13 July 2016

「Kid 4077」ことNile Marr(ナイル・マー)インタビュー(当時15才!)


Kid 4077ことNile Marr(2007年(当時15才))

元The Smiths (以下、ザ・スミス)ギタリスト・Johnny Marr (以下、ジョニー・マー)息子が、「Man Made (マン・メイド)」 なるバンドを結成し、デビューアルバムまでリリースしていることはイマイチまだ日本で知られてない。…で、翻訳記事にしようと思いリサーチしたら、何とNile Marr (以下、ナイル・マー)が若干15才の頃から「Kid 4077」名義で活動していたとの事実判明で、急遽予定変更。

2007年6月1日地元マンチェスターで、(自身が未成年なだけに)未成年OK対バン企画に「Kid 4077」名義で参加する前のナイル・マー・インタビューを和訳しました。当時15才のギター・レジェンド息子のフレッシュなコメントをご覧下さい。


【元ネタ英語記事】 http://designermagazine.tripod.com/Kid4077INTERVIEW.html

以下、当サイトによる和訳

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数ヶ月前、ナイル・マーは、キャパ4000人のライブ会場を満杯にする、とあるUKメジャー・バンドからサポート・アクトのオファーを受けた。だがその後、彼が15才であることが判明。保険関係のゴタゴタも絡み、元々他のサポート・アクトも企画されていたとあって、この話は白紙に戻されたものの、この人物こそがKid 4077名義のソングライターであり、Arctic Monkeys(以下、アークティック・モンキーズ)やThe Libertines(以下、ザ・リバティーンズ)より、Bob Dylan (以下、ボブ・ディラン)やJohn Martyn (以下、ジョン・マーティン)を好んで聴くというナイル・マーである。

ザ・スミスやModest Mouse (以下、モデスト・マウス)のギタリストであるジョニー・マーを父に持つナイル・マーは、常にミュージシャンに囲まれ成長した。しかしながら、そんな彼が公式ソロ・ライブのステージに立つのは、2007年6月1日の今回が初となる。ここに至るまでには、やはりKid 4077名義で、「Shameless(以下、シェームレス)」の放送作家であるPaul Abbott (以下、ポール・アボット)の息子をフィーチャーしたグループの解散もあった。プロデューサーになるのか、ピアニストになるのか、ドラマーになるのか・・・。数年に渡る葛藤の末、ギタリストでありソングライターになるとの選択をナイル・マーがしたのは比較的最近の話である。

この日、当Designer Magazine (デザイナー・マガジン)とのインタビュー後、ナイル・マーは一般紙「The Telegraph (テレグラフ)」のインタビューを受ける予定である。そのインタビュー内容は、ほぼソールド・アウトとなっている初ライブのこと、グラストンベリー・フェスティバルでPaolo Nutini (以下、パオロ・ヌティーニ)と会う予定になっていること、その後2人がアメリカで共作予定であること等であるらしい。ナイル・マーの未来は明るい。




ナイル・マー(My Space より)



― Kid4077名義のソロ・アーティストとしては2007年6月1日が初の公式ギグだよね。業界の批評家から絶賛されてるみたいだけど、ソロでステージに立つことをどんな風に感じてるの?

ワクワクしてるよ。実際、僕はこのギグを自分にとって大きなチャンスだと考えてて、ミュージシャンとして、パフォーマーとして成長出来ると思ってる。だから本当にこのギグが楽しみなんだ。ソロでやることについては、実際ホッとしてる。自分が演りたいことを演れるわけだし、最大限にクリエィティブでいられるチャンスだって思ってる。ギグの日は、曲の中の何かをいつもより長く演りたいと思えばそうするし、何かをちょっと変えてみたり、足してみたり…観客からもらったその日のヴァイヴスによって好きに出来るってことだよね。だから僕にとってソロっていうのは、いい流れでしかないんだ。作曲する時は、ロックな曲でも1人きりでアコギで作るけど、満足するまで何度も何度も演るんだ。だから自分の曲を作曲した時みたいにアコースティックで演ってみたり、完成形としてこんな風に演るつもりだった…みたいにロックっぽくも演れるわけで、そういう自由があるよね。


― 君のバンドには「シェームレス」の放送作家ポール・アボットの息子のTom Abbott(トム・アボット)がいたこともあったよね。一緒に演るようになったのはどんな経緯で?「次世代のスーパーグループ」みたいなレッテルを貼られるのは平気だった?

トムは学校の親友で、クラスは違ったけど中等学校に入学した時、一緒のバスになって初めて喋った時から意気投合したんだ。めちゃくちゃ仲が良かったよ。バカ笑いしたり、とにかく一緒にいると楽しかった。出会った頃、彼の父親が誰かなんて知らなかったし、そんなことどうでも良かった。

2人で同時にドラムを演ることに決めたんだ。ある日トムがフラっと僕んちにやって来て、僕のドラムセットを叩き始めたから、2人でドラムを学ぶことになった。トムは僕よりドラマーっぽくって、僕はというと、いつもメンタル的にギタリストとかミュージシャン寄りで、ドラマーとは言い難かった。だから僕のドラミングにはいつもそれが反映されてた。作曲のやり方を覚えてから、ドラマーになるためというよりは、曲を次のレベルに持って行くためにドラムをプレイしてた。

ギタリストになるっていう本能に自分が屈したことは嬉しく思ってる。ドラムセットを引きずってるよりギターを持ち運ぶ方が全然楽だしね。だから僕らは一緒に演ってたんだ。トムがドラムで僕がギター、僕らは友達でただ一緒にプレイしたかった。

で、次世代のスーパーグループとかってレッテルをどう思うかってことについてだけど…それは大したことじゃないと思う。僕がギターを弾いたら、どこかの誰かが絶対に父と較べるってことはもう分かりきっていて、でも父は父の音楽を、僕は僕のプレイしたいことをやる。つまり僕が思うに、僕のやってることがその人達にとって好きな音かそうじゃないかってことだけが問題なんだ。


― 初期の頃の話に遡るんだけど、君の1番最初のバンド「The Waves(以下、ザ・ウェイブス)」ではドラマーだったんじゃなかったっけ?1番最初はドラマー?それともギタリスト?音楽を人前で演るようになったのはいつが最初?

僕は音楽に囲まれて育ったし、周りにミュージシャンがたくさんいた。だから音楽は僕の人生の大部分を占めてるし、これからもそうだと思う。レコードを聴くと、なぜそのサウンドが素晴らしいのかよく分かるし、プロデューサーのマインドを常に持ってる。だから何か楽器を弾こうとすると大抵簡単に感じる。実際、ピアノは6才位で始めた。両親がコードとか楽譜の読み方を理解するのに役に立つんじゃないかって考えてやらせたんだ。ピアノは数年演ったけど、その時点ではミュージシャンになりたいなんて思ったことはなかったよ。ピアノの先生に言われた曲をこなして、ただそれだけだった。

数年後、ピアノは自分のやりたいことじゃないって思って止めちゃったんだけど、楽譜なんて読めるようになってなかった。でもピアノを弾くことは止めなかったんだ。必要な時は今でも、自分の曲に合わせてピアノで伴奏してる。それで13才位の頃、ドラムを始めた。その頃はドラム譜の読み方を勉強したことも、曲の中のドラムを耳コピーしたこともなかった。そんな能力があったらある程度は叩けるんだろうけど、僕の好みや僕の知ってるドラマーは普通過ぎてそんなことはやっちゃいなかったし…、だからドラムの先生みたいなドラミングをしようと思ったことは一度もなかった。その代わり、ギタリストみたいにドラムを叩いてた

で、ドラムがそこそこ叩けるようになった頃、ザ・ウェイブスのシンガーで同じクラスのヤツにドラムを演ってくれって頼まれたからOKしたんだ。楽しいに決まってるし、ザ・ウェイブスは僕らの世代で唯一まともなバンドだったから。でも僕が加入した頃、バンドはまだウェイブスって名前じゃなくて「The Void(ザ・ヴォイド)」って呼ばれてたんだ。酷い名前だよね?で、僕が「ザ・ウェイブス」って名前を思い付いて、そこから全てがスタートした。新しいベーシストを連れてきて、僕がドラマーをやった。しばらくすると、僕の中のギタリストの方が勝つようなってきて…ギターを弾きまくってたし、バンドのために作曲も始めてたし…。だからドラムよりギターを弾くようになってた。で、そろそろドラムは止める時期だって悟って、ギターだけに専念するようになったんだ。






― 子供の頃って親のやってることに反発したりするものだよね。君は覚えてる限り幼い頃から音楽に夢中だったの?それとも最初はお父さんの後は追わないぞって思ってたの?

ミュージシャンになろうなんてホントに思ったことはなかったんだ。父がそうだからっていうんじゃなくて、自分自身がやることとは思えなかったから。でも常に周りに音楽が流れているような環境で育って、自分の生活の中にミュージシャンが出入りしてると、自然と音楽とか音楽に関するいろいろが好きになっていくものだよ。


― お父さんはどんな風に君の音楽スタイルの形成を手助けしたの?お父さんはどんなレコードをくれて、聴いてみなさいって言ったの?

どんなに抵抗しようと誰でも皆、どんな形であれ親の影響を受けるものだと思うよ。ただ僕の場合、「ジョニー・マー」を父親として知ってただけなんだ。もちろん父は僕がギタリストになるのを手伝ってくれたし、僕らがプレイするのを聴いた人にはプレイスタイルが似てるって言われる。僕はそう思わないんだけど。アレが僕なんだし。

ギターを始めた初期の頃は、自分の好きな曲をどうやって弾くのか見せてくれって父に頼んだりして、父が弾いてくれたのを見て、自分のものにするまでただ弾き続けてた。それからまた別の曲をやって、自分の曲をステージで演れるまでになった。で、曲を練習したい時は1人で演って、父と2人で演る時はお互いがいいと思うものを一緒にジャム・セッションした。今思うと、父と一緒にプレイする時は、結局何の意味もない何か新しいものを作ってた。ただその瞬間の衝動的なものをね。

子供の頃から音楽に夢中で、父が最初に買ってくれたアルバムはボブ・ディランの「Desire(欲望)」だったんだけど、あれが僕の人生を変えたんだ。いつもそのアルバムを聴いてて、毎晩そのまま眠ってた。物心ついた頃からボブ・ディランを聴いたことは、僕のギター・プレイに影響を与えてると思う。父が1曲取り上げて出来るだけシンプルに弾いてみせてくれて…好きな曲も嫌いな曲もあったけど、人生の次のステージに連れて行ってくれた曲もあった。ディランのアルバムは僕を音楽好きにした1つの例だよね。1つの音楽や1人のアーティストに出会うことで1人の人間の人生が永遠に変えられてしまう。そんなことが出来るものって他にないよね。


― 古い曲やアメリカのバンドからたくさん影響を受けてるみたいだけど、アークティック・モンキーズやザ・リバティーンズみたいなバンドや新しいUKの音楽を聴いたりしないの?君にとって最も大きな音楽的影響は何?自分のプレイ・スタイルをどう説明する?

アークティック・モンキーズは好きだけど、何度も聴こうとは思わないよね。どういう意味か分かると思うんだけど、かかり過ぎだよね。ザ・リバティーンズみたいな新しいUKモノに関しては、ただ僕向きじゃないっていうだけで…ストレート過ぎるし単調過ぎてあんまりクリエィティブじゃないよね。もし何かのバンドがあんな風にプレイするようになったらすぐ聴くのを止めるよ。だってあのジャンルにハマろうとしてるだけなんだから。僕が何かのバンドを好きになるとすれば曲によるよね。

1番影響されたミュージシャンの1人はボブ・ディランで、ボブの曲は僕の人生を変えたんだ。だからちょうどボブ・ディランが曲を作ってきたように彼の曲を聴き続けてきたことは、僕のプレイに影響してると思うよ。だけど1番影響が大きかったのはジョン・マーティンだね。本当に夢中になって、彼みたいに弾いてるって感じることがある。偶然なんだけどね。ジョン・マーティンを聴き始めた頃、ギター・プレイの全く新しい側面を見た気がしたんだ。僕が夢にも思わなかったギターで、ソロ・アーティストとしてプレイする自分は、1時期ホントにインスパイアされてた。だけど演奏方法について言えば、僕はナイル・マーがするようにプレイしてて、いつだって自分独自のスタイルを追求している。まぁ僕のプレイが誰に似てるか決めるのは、僕じゃなくて他の人達次第なんだけどね。


―My Space(マイ・スペース)では、影響を受けた人物にモデスト・マウスを上げてるけど…、ザ・スミスは好きじゃないの?

ザ・スミスは僕が生まれる前のバンドだから、ザ・スミスの曲からはあまり影響を受けてないんだ。モデスト・マウスは僕が生まれてからのバンドだし、すごくファンなんだ。


― ソロ・アーティストか、またはバンドとして最初に作曲した曲は何?デビュー・アルバムはどんな感じになりそう?

僕が作曲するのは、すべてソロ・アーティストとしてで、それをバンドに持って行く感じ。最初に作曲したまともな曲は「Bethany Joy」って曲で、いつでも一番お気に入りの曲に入るんだ。今、デビューアルバムをレコーディングしてるんだけど、僕のベッドルームのラップトップを使ってやってて、レコーディングしてる時は毎分毎分その時間が愛おしくてたまらないよ。ただクリエィティブになれて自分自身を表現できるチャンスだからね。時間を見つけてはレコーディングしてるけど、学校が邪魔なんだよね。でも何とかやってて、今はまだ何をやりたいか探ってる段階。それが終わったら、次に自分がどうするかまだ分からないけど、とにかく作曲してレコーディングし続けて、次に何が起こるか見てみることだけは確か。


― どうして「Kid 4077」っていう名前にしようって決めたの?何か意味はある?この名前はどこから来てるの?

「Kid 4077」って名前は、響きがカッコいいと思ったから名乗ってるだけだよ。意味とかは特にないんだ。






― (2007年)6月1日のギグは未成年OKなギグだね。年齢が若過ぎるせいでUKツアーの大きいのを断わらなきゃならなかったんだって?未成年OKギグはこれから広まると思う?他にも断らざるを得なかった大規模なサポート・アクトはあったの?

僕とパオロ・ヌティーニは死ぬほど2人でプレイしたがっていてグラストンベリーとアメリカのフェスで落ち合ってブラブラしながら一緒にプレイするけど、どうなるか分からないよ。でも多分もう少し待ってどうするか考えなきゃならないと思う。未成年だとライブの機会を得るのがスゴく難しいから、年齢の問題って縛りがキツ過ぎだよね。未成年OKギグが軌道に乗ることを本当に願ってるよ。バンドには大きなチャンスになるし、これからのバンドにとっていいことしかないよね。


― 今回の未成年OKギグで対バンする他のバンド(El Policia/Little Engine/The Sidelines)についてはどう思う?

同じライブでプレイ出来るのをとても楽しみにしてるよ。他のバンドとは皆んな一緒に演ったことがあるし、僕ら全員にとってこの上ない経験になると思う。何が起こるか待ち切れないよ。


― 最後に、このギグではルーパーを使うみたいだけど…これから「Kid 4077」はどんな感じでやっていくつもり?コラボレーションとかは考えてる?

「Kid 4077」がどうなっていくか分からないけど、しばらくは1人で吟遊詩人的なことを演りたいんだ。でも誰かいいバンドメンバー達と出会うかもしれないし、そうなれば一緒に演るかもしれないし、演らないかもしれない。自分が今、特に何か決断する必要なんてなくて、人生の現時点でまだ好きなことをやれる自由があるっていう事実を、ちょうど今楽しんでるところだよ。






10 July 2016

「幾何学模様(Kikagaku Moyo)」It's Psychedelic Baby Magazine インタビュ ー




いわゆる「逆輸入バンド」と言われ、海外から火が点いた日本人サイケデリック・バンド「幾何学模様」。ちょっと古めのこのインタビューを翻訳ネタに選んだのは、バンドメンバーの出逢い、家族のこと、レコーディング方法等、自分自身がバンドについて掘りまくっていた頃、いろいろ分かり易かったから。

インタビュアーが、自身もミュージシャンと名乗る米国人サイケ・オタクなだけに、質問部分がかなり長く暑苦しいのであるが(答えより質問が長い!)、そんなインタビューにサラっと答えているのが幾何学模様のコア・メンバー、シンガーでありドラムを担当するGo Kurosawa氏である。

【元ネタ英語記事】 Kikagaku Moyo interview with Go Kurosawa (2014年7月5日)

幾何学模様 bandcamp: https://geometricpatterns.bandcamp.com/

以下、当サイトによる和訳
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― 今現在、幾何学模様のラインナップはどうなっているの?今のメンバーがオリジナル・ラインナップ?それとも、ラインナップにこれまで何か変更はあったの?

実は、オリジナル・メンバーはTomo(Vo. & ギター)と僕だけなんだけど、今は5ピースのバンドとしてやってるよ。

ヴォーカル/ギター: Tomo Katsurada
ギター: Daoud Popal
シタール: Ryu Kurosawa
ベース: Kotsuguy
ドラムス/ヴォーカル: Go Kurosawa


― バンドメンバーの中で、今、他のバンドに参加したり、サイド・プロジェクトを演ってる人はいるの?例えば、過去に誰かと何かリリースしたことはある?もしあるなら、それについて少し話してもらえないかな?僕はミュージシャンのつながりを見つけるのが好きなんだ。

僕以外で過去にバンドでプレイしてたヤツはいないよ。僕は「Deigen」ってバンドでベースを弾いてたことならあるけど。


― 君達の年齢と出身地を聞いてもいい?

僕らは全員20代で、TomoとKotsuguy以外は東京出身だよ。Tomoは石川県、Kotsuguyは福島県出身。


― 君が育った街のローカル・ミュージック・シーンはどんな感じだった?子供の頃ライブはたくさん観たの?それは君の音楽の趣味やプレイ・スタイルに大きな影響を与えた?

日本のライブは僕らには高過ぎるよね。特に子供の頃だとそうだよね。ほとんどのライブは最低でも20ドルはするから。だから育った街のローカル・ミュージック・シーンからの影響はほぼゼロだね。でももちろん、日本の素晴らしいバンドからの影響は受けたよ。


― 人生における音楽的瞬間をひとつ挙げるとしたら、何だと思う?全てを変えてしまうような、芸術の無限の可能性に開眼した…みたいな瞬間。

正直にいうと、僕は音楽のこと、特に僕らの音楽のことを芸術だとは思っていないんだ。僕にとって「芸術」っていうのは何か高尚でコンセプチュアルなものを意味する。でも、音楽ってもっと原始的で衝動的なものじゃないかな。身体と魂の両方に悦びをもたらす…みたいな。


― 自分で作曲や演奏をしてみたいって思ったのはいつ頃?それで何が変わった?

最初の曲を書いたのは9才の頃。僕が育った家は、神社とお寺の間に建ってて周りに木々が生い茂ってた。東京のド真ん中なのにね。僕は口笛で歌を歌って、自分の家の周りにやってくる鳥たちとコミュニケーションしようとしてた。母は音楽教師だったから、ピアノで伴奏してくれた。


― 最初に弾いた楽器は何だったの?いつ頃どうやって手に入れたの?

ピアノ。4才位の頃。ピアノは僕が生まれる前から家にあった。


― 元々メンバーとは、いつ頃どうやって知り合ったの?

Tomoとは最初東京で出逢った。TomoがDaoudを、2人が通ってた大学の喫煙所で見つけた。で、僕らはKotsuguyのことを道端で見つけた。Kotsuguyはその時、自分のノイズ・プロジェクトのために自動販売機からの音を録音してるところだった。Ryuは僕の弟で、たまたまインドのシタールの修行から帰国したところだった。


― そこから幾何学模様結成まではどんな感じで、いつ頃のことだったの

アメリカ留学プログラムから帰国したTomoと再会したんだ。僕とTomoは、音楽、ファッション、映画等、とにかく趣味が合って、一緒に音楽を演ろうってことになったんだ。2012年の夏頃だね。


― 「Kikagaku Moyo」ってどんな意味があるの?誰が「Kikagaku Moyo」にしようって言って、どうやって全員でそれにしようってことになったの?

「幾何学模様(訳者注:英語でgeometric patterns)」って意味だよ。夜通しジャムってた時、まぶたの裏にその文字が浮かんだんだ。僕は完全にぼうっとしてて、起きてるんだか寝てるんだか分からないみたいな状態だったんだけど、手が勝手に動いてドラムを叩いてた。Tomoと僕は漢字の日本語のバンド名を付けたかったから、即決だったよ。


― 最近の幾何学模様の拠点はどこ?

東京だよ、日本の。


― まだ幾何学模様を聴いたことがないブログの読者に、幾何学模様のサウンドについて君自身の言葉で説明してくれないかな?

答えは、気分によって変わると思うよ。僕らはアコースティックなジャム・セッションからファズで歪ませた数時間のセッションまで何でも演る。だから機会があれば是非ライブを観に来てほしい。観客と一緒に何を経験するかなんて、僕ら自身でさえ予想もつかないけど。


― 君達は皆、とても面白い多様なサウンドを生み出していて、リスナーをサイケデリックの神秘に連れ込んでいくよね。君達が音楽的に大きな影響を受けたのは誰から?メンバー個々にっていうより、バンド全体として影響を受けたのは何から?

他のバンドからは、影響を受けたっていうよりインスパイアされたって感じかな。一番最近だと、オースティン・サイケ・フェスBo Ningenにインスパイアされた。Bo Ningenのセットからは巨大なエネルギーをもらったし、観客にダイブしてしまいたいくらいだったよ。バンド全体として影響を受けたバンドは特にないな。メンバーは皆んな全く違う音楽を聴いているからね。


Austin Psych Fest (2014)での幾何学模様


― 幾何学模様の作曲のプロセスはどんな感じなの?全員でジャムりまくるとか、意見交換から1曲抽出するまでアイディアを出し合うとか…。そうじゃなかったら、メンバーの中の誰かがリフ等そこそこ仕上がったネタを持って来て、残りのメンバーにシェアして形にしていくとか?

特に決まった作曲のメソッドはないよ。山に行ってジャムって録音するとか、1日中駅前で大道芸人みたいに演奏し続けたり。メンバーの誰かひとりが曲全体を作ってきて、それをバンドとしてアレンジすることもあるし、メンバーの誰かが皆んなの好きなストーリーを語って、僕ら全員でそれを音楽で表現しようとすることだってある。


― 幾何学模様のレコーディングはどう?僕自身もミュージシャンなんだけど、ほとんどのミュージシャンはレコーディングにかけた時間や作業、努力の結果にあからさまに喜びを見出すものだよね。だけど、そこに到達するまでには、目指すサウンドを鳴らすためにいろいろやってて…特にバンドとしてそれをやるのってスゴく大変だよね。幾何学模様はそのあたりどうしてるの?

僕らは曲を2回録音することはしない。いつも通りレコーディング・スタジオで演奏するのを楽しむだけなんだ。例え誰かがミスしたとしても、それが本当の僕らなんだし、ミスこそが本当に面白みのある独自性にもなり得るし(笑)。本当のホントの最後までその結果がどうなるかなんて分からないけど、今のところいつも結果には満足してるよ。


― レコーディングはメンバーの得意分野を活かしつつ全部自分達で仕切るみたいなDIY的アプローチ?それともスタジオに入ったら、諸々は誰か他の人に任せて、演奏だけに集中できる方がいい?

これまで出した2枚のアルバムは「ツバメスタジオ」君島結(きみじまゆい)氏に録音してもらったんだ。彼のキャリアは古典的なレコーディング理論を否定するところから始まってて、例えば、スネアの音を録るにはこのマイクを使わなきゃダメだ…みたいなこととかね。結果が一番大切だと彼は考えていて、どのマイクをどう使うとか、そういうことは関係ない。サウンドが面白ければそれでいい。僕らは彼を信用しているから、サウンドをもっと面白いものにするためのアイディアなら何でも言ってくれって伝えてあるんだ。


― レコーディングに入るまでに結構時間をかけて準備したりするの?録音ボタンを押して、最初の音を出す前に、曲の各部について細かく決めてあって、どんな風にプレイすべきか全部正確に把握してたりする?そうじゃなければ、ここはこんな風なサウンドにすべきだみたいな良いアイディアが浮かんだら、そこを変更して、レコーディング中に進化させる余地はある感じ?

時間が限られてるからレコーディングのために曲の準備はするけど、録音されたトラックには僕らの初動エネルギーを保存したいから、リテイクすることはないよ。


― 2014年は既にメンバー全員にとって忙しい年になってるけど、今年は既に2枚のリリースがあったよね。まずBeyond Beyond Is Beyond Recordsからの「Forest Of Lost Children」のLPなんだけど、このレコーディングは前作「Kikagaku Moyo」の時のセッションとは大分違うものだった?レコーディングはいつどこで?録音は誰?どんな機材を使ったの?「Kikagaku Moyo」も「Mammatus Clouds」も限定盤だったけど、「Forest Of Lost Children」も限定リリースになるの?だとすると、何枚限定か教えてもらえる?

「Forest Of Lost Children」は前作と同じスタジオで同じ人に録音してもらった。セルフタイトルのアルバムの方は、EUのCosmic Eye RecordsとSound Effects Records、アメリカのCaptcha Recordsからリイシューされる予定だよ。





― 2014年もうひとつのリリースである「Mammatus Clouds」のカセットテープはSky Lantern Recordsから100個限定で、間もなくCaptcha Recordsから12インチが再リリースされるんだよね。「Mammatus Clouds」の収録曲については、作曲面やレコーディング面で何か新しいことや革新的なことにトライしたなんてことはあった?いつ頃、誰がレコーディングしたの?「Forest Of Lost Children」の時のセッションと同じ感じでレコーディングしたの?今回はどんな機材を使った?

「Mammatus Clouds」のA面は、ミックスもオーバー・ダブも何もナシの純粋な一発録りのライブ・レコーディングなんだ。あれは2014年初めに演った全くありのままのセッション・レコーディング。ドラムで使ったのはフロアタムだけで、Daoudがパーカッションと鈴、Kotsuguyがオルガン、Tomoがギターとヴァイオリンを演奏した。


― 元々セルフタイトルのアルバムも「Mammatus Clouds」もかなり数量が限定されてたよね。でもCaptcha Recordsがここアメリカで両方共リイシューする予定なんだよね。それがいつになりそうかってもう分かったりする?

2014年9月辺りかな。





― まだ今日話に出ていない幾何学模様の音楽って何かあるかな?シングルとか、僕が知らないコンピレーションの中の1曲とか。

コンピレーションでカバー曲をレコーディングしたよ。どんな風にカバーしたか、ビックリしないでほしいな!(笑)


― 前に話したように Captcha Recordsがセルフタイトル・アルバムと「Mammatus Clouds」のカセットテープをリイシューしようとしてるのは知ってるんだけど、それ以外で今、幾何学模様が何か他の作品を制作中だったりその兆しがあったりする?

今は作曲してるところだから、まだ何もないよ。


― ここ数年続いてる完全にイカれた配送料の値上がりのせいで、僕はブログの読者に出来るだけたくさん音源の入手方法を提供するようにしてるんだけど、アメリカ在住の読者が幾何学模様の音楽を入手するベストな場所はどこだろう?

ベストなのはライブ会場だけど、もし来れなければ、Captcha RedordsかBeyond Beyond is Beyond Recordsのメール・オーダーのページかなぁ。アメリカ拠点だから配送料もそんなに悪くないはずだよ。


― あとブログの読者がライブの予告やアルバム・リリース等の最新ニュースをキャッチ・アップするのに最適なのはどこ?

僕らのFacebookTumblrをチェックして下さい。


― 2014年に幾何学模様が達成しようとしてるプランとかゴールの大きいのって何かある?

秋にアメリカ東海岸ツアーをセッティングしようとしてるけど、まだ何もコンファームされてないんだ。あとレコード・レーベルの立上げにフォーカスしたいと思ってる。


― ツアーには結構時間をかけてるの?ツアーに出るのは楽しい?幾何学模様にとってツアー生活ってどんな感じ?

ツアーに出るのはメンバー全員大好きだよ。僕らは皆んな仲が良いし、家族みたいなバンドだから。ツアー中は笑ってるか寝てばかりいるよ。


― ここ数年一緒にライブする機会があったバンドで、個人的に気に入ってるバンドはある?

「Dreamtime(オーストラリア)」「Bo Ningen(日本)」「The Myrrors(アメリカ)」「Eternal Tapestry(アメリカ)」、それと「Moon Duo(アメリカ)」


― 一緒にツアー出来る夢が叶うとしたら誰?

Go Kurosawa: Amon Düül(アモン・デュール(ドイツ))。
Ryu Kurosawa: The Beatles(ザ・ビートルズ(英国))。
Daoud Popal:The Greateful Dead(グレイトフル・デッド(アメリカ))。
Tomo Katsurada: Far East Family Band(ファー・イースト・ファミリー・バンド(日本))か
Taj Mahal Travellers(タージ・マハル旅行団(日本))。
Kotsuguy: Pärson Sound (パーソン・サウンド(スウェーデン))。

インタビューに答えているGo Kurosawa氏(中央)

― ライブやパフォーマンスのオモシロ話とか興味深い話で、ここでブログの読者とシェアしたいものはある?

東京のライブでスモークを出す機械を使ったんだけど、何も見えなくなっっちゃって、セットが終わったらすぐ火災報知器が作動してたことに気付いたんだ。スモークが消えたら、警察やら消防の人が怒った顔して立っててさ。そのライブハウスを出入り禁止になっちゃった(笑)。


― バンドのかなりの部分を表象するヴィジュアル面についていろいろ考えたりする?例えば、フライヤーやポスター、Tシャツのデザイン、アルバムのカバー、その他アートワーク等。幾何学模様のアートから伝えようとしている意味やメッセージって何かある?そういうのが必要になった時、いつも頼んでる人とかいるの?もしいるならそれは誰で、元々どうしてその人のことを気に入ったの?

ヴィジュアル・アートについては出来るだけ自分達でやるようにしてる。そうだね、全てのヴィジュアル・アートには意味があるよ。だけどここで詳しく説明しちゃったら、面白味がなくなっちゃうから…。僕らはアートワークをパッケージ全体の一部としてクリエイトしてるんだ。


― 自分達の音楽をリリースする際、気に入ってる形態ってある?今のミュージシャンが選び得るあらゆる形態の中で、ミュージシャン達がなぜそれを選び、好むのか、僕は不思議で仕方ないんだ。逆に、音楽を聴いたり買ったりする立場の時はどうなんだろ?自分が買う時は、どの形態が好きで、それはなぜなのか、ちょっと話してくれないかな?

僕らはヴァイナルデジタル・ダウンロードが好きだよ。事実上、音質の良さは半永久的だからね。CDにはいい経験がないなぁ。傷がついたり、プラスチック・ケースが割れちゃったり。メンバーにはレコードやカセットテープを買うのが好きなヤツもいれば、ほとんど何も買わないヤツもいる。


― 音楽コレクションって何かある?もしあるなら、それについて少し話してくれない?

1970年代からのサイケデリック・レコードのコレクションがあるよ。そんなに印象的じゃないかもしれないけど、僕は自分が好きなレコードしか持たないから。最近買ったレコードは、Daniel Higgs(ダニエル・ハイッグズ(アメリカ))の「The Godward Way」


― 僕は巨大なヴィンテージ・サイケ、レトロ・ガレージ・ロック、クラシック・ブルーズのコレクションに囲まれて育っていて、小さな子供の頃から父親に、興味を持つ可能性のあるものは何でも聴いてみろって言われてたんだ。いつも何か魔法みたいなものがあって、僕を夢中にさせるアルバム、ヘッドフォンをしたままのリラックスタイム、ライナー・ノーツを読みふけったり、アートワークを凝視たり…そんな経験の全てが僕を違う場所に連れて行ってくれた。少なくとも僕にとっては、何か音楽と共にフィジカルな経験をする方が、音楽を聴くってことについて、より完璧な経験になってたんだけど…。君にもそういうフィジカル・リリースの音楽とのつながりみたいなのって何かある?

あるよ。あと僕は中古レコードの歴史が好きなんだ。時々誰かの名前が書いてあったりして、一体どんな人なんだろうって想像を膨らませたりするのが好きだよ。


― 僕は自分のアルバム・コレクションが好き過ぎるから、それを売ってしまったりってことは出来ないな。デジタル音楽はそういうすべてのことを変えてしまっただけじゃなくて、デジタル音楽とインターネットのおかげで、大変革が起きたよね。この2つのおかげで僕らは文字通り音楽の世界に晒されるようになったし、バンドとファンの間のコミュニケーションの濃密さは、今や前例のないレベルになってる。まだいろいろはっきりしてないこともあるけど、こんな風に音楽の世界に晒されているくせに、音楽にお金を払わない人もいるわけで…。違法ダウンロードされまくってるし、音楽は消耗品で、聴いたら忘れて捨て去るものだって考える人も出始めてる。デジタル音楽がはびこる中で、ミュージシャンがその存在に気付いてもらうのは至難の業だってことも言うまでもない。デジタル時代のミュージシャンとして、デジタル音楽や配信について、どんな意見を持ってる?

デジタル音楽には反対ではないんだ。だってデジタル音楽がなかったら出会うことがなかった音楽って膨大にあるからね。だけど、ミュージシャンはそういったアルバムの録音に物凄い時間とお金を費やしてる訳で、もし音楽が好きなら、自分が好きなその音楽に5ドル払ってサポートすべきだって思うよ。


―  良い音楽についての最新情報には、時代に遅れることなく出来るだけついていくようにしてるけど、今ある素晴らしいものの中からごく一部だけ選り分ける時間なんてなかなかないよね。日本のローカル・シーンで、僕がまだ聴いたことがないかもしれないもので聴いておくべきものって何かある?

僕らは「Guruguru Brain」ってレーベルを立ち上げたばかりで、主にアジアのアンダーグラウンド・ミュージック・シーンにフォーカスしてるんだ。Bandcampに「無料のコンピレーション・アルバム」 を上げてあるよ。これからもっといろいろリリースしていく予定!


― 今日は僕と話す時間を作ってくれて本当にありがとう。君達やバンドのことについてたくさん知ることが出来たのは本当に素晴らしかった。この辺りで終わりにするけど、何か聞き忘れたことはないかな…。思い付くことは全部聞いたと思うんだけど、インタビューを終わりにする前に、何か僕が聞き忘れたこととか、この機会に僕やブログの読者に伝えておきたいことは何かある?

皆んなからのサポートには本当に感謝してます。僕らのライブはレコードとは全く違うから、機会があったら是非僕らを観に来て下さい!

9 July 2016

「幾何学模様(Kikagaku Moyo)」 i-D インタビュー



ロンドン発のファッション&カルチャー誌「i-D」より、日本人バンド「幾何学模様」のインタビュー(2016年6月13日付)和訳を掲載します。いわゆる「逆輸入バンド」と呼ばれる幾何学模様。これまでインタビューと言えば英語でしたが、先日「Qetic」による初めての日本語インタビューも発表されましたので「こちら(2016年5月12日付)」 も併せてご覧下さい。

【元ネタ英語記事】 peace out with kikagaku moyo, the new torchbearers of japanese psychedelia

以下、当サイトによる和訳
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ニュー・アルバム「House In the Tall Grass」をリリースしたばかりの幾何学模様。技術力が高く大変魅力的なバンドである。我々i-D誌スタッフは、幾何学模様のメンバーと会い、様々なことについて語ることが出来た。その内容は、日本にドラッグ・カルチャーがないこと、東京のミュージック・シーンの裏と表、メンバーが散髪する頻度等多岐に渡る。


サイケデリックの流行は1960年代~1970年代、確かに日本にも存在した。日本人は欧米のバンドからサウンドやスタイルを吸収し、サイケデリックというものについて理解はしていたものの、そのためのドラッグは持ち合わせていなかった。そんな時代から早送りして現在に目を向けてみると・・・。1970年代のロック、フォーク、クラウト・ロック、古典的インド音楽の要素をそのサウンドに取り入れた幾何学模様がここにいる。彼らは、高い技術を持つ5ピース・バンドであり、心身共に解放させるトランス可能な音楽を生み出し続けている。ツアー中のロンドンで、フロントマンのトモ・カツラダ(以下、「T」)、ドラマーのゴウ・クロサワ(以下、「G」)と、林檎を頬張りながらインタビューの席についた。


― 幾何学模様の皆さん、こんにちは!今、ツアー中なんですよね。幾何学模様の音楽に対して、どの国の反応が一番良かったですか?

G:アメリカはクレイジーだったよ。観客は超興奮して酔っぱらってて音楽なんて聴いちゃいなかった。

T: 日本で演奏する時は、真逆だからね。

G: 日本だと、誰かが演奏する時は喋っちゃいけないことになってる。だから僕らのことを観客が聴いてくれるという意味では良いんだけど、同時にもっと緊張するよね。

T: そうだね。何だか審査されてるみたいな感じ。皆んながそこに立ってて、ライブが良いか悪いかツイートしてるっていう。

G: でもヨーロッパだと全然違うよね。英国で演奏するのは本当に楽しい。たぶんロックンロールのカルチャーがあるせいかな。


― 最近の東京のサイケデリック・シーンはどんな感じなんですか?

G: 全然小さいよ。

T: 今、サイケデリック・バンドってあんまりいないよね。僕らと、あともっと年上のバンドAcid Mothers Templeとか。若いバンドだったら、Minami Deutsch


― 2バンドとも幾何学模様のレーベル「Guruguru Brain」と契約してますよね?そういう意味では、あなた方はサイケデリック・シーンのキュレーションをしているとも言えます。気に入ったバンドと契約して、レーベル所属バンドを輝かせる・・・的な。

T: そうだね。僕らはアジアのバンドにも目を向けてる。隠れたお宝がたくさんいるし、本当に素晴らしいんだ。


― 「Guruguru Brain」についてもっと話して頂けますか?

G: アジアのミュージック・シーンに注目してて・・・。僕らや他のアジアのバンドは、アメリカやヨーロッパのレーベルと契約すると成功したバンドっていう風に見られる。サイケデリックの主要マーケットだからね。でもそろそろ自分たちで何かやるタイミングが来たって思ったんだよね。

T: それに僕らはバンドとしてプレイしながら、アメリカやヨーロッパをツアーして、たくさんの人達と知り合った結果、世界中で音源を出すことが出来た。だから自分たち以外のバンドにも、同じことを経験してもらえるように頑張ってるところなんだ。


― サイケデリック・カルチャーの中で、出身地によってスタイルが違うと思うことはありますか?

G: あるよ。東京と大阪でさえ違うから。大阪のバンドの方が、もっとクレイジーで、型破りで、極端な傾向。東京はもっと控えめ。


― それはどうしてだと思いますか?

G: 大阪には、より強いスピリットとプライドがある。2番目に大きな街だし、「くたばれ東京!」みたいな感じ。

T: だから違ったスタイルを作り上げて目立とうとする。

G: 大阪人は東京人のことを流行に敏感でいつも恰好つけてるって思ってる。でも大阪には本当にいい感じのミュージック・シーンがあるよ。


― 日本には大規模なサイケデリック・ミュージック・シーンがあるのに、通常一緒に存在するはずのドラッグ・カルチャーがないっていうのは興味深いですね。

G: ヨーロッパやアメリカと較べるとそうだね。どういうことかっていうと・・・、僕らはアメリカや英国みたいな国からの音楽を子供の頃から聴いて育っていて、1960年代以降のサイケデリック・カルチャーやヒッピー・ムーブメントも知ってる。日本にも1960年代にそういうのはあったけど、イデオロギー的なものではなくて、もっとスタイル的なものだった。アメリカにはベトナム戦争みたいなのもあったけど、日本にはなかったし・・・。だけど今、僕らはああいうバンドを本当に観たんだ、ドラッグもやってたんだって想像の中にいる感じ。本当はやってないんだけど。じゃあ、どうすればいいの?ってなった時に、僕らは音楽に関して超極端な傾向にあるよね。限度を知らずプレイしまくるみたいな。ドラックをやってたらどんなプレイになるのかなんて想像できないけど。

T: そうだね、僕らはイマジネーションを使ってるよね。

G: 僕らは1960年代以降のサイケデリック・ロック・バンドがいろんな楽器を使ってるのが好きなんだ。あの時代のバンドって、違うジャンルとか、場合によっては人が喋ってるのをミックスしたりすることにオープンだよね。ヘビーな音とフォーク・スタイルを融合させたり・・・とても自由なんだ。


― 数年前に東京サイケデリック・フェスティバルを立ち上げましたよね?

G: うん、アメリカから帰国してバンドを結成した時、僕らが参加できるようなイベントが何もないって気付いたんだ。それで自分たちのイベントを始めて、似たようなバンドを探すようになったんだけど、僕らの企画したライブに来てくれるのは外国人か年上の人達ばかりだった。日本人の若者はあまり興味ないみたいで・・・。だから今は、リバプール・サイケデリック・フェスティバルに(Guruguru Brainの)ステージを出させてもらってる。


― 日本の若者のサイケデリックに対する興味は、これから育まれていくと思いますか?

T: うん、それはちょっとだけど始まりつつある。

G: 僕らの音楽のトレンドは、いつも日本だと後追いなんだよね。だから多分、ヨーロッパでサイケデリック・ミュージックの人気がなくなったら、今度は東京にトレンドが移動するから、ヨーロッパのバンドは皆んな東京に来てライブしなきゃならなくなる!


― 東京の他のミュージック・シーンで、幾何学模様はどう思われているのでしょう?

G: 東京じゃあまりライブを演らないから、外国のバンドだと思われてたりするかも。僕らにとって外国に行ってツアーするのはホント自然なことだった。だって東京だとライブするのにお金払わなきゃならないし。


― ライブするのにお金を払わなきゃならない?

T: うん、東京のプロモーター・システムって他に類を見ないものだよね。東京には小さいバンドをブッキングしてくれるようなプロモーターは全然いない。

G: まだ始まってないだけだけどね。でも逆に言えば、東京の良いところは、お金さえ払えば何でも好きな曲を好きな場所で演れるところ。

T: だから多分それが、幾何学模様が(東京で)実験的音楽を演れてる理由なんだと思う。プロモーターが極端な音楽を演ってるバンドにライブさせることは普通ないからね。


― 東京に行く外国人がサイケデリック・ミュージックのライブを経験するのにお薦めの場所はどこですか?

G: 高円寺に「DOM」っていうクールなリハーサル・スタジオがあるよ。ちょっと高円寺の真ん中からはハズれてるけど、僕らが住んでるところ。本当に安くて、(ライブのチケットは)5ドルとか8ドルだからとっても行きやすい。

T: 大体東京のライブだと、ローカルな場所で聞いたこともないようなバンドだとしても、25ドルとかする。高過ぎるから誰も行かない。来るのは友達だけ!

G: ライブに全く行ったことがない人も多いよね。


― 英国のカルチャーとは全く違いますね。今のところ、英国であなた方が大きな影響を受けたものがあるとすれば何でしょうか?

T: 映画。映画か大好きなんだ。いつもベーシストと一緒に観てる。


― どんな映画?

T: B級映画とチープなSF映画。最近1960年代のアートシアター系実験映画を観るの飽きちゃって・・・。何かつまらないって感じるようになったから、1980年代のファンタジー系映画をたくさん観るようになった。すごいトリッピーだよ。すべて何の説明もなく始まって、コスチュームもハンドメイド、奇妙な生き物がいっぱい出てくる。「ネバーエンディング・ストーリー」とか典型的。チープなファンタジー系映画がとても良い感じ。


― もし幾何学模様のディスコグラフィーが映画のサウンドトラックになるとしたら、どんな映画が一番ハマると思いますか?

T: セルゲイ・パラジャーノフの作品のうちのどれか。彼は1960年代~1970年代に映画制作をしてた人なんだけど、コスチュームが美しくて、カザフスタンやロシアの人々をベースにしたストーリーなんだ。設定がとても綺麗な森林エリアになってて、儀式的なタイプのものがたくさん登場するんだ。


― 今度また飽きてしまったら、セルゲイ・パラジャーノフの作品に幾何学模様の音楽を重ねて録音し直さないといけませんね。それでは、幾何学模様のヴォーカルについて聞かせて下さい。何語で歌っているのですか?

G: えーと、あれは日本語じゃないんだ。僕らはサウンドを歌ってるだけ。

T: そうだね。曲にあまり多くの意味を持たせたくないっていうのはあるよね。

G: 聴き手次第だよね。曲に意味がある時もあるけど、自分が歌ってる時に何が起こってるかによる。


― 曲の意味が変わると?

G: そういうこと。ライブによって、レコードによって、演奏する時、僕の頭の中には違うヴィジュアルが浮かんでる。


― 「House in The Tall Grass」は過去のリリース作品に較べて穏やかな印象があります。

T: そんな感じのサウンドにしたかったんだ。前回のレコード「Forest of Lost Children」は明る目だったから、今回はリスナーがまるで遠くから聴いてるみたいな感じの音楽にしたかった。僕らには、雪の中にある人里離れた一軒家のイメージがあった。で、その家をいろんな角度から見てる。リスナーと音楽の間には雪があって、その雪がサウンドをすべて吸収してしまうんだ。





― 理想的には、オーディエンスにどんな風に感じ、考えてほしいですか?

T: ただ良い時間を過ごしてほしい。僕らが演奏してる時に眠ってしまったって構わない。


― 何か特別な夢が見られそうですね。

T: そうだね。眠ってしまうか、ただ何か想像してもらう。僕らが誰かをインスパイアして何かをクリエイトしてもらえたとすれば、本当に嬉しいよね。たまに写真とか絵を送ってもらうんだけど、それって本当に嬉しいことなんだ。フィードバックをもらったり返したりするのは好きだよ。エネルギーの交換になるからね。


― 最近見た夢で覚えているものは何?

G: ちょうどバンドのシタール担当(訳者注:Gの実弟)がちょっと前に見た夢のことを話してくれたんだけど、自転車に乗ってたら、突然自転車が空に舞い上がっていったんだって。

T: 「E.T.」みたいだ。

G: そうそう。で、月に向かっていって、だんだん月に接近していって、月に着いたらそれがタマゴの黄身だって分かって・・・そこで目が覚めたんだって。


― 面白い。では最後に、あなた方はどの位の頻度で髪を切りますか?

T: 年に1回。僕の髪の毛ってとってもブ厚くて、夏マジで暑いから、空気を入れるためにほんの少しだけ切らなきゃならないんだ。でも冬はスカーフみたいになるしとても暖かいよ。僕らはそうやってサバイバルしてるんだ。