュールになっています。観客や周辺の様子等何でもいいのですが、特にプレイするのが楽しい土地ってありますか?

アジアでツアーをするのはこれが初めてで、この前はインドネシアにいたのですが今は中国にいます。欧米と比べると、アジアの国々には音楽や音楽業界に全く異なる歴史や背景がありますね。ちょうどインドネシアのバリのフェスでプレイしてきたところなのですが、ステージが巨大な石で囲まれていて、その石を見下ろすデッカイ彫像があって、まさにStone Garden(訳者注:最新EPのタイトル) x Masana Templesって感じでした。


自国でやるよりヨーロッパやアメリカからの反応の方が良いというのは未だに感じますか?そのことについて何か変だと感じたり、悩んだりすることはありますか?

そうですね、日本よりヨーロッパやアメリカのオーディエンスの方が数が多いですが、そのことで悩んだりはしませんね。日本のバンドっていうだけで日本のオーディエンスの方が多いってことにはなりませんから。僕らは世界をもっとフラットに見ていて、僕らの音楽を聴きたい人が多くいる場所に行ってプレイするだけです。


前回の我々のインタビューで、ほとんどのバンドが直面する日本の「Pay-to-Play(ライブしたけりゃ金払え)」制度についてお話頂きました。この制度のせいでマイナーなバンドがただライブをするのにさえ法外な金がかかるとのことでした。あなたのレーベルや、発掘した(ノルマ制のない)バーで毎月開催するサイケデリックナイトを通して、まだこれからのバンドを集めセッティングされてきたわけですが、そのようなカルチャーに風穴を開け、バンドが演奏できる環境を開拓できていると思いますか?

この問題についてはインタビューの依頼を受け始めた頃からずっと言い続けています。でも僕らのインタビューはほぼすべて海外のメディアだから、ホントにこの状況に影響を与えられてるかは分からないですね~。「ノルマ」として知られる「Pay-to-Play(ペイ・ツー・プレイ)」のシステムは東京でまだ広く存在していますが、人が来なくなってクローズしかけてるハコもあるので、このシステムを見直し始める所も出てきています。良い兆しだと思うし、他の誰かが疑いもせずやってることにただ従うのではなく、もっとDIY的な別の解決策を皆んな探し始めるようになるでしょうね。



幾何学模様(Kikagaku Moyo)- Nazo Nazo



ニューアルバムから「Nazo Nazo」の素晴らしいビデオが完成しました。この手のビデオに対する反応は「よく分からない」っていうのが多いんですが、イメージというのは音楽と同じで、感情を掻き立てるものであって、もっと具体的な意味について説明するためのものではないと思うんです。本作はロンドンを拠点にミュージックビデオを多数制作している映像作家エリオット・アーント(Elliot Arndt)氏が監督していますね。このビデオは全てアーント氏が考案したのでしょうか?それともバンドから何かアイディアの提供があったのでしょうか?またそれをどのように組み合わせたのでしょうか?

僕らは彼のバンド・ヴァニシング・ツイン(Vanishing Twin)のことが大好きで、いつもビデオを観ていたので、去年の前半、彼に連絡を取ってみました。(この曲の)メロディーはトモが作って、僕は何か異なる声の響きを探していました。僕にとってこの曲のメロディーは日本の古い民謡を思い起こさせるもので、ランダムに言葉と文章を一緒に付けていったら歌詞が意味を持ち始めました。エリオットが訳してくれって言うから、僕が何の意味もないヘンテコな翻訳を送ったんですが、何とか彼なりに意味が分かったようであのビデオを制作してくれました。彼の色使いやその美しさに僕らは驚かされましたね。


少なくともここアメリカでは、ミュージックビデオがプロモーションの主流だった時代から隔世の感があるのですが、2018年、シングル用にビデオを撮ることにどんな利点があると思いますか?

どんな利点とかは不明ですけど、少なくとも字幕が付いてるから皆んなトモと一緒にシンガロングはできますよね(笑)


ツアー中の幾何学模様に会いに行く予定のアメリカにいる我々のための質問ですが…、ウェルカム・ギフトとして持ってきて欲しい物は何かありますか?

皆んなが僕らの絵を描いてくれるのはいつでも大歓迎で、どれが誰だか当てるのが僕らは好きですね。あとドル紙幣もいつでもウエルカムです(笑)
(文:J. Neas



幾何学模様(Kikagaku Moyo) - Full Performance (Live on KEXP) 2018年10月2日公開



◆あわせて読みたい昨年度のAquarium Drunkardによるインタビュ―和訳:



23 September 2018

幾何学模様 (Kikagaku Moyo) | Whiteboard Journalインタビュー


10月5日、自主レーベルGuruguru Brainからニューアルバム「Masana Temples」をリリース予定の逆輸入バンド・幾何学模様(Kikagaku Moyo)。9月のインドネシア・中国ツアー時に、インドネシアのオンラインメディア「Whiteboard Journal」によって行われたインタビュー記事を翻訳しました。答えているのはいつもの通り、バンドのスポークスパーソンであるドラム担当ゴウ・クロサワ氏(写真中央・アムステルダム在住)。


【元ネタ英語記事】Kikagaku Moyo on Exploring New Sounds and Keeping Other Bands Alive(Whiteboard Journal 2018年9月12日)

<以下、当サイトによる翻訳(前文は省略)>





先月GQ誌で「10年間のベストドレッサーバンド」と呼ばれていました。メンバーの皆さんはたまたま全員同じようなファッションや髪型が好きだったのでしょうか?

全くの偶然です。あの記事って、多分何も扱うものがない時にたまたま僕らの写真を見つけちゃったんじゃないでしょうか。僕ら先月サンフランシスコのフェスでプレイしましたから。僕ら的には笑っちゃう感じですね。僕らはあまりハイファッションとは言えないですからね。


幾何学模様(Kikagaku Moyo)、まさかのGQ誌に登場(2018年8月14日)



音楽のジャンル的にはサイケデリックなドラッグと深く関係しているわけですが、日本にサイケデリック音楽の一大シーンがあるにもかかわらず、それを支えるドラッグカルチャーが本格的に存在したことがないというのは非常に興味深いですね。この点についてどのようにお考えですか?

日本のサイケデリック音楽ってあまりドラッグと関係ないんですよ。おっしゃる通りアメリカやヨーロッパと比べるとドラッグカルチャーってあまりないんです。僕が思うに、サイケデリックロックが70年代、日本に入ってきた時、日本人はよく分からなかったんじゃないでしょうか。日本人はドラッグ無しでももっとドラッギーな音楽が作れたんです。だって分からなかったら想像するしかないじゃないですか。サイケデリック音楽やアートを見て、本当の経験がなければ「クスリをやるってどんな感じ?」ってなりますよね。だからもっと極端で、感覚的なことより、もっとサウンドにフォーカスすることになったんじゃないのかな。それが日本のサイケデリックシーンの特徴のひとつだと思います、日本にシーンがあるとすればですが。これはどこにでも起こり得ることで、分からなければ感覚そのものよりもっと極端な何かで工夫できるってことです。

バンドの経歴の初期に、日本以外で多くプレイされていますよね。その理由は何だったのでしょうか?

それについては、話が長くなるから簡単にお話しすると…、日本には「ノルマ」っていうシステムがあってプレイするのにバンド側がお金払わなきゃならないんです。で、ハコ側が全て握ってる。サウンドもそうだし、ブッキングもハコ側がやる。プロモーターやブッキング専門みたいな人がいないんですよ。で、バンドを組んでライブやりたければ300米ドル払わなきゃならないのが相場です。あと練習にもお金がかかります。日本以外はこんなんじゃないって僕は知ってたから「OK、じゃあ僕らは海外ツアーをすべきだね」ってなって…。僕らの演奏に金を出してくれるっていうオファーをゲットしたら、その後日本でもプレイするけど、それがなかったら…。この世界をグローバルなエコシステム(収益活動協調体制)みたいに考えてるところはありますね。

日本出身のバンドっていうだけで、もっと東京でライブすべきだってことにはならないと思います。東京では年に一度プレイしますが、ロンドンやパリやその他の街と同じです。それがフェアじゃないとか思わないし、僕らにとってその方が理にかなっているんです。


左端:リュウ・クロサワ氏(シタール奏者)(Photo by Ardi Widja)


通常のメンバー構成とは別に、リュウはシタール奏者ですよね。あなた方の音楽に伝統的なサウンドをどのように調和させているのでしょう?

彼は僕の弟なのですが、インドに留学して伝統的な音楽を演奏し、修行してきました。メンバーにシタール奏者がいるバンドは60~70年代の、特に欧米のバンドに多いですよね。僕は、そんなに上手くなくてグダグダで、ありがちなアジアのヴァイブスを帯びた欧米のシタールのサウンドが本当に好きなんです。シタールの件はバンドにとってひとつの挑戦ではあったし、僕らはシタールの要素を違った風に取り込みたいと考えていました。だからリュウはアコースティックじゃなくてエレキのシタールを使っています。あとエフェクターも。伝統的な楽器ではありますが、親しみやすいようもっと現代的な使い方をしているんです。

もしインド出身で伝統的な楽器を持っているとして、まぁこの場合シタールなわけですが、その楽器が普通どのように演奏されるかってこと以外に、どう使ってやろうとかあまり考えることはないと思います。あまりに伝統的で長い歴史があるわけですから…。でも僕らは違う文化圏の出身だっていうだけで異文化から何か拝借したりすることもできるわけで、そういうのが音楽やカルチャーの面白いところだと思います。

とあるインタビューで、最初、幾何学模様の音楽の瞑想的な要素は宗教的アプローチとは何の関係もなく、ただの技量不足のせいだったとおっしゃっていました。初期の頃の方法論からは進化を遂げられたのでしょうか?

技術面については、ちょっと進化したと思います。人前に立つ時や観客の前でパフォーマンスする時、もっと自信が持てるようになりました。でもSoundrenaline(訳者注:サウンド・ルナライン。このインタビュー収録前に幾何学模様も参加したインドネシア最大級の音楽フェス)に出てるようなバンドとか、他のバンドの技術面については「ああ、このドラマーめちゃ上手いじゃん」みたいな感じで見てます。でも僕らは他のバンドがあまり上手くプレイできてないところを見るのも好きなんですよね。一生懸命やってるのが分かるし、僕はそういうのを見てる方が楽しいですね。一生懸命な時ってその人の人柄がよく出ると思うし。まぁその人の欠点を演奏スタイルでどうカバーするのかみたいな話になるわけですが。

クリエィティブな過程については、そうですね…、今トモと僕はアムステルダムに住んでいて、メンバー3人は日本の、それぞれ違う都市に住んでいます(訳者注:別インタビューによると、東京、大阪、福島在住とのこと)。だから作曲のプロセスも変化しているし練習のやり方も以前とは違います。前は一軒家で共同生活で、年中ジャムったりストリートでプレイしたりしてましたから。

だからニューアルバムについてはDropbox(訳者注:ドロップボックス。オンラインストレージサービス)を作って毎週アイディアを落としこんでいます。何だっていいんです。ただのハミングやリズム、自分が聞いたものや好きな曲。とにかく入れとこう!みたいなね。毎週違うフォルダを作って、お互いのインプットを聴き合うんです。で、トモと僕がそこからいろいろ組み合わせて、それをメンバーに送信して感想を聞いてみる。送信された側も僕らの創作に手を加える。で、完成度70パーセントになった時、ツアーをスタートさせてサウンドチェックの合間にどんなサウンドにすべきか考えるんです。常に曲をイジってるから曲が完成したと感じることはありませんね。

曲がいつ完成したかはどうやって分かるんですか?

自分が何を欲しているか分かってる場合もありますが、それってこんな感じなんですよ。何か物をを磨いていて、もっと丸くしようとしてるんだけど、一度磨き始めると形が見えてきて、自分たちがどの程度のところに到達できるか着地点が分かるようになってくる。僕らは自分達にそんなに多くを期待してないですし、自分達のことをそんな真面目に考えてるわけじゃない。だから大抵「ああ、これが僕らにとっての完成品だ」みたいな感じで落ち着くんです。



 


「Stone Garden」(訳者注:最新EP)では、リスナーをまた違った爽快な旅路に導くような新しいサウンドが実験的でした。その背後にあるものは一体何だったのでしょうか?それ以前のレコードと制作過程はどう違いましたか?

「Stone Garden」をレコーディングする計画は特になかったんです。ヨーロッパツアーの合間に2日オフがあって、プラハ出身の友人の一人がスタジオを持ってて、そこで2日間レコーディングすることができたんです。特に素材とかはなかったんですが、ただ3日間そこに籠ってジャムしてました。結果、数時間分のジャムが素材として残ったので、それを僕らの友人に託して、彼が構成とかミキシングとか全てやってくれました。

モティベーションについては「House in the Tall Grass」をリリースした時の出来事から来ています。UKのメディアに、僕らはポップでキュートなサウンドにしようとしてるとか言われて、Tame Impalaと比べてだいぶ良くないとか…。まぁ言いたいことはよく分かるんですが。あと僕は音楽をやり始めた頃の純粋な感情を表現したいとも考えていました。作曲のこととかどうでもよくて、ただ演奏やジャム、そのピュアなエネルギーにだけ注力したい。僕らが「Stone Garden」でやりたかったのはそういうことです。

では「Stone Garden」は2日間のジャムセッションと1件の低評価レビューの賜物だったというわけですね。

その通り。良いレビューを見た時は大抵「いいじゃん」って思うんだけど、悪いのを見た時は、この人たちが嫌いなものを僕は作っちゃったんだみたいになって最初の頃は悲しんだりしてました。でも実際のところこの類の評論って刺激にはなりますね。そういったアイディアを自分の音楽に活かすこともできますから。


あなた方のレーベル「Guruguru Brain」はインドネシアのバンド「Ramayana Soul」のレコードもリリースされています。なぜ彼らに興味を持ったのか聞かせて頂けますか?

Guruguru Brainを始めた頃、アジアの音楽シーンに注目したいと考えていました。とりわけ現在のシーンについてです。ロックはアメリカやUKの人達とか英語が喋れる人達だけのものじゃないってことを証明するのが重要だと考えています。でも現実は、フェスのラインナップを見てもヨーロッパやアメリカのバンドばかり。アフリカや中近東やアジアのバンドなんていない。どうして?もっと多様性が必要じゃないの?僕には違う言語の歌詞の音楽の良さが分かるのに、なんでアメリカ人は違うの?…そういうのが僕らの最初のモティベーションだったんです。

Ramayana Soulに関しては、インドネシア語そのものとはまた別に、僕らには作れないものを持っていますね。伝統的過ぎず型にはまり過ぎず、ほど良いバランス感のあるバンドです。欧米の市場は大きいし欧米人に興味をもってもらう必要はありますが、皆さんの中にアジア人のアイデンティティーを持っていてほしいし、僕らはそれをRamayana Soulの中に見出したんです。




幾何学模様(Kikagaku Moyo)メンバー:
左からトモ・カツラダ(ギター&ヴォーカル)、ゴウ・クロサワ(ドラムス&ヴォーカル)、
リュウ・クロサワ(シタール&キーボード)、コツ・ガイ(ベース)、ダウド・ポパル(ギター)


音楽については、インスピレーションを得る上で誰を尊敬していますか?

僕らは皆んなそれぞれ違った音楽を聴いているから、答えるのは難しいですね。でも、僕らはKing Gizzard & The Lizard WizardみたいにDIY的なアプローチをしている人達からより強い影響を受けています。彼らは自分達のレーベルを持っていて自分達のシーンをサポートしています。特にメルボルンの音楽シーンですね。基本的に従来この種のアプローチは自主制作リリースによるもので、誰も気に掛けてくれないなら全部自分達でやんなきゃみたいな感じでしたが、僕的には今、そのコンセプト自体を変えたいなって思ってます。資本主義体制における政治的表明のひとつとしてね。

レコード会社のオーナー達は、比較的大きなバンドが自主リリースを始めたら業界自体を完全に変えられてしまうって恐れてる。あとオーディエンスは、ライブで物販を買って落としたお金がバンドのサポートに役立つと実感できることに気付き始めてる。でもAmazonでレコードを買っても、商品は届くけどバンドをサポートしてるっていう実感は得られない。アーティストをサポートすることは業界をサポートすることにもなるし、長い目で見れば気に入ったバンドを生かし続けることになるってことを皆んなに気付いて欲しいと思います。

自身のレーベルを所有することで、あなた方は他のバンドを輝かせ、音楽シーンのキュレーションもしていることになります。この点については初めから動機としてありましたか?

そうですね、それに僕はレーベルに反対の立場ではありません。レーベルはいろいろな方法で使えますからね。音楽だけやるバンドもいれば、自分達でマネージメントまでやるバンドもいる。あと、アジア人としてある種のヒエラルキーの存在を感じ始めていたんです。どのバンドもUKやアメリカのレーベルからリリースされるのが最終目標だと思ってるってね。でも自分達でレコードを自主リリースしても海外に出れるわけじゃけない。なんでアメリカで成功することが世界で成功することになるんだろう?インドネシアや日本で成功してもそうはならないのに。そこに文化的なヒエラルキーみたいなのがあるわけです。あと皆んな文化的に洗脳されちゃってて、今の価値観のまま変わりたくなければ変わる必要なんかないって思わせるような時代に今はなっちゃってますよね。

僕はアジアのバンドにアメリカやヨーロッパでツアーできるようになってもらいたいんです。オランダに移住した理由のひとつに、幾何学模様が年中海外ツアーをしてるから海外で物件を購入したというのがあります。自分のレーベルのアーティストにも気軽に来てもらって、無料で使ってもらいたいんです。あとツアーを廻ってたくさんのブッキングエージェントと知り合いになりつつあるし今はコネもあるから、僕らのレーベルのバンドを繋いで海外に呼ぶこともできるわけで、アルバムをリリースして金儲けするだけのレーベルではなくなっています。

あなた方のライブからファンは何を期待することができるでしょうか?ステージ上であなた方のサウンドはどのように変換されるのでしょうか?

何も期待なんかしないで下さい。そして僕らの音楽が好きならどうぞ楽しんで下さい。何のメッセージも押し付けたりしないし、僕らはただプレイするだけです。僕が言いたいことは、今まさにあなたにお話していることであって、音楽で言いたいことなんて何もないです。僕が皆んなに感じて欲しいのは、音楽は普遍的なものであって皆んなが音楽に繋がれるということです。ファンの皆さんにはいい時間を過ごしてもらいたいし、そうすれば僕らもいい時間が過ごせるし、その結果良いエネルギーの交換ができる。ステージでは正直でありたいし、ありのままの僕らを見てもらいたい。僕らは飛びっきり素晴らしくて飛びっきりカッコいいバンドなんかじゃないし、音楽を演りたいだけの普通の人々の集まりに過ぎないんです。





2018年10月5日発売「Masana Temples」より
幾何学模様(Kikagaku Moyo) - Gatherings




何か計画中のプロジェクトはありますか?

ニューアルバム「Masana Temples」をリリースする予定で10月5日にGuruguru Brainから発売されます。今、梱包して発送の準備中です。今後については、ニューシングルとかブラジル音楽のカバーのようなプロジェクトを計画中です。僕らブラジル音楽が本当に好きなんです。でもポルトガル語は喋れないから日本語で歌うとか?あと映画のサウンドトラックをやることにも興味があって、たくさんのアーティストとコラボしたいですね。僕らは物販で年中誰かとコラボレーションしてますから。あとはもっと女性アーティストをプッシュしたいなって考えてます。この業界って本当に男性中心で、僕らの目標としてこれを変えていく力が僕らにはあると思うんです。



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12 March 2018

Starcrawler(スタークローラー)|Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)インタビュー



【元ネタ英語記事】L.A. ROCKERS STARCRAWLER WANT TO PROVE THAT KIDS CAN STILL KICK ASS (Interview Magazine 2018年1月19日)


以下、当サイトによる翻訳(前文は省略)


どうやってスタークローラーが結成されたか話してくれるかな?


Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワルド、以下ADW):まず自分とオースティン(Austin Smith・ドラマー)が共通の友人を介して知り合ったんです。オースティンがドラムを叩くのは知ってて、自分はバンドやりたいって考えてて…。楽器を演っていて自分と音楽の趣味がカブるのはオースティンしかいなかったんです。それでジャムをするようになりました。自分とヘンリ(Henri Cash・ギタリスト)は学校が同じだったんですが、ヘンリのことは知らなくて、ちょうど夏になる前、ある日学校でヘンリにアプローチしてみたんです。チューバを抱えてたから、チューバなんか持ってんならギター弾ける気しないなとは思いつつ(笑)。「キミ、かっこいいじゃん。ギター弾く?」って訊いたらビビられたんですが、弾けるって言われたので電話番号を交換しました。3人で曲作りを始めて何人か違うベーシストとも演ってたんですが、そのうち旧友のティム(Tim Franco)がベースを弾くことを思い出して…。それからバンドがうまく行くようになったって感じですね。


エルトンジョンが君たちのバンドや「Ants」を発掘するに至ったのはどういう経緯で?


ADW:彼の周りの誰かがスタークローラーのバンドアカウントにメールしてきたんです。「オー、イェー、来週エルトンがラジオ番組で『Ants』をかけるよ」ってだけ書いてあって。思ってもみなかったクレイジーな出来事で本当に嬉しかったです。


ライアンアダムスが今度出るLPをプロデュースしたんですよね。彼とはどうやってつながったの?


ADW:インスタグラムで自分たちを見て興味を持ってくれたらしいです。ライアンと自分の母親は長年の知り合いで、特に90年代に親交がありました。最近は疎遠になってましたが、インスタグラムに母が上げたのを見てライブに来てくれて、スタークローラーのレコーディングにとても興味を持ってくれました。ウチの母親がバンドのために動いたんだろって思ってる人も多いんですが、ライアンのことは自分たちの眼中になかったし、それは違うんです。彼にプロデュースしてもらおうとか、「彼に聞いてみてくれない?」って母親に頼むなんて考えたこともなかったです。でもライアン側からバンドにアプローチがあった時、マジでクールで驚くべきアイディアだって感じたんですよね。仮にもし母親に頼んでいたとしても、多分ウチの母親、「ライアンは興味ないと思うよ~」とか言ってたと思いますけど(笑)。


君にアーティスティックな著名人の両親がいるせいで、今の地位は君自身が築いたものじゃないって思ってる人も多いんじゃないかなと思うんだけど。たとえ音楽を聴いてみればそうじゃないって分かるとしても…。この過程をスタートさせる時、キャリアパスについて考える上で役立った両親の教えみたいなのって何かある?


ADW:ありますよ、特に父親から。音楽業界界隈で大きくなったから、業界がどう回っているのかはもう分かるようになってました。最初にこのバンドを始めた時も、父から多くのアドバイスをもらいましたね。母親からもですけど、父は自分がどう進むべきかについて大きな手助けとなってくれました。







このLPの中の曲は全曲スタジオ入りする前に書いたの?


ADW:全部前もって作ってたんですが、完璧に出来上がってないのが2、3曲あったので、ライアンにもっと曲らしくなるようヘルプを依頼しました。作ってみたものの完成した感がないままの曲に「I Love LA」があったんですが、いろいろ変化を加えてくれてライアンの手助けは大きかったですね。


未完成曲を詰めるのをヘルプした以外で、プロデューサーとしてのライアンがレコードに施した具体的なことって何がありますか?


ADW:スタジオ入りする前、「I Love LA」はひどい状態だったんですが、ライアンが今の形にしてくれました。あとバラードで「Tears」っていう曲があるんですが、作ったはいいけどどうしたらいいのか、どんなサウンドにすべきか全然分からなくて…。ライアンは曲を解体してギター、ヴォーカル、ちょいシンセサイザーって感じに仕上げてくれましたね。


ロサンゼルスで育ったのは君の音楽スタイルにどう影響してる?


ADW:あそこで育ったのはとっても良かったです。シーンもいろいろたくさんチェックできたし、ライブに行きまくって大人になりました。週末とか、パーティーの代わりによくライブに行ってましたし。音楽みたいなことをやりたければロス出身ってことは大きいと思います。


スタークローラーはLAのバンドだって思ってる?


ADW:カテゴリーに当てはめるのはあんまり好きじゃないです。そこから抜け出せないって感じたりするから。だけどそうだとは思います。自分たちの出身地だし、ロスについての曲だってあるし(笑)。


スタークローラーはよく死にゆくロックンロールの再改革とか再活性とか言われてるけど、それは狙ってたことなの?


ADW:ロックはメンバー全員を団結させたし、自分たちが演りたいことでもあるんです。少なくとも自分は過去に戻ってロックを昔みたいにポピュラーにしたいと思ってます。だけど同時に、ただ楽しんでるだけだっていうのもあります。自分たちはただ音楽をプレイしてるだけなんです。






これまで聴いてきた好きなバンドの中で、今回のニューLPを作るにあたりインスパイアされたバンドって誰になるの?

ADW:間違いなくオジー(Ozzy Osbourne)。オジーとサバス(Black Sabath)。生まれて初めて好きになった最初のバンドはビートルズ。でも自分に音楽をやりたいって思わせたのはオジーですね。

フレッシュで新しいサウンドを追求しつつも、つい好きな音楽のオマージュにしようとしちゃってた…みたいなことってありましたか?

ADW:スローバック(過去の振り返り)バンドだみたいによく言われるんですが、スタークローラーは完全にオリジナルなことをやってるって今でも自分は思ってます。私がある種の衣装を着てるとかそういうことじゃないんですよね。いや、確かに自分はステージ衣装を着てるけど、自分のアイドルそっくりになろうとしてるわけじゃないし、インスピレーションを得て、それから自分自身のものに取り入れてるって感じですね。

スローバックだと言われたり、君の成功について両親のおかげだって思われることに困惑することはあった?

ADW:それについてはそんな大したことじゃないです。どう言われてるかにもよるけど…。いつだって人は何かをたくさんのカテゴリーに当てはめなきゃ気が済まないみたいだから、困惑することはあるかもしれないけど。

LAで育ってこれまで行ったライブの中で、音楽やパフォーマンスに人生を捧げたいと君に意識させたライブは何かある?

ADW:このバンドを始める前、友達のバンドが出るライブによく行っていました。ロックミュージックに近いものってそれだけで、自分はそういうライブが大好きでした。自分に音楽とは何かを教えてくれたのはLA界隈の普通と違うグラムにインスパイアされたバンドの数々でしたね。





スタークローラーのライブはその激しさとエネルギーで知られるようになって、君はステージで観客を挑発するのが好きだよね。そういう観客との絡みが裏目に出ちゃったことはあるの?


ADW:怒る人はよくいますね。そういうのなら簡単に思い出せますよ。皆んなとても心配してくれるんだけど、自分にとってはそれは可笑しなことなんです。自分がうっとうしい奴だからそういう人たちが暴力的になっただけの話。観客に向かって唾を吐いたり触ったりするの、好きなんですよ。そしたらそういうことをされた人たちが立ち上がって、ある女性なんてナイフを取り出して、自分を待ち伏せするために外に出てましたもん。自分と喧嘩か何かしたかったんでしょうね。ステージが終わったらセキュリティーのところに飛んで行って、自分が半殺しにならないようお願いしときましたけど。自分にとっては可笑しなことでも、あの女性にとってはイヤだったんでしょうね(笑)。


あのライブのエネルギーをレコーディングスタジオ用に変換するのは難しかったですか?


ADW:全然。だってほぼ一発録りだから。重ね録りもしたけど、トラックは全部ライブ録りしました。練習でやってるのと同じですね。簡単だし、ステージで演る感覚と同じに感じました。


スタークローラーが最初にライブをやり始めた頃、君はまだ高校生だったよね。全く異なる2つの生活のバランスを取るのってどんなだったの?


ADW:大変でした。公立の学校に通ってたし、欠席にはとてもウルサイ最終学年だったから。7日とかしか休めないのに、自分は30日も休んじゃってました。結局大丈夫だったんですが、あの頃午前2時に寝て6時に起きて学校に行かなきゃならなかったから最悪でした。容赦なかったし、もうアレをやらなくていいと思うと嬉しくて仕方ないです。


君の音楽的ヒーローがすごい有名人だってことを考えると、君にもスターダムに昇りつめたいって野望はあるのかな?


ADW:300万枚!それが目標(笑)自分は曲作りが好きだけど、公言してようがいなかろうが、誰だって一定レベルの成功を望んでると思います。うん、自分の夢はツアーバスとか、いろんな派手で悪趣味なヤツを全部手に入れること。だけど例えそうならなかったとしても音楽はやり続けるだろうし、ただ単に楽しいままなんだろうなって思います。



Starcrawler(スタークローラー)。メンバーは左からHenri Cash(ギター)、
Arrow de Wilde(ヴォーカル)、Tim Franco(ベース)、Austin Smith(ドラムス)


6 February 2018

Starcrawler(スタークローラー)|LA Weeklyインタビュー




【元ネタ英語記事】With Fake Blood and Frenetic Songs, Starcrawler Make Rock Feel Dangerous Again(2017年8月8日)

以下、当サイトによる翻訳


『偽物の血と激しい曲でロックはデンジャラスなものと再認識させるStarcrawler(スタークローラー)』

ロサンゼルス現代美術館の駐車場は日没となり、社会不適合者4人組(うちひとりはまだ高校卒業さえしていない)スタークローラーは「Pussy Tower」を発表 ― ライブ前、寿司レストラン<Sushi Joint>で、バンドのフロントパーソンArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド 18才)は「フェラチオについて歌った曲です、って何でもいっか」と肩をすくめていた。ライブでは、その曲が始まるや否やデ・ワイルドは姿を消し、そしてまた現れたかと思うと観客目がけて血のりを吐きつけた。叫び出す者に笑い出す者。まるでパーティーの出し物である。

ライブ前半、デ・ワイルドは病院着で暴れ回り、精神病患者のビデオを研究し盗み取ったであろう半狂乱の表情を浮かべていた。ステージ上の彼女の人格は、アーカム・アサイラム(訳者注:「バットマン」に登場する精神病院)からの架空の脱走者か、Nick Cave(ニック・ケイヴ)やPJ Harvey(PJハーヴェイ)の卵のようである。病院着の下にはヒカリ物の男性用ブリーフを着用。最後には衣服を脱ぎ捨てコウモリの如く自分の腕を身体に巻きつける。おそらくかつて影響を受けた彼女のヒーローOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)を真似てのことだろう。


(左から) Tim Franco(べース)、Henri Cash(ギター)、
Arrow de Wilde(ヴォーカル)、Austin Smith(ドラムス)


スタークローラーはここ1年程、よくグラムパンクのリバイバルバンドThe Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)と対バンで、ロサンゼルス界隈でライブ活動を行ってきた。恐らく実際に彼らを観る前にその瑞々しいロックンロールミュージックを聴いたことがある人も多いことだろう。先月、デ・ワイルドはジョシュア・ツリーにあるナイトクラブ<Pappy and Harriet's>で観客に向け赤い血のりを吐いた。それにブチ切れた1人の女性がナイフを握りしめステージに向かってきたという。

「本物の血だと思うみたいなんです」デ・ワイルドは言う。え、ホンモノ?「作り方は秘密だけど、すんごいマズイんです」。

この4人組はロサンゼルス現代美術館のライブでクライマックスを迎え、バンドメンバーが楽器と格闘している中、デ・ワイルドはステージから飛び降り、殴り合いのケンカを煽りながらモッシュピットを急ぎ足で立ち去った。最後にドラマーAustin Smith(オースティン・スミス 22才)が観客にドラムスティックを投げ入れ、ギタリストHenri Cash(ヘンリー・キャッシュ 16才)が「本当にありがとう。皆んなくたばっちまえ!」とシメる。

ベーシストTim Franco(ティム・フランコ 20才)と共に、スタークローラーは今夜のオープニングアクトを務めたのであるが、対バンの他のバンドまで帰ってしまいかねない勢いである。

2階の楽屋ではデ・ワイルドが穏やかに腰掛け、「今何があったの?」と尋ねるのだった。全くもって良い質問である。



Starcrawler "Pussy Tower"


数時間前、礼儀正しいキャッシュはサウンドチェックでスタッフ全員に挨拶していた。最年少で気さくなキャラクターの彼は、キャメロン・クロウ監督の<あの頃ペニー・レインと>のやり口でGeorge Harrison(ジョージ・ハリスン)の役割を引き受けている。幼稚園の頃、Ramones(ラモーンズ)のアンソロジーを持っていき、他の園児達に見せていたらしいが「誰も分かってくれなかった」のだと彼は言う。

キャッシュは手指がギターを弾くに足る大きさになる頃からギターをプレイしてきた。今では自身のアイドルJack White(ジャック・ホワイト)に対抗出来るまでになった。アドレナリンで麻痺して指から血が出ているのに気付かないこともよくある。去年<The Echo>でのライブではステージで鼻を骨折したものの、翌日、写真撮影で変形した自分の顏を見るまで気付かなかったという。

最年長のスミスはベニスビーチのスケーターの風貌であるがハリウッド育ちだ。そしてリズム隊のパートナーであるフランコは物静かな男である。「最初ティムのことヤな奴かもって思ってたけど、最高にいい奴だった」とはキャッシュの評である。

万一スタークローラーが暴漢に襲われても、リズム隊が守ってくれるとデ・ワイルドは太鼓判を押す。「あの人達、銃を持ってるから」。彼女は言う。

キャッシュが興奮気味に語り出す。「ステージでKeith Richards(キース・リチャーズ)がMick Jagger(ミック・ジャガー)の背後から来た奴をギターでブン殴ってる動画見たことある?」。キャッシュが他のメンバーに目を向ける。「僕らもアレのリハーサルをしなきゃね」。

デ・ワイルドはエコパークのアートコミュニティー生まれで、ドラマーであるAaron Sperske(アーロン・スパースク)(Beachwood Sparks(ビーチウッド・スパークス)、Ariel Pink(アリエル・ピンク)等で活躍)と、写真家であるAutumn de Wilde(オータム・デ・ワイルド)の娘である。子供の頃にはElliott Smith(エリオット・スミス)が身近にいた。<Teen Vogue>や<Paper>でモデルを務め、16才にしてLena Dunham(レナ・ダナム)が監督したBleachers(ブリーチャーズ)のミュージックビデオにも出演を果たしている。


Bleachers "I Wanna Get Better" (2014年3月27日公開)
当時16才、ショートカットのアロウ・デ・ワイルド出演(1分17秒~)


スタークローラーはデ・ワイルドとスミスがフェイスブックを通じて知り合い、ジャムセッションを始めた2年前に端を発する。「何回か一緒に演って『コイツ悪くないじゃん』って思って」とスミスは説明する。デ・ワイルドはキャッシュのことを2人が通っていたイーストロサンゼルスのパフォーミングアートスクールで見つけた。彼がチューバのケースを運んでいるのを見かけ、ギターを弾くか尋ねたのだという。フランコはデ・ワイルドの知り合いの中で唯一ベースを弾く人物だった。フランコは彼にとって最初のリハーサルに汗を滴らせながらバイクで乗りつけた。彼は燃えていたのか?「だって遅刻してたから」。フランコは表情を変えることなく答えた。

スタークローラーは、彼らにとって初のライブを去年の春、サンセット通りのヴェニューで行った。デ・ワイルドが「クローゼット」と表現する小規模なハコである。中には40人がすし詰めとなり、外には会場に入りきれない数十人が窓越しに見つめていた。「僕らが1発目のバンドだったんだけど、終わったら皆んな帰っちゃってさ」。笑いながらスミスが回想する。「対バンの奴ら困ってたよね。僕にしてみれば『君達お友達いないの?』って感じだったけど」。

最近のバンドは「退屈」だとデ・ワイルドは考えているようだ。そして自分自身を過去の神話に重ねることを彼女は好んでやる。「ロックスターが楽屋でどうしてるのか、どんな感じなのかって考えたりしちゃいますよね。でも今のバンドって、普通の人より高いところにいる存在って感じではもうない。ミステリアスな存在じゃなくなってしまってるんです」。デ・ワイルドはそう語った。

そんな訳で、デ・ワイルドもキャッシュもステージにふさわしいファッションをしているのだ。病院着はデ・ワイルドが着用する2つのコスチュームのうちの1つだ。キャッシュは黒のブレザーに赤いシャツを選択。「The Beatles(ザ・ビートルズ)みたいにね。The BeatlesとRamonesにはユニフォームがあったよね。今じゃバンドは帽子にギターの、ただのヒップスターだけど」。キャッシュはそう語った。

ツイッターでのスタークローラーのプロフィールには「We will kill you(お前を殺す)」とある。「殺っちゃうぜ!」とキャッシュが言う。「ウチらのショーで観客はショックを受けてビビるんだけど、そんなことが未だに出来ちゃうなんて知らなかったんです」。デ・ワイルドが語る。「怒っちゃったりとかもするんだけど、それが気に入っています」。

あまりスタークローラーに興味がない傍観者の目に、バンドの姿は「病んでいる」と映るようだ。「僕ら、拒食症のヤク中だって思われてる。あと女性蔑視とか」。キャッシュは冷笑する。キャッシュは、この日バンドのインスタグラムに届いた嫌がらせメールを読み上げた。標的になるのは大抵デ・ワイルドである。そのメールは「あんな女がアピールするものなんて何もない。あんなのが有名人だなんてあり得ないし、まさに拒食症のプロモーションをしているようなもの」と結ばれていた。

キャッシュは憤慨した様子でデ・ワイルドの天ぷらが盛られた皿を指差す。「アロウは拒食症なんかじゃないよ。食ってるじゃん!身長6フィート2インチ(188センチ)もあるんだぜ。アロウのママが同じ年の時の写真を見れば同じことだよ」。

「気にしてない」のだとデ・ワイルドは言う。「拒食症だみたいなことはずっと言われてる。可哀想だとか思われたくない。この件について発言してもいいんだけど、それを公言したらもっと…」。彼女は答えるべき言葉を探しあぐねているようだった。

いわゆる「ボディ・ポジティブ(訳者注:世間のステレオタイプな女性の「美」の概念に振り回されることなく、ありのままの自分の身体を受け入れようとするムーブメント)」を自称する男女同権主義者からデ・ワイルドが攻撃されることにスタークローラーは失望していた。彼女のステージ上での役割を考えればなおさらである。「この素晴らしい女性のフロントパーソンって思われたくない。他のメンバーと同じタダのフロントパーソンでいたいんです」。デ・ワイルドはそう言った。

ステージ上での彼女の奇妙な動きは、The Runaways(ザ・ランナウェイズ)やOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)に影響を受けたものである。彼女のオジーへの愛着は特に深いものがあるようだ。「<Blizzard of Ozz(ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説)>を聴いて、これまでの人生で聴いた中で一番最高のアルバムだって分かったんです。それからYouTubeの動画やインタビューを全部見て、オジーの本も読みました。オジーへの愛はロマンチックなものではないんです。Steven Tyler(スティーブン・タイラー)は今じゃうっとうしい存在になっちゃったけど、オジーは80年代に身に着けてたスパンデックスの服を着ようとしたりはしない。ただただシックなんです」。



2018年、ついに初来日を果たすStarcrawler(スタークローラー)


音楽の話となると、スタークローラーは本当に実直でちょっとプロっぽくさえある。ライブもまだ演ったことがないうちからファーストシングル「Ants」とそのB面「Used to Know」をレコーディング済みなのである。「Ants」は文字どおり毎年キャッシュ家を悩ませる夏恒例・蟻の大発生について歌った曲である。スピード感に溢れ、激しく、サクッと1曲演奏し終わるのと同様に即効完成させた曲でもある。「だってムカついてたから」とキャッシュは言う。

「Ants」はElton John(エルトン・ジョン)の手によって<Beats 1>のラジオでオンエアされたのだが、キャッシュによると、「面白いんだ。だって皆んな『エルトン・ジョンがお前の曲かけるんだってよ」とか言ってるのに、僕ときたら『そうそう!でも今この数学のテストやんなきゃ』みたいなノリでさ」という具合だったらしい。

スタークローラーは、同じミュージシャンである指導者としてシンガーソングライターのRyan Adams(ライアン・アダムス)を見出し、ハリウッドの彼の所有スタジオPax-Amスタジオで、アナログテープにデビューアルバムをレコーディングした。このデビューアルバムは、来年ラフ・トレードからリリース予定だ。アダムスは、デ・ワイルドの母オータムをインスタグラムでフォローしていたことからスタークローラーを発見したという。多くのロックミュージシャンがそうであるように、アダムスもまたオータム・デ・ワイルドに撮影されていたのだ。デ・ワイルドの母がアロウにアダムスからのメッセージを伝えた時、彼女の反応はと言えば、長い間行方不明の伯父のことを聞きつけた者のようだったという。「ライアン・アダムス?長いこと名前聞かないよね」と。

デビューアルバムやその背後にある意図を解説するよう彼らに求めると、スタークローラーは揃って口をつぐんだ。「僕らを皆んなのドラッグにしてくれよな」。キャッシュのその言い草は、まるで脅し文句のようにさえ聞こえたのだった。


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