27 November 2017

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| The Aquarium Drunkard インタビュー


2017年11月の”来日”ツアーが好評だった逆輸入バンド「幾何学模様(Kikagau Moyo)」。そんな彼らが最新EP「Stone Garden」のリリースに合わせ、渋谷の喫茶店茶亭羽當(さていはとう)で行ったインタビューを翻訳しました。

【元ネタ英語記事】Kikagaku Moyo :: The Aquarium Drunkard Interview(2017年4月20日)

以下、当サイトによる和訳(前文は省略)



幾何学模様はどんな風に結成されたんですか?

幾何学模様:僕[訳者注:ドラマー兼ヴォーカリストのゴウ・クロサワ氏]がギタリストのトモと出会ったんです。トモは映像で留学しててアメリカに住んでたんですが、帰国して再開して「OK、バンドやろうぜ」ってなったんです。2人だけで。僕はドラムをやりたかったんですが、やったことはありませんでした。トモはギターを弾くって言ってたんですが、本当は弾けませんでした(笑)。それでほとんど毎晩、古いスタジオに真夜中から朝まで籠るようになりました。友人が働いてたからタダで使わせてもらえたんです。エンドレスでジャムをしようとして「2人じゃ何もできない」ってことにすぐに気付きました。たった2ピースで何ができるの?ガレージロック的なガレージとか、サイケデリック、どちらにしてもつまらないかもってなって。

それでメンバーを探そうとしたんですが、僕らは経験のない人間を見つけたかったんです。演奏の仕方は知らないけど、ただ一緒に音楽をやりたいみたいな人。あちこちにビラを貼って、大学に行ってサイケデリックなポスターを作って配ったりしていました。トモなんてあちこち貼り過ぎてトラブルになってましたね。「ダメだよ~、何でこんなにサイケデリックのポスター貼りまくってるんだ!?」って(笑)。で、ある日ベーシストを見つけたんですが、彼は自分のドローンプロジェクト用に自動販売機の音をレコーダーで録音しているところでした。僕らが話し掛けて「何やってんの?音楽やろうぜ」「ああ、OK」ってなって。もう1人のギタリストはトモが通ってるのと同じ大学で働いてたんですが、見た目がすげぇ~変わってて。髭ヅラでロン毛でタバコ巻いてて…。「楽器やる?」「やる、やる、やる」「バンドで弾きたい?」「うん、OK」って。僕らはお互いを全然知らなかったんです。それから僕の弟がシタールを弾くんですが、インドから帰国したんです。こうして僕らは一緒に音楽をやるようになって幾何学模様が結成されたというわけです。

ライブについては、東京だと全くシステムが違うから難しいんですよね。演奏するのにお金払わないといけないんです。30分から35分のセットで300ドルが相場です。数回やって「これじゃ何にもならない」ってなって海外に出ることを決意しました。2週間オーストラリアツアーをやったら事がうまく運び始めました。とあるレーベルからオファーをもらって、2014年レヴィテーション(旧名称オースティンサイケフェス)に出演したんです。

それから最初の1枚は英国のレーベルからリリースしたんでしたっけ?

幾何学模様:1枚目はギリシャのレーベルからです。Bandcampに上げたら見つけてくれて「OK、ウチからリリースしてあげるよ」って言われて「ギリシャ?」ってなりました(笑)。他のレーベルにも送っててサウンドが弱過ぎとか言われてたのに。

大人になる過程で楽器はやらなかったんですか?

幾何学模様:あんまり。ピアノは弾いていました。クラシックピアノです。あと学校のブラスバンドでホルンや金管楽器も。トモはチェロを弾くんですが、バンドはやっていませんでした。

君達の始まりのストーリーって本当に素晴らしいですよね。僕はそんな風に結成したバンドを他に知りません。

幾何学模様:サイケデリックって演奏が巧いとかそういうことじゃなくて、もっと共同作業的なものなんです。メンバーのバックグラウンドが全く違ってて音楽も違うものを聴いている。それをどう融合させるか考えたんです。

バンドとして「自分達のサウンドに伝統的な音楽を融合したい」と考えたんですか?それとも弟さん[訳者注:ゴウ・クロサワ氏の実弟、シタール奏者のリュウ・クロサワ氏]がいるから自然とそうなったのでしょうか?

幾何学模様:自然の成り行きでした。僕の弟は今の音楽を全く聴かないんですよ。インドの伝統的なシタールを学んでいましたから。なのでそれをどう融合させるか考えるのは大変でしたが、どうにか形になりましたね。

幾何学模様のサウンドについてですが、特に初期のものはかなり瞑想的ですよね。それって能力不足のせいだったのかな?それとも…。

幾何学模様:能力不足のせいです(笑)。日本のバンドって総じて技術的に巧いんですが、僕らは本当に演奏が下手だったんです。だから「ごまかしちゃおうぜ」「どうやって?」「ドローンをやればマジで瞑想的な感じになる」。そうすれば、何かテーマみたいなものがあってやってるんじゃないかって思ってもらえる(全員笑)。

スモークマシーンを2台買ったんですが、出し過ぎちゃって観客から僕らが見えなくなってしまって(笑)。笑っちゃいますよね。何回か火災報知器が鳴ったみたいで警察と消防が来て止めていました。凄く怒られましたね(笑)。

じゃあ宗教的アプローチだったというわけではないんですね…。

幾何学模様:違います。でも最初僕らは曲作りの方法を知らなかったんです。「どうやるの?」ってコード進行も知らない。何も分かってなかったんです。それで音楽以外の経験からアイディアを得ようとして、キャンプに行ったり山に数日間籠ったりして楽しく過ごしていました。で、「この経験をどう音楽に変えるんだ?」ってなっても多くのことはできないわけです。だけど、僕らが共有した感覚はこんな感じだったっていうのは確かにある。僕らはまた山に楽器を持っていって、その感覚を曲にしようと楽器を弾いてレコーディングしていました。曲作りについて何も分からなかった頃、僕らはそんな風にして自分達だけの場所でスタートしたんです。

友人から聞いたのですが、バンド名は「数学的模様」って意味なんですよね。

幾何学模様:「幾何学」です。

幾何学模様ですか。可笑しいですね、マスロックをやってるバンドかと思ったら君達がやってることは全然違いましたね。

幾何学模様:(笑)。(バンド名の由来は)僕らが夜通しジャムセッションしてたからなんですよ。昼間だとお金がかかるから夜中しか長時間プレイできなかったんです。さっきも言ったようにスタジオで働いてる友人がいたから、真夜中から朝7時まで、夜しかスタジオに行けなかったんです(笑)。だから超疲れてましたね。働いてからスタジオに入ってジャムセッション。あまりたくさんはできませんでしたね。1音出すだけで精一杯(笑)。で、スタジオを真っ暗にするんです。そうすると睡魔が襲ってくるんですが、ノイズ系のライブを観る時って最後まで音を出し続けてたやつが勝ちみたいなのってあるじゃないですか(笑)。最初に止めて見回したやつが負け。ノイズを出し続ける最後の人間にならないといけない。そんなノリでしたね。だから本当に疲れてる時でもプレイし続けるんです。そしたらヴィジュアルが見え始めちゃって…。暗くて何も見えないから皆んな目を閉じてたんですよ。そしたら瞼に模様がたくさん見えるようになって、その経験を皆んなにシェアしたら「いいね、バンド名は幾何学模様にしよう」ってことになりました。

睡眠不足に起因するサイケデリックな経験ですね。

幾何学模様:そのとおり(笑)。

大人になる過程で、メンバーの皆さんは、今、幾何学模様がやってることに影響するようなバンドを何か聴いていましたか?

幾何学模様:日本のバンドで?

日本でも海外でも。

幾何学模様:僕らって「どんなの聴いてた?」って話そうとしても共通するものが何もなかったんです。で、一緒にやり始めて1年後位に共通項が出始めるようになった。ダウド[訳者注:ライブでセンターに所在するリードギタリスト]はヒップホップを聴いてたし、僕は全く違ったクレイジーなのを聴いてた。トモはパワーポップが好きだし、ガイ[訳者注:長身のベーシスト]はブラックメタル好き。だから僕らのうち2人が同じ音楽を気に入った時は「おい、聴いてみろよ」ってなるんだけど、ダウドが「ヤだよ、好みじゃない」って…。CANとかクラウトロックなら好きなんだけど、そんなでもないとか、ホント難しいんです。



それってバンドが本当にピュアなところからスタートしてるってことだから素晴らしいですよね。無理に作られたものじゃないところが。バンドがスタートした頃は、ただ出来ることをやるっていう音楽への実用的アプローチってことだったようですが。

タイラー・ブローレン(マネージャー):サイケデリックを聴いてたのって多分ゴウだけだよね。

ゴウ:うん。他のメンバーは皆んな全然違うからね。そうでもないか(笑)。

タイラー:でも最初出会った頃、日本のサイケデリックのカッコいいのを、ゴウはたくさん聴かせてくれたよね。Strawberry Pathとか。

ゴウ:Flied Egg[訳者注:原文は「Fried Egg」となっているが、正しくは「Flied Egg」]とか。Blues Creationとか。

タイラー:もちろんFlower Travellin' Bandも。

Strawberry Path?

幾何学模様:うん、70年代のヘビーなサイケ・プログレって感じのバンドです。ギターソロだらけの。音楽を聴き始めた頃、昔の欧米の音楽から聴き始めたから、日本にああいう音楽があるってことを知らなかったんです。90年代のJポップを聴き始めた頃「本当にくだらない」、僕の聴く音楽じゃないって思ったんですが、20才位の頃ああいうのを聴き始めて「日本にもこんなカッコいいのがあるんだ」ってなりました。70年代以降のものですが、今では完全に忘れ去られていますね。

見つけるのは大変?

幾何学模様:本当に大変です。でもああいうバンドは欧米での知名度の方が高かったりするんですよ。Flower Travellin' Bandみたいに、ロックンロール好きなら大抵の人は知ってる。

残念ながら僕は知りませんでした。僕が知ってるのは、主にAcid Mothers TempleBoredomsです。

幾何学模様:Boredomsは80年代後半にノイズバンドとして結成されました。80年代の日本はノイズ戦争の様相を呈していて、誰でも何かもっとクレイジーなことをやれる時代だったんです。Boredomsは大阪出身ですが、大阪は音楽的により極端なんですよ。東京はちょっとお高く留まってる感じ。だからBoredoms以前にはハナタラシのようなクレイジーなバンドがたくさんいたんです。観客にウンコを投げたり、ブルドーザーでライブハウスに来て破壊したり、酒樽を壊して投げたり、クレイジーなやつを誰でもいいから殴りつけたり、放火したり(笑)。小便にゲロ…そういった類の強烈さ。ハナタラシは日本のエクスペリメンタルやノイズのはじまりですよね。








今、皆さんはご自身のレーベルを運営されてるんですよね。日本でそれをやるのって大変なことなんですか?政府から補助金を受けたりしているの?

幾何学模様:いえ、自分達の資金でやっています。Guruguru Brainって名前のレーベルなんですが、東京でいくつかライブをやってみてから設立しました。日本では、通常ライブハウス側に「ウチでイベントやりたいの?ライブのブッキングしたいの」って言われる感じなんですが、それは日本にプロモーターがいないからなんです。日本にはそういったシステムがなくて、プロモーターが存在しないんです。プロモーターのシステムは、メジャーなアーティストだけのものなんですよ。だから普通バンド自身がオーガナイザーになる訳ですが、週末のイベントをやるのに1,500ドル位かかるんです。キャパ100名の小さなハコでもそうです。だから「そんなのアリかよ」って思って他を探すようになりました。タダでライブできるバーとかハコとか何でも。それで東京中50ヵ所以上に電話をかけまくって、とある場所を見つけたんです。“ライブバー”みたいな所で小っちゃくて機材もボロかったんですが、無料でライブさせてくれたんです。そこで毎月サイケデリック・ライブを開催するようになって、今のようなシーンを創り出そうとしていました。

東京近辺だとフツーの地元のバンドのライブでもチケットは2,000円位します。それにワンドリンクプラスして2,500円。高過ぎでしょう。で、ワンドリンクも600円とか700円とかする。東京でも日本国内でも、一度もライブに行ったことがない人がたくさんいるんです。「人生で一度もライブに行ったことがない」っていうのは高過ぎるからなんですよ。だからアンダーグラウンドなままなんです。

そこで、これを変えたいと考えるようになりました。もっとライブに行きやすいようにしたいと。でもそうするには、ライブハウスのシステム全体を変える必要がありました。ライブハウス側が全ての機材やサウンドエンジニアを握ってるわけですから。だからライブハウス側が支払いを要求できるんです。バンドに金を請求できるからプロモーションにも全く関心がない。バンドから金を巻き上げればいいわけですから。で、ライブに来るのはバンドの友達しかいなくて、3人とか(笑)。大体来てるやつもバンドをやってて、友達3人か4人だけ。そうじゃなかったらカノジョ。ショボ過ぎますよね。

キャパ60名位のハコで500円のイベントをブッキングすることから始めました。クールなポスターを制作して日本のバンドをたくさん発掘できたので、「OK、レーベルやろうぜ」ってなってコンピレーションアルバムを制作したんです。無料のコンピレーションです。そしたらアメリカやヨーロッパから寄付がたくさん集まりました。無料だというのに、たくさんの人たちがBandcampで10ドルとか20ドル寄付してくれたんです。そこで僕らは「これはポテンシャルあるな」と考えるようになりました。

アメリカ人の多くが、日本の、あるいはアジアの音楽シーンがどんなものか知りたがっていますが、彼らには分からないわけです。BorisMonoやAcid Mothers Templeは知っていてもそれだけなんです。だからアジアのバンドを欧米のマーケットに売り込むのをアシストしたいと考えるようになりました。それが僕らのレーベルの始まりです。

幾何学模様のレコード以外で何バンド位リリースしたんですか?

幾何学模様:13枚か14枚リリースしましたが、バンドとしては6バンドか7バンドですね。日本中のバンドをリリースしましたし、韓国や台湾のバンドもリリースしました。台湾は2バンド。インドネシア、パキスタン。タイやベトナムも。

大体がサイケデリック?

幾何学模様:そうでもないです。サイケデリックもちょっといますが、ドローン、エクスペリメンタル、フォーク、ドゥーム、スペースロックやエレクトロニックも。ジャンルにはあまりこだわってなくて地域に重点を置いています。お客さんはアメリカやヨーロッパ在住がほとんどですね。

最近まで流通をやってくれる人がいなくて、以前はメールオーダーのみでやっていました。500枚とかプレスしたらあっと言う間に売り切れました。

そうでしょうね。幾何学模様のレコードはDiscogsに上がりまくっててヨーロッパの変わった国に存在してますよね。

幾何学模様:(笑)そうそう。ギリシャとかイタリアとか。

東欧の国々とか。

幾何学模様:セルビアにイスラエル。5枚とか6枚オーダーしてDiscogsで売ろうとする人もいる。

幾何学模様があの位の数でリリースするのって、金銭的にあの位なら出せるからですか?それとも意図的に限定的なものにしているの?

幾何学模様:僕らとしてはソールドアウトにしたいっていうのがまずあります。それに資金的なサポートがないっていうのもあります。工場がヨーロッパにあって日本まで送らなきゃならないから本当に高くつくんです。それでまた(アメリカやヨーロッパの注文先に)送り返すというね。だから流通をやってくれる業者を探すまでは本当にやってる意味がなかったんです。今は工場からアメリカの業者に送るだけでよくなりましたが、メールオーダーもまだやっています。


インタビューに答えているゴウ・クロサワ氏(中央) Photo by SUB-LATION.



レーベル以外の仕事もやられてるんですか?

幾何学模様:僕はレーベルとバンドしかやっていません。でもトモと他の2人はフリーランスで翻訳やアートディレクションをやっています。そういう仕事ならツアー中や移動中でもできますから。だからダウドはいつもコンピューターを持参していますし、ガイはリハーサルスタジオで仕事してます。

東京のスタジオの状況はどんな感じなんですか?たくさんあるの?

幾何学模様:たくさんありますね。渋谷だとたぶん20軒位。機材がすべて揃ってて時間制で借りられるからとてもいいんです。PAまでいて、やりたければそこでレコーディングだってできちゃいます。ギター、ベース、エフェクター、マイクも借りられて必要なものは何でも揃っています。

僕の妻が言ってたんですが、彼女の学生の中に前回の幾何学模様のアメリカツアーを3回観に行った学生がいたらしいんです。多くの人からそのような熱い反応があったのでしょうか?

幾何学模様:そうですね、中にはマニアックなファンもいます。ギリシャはクレイジーで年配のレコードコレクターの人がたくさん来ました…(笑)。英国の観客は年齢層高めですね。年配のサイケ信者。アメリカの観客はもっと若めです。アメリカはロックンロールの国ですよね。僕はそう理解しました。アメリカに住んでた時には分かりませんでしたが、ヨーロッパを周ってからアメリカに戻ると、ロックンロールのヴァイブスがあるのを感じるんです。

日本の観客からの反応はどんな感じなんですか?

幾何学模様:日本ではほぼ2年間ライブをしてなかったんです。2年前Moon Duoと対バンして、それっきりでした。それ以降、海外ばかりでやり続けてましたから。今ちょうど日本ツアーが終わったところなんですが、お客さんが来てくれるか分からなかったので結構ヒヤヒヤしていました。結局、客入りはとても良くて東京の観客は300人ほどでした。皆さんエキサイティングだったし、僕らは長いジャムセッションをやりました。





今でも日本での僕らの知名度は低くてレコードも売ってないんです。下北沢にJet Set Recordsっていうのがあるのですが面白かったんですよ。僕らがコンタクトしても返信がなかったのに、ウェブサイトを見たらアメリカからの僕らの輸入盤が売られてたんです。

もっと日本でライブをやりたいとは思うのですが、あまりたくさんやりたいという訳でもないですね。東京、ロンドン、ニューヨークみたいな大都市をグローバルな視点で見てみると、ロンドンで1年に2回ライブするとして、東京がベースだってだけでここで7回やらないといけないってことにはならないですよね。

東京だとどんな場所でライブしてるんですか?

幾何学模様:渋谷O-NESTです。ここから近いですね。2階建てになってて、上階がレストラン併設のバーエリアでDJもあって、下の階がライブ会場になっています。

東京で気に入ってるバンドは何かありますか?

幾何学模様:僕らはMinami Deutschってバンドと一緒に住んでます。「南ドイツ」って意味でクラウトロックのバンドです。1枚目のアルバムではモトリックだけ演っていました。ニュービートですね。去年1度ヨーロッパでツアーをやったんですが、もう1度やる予定なのでチェックしてみて下さいね。

そのバンドも君達のレーベル所属なんですか?

幾何学模様:
はい、僕らもMinami Deutschの曲をリリースしていますが、ヨーロッパのレーベルからもCDが出ています。

彼らのレコードもソールドアウトしているの?

幾何学模様:はい、でもリイシューする予定です。

他には?

幾何学模様:Dhidalahですね。DhidalahもGuruguru Brain所属でもっとヘビーでドゥーミーなスペースロックのバンドです。21分、1トラックみたいな。ウチから10インチをリリースしていますが、片面1トラックで2トラックのみです。




月にまたツアーされますよね?新曲は何か予定されてますか?

幾何学模様:はい、EPをリリースします。アメリカツアー前の4月末に発売予定です。去年プラハでスタジオに入る時間が2日あったので、2日間通ってジャムセッションしました。まだよく聴いてないのですが、その時の全トラックをプロデュースやミキシングをお願いしている友人の一人に託しました。彼は「OK、この2日間のトラックだけ使って全部作るよ」って言ってくれて、それぞれ違うトラックを使って曲にまとめてくれたんです。エクスペリメンタルですが、もっとヘビーなものに仕上がっています。やってみたかったんですよ、バンドを結成した頃って、あるのはエネルギーだけじゃないですか。細かいこととか気にしてなくて何も分かっちゃない。このEPでは、再びそういうエネルギーを生み出してみたかったんです。だからもっと生っぽいサウンドに仕上がっていると思います。

幾何学模様がたくさんってことですね?

幾何学模様:そのとおり。

20 November 2017

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| The Japan Timesインタビュー



【元ネタ英語記事】 Psych-rock act Kikagaku Moyo makes a virtue of DIY and keeping it ‘sloppy’ (2017年10月17日)The Japan Times

以下、当サイトによる翻訳


彼らの2017年度ツアー日程を見てみると、幾何学模様が日本人のバンドであることは容易く忘れてしまうだろう。サイケデリックロック5人組である幾何学模様は、今年の前半、北アメリカでのライブ26本達成後、最近ほぼ50日間に渡るヨーロッパツアーの第2レグを完遂させた。それに較べると来月の日本ツアー5日間はちょっと駆け足ではある。

幾何学模様は厳選された日本人アクトのひとつとされており、バンドの自国より海外でかなり多くのファンを率いている。Acid Mothers Templeの如く、未だ1973年であるかのようにエネルギッシュにプレイする長髪の日本人グループに対し、海外から確固たる需要が存在することを幾何学模様(バンド名の訳は「geometric patterns」)は発見済みだ。しかしながらバンドのドラマーであり事実上のスポークスマンであるGo Kurosawaは、”異国からのアウトサイダー”と見られれるのは避けたいと強調する。

「それだと、もっと“日本的なもの”になってしまう。僕らはそっちのカテゴリーには入りたくなかった。本当の意味でシーンに巻き込まれたかったんです」。

彼は本気で言っているのだ。渋谷区のカフェで会った時、Kurosawaは、ギタリスト兼ヴォーカリストであるTomo Katsuradaと共にアムステルダムへ移住する直前だった。他のバンドメンバー  ーリードギタリストDaoud Popal(当インタビューの一部に参加)、ベーシストKotsu Guy、シタールプレーヤーでGoの弟であるRyu Kurosawa - は東京に残る予定だ。

「5年間、音楽をやりながらサラリーマンみたいに働いていましたが、何か行き詰っまってしまったんです」。Kurosawaは東京での生活についてそう語る。「クールな場所でまぁ快適ではあるんですが、安全地帯から抜け出してみたかったんですよね」。

2012年結成後、幾何学模様は高円寺や高田馬場でストリートパフォーマンスをしながら、またリハーサルスタジオでの深夜のセッションや片田舎の保養地で、そのヘビーで即興的なサイケデリアを研ぎ澄まし、ゆったりと何に縛られることもなく進化していった。Ryuこそインドでシタールの教祖Pandit Manilal Nagに師事していたものの、音楽的熟練は彼らにとってそれほど大切なものではなかった。彼らは技術者というよりはむしろ探究者だったのだ。

「テキトーな感じのバンドが好きなんですよ」。Kurosawaは語る。「だからサイケデリックロックが好きなんです。下手クソでも良いバンドだったりしますから」。

東京のライブシーンがどんな風に回っているのか、メンバーの中に十分な経験がある者はいなかった。また彼らにとってその最初の経験は、嫌な現実を突きつけられるものだった。Kurosawaは従来型のライブハウスでの初期のライブについてこう振り返る。「ライブ後、ハコの人が『ああ、すごく良かったよ。じゃ3万円ね』みたいな感じで。僕らが『マジかよ!』ってなったら、あっちは『金払わなきゃダメだ』って」。

このように演奏するために支払いをするシステムは、日本でノルマとして知られており、多くの若いミュージシャンを”ライブハウス”界隈から遠ざける結果となっている。代わりにあまり経費のかからない格安の会場でライブを企画するか、リハーサルスタジオでやることさえある。2013年から2014年にかけて、幾何学模様は金に厳しいミュージシャンの行きつけである渋谷のRuby Roomで東京サイケフェスを主催していた。ショーは安価で日本語と英語でプロモーションしたものの、バンドとしてもっと勢いをつけたいともがいていた。

「行き詰まりを感じていましたね」。Kurosawaは語る。「インパクトを与えるには小さ過ぎたしアンダーグラウンド過ぎたんです」。

また、東京でアンダーグラウンドなロッカーでいることが、最もセクシーな職業だとも思えなかった。

「普通の女の子に『あ、僕バンドにいるんだ』って言ったら大体は『OK、じゃあアナタとはデートしたくない』みたいな感じ」だとKurosawaは語る。「東京じゃお笑い芸人の方がミュージシャンよりカッコいいんです」。

「ガールフレンドがいてその子をライブハウスに連れていくと、大体いいデートスポットとは言えない」。Popalは言う。「狭過ぎるし煙た過ぎるしステージ以外何も見えない。ちょっと退屈なんです。会話する場所もないしね」。

日本の音楽シーンの制約に苛立っているうちに、幾何学模様はすぐに国境を超えたファンを獲得していった。バンド名を冠したデビューアルバム - 最初はBandcamp経由で 、その後アナログ盤としてギリシャのレーベルCosmic Eye Recordsからリリース - は、2013年2週間に渡るオーストラリアツアーへの道を開いた。その翌年、バンドは最初のUSツアーに乗り出し、有名なオースティンサイケフェスへの出演を果たした。

Kurosawaは、バンド自らの手によってUSツアーをいかに企画したか解説してくれた。ライブ手配のため様々なバンドに直接コンタクトを取り、ヴァンをレンタルし、機材を購入、そしてまたリセールし、時には出演料の交渉の為、偽の”マネージャー”のフリをしたことさえあったという。

「日本のバンドの多くは『僕らの仕事は音楽をプレイすること』って思ってるんです」。彼は語る。「DIYがクールだって考えてるヤツなんていない。大きなレーベルと契約することだけがゴールなんです」。

彼はこのことを、彼自身が海外で出会ったもっとビジネスに精通したインディーズミュージシャン達と比較する。幾何学模様が真似ているのはそのような人々のやり方である(Kurosawaが少しの間レーベルを手伝っていた日本人バンドBorisの例に従い、今や幾何学模様はアンプや機材をヨーロッパと北アメリカに所持しており、ツアーの主だった出費の一部を削減している)。

幾何学模様は自身のレーベルGuruguru Brainから音源をリリースする傍ら、海外のレーベルにもアルバムをライセンシングし、コレクターのためのアナログ盤やカセットテープをリリースしている(美しくもドローンな2014年のEP<Mammatus Clouds>からスタートするのが良いだろう)。

Guruguru Brainはアジアの様々なアーティストによる音源もリリースしており、台湾のドローンデュオScattered Purgatory(破地獄)、パキスタンのサウンド制作者Nawksh、ベトナムのアシッドフォークシンガーJ. William Parker等がいる。KurosawaとKatsuradaは新しいベースとなるアムステルダムをこうのようなアーティストのヨーロッパツアーを実現させるために利用しようと考えている。

「Guruguru Brain所属の全バンドが西洋のロックカルチャーに貢献出来ると考えています」。レーベルの運営には関わっていないものの、Popalはそう語る。「彼らは自分達だけの何かを持っているんですが、それは現在のインディーロックシーンには存在しないものです」。

「アメリカのインディーバンドとそっくりなサウンドのバンドなら日本にたくさんいるんです」。Kurosawaは言う。「でもそれじゃ聴く意味ないでしょう。しかも英語で歌ってるし…」。

「ただ見た目が違うだけだよね」。Popalが口を挟む。

「タイのバンドを探してた時、Mac DeMarcoみたいなサウンドのバンドがいっぱいいたんです」。Kurosawaは続ける。「英語も上手いんだけど、でもだから何?タイ語で歌えよ!ってね」。

1 August 2017

The Strypes (ザ・ストライプス) | Ross & Evan (ロス&エヴァン)インタビュー



【元ネタ英語記事】 The Strypes Interview (2017年7月18日)The Seventh Hex

以下、当サイトによる翻訳



爆発的な勢いを誇るアイルランドのバンドThe Strypes(ザ・ストライプス)がサード・アルバムと共に帰ってきた。ウェールズにある伝説のスタジオ「ロックフィールド・スタジオ」で、プロデューサー Ethan Johns(イーサン・ジョーンズ)(Kings of Leon、Laura Marling、Ryan Adams等とも共作)とレコーディングした作品である。アルバムのトラックは全て、当スタジオでリハーサルし、メンバー4人全員で生演奏/生歌で一発録りしたものであるが、ほとんどのトラックは全員が満足のいくトラックを録るのに、ほんの数テイクしかかからなかった。その瞬間的な生音や彼ら独自の直感的エネルギーは、「Spitting Image」を特徴づけているだけでなく、レトロな曲のマニアだった時代に別れを告げ、新しいニューウェーブ・ポップ・サウンドを祝福するかのようなバンドの方向性をも象徴している。本作は時代を遡っているかもしれないが、それは音楽への愛情がそうさせたのであり、決してクールな存在になりたいという欲望によるものではない。我々はバンドメンバーのEvan Walsh(エヴァン・ウォルシュ)Ross Farrelly(ロス・ファレリー)に、個人的経験から生まれるバンドの原動力や、Conan O'Brien(コナン・オブライエン)[訳者注:アメリカ合衆国のテレビ司会者] について聞いた。


これまでバンドがとても自然に進化し続けていて、順応性があることについて満足していますか?

Evan: うん、嬉しいことだね。メンバー間の音楽的パートナーシップって、意識的なものじゃなくてシームレスなものなんだ。たぶんお互い長い付き合いだっていうのがあると思う。仲間とのつながりで仕事する以外、他の働き方を知らないからね。僕らの間に生まれる原動力はいつも安定してるけど、自分達の音楽スタイルに変化が見えるのって本当にクールなことだと思う。このアルバムでは、Elvis Costello(エルビス・コステロ)みたいなパンクやニューウェーブ的なサウンドに寄せてみたんだ。今自分達が興味があるものって、必ず音楽に現れてしまうものだし、僕らのサウンドを決定づける鍵でもあるよね。

最新作「Spitting Image」ではプロデューサーにEthan Johns(イーサン・ジョーンズ)を迎えています。Ethanがアルバムの総指揮をとったことで、どんな良い面がありましたか?

Evan: Ethanは素晴らしかったよ。彼がいると何もかもが自然に進むんだ。それに曲作りについて僕らには、このアルバムではこうしたいっていうクリアなヴィジョンがあった。去年、このアルバムの曲作りにほとんどの時間を費やしたから、Ethanとスタジオ入りした時は本当に楽しかった。やりたいことを自由にやらせてくれたし、作りたいアルバムを作るのをアシストしてくれた。彼とは波長が合ったから、心が通じ合ったって感じだったね。

Ross: うん、僕らはたくさん曲を用意してたんだけど、Ethanがそれを仕上げるのを手伝ってくれた。僕らの中から最高のものを引き出すのがとても巧いんだ。

歌詞で言おうとしていることについては、要約するとどんな傾向がありますか?

Evan: 正直、僕らが現代のことについて歌うことってなくて、もっと個人的な経験から歌詞のヒントを得てるんだ。大体は自分達の生い立ちや環境から来るもので、特に一緒に育った人間とか、これまで日常的に関わり合いのあった人達とかからだね。

Ross: そう、僕らの人生観って70年代で止まっちゃってるから。

Evan: ハハ!そうだね。僕らはアイルランドの田舎に住んでるから、ロンドンやニューヨークに住んでたとしたらこういう物の見方をしただろう…っていうのとはちょっと視点がズレてるよね。本当にシンプルで素朴な経験をして育ったから、そういうのがこの最新アルバムにもよく出てると思う。

実家に留まってその恩恵に感謝するのが大切と…。

Evan: 確かに。僕らは強い人間性を持ってるってことを重視しがちだから、メンバーの中でも他人に対しても、バカげた行動にハマったりはしないんだ。僕らって「それはくだらない」ってすぐ思っちゃう方だから。今、バンドを取り巻くくだらないことってたくさんあるし、音楽業界の人達の中だってそう。大体、僕らは全員ずっと家にいるタイプの人間だしね。僕らってホントにそういう人間なんだから仕方ないさ。

「Grin and Bear It」[訳者注:「笑って耐えろ」の意] という曲はどうして生まれたんですか?

Evan: あの曲は、昔に遡ったちょっと複雑な曲なんだ。僕とPete(ピート)の共作なんだけど、デモ音源に落としたコード進行があったから、大体、曲のアイディアっていうのはあった。歌そのものは僕らの母親世代の女性についてで、僕らの両親って70年代や80年代の世代で、特にアイルランドだと、ある特定のクラスの人達は人生でたくさんの困難について我慢を強いられてた。その時代、結婚だとか出産だとかは人生の早い時期に経験してしまうものだったから、自分が一体何をしたいのか、自分が誰なのかさえ分からないまま…みたいな女性もいた。そういうことに気付く前に、人生の多くのことが過ぎ去ってしまっていたんだ。でもそんな母親達には、人間を育て上げて人格形成させる責任があった。だからこの曲は、そういう大変さとか、家族のモラルや揺るぎない価値観の為に母親が払った犠牲に対するトリビュートなんだ。

あと「Turn My Back」のような曲の中心にあるのは何なのでしょう?

Evan: あれは僕が作曲して、家でデモも録った。あの曲についてはっきりしてたのは、シャウトするようなコーラスにしたかったってこと。アイディアとしては、騒々しくてガタガタしててパンクなロックンロールを作ること。スピードが速くて動きまくってるってことが肝だった。



アメリカ横断ツアーをしながら車で移動するのってどんな感じでしたか?

Evan: 素晴らしかったよ。あのドライブは僕らが経験した中で一番ハッピーな時間のひとつだった。アメリカの道路や景色を見てるのはとても面白かった。

Ross: それに僕らがアメリカで成功したってことも信じられなかった。だってアメリカに行ったことさえなかったんだから。名も知られてないバンドがアメリカで観客とあんなに良い経験をしたってことが素晴らしかったよ。ニューヨークやロサンゼルスではクールなギグも出来た。

Evan: Letterman(レターマン)[訳者注:Late Show with David Letterman。アメリカCBSで放送されていたトーク・バラエティ番組] とConan(コナン)[訳者注:Conan O'BrienによるケーブルテレビTBS放送のトーク番組「Conan」] でもプレイした。変な感じだったけど、同時に素晴らしい経験でもあったね。

Conanにも会ったんですよね…。

Evan: うん、会えて嬉しかった。とてもいい人だしね。Conanはザ・シンプソンズの脚本を書いてて僕らは大ファンだったから、彼に会えてとても興奮した。

過密なツアーの間はどうやって集中力を保っていますか?

Evan: ツアーに出てる時って毎日がとても短いんだ。ツアーって酷くストレスフルなものにもなり得るけど、僕らは笑いを忘れないようにしてる。自由時間は少ないし、ライブ会場での待ち時間も多いけど、僕らはちょっとでも時間があったら、トランプするか映画を観るかしてる。他に重要なのは、お互いに干渉しないこと。こんな風に頭突きしたりしないようにね!

バンドっぽい見た目でヴィジュアルが良いこともThe Strypesにとって大切でしょうか?

Evan: うん、バンドマンにとって一番大切なことのひとつだね。僕にとっては、ほぼ音楽と同じくらい大切。楽曲に内容が伴ってるってことももちろん大切だけど、ビジュアル的に自分を説得力のあるものに見せるべきだと思う。どんなタイプの芸術であれクリエィティブであれ、完璧なプロジェクトにしたいよね。僕らだってあらゆる面で基準を満たすバンドでありたい。最近だと、全部の面でイケてるってことはバンドに期待されてないのかもしれないけど、何か大切なものであることは間違いないと思う。The Who(ザ・フー)、The Jam(ザ・ジャム)やDavid Bowie(デヴィット・ボウイ)を見れば分かるけど、彼らみたいなアーティストにはしっかりしたイメージがある。特徴のあるヴィジュアルが、バンドのアイデンティティーにとって重要なのは間違いないよね。

数年前、若いファンが呪いの人形をくれたそうですが、未だにそれはこれまでもらったプレゼントの中で一番変わったプレゼントですか?

Evan: うん、未だにあれは僕らがもらった物全部のうちで一番変わったプレゼントだね。あれもらったの、バーミンガムだったと思う。僕の人形は長いことジーンズの後ろのポケットに入ってる。どうりでずっと首が痛むはずさ。


 The Strypes - Great Expectation



最近「Rock Against Homelessness」でも演奏されましたよね。自分達がスポットライトを当てたいと考えている問題について世間の認知度を高めるのは、君達にとって重要なことですか?

Evan: もちろん。アイルランドで「Rock Against Homelessness」がスピーディーに成長していってるのは本当に嬉しいよ。自分達に出来ることをして世間の認知度を高めるのって、どんな立場にいても大切なことだと思うよ。僕らがとても大切に思ってるチャリティーには「Teenage Cancer」もあるけど、僕らは注目を集める必要があるものを世間に広めたいと思ってるだけさ。

充電したりリラックスすることには時間をかけていますか?

Evan: 変なんだけど、僕って1分でも時間があったら必ず音楽に関することに使っちゃうんだ。映画を観るにしても何か音楽に関わる作品だし、読書するにしても多分誰かの伝記なんだよな~!

Ross: 正直、僕も同じ。でも僕は写真を撮るのが好きだから、大体自然の中に出掛けることが多い。

これからバンドが好調に成長していくには何が一番大切でしょう?

Evan: バンドが結構スムーズに前進してるのは好ましいことだと思ってる。アルバム3枚共それぞれ全然違うけど、1枚1枚違った目標があったわけだし、それぞれに違った深みがある。要するに、僕らがミュージシャンとして成長して、個人として成熟して、リリースするレコードを高いクオリティーを保ったものにしたいって願うだけさ。


8 July 2017

The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)について知るべき6つのこと


【ネタ元英語記事】 Six Things to Know About Teen Sensations the Lemon Twigs (2016年10月19日)

以下、当サイトによる翻訳



The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)は、2016年に出現したバンドの中でも最も気になるバンドのひとつである。ニューヨーク州ロングアイランド出身のこのバンドは、Brian D'Addario(ブライアン・ダダリオ)とMichael D'Addario(マイケル・ダダリオ)の二人兄弟から成り、彼らは類い稀なる音楽的才能を誇る神童なのである。時代に逆行したエキセントリックなヘアスタイルや衣装のせいで、アヤシイ少年との印象を受けてしまうかもしれないが、デビューアルバム<Do Hollywood>(4ADからリリース済)が示すとおり、彼らはただ自分たちの才能に全力投球しているだけなのだ。

先日、「Exclaim!」はThe Lemon Twigsの全てについて知るためD'Addario兄弟と話をすることができた。



10代のセンセーション「The Lemon Twigs」について知るべき6つのこと:



6. The Lemon Twigsは小学生の時から一緒に演奏を始めた。

まだティーンエイジャーだというのに ― Brianは19才、Michaelはたった17才 ― 二人はもう10年もバンド活動をしている。

「最初のバンドは小学校の3年か4年か、5年生とかで始めた」、Brianは認める。「とあるバンドを学芸会でやったんだけど、それからもっと真面目にやるようになって…。“MOTP(Members of the Press)”ってバンドだったんだけど、もうその名前は他のバンドに使われてた。ほとんどカバーソングをやってたんだけど、それから時々曲作りをして発表したりしてた」。


MOTP(Members of the Press)


The Lemon Twigsは10代になってから結成した。「Michaelが14才、僕が16才の時」だとBrianは言う。「Michaelには素晴らしい曲作りの才能があって、自分で曲を書いて歌ったりしてたんだけど、それって僕の曲には欠けてることだったんだ。Michaelの曲を聴くまで、僕はひとりで曲作りをするのに夢中で弟のことは分けて考えてた。でもMichaelの曲を聴いてから彼の助けを借りない手はないと思ってね。それから僕らのコラボレーションが本格的に始まったんだ」。


5. The Lemon Twigsは音楽一家の出身である。

彼らの父親であるRonnie D'Addarioは、優れた作曲家であり、セッションミュージシャンであり、またプロデューサーでもあり、1970年代~1980年代にかけて活躍していた。父親のThe Beatlesに対する愛情は、The Lemon Twigsがようやく歩けるようになった頃には、既に受け継がれていた。一方、彼らの母親は音楽を鑑賞する方法を教えた。

「父親からかなり影響を受けたけど、母親からもそうだよね」、Brianは語る。「母親は歌が巧くて、まだ幼い頃から兄弟でハモることを教わったんだ。でも父親ははミュージシャンだから、歌はポップであるべきだけど、そこにはある程度の深みもなきゃダメだって考えで…。メロディーと一緒にコードを付ける時は特にそうだった。コードは最初に思い付くものを使っちゃダメなんだ。シンプルなコード進行を避けられるなら、そうすべきだって教わったんだけど、成長しながら父親の音楽の中に父が言ったとおりのことを感じてた。僕らは父親を本当に尊敬してるし、母親からの影響も大きいんだ。ウチの母親って、音楽のこととなると決して飽きることを知らないから…。複雑な音作りをする努力は大事だけど、他の音楽をくだらないって全否定すべきじゃないって。だから母親からは他の違ったタイプの音楽も愛するよう教わった」。


4. D'Addario兄弟は子役として有名だった。

The Lemon Twigsの誕生以前、兄弟は二人とも子役として活躍していた。兄Brianは、ニューヨークで「Law & Order:性犯罪特捜班」「CSI:科学捜査班」のエピソードに出演していた。一方、弟Michaelは兄よりさらに成功しており、「Sinister(邦題:フッテージ)」ではEthan Hawkeの息子役、「People Like Us」ではChris Pineの疎遠な甥役という重要なポジションを演じていた。D'Addario兄弟によれば、演技をした経験は音楽でのキャリアをスタートさせる良い準備になったという。


「People Like Us」 - Michaelの役名は“Josh”


「パフォーマンス面から言うと、ステージ上であまり緊張しないよね。台詞を覚えたかったらあんなに小さくてもちゃんとしてなきゃならなかったから」、Brianは言う。「たくさんのことを無意識にやる方法を覚えるんだ。それで間違いを防げるようになる。どうしてそうなるかっていうと、毎日同じセリフを繰り返し練習しなきゃならなかったから」。

彼らのどちらも“演劇の虫”を完全に捨てたわけではなさそうだ。「間違いなくThe Lemon Twigsはフルタイムのプロジェクトだけど、将来また役者に戻りたいって僕らは思ってる」、Brianはそう付け加えた。「演じることと僕らが音楽でやってることの間に何かつながりがあったらクールだよね。昔よくロックンロール映画みたいなのがあったけど、そういうのをやれたらカッコいいかもね。もちろんThe Beatlesの映画と較べたらかなり小規模になるだろうけど」。


3. The Lemon Twigsのニューアルバム<Do Hollywood>はデビューアルバムと言われているが、実はそうではない。

2014年、The Lemon TwigsはWinspearから限定版のカセットテープ<What We Know>をリリースした。100個限定のリリースであり、バンドはまだ自分たち独自のサウンドを追求している段階だった。


The Lemon Twigs - What We Know


「<What We Know>は僕らが作りたいと思ってた音楽で、<Do Hollywood>は実際僕らが作りたい音楽」、Brianは説明する。「<What We Know>をやってすぐ、サイケデリックバンドになりたいっていうゴールを達成できてないことに気付いたんだ。それにサイケデリックバンドっていうのが自分たちにはしっくりこないってことも分かった。<Do Hollywood>の制作で曲を書いて2年経ったんだけど、今はこっちの方がいいって思える。それにに気付けたってことが重要だったと思うんだよね」。


限定100個のカセットテープ(もちろんSOLD OUT)



2. <Do Hollywood>はFoxygen(フォクシジェン)のJonathan Rado(ジョナサン・ラドー)がプロデュースした。

<Do Hollywood>収録曲はすべて、彼らがRadoと共にスタジオ入りし、作曲・アレンジしたものである。Radoは、ごく最近Whitney<Light Upon the Lake>もプロデュースしている。


The Lemon Twigs - These Words


「デモ音源には1曲1曲愛着が湧くものだけど、フル音源を通しで聴いた時、Radoが全体的なサウンドに貢献してくれてるのが分かったんだ」、Brianは言う。「完成版の方が断然いいと思ったよ。彼はプロデューサー以外の何者でもないんだ。だって、レコーディングのサウンドに関して、すごく責任を負ってたわけだしね。ドラムやギターのサウンドもそうだし、各パートにどんなシンセサイザーを使うかとかも分かってるわけだし。僕ら二人が安心していられて、レコーディングについてのアイディアが僕らと同じっていうのもとても重要だったよね」。


1. The Lemon Twigsは二人とも<Do Hollywood>で曲を書いているが、一緒には書いていない。

BrianとMichaelは、ソングライティング作業を二人でシェアしているものの、一緒にはやらなかった。実際アルバムでは、それぞれの曲が交互になるようアルバムに収録されている。

「それって僕らがスゴいエゴの持ち主だってことなんだ」、Michaelは言う。「そうじゃないなら、当時僕らがもっとスゴいエゴの持ち主だったってことかな。もう一人の曲なんてやりたくないってお互い思ってたんだ。二つの別々のバンドでいたい…みたいにさ。でもBrianの曲も自分の曲と同じくらい好きだし、だからソングライターは一人より二人いた方が、良いバンドって言えるんじゃないかって僕らは考えたんだ」。




だが、<Do Hollywood>の完成以来、彼らのソングライティングのプロセスは変化している。今や二人はコラボレーションするようになったのだ。「うん、アルバムが完成してからすぐのことだよ」、Michaelはそう認める。「偉大なソングライターの多くが共作してるし、その方が簡単なんだ。まぁ簡単になり過ぎる場合もあるけど…。自分以外の人間に影響され過ぎる場合もあるから、僕らが共作するのは限られてて、同時にひとつのアイディアが浮かんだ時か、曲作りに煮詰まってる時に同じ答えを見つけた時だけなんだ。曲を作ってて流れるようにうまく行ってる時、他の誰かのエネルギーを注入したいなんて僕は思わないよ。だってホンモノの曲って多分、ひとりの人間のヴィジョンについてのものだと思うんだ。だから共作について僕らは、元々良いアイディアだとは思ってなかったけど、今じゃ良いかもって思ってるって感じに近いね。僕らは高慢過ぎたんだと思うよ。今はもう共作のメリットも分かってる」。



1 July 2017

ストライプス(The Strypes)インタビュー|The Sunday Times(2017年6月4日)



【元ネタ英語記事】 Lean, mean writing machine (2017年6月4日)The Sunday Times

以下、当サイトによる翻訳


 
The Strypes(ザ・ストライプス)は目新しい存在のティーンエイジャーからタイトなポップパンクを演奏する大人へと進化を遂げた。が、キャバン発のこのバンドにとって、その変遷は決して容易なものではなかった。The StrypesがTony Clayton-Leaに語った。

-------------------------------------------------------------------------------------------------

「動物や子供と一緒に出演するな」とは、昔からショービジネスの世界で言われてきたことである。よく知られた格言ではあるが、両者は予測不能な生き物であり、わんぱくな振る舞いをしがちで、眠って欲しい時に決して眠ることはない。

そんな言葉もキャバン出身のバンドThe Strypesが2010年に現れた頃には真実味があった。その年のLate Late Toy Showで、とっくに思春期を過ぎたような大人のリズム・アンド・ブルースをプレイした時、メンバーは4人共まだ13才か14才。同年代のバンドなら皆そう見えるだろう年相応のルックスをしていた。目新しくもあり、操り人形のようでもあり、また両親のレコードコレクションの影響の集大成のようにも見えた。まだ幼かったので仕方ないのだが、大人たちの困惑した気持ちは理解できていなかったようだ。

では今はどうなのか?21才のギタリストJosh McCloreyは、その物腰から「ロックスター」の風格がにじみ出ており、腕にはタトゥーが点在している。右腕には「未来は暗い」と刻まれ、左腕にはキャバンの紋章が見える。一方、20才のドラマーEvan Walshは、まるでMalcolm McLarenが1976年にあつらえたようなスマートなスタイルだ。つまり学校の授業は終わっているのだ。それも永遠に。

教科書を捨て去ることになる日は、早い段階でやってきた。2012年4月、デビューEP「Young, Gifted & Blue」によってElton JohnがオーナーであるRocket Musicとのマネージメント契約を取り付けた。その後、レコードレーベルの争奪戦が勃発。同年末、The StrypesはUniversal Music Groupの一員であるMercury Recordsと契約する。それ以来、大学進学のような古風な考えに迷っている暇はなくなった。急速に変化していく音楽業界の中で、バンドメンバーが成長するスピードは、恐らくあまりに早過ぎたのである。

The Strypesにとってティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった


「この4年間、音楽業界にどう対処すべきか学習したんだ」。そう語るMcCloreyは、謙遜してみせたり、スマートなユーモアのセンスをみせたりと、今やベテランのミュージシャンの趣だ。「ダブリンで小規模なライブをやり始めた頃、僕らは全員ヴァンの後部座席にいて、特に頭を使うこともなくて楽チンだった。ただ曲を演奏してればいいだけの話だったから。でも段々と業界にどう対処していくか学ばないといけなくなった。家から遠く離れなきゃならないとか、そういうこと全般についてだね」。

10代のバンドであるにもかかわらず、反X-Factor的なポップスや、ブルーズ、リズム・アンド・ブルース、激しめのソウル、プロトパンクのような古めかしい音楽スタイルを選んでいだことも厄介だった。1960年代初頭~半ばにかけてThe Yardbirds、The Pretty Things、The Who等によってプレイされたような音楽のことである。低年齢であるという理由から、親たちが音楽を学習させ、演奏できるよう過保護に育てたのではと見られがちというのもあった。Evanの父でありThe Strypesのツアーマネージャーを務めるNiall Walshは、1980年代、キャバンのポップパンクバンドThe Fireflysのメンバーだった。ちなみに、このバンドのローディーはMcCloreyの父である。

「僕らが音楽にのめり込むよう仕向けられたって思われてるけど、それは違うんだ」。Evan Walshはソフトな口調で話す。Walshの下襟はパンク音楽のバッジで飾られている。その口調は弁明しているというよりは本当のことに聞こえた。「僕らは両親のレコードコレクションから気に入ったものだけ選んで聴いてたけど、それの何がいけないのかな?このバンドのこのレコード持ってないのかって質問しまくって両親を困らせてたのは僕らの方なんだ。子供ってだいたい親の好きな音楽に反抗するものだけど、僕らはラッキーだったよね。実際、僕の場合だと、家族皆んなでそれぞれ好みの音楽について話したりしてるからね」。

The Strypesがプレイする音楽のジャンルが、バンドのスタート当時から混乱の原因だと見られていたことについて、Walshは否定しなかった。「幼い4人が演るような音楽じゃなかったよね。でも僕らはあそこから成長していったんだ」とWalshは言う。McCloreyによれば、初期のThe Strypesに起こった現象は、ほとんどのバンドに起こり得ることを反映しているいう。「最初は皆んな、昔、自分たちが聴いてたミュージシャンのサウンドに似てしまうものだけど、どのバンドも次第に成長していく。典型的な例がThe Who。1960年代初めにノイジーなブルーズバンドとしてスタートしたんだけど、その後どう成長していったか見てみてほしい」。



サードアルバム「Spitting Image」[訳者注:生き写し・そっくり・完全な類似の意] ― 確実に評論家たちが喰いつくであろうタイトルである ― リリースを間近に控え、バンドはより広範囲にそのスタイルを発展させていた。4年前の小生意気なバンドは、無駄はないが熱量は失わない有望なバンドへとその姿を進化させていた。その“テンプレート”は、スーツとブーツ着用のリズム・アンド・ブルース・スタイルからコマーシャルでタイトなポップパンクへと変貌している。Elvis Costello、The Attractions、The Jam、Nick Lowe、Buzzcocksといった、よりスマートで洗練されたパンクの影響が溢れ出している。しかしながら、かつて明らかに借り物に見えていたものが、今や自然な進歩のひとつとして認められるようになっていた。初めて全ての楽曲を自分たちで作詞したおかげで、The Strypes自身のものになったように感じられるのだ。The Strypesは未だ進むべき道を模索中ではあるものの、その地盤は固まりつつあるようだ。「それが16才と21才の違いさ」、Walshは断言する。「客観的に言えば、僕は古い曲の方が好きだけど、人生の大事な時期に当然人は成長していくものだからね」。

だが、ティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった。衆人環視の中で ― それはダブリン、ロンドン、東京あるいはキャバンだったりするのであるが ― 成長するのは容易ではないことをWalshとMcCloreyは共に認める。「あんなにたくさんの人にああだこうだ言われたら絶対影響されるよね。だけどそういうのを経験して、気にしないようにすることを学習するものなんだ。今じゃ自分が耐えられることと耐えられないことが分かるようになった。…って言っても、自分は今でも同じ人間だからね。16才の時の自分がどんなだったか考えるのは難しい。Facebookの思い出や自分の写真を見て、何やってたんだぁ~?ってなる。で、今から5、6年後、21才の時の自分を振り返ってまた同じことを言うと思うんだ。16才の頃の自分は、あらゆることについて確信を持ってた。自分がどういう奴なのかは今も良く分かってる。前よりいろんなことに対して知識があるし、人の言うことも前より絶対聞くようになった」。

Walshの評価も同じである。「これまでに起きたことって、僕の人生の中では出来るだけさっさと終わらせてしまいたい時期だったんだ。で、結局そういう風になったんだけど。何でもいいから人生に別のオプションがあれば良かったっていうような願望もあまりなかったから、僕らはどっちの世界のいいところも経験したってことだよね」。他のバンドメンバーや友人達と同じで、Walshもまた、あれこれ言われたり「ライブ演奏以外で注目の的となること」に乗り気ではなかった。「僕にはそういうのってしっくりこなかったんだ。もう気にしなくなったけどね」。

音楽業界からの要求や気まぐれはあれど、The Strypesの少年から大人へのストーリーには良い面もあったとMcCloreyは言う。「テストのプレッシャーもなかったし、大学へ行ってキャバン以外に住まなきゃならないってプレッシャーもなかった。それに今も子供の頃と同じ友達がいる」。キャバンを拠点としてツアーに出掛けることはできるが、その逆は不可能であることは、このギタリストの腕に刻まれたキャバンの紋章のタトゥーを見れば明らかである。「ニューアルバムの曲は全部、家で書いたんだ。ロンドンに住んでないって言うと皆んな驚くけどね。僕らはキャバンに住んでるんだ。 ― そうしない手はないよね?」

Spitting Imageは6月16日、Virgin/EMIからリリースされる。


29 June 2017

もっと知りたいSimone Marie Butler | プライマルスクリームのシモーヌ・バトラーインタビュー(2013年)


Photo Credit: Eric Bouccan


【元ネタ英語記事】 Exclusive Interview with the "Mystery Bassist" from Primal Scream !(2013年11月17日)

以下、当サイトによる翻訳


まずは少し背景情報を…。

1996年: The Stone Roses(ザ・ストーンローゼズ)のベーシスト・Gary "Mani" Mansfieldがローゼズ解散後Primal Scream(プライマルスクリーム)に加入。 
2011年: The Stone Rosesがバンドの再結成を発表。Primal ScreamのManiの空席は、少しの間だけMy Bloody Valentine(マイブラッディヴァレンタイン)のDebbie Googeが担当したが、ツアーメンバーとしてであり、固定メンバーとしてではなかった。 
2012年: 10月末、NMEのウェブサイトに「バンド代表からの公式発表によると、Simone Marie Butler(シモーヌ・マリー・バトラー)がBobby Gillespieのバンドにフルタイムメンバーとして加入」との記事。Google検索してみると、占星術師、女優、海上で66日間漂流し生還した女性がヒット。NMEは、どれもSimone Butlerと同一人物ではないだろうとしたが、この時点でPrimal Scream公式はこれ以上の情報を出さず。 
2013年: 8月8日。長きにわたる熱心なPrimal Screamファンとして、筆者はベルギーの「ローケレン・フィーステン」フェスティバルでPrimal Screamのライブに参加。そこで「謎のベーシスト」を初めてこの目で見て聴いて、強く印象づけられる。イケてるベーシスト、生まれついてのクールなルックス…そして非常に「ロックンロール」なセクシーさ。ライブは素晴らしく印象に残るものだった。その夜、Beady Eye(ビーディ・アイ)がGem Archerの事故のせいで出演キャンセルとなったが、残念がるものは誰もいなかった。ライブ後、観客とプレスは満場一致で「Primal Scream最高!」となった。

まさにその翌日、11月にベルギーで別の(屋内)ライブがあることが発表された…それも筆者の生まれ故郷ヘントで!「Simone Marie Butlerに会わなければ」。筆者にはこれ以上ないほど明らかだった。幸運にもSimoneを探し出すことができ、筆者からのメッセージに素早く返信をくれ、50thirdand3rdのインタビューに応じてくれることになったのは素晴らし過ぎる出来事だった。

Photo Credit: Eric Bouccan


先週の水曜日(11月13日)ヘントにて…。
午後遅く「Vooruit」という名のライブ会場のバックステージ。「ハイ!Simone。お会いできて嬉しいです」。頭悪そうに見えたかもしれないが(気にもしないけれど)、筆者はただ「憧れのベーシストとのインタビューが実現したんだ」と感じていた。ゴメンよ、Kim Deal [訳者注: Pixiesの元ベーシスト]。我々はインタビューの為、ライブ会場内にある居心地の良いカフェに移動した。

こんにちは!Simone Marie。インターネットや雑誌では、あなたについて知ることのできる情報がまだほとんどないんですが、“謎のベーシスト”の過去について少し教えて頂けますか?

自分はロンドンで生まれ育ちました。父はいろんなポップバンドのプレーヤーで、家ではたくさんのミュージシャンに囲まれていました。父は、Roy Orbison、Elvis Presley、Buddy Holly、The Beatlesやその時代の有名アーティストの音楽を聴いていて、それ以来ずっと音楽的な環境に身を置いています。数年前、ロンドンのデンマーク・ストリートにある「Vintage and Rare」というギターショップで働き始めたんですが、そこでもたくさんのミュージシャンと知り合いになりました。Primal ScreamのギタリストBarrie Cadoganも昔そこで働いてたんです。ある時、もっと先に進みたいなと思って決めたんです。ショップでベーシスト達に出会って、ベースという楽器の全てを知りたくなって、ベースを習い始めたんです。10年とか12年間、いろんなバンドに所属しました。有名なバンドではなかったですが、ロックンロールもエレクトロも演りました。DJもたくさんやりましたね。

あんな伝説のロックバンドに加入するのってズバリどんな気分だったんですか?

Bobbyのことは前から知っていて、Barrieとは10年前から知り合いでした。Andrewとは別のライブで会っていたし(筆者メモ:Andrew InnesはPrimal Screamの長年のメンバー)、Primal Screamのことはずっと大好きでした。だからPrimal Screamが固定の新ベーシストを探してた時、自分の名前が挙がったんです。然るべき時に然るべき人を知っているのって、幸運のおかげっていうのもある程度はありますが、自分の幸運は自分で掴まないといけませんよね。ここ10年、いい所までいけるよう本当に頑張ってきたから。とあるジャーナリストがPrimal Screamに加入してから「苦行の洗礼」みたいなのを感じるかって聞いてきたんだけど、その表現はBobbyが良いニュースがあるって電話してきた時にピッタリ当てはまるでしょうね。あのバンドと契約したのは正しかったし、とても誇りに思っています。

新ベーシストとして最初のライブはいつどこで?

実はラジオ番組だったんです。でも自分にとって最初のちゃんとしたライブは、香港のClockenflap Music & Artsフェスティバルでした。昨年12月、3万人の前でしたね。かなり緊張しましたけど演りたいっていう気持ちの方が恐怖心に勝っていました。本当に素晴らしかったです。

バンド内ではクリエィティブなことって何かされていますか?

Bobbyはとても寛大な人で、自分を受け入れてくれて自分のままでいさせてくれるんです。BobbyはManiになろうとするなって言ってくれて、それでBobbyのことをとても信頼するようになりました。もちろんレコーディングでPrimal Screamの楽曲に貢献したいっていう気持ちはありますが、レコーディングされた楽曲とライブ演奏ってまた全然違うんですよ。ライブではアレンジを変える曲もあるし、そういう意味では、ステージでのクリエィティブなプロセスに関わることができていますね。
Bobbyについてはどうですか?

Bobbyは素晴らしい作詞家ですね。文学や詩に詳しいし、真実の追求者でとても情熱的な人。本物のアーティストですよね。バンドのメンバーは皆んな素晴らしい人達で、音楽に取り付かれてて驚くほど音楽知識が豊富。Primal Screamの素敵なところは、「Screamadelica」、「Exterminator」、「Vanishing Point」みたいに音楽的に全く異なる作品を制作していること。だから彼らは偉大なバンドなんです。未だにあらゆる種類の影響に対してオープンだし、作品作りに熱心で、実験的なこともまだしていて…だから彼らといるとホッするんです。

ロックンロールの世界はもう男性に支配されていないのでしょうか?

確かに音楽業界で、男性がまだ目立つ存在であることは認めるけど、自分がこの業界にいる限りでは、性差別的に攻撃された経験はありませんね。自分はデンマーク・ストリートのショップでマネージャーを務めた最初の女性なので、そういった意味で自分自身を証明してみせたかったんですが、素晴らしい友情以外に何もありませんでした。

ステージに上がる前に何か必ずすることはありますか?

コカコーラとウォッカをミックスして一杯飲んで、それからヨガを…(爆笑…ホントはヨガは全く無しでウォッカだけな模様)。ステージに上がる1時間前に、ミュージシャンのほとんどがやるように凄く集中します。そうすると、アドレナリンが流れ始める…。

好きなベーシストは誰ですか?

一人には絞れなくて何人かいますね。The StranglersのJ.J. Burnel、Jah Wobble、The CureのSimon Gallup、Siouxsie and the BansheesのSteven Severin、Gary Mansfield、Robbie Shakespeare、それから…おっともうこんな時間。サウンドチェックに行かなきゃ。あなたも来ていいですよ。

インタビューに時間を作ってくれて本当にありがとうございました!

*Simone Marie Butler: セカンドネームである“Marie”は、彼女の両親がElvisの娘であるLisa "Marie" Presleyにちなんで名付けたもの。



 ◆あわせて読みたい当サイトSimone Marie Butlerインタビュー記事翻訳:


 

15 June 2017

Simone Marie Butlerインタビュー|Primal Scream(プライマル・スクリーム)のベーシスト、Soho Radio DJ


【元ネタ英語記事】Interview: Simone Marie Butler - "It's up to me to be inspired" (Gigsluts 2017年1月29日)

以下、当サイトによる翻訳


ミュージシャン、ヴォーカリスト、DJとして高い評価を受けるシモーヌ・マリー・バトラーは、そのユニークさから音楽業界注目の存在だ。大規模なコンサート会場から小さなDJパーティーまで分け隔てなくこなす彼女のこだわりのなさは、気持ちいいほどに見事である。

ここ5年程Primal Screamでベースを担当している彼女は言う。「自分の好きなことで依頼が来るのって未だにワクワクしますね。去年はEd Harcourtや、Faris BadwanとRachel Zeffiraが組んでるCat's Eyesと共演したんですが、コラボレーションするのはいつでもスリルを感じますね。でも一番最初にPrimal Screamとライブをすることになった時、私に電話してきて『ベーシストを探してる』って言ったのはBobby [Gillespie] だったんです」。― 彼女はそれにイエスと答えた。シモーヌにとって、音楽はすべてなのである。

「DJとしてSoho Radioの番組もやってますが、これはSoho Radio開局から3年間ずっとですね。自分の番組ではメインストリームに逆行するよう心掛けて好きな音楽をかけるようにしています。昔のMC5のブートレグをかける時もあれば、7分もあるリミックス、レーベル契約のないアンダーグラウンドな曲、リリースされたばかりの曲やお気に入りの古い曲をかけることもあります。番組の企画は全部自分でやっていて、インタビューにゲストを呼んだりしています。Soho Radioってそんな風に自由にやらせてくれるから、番組を自分流にアレンジできるんです。ラジオ番組のDJを担当する良い点のひとつは、ミュージシャンとしての自分を投影できることですね。メインストリームのラジオにありがちな編集的なことも一切ありません」。

より興味深いアーティスティックなプロジェクトも、メインストリームから離れた場所で見つかるものだ。うなずきながらシモーヌは語る。「これまでとは異なる分野に自分を置いて、違ったやり方で取り組むようにしています。まさにBowieが言ってたことなんですが、自分より優秀な人達と仕事してみろ、そこでちょっと居心地が悪いと感じたら、正しい場所に身を置いているっていうことだって…。良い仕事をする人間として認知されたいですが、自分のことは自分で評価するしかないですよね。受けた仕事は巧くやりたいし、向上心と向学心は忘れたくないですね。音楽には常に発見すべきものがありますから」。

世界で1番ビッグなバンドのひとつPrimal Screamでのシモーヌの存在は、Sly and the Family Stone、New Rotary Connection等、ファンキーで多様なジェンダーを許容する音楽ムーブメントを彷彿させる。どちらもバンドのルックスやサウンドはこうあるべきだとの固定概念に束縛されることのなかったバンドであり、その記憶に残るポジティブなサウンドで歴史に名を残している。「”女性ベーシストであることってどんな感じ?”ってよく聞かれるんですが、そんな時は”じゃあ男性の歯科医や男性のファッションデザイナーであることってどんな感じ?”って聞き返すようにしています」。ブリクストンの昼下がり、指の感覚がなくなるような寒さの中、コーヒーを片手に彼女は笑った。「正直言ってそんなこと考えたことないんです。全く気にしたこともない。でも音楽業界で目立つ存在だってことは自覚してます」。


Primal Scream - It’s Alright, It’s OK (Official Video)


だが彼女は性別が理由で差別された経験はないのだろうか?「自分がやっていることで正面から女性差別を経験したことはないです。仕事ばかりしているので今後も経験することはないと思います。ミュージシャンやクリエーターにそういう発想をする人はいないですから。だからといって女性差別は存在しないとか、他の業界と較べて音楽業界にもっとひどい点があるって言ってるわけじゃないですよ。音楽業界にあるとすれば、ビジネスや企業側に多いんじゃないでしょうか。ただ自分の周りはそんな感じではないですね。Carol Kayeが言ったように「音符に性別はない」みたいな感じ。もし私がポップミュージック寄りにいたり、ソロアーティストだったりしたら、そういうのをもっと経験したのかもしれませんが、音楽ビジネスの中で女性だからといって不安を感じたことは一度もありません。でもレコードレーベルで働いてた時はもっと性差別があったし、楽器店を運営していた時には、女性を見下してるな…みたいなのはかなり経験しました。でも自分が女性だからこれができないんだと感じたことはないし、若い女子がそう感じる世の中であってはいけない。自分が受け入れてもらえないんじゃないかと不安になったこともありません。そもそも女を利用して自分を売り込もうなんて考えてないですから。そんな風に考えてるなら今自分がやっているようなことはやってなかったでしょうね」。

「経験上、行動を起こすのを躊躇してる時の方が多くのことを学べるんですよ。イエスって言うのを怖がる人は多いけど、自分の場合、ノーと言う方が怖いですね」。…つまりクリエィティブな作業に対して、己を制限しないということ?「そうですね、音楽を作る人になりたいと願いながら私は育ったんです。父はミュージシャンでギタリストだったので、家の中にはいつも音楽がありました。常に楽器に囲まれていましたし、子供の頃はミュージシャンが出たり入ったりする環境でした。それが自分にとって普通だったんです。音楽は生計を立てるためのものだったんですね。父のレコードを聴いて育ったんですが、それはThe Beatles、Eddie Cochran、Little RichardやRoy Orbison等、もうロックンロール三昧!音楽以外の仕事をするなんて想像もしてませんでしたし、定職に就くといつもアンハッピーな気持ちになっていました。自分が大好きなものと繋がってないと感じていたんですね。音楽とバンドはいつも本業の合間にやってたんですが、そうですね、多くの人が無料のストリーミングで音楽を消費する時代、音楽で食べていくのは当然難しい場合もあるでしょう。でも音楽で食べていくのに有名にならなきゃダメだって思い込んでる人が多いけど、それは違うと思います。働きながらミュージシャンをやって本当に素晴らしい人生を送ることだって可能だと思います。世間の注目を浴びているのに全然お金がないなんてこともあり得ますから、どちらもホントですね」。つまり自分自身に正直になる、さらに言えば、音楽の女神に忠誠を誓って生きよう…という話である。

ベーシストに関してシモーヌは、モータウンのレジェンドJames Jamersonや、Charlie Mignus、Paul Simonon、Joh Wobble、Steven Severin、Simon Gallup、Gail Ann Dorseyを尊敬しているという。それ以外では、Warren Ellis、Anton Newcombe、SavagesのJehnny Bethのようなアーティストの名前も挙げている。「ミュージシャンになることって、自分の好みじゃない音楽とか、昔好きじゃなかったものにもオープンになって、あまり批判的にならないってことでもあるんです。その結果、いつも物事の良い面を見つけようとする人間になれる。ある種のジャンルやバンドがあまり好きになれないっていうのはあるかもしれないけど、例えばそのアルバムが如何に巧く作られていて良い作品なのか評価できるようになります。このことは、どんなジャンルでも写真撮影とか何かにハマっていても、誰にでも当てはまることなんです。作品についてオープンマインドになるのか、逃げ腰になるのかの二択なんです」。

 シモーヌはこれからのことについてプランニングしているのだろうか?「あまり先のことは考えないんですよ。そうした方がいいのは分かってるけど、自分は5ヶ年計画するタイプの人間じゃないです」彼女は笑う。「あるいはもし5年も先のことを計画するとすれば、それは人生の区切りってことになるでしょうね。いろんな理由で人生の多くの節目で脱線しちゃってますから…まぁそれはまた別のインタビューで…。自分のやりたいことをやり続けたいです。間違いなく音楽は自分の人生を救ってくれました。ベースを弾くのを止めることはないでしょうね。他にはリミックスのやり方を学ぶとか、スタジオでの制作スキルをもっと身に付けたいですね。いつかは自分の音楽プロジェクトもやってみたい。写真にも携わっていきたいですし、長年やりたいと思い続けてるミュージックビデオの制作も学びたいです。Douglas Hartの作品にインスパイアされてますから。彼には本当に才能がありますね。あと音楽のヴィジュアル表現にも興味があります。だけど今の自分の立ち位置にも満足しているし、自分の能力を多方面に広げるのもいいと思ってますが、そうするかどうかは自分次第。決めるのは自分の意志でなきゃ。何かにインスパイアされるかどうかは自分次第だということです」。

「でも音楽をやっていく上での大きな落とし穴は、こだわりを失くしてしまうことと、うぬぼれてしまうこと。有名人になるのを目指すゲームなんて、リアルじゃないし参加すべきじゃない。今ってYouTubeやInstagramでフォロワーが何人いるかを重視し過ぎるけど、それってただありきたりなことを喜んでいるだけ。ソーシャルメディアはいろんな意味で人の心を蝕んでしまう。人の最悪な部分を引き出して、リアルタイムな人間関係や周りの世界から人を隔離してしまう。オンラインでの居場所が重要になり過ぎて、事実を大げさに表現するのに悪用されることだってあるから健全とは言えないですよね。何もかもキャッチアップしてリアルな世界より大切だと思ってるとしたら間違いでしょう。音楽をやることと有名になることは全く別物なんです。自分の場合、客観的で冷静な人としか付き合わないようにしているし、人生的に遅咲きでクリエィティブな表現手段を見つけたので、これまでに自分に与えられた機会のことを、他の人より有難く感じられるんですよ」。

シモーヌはまた、慈善活動も行っている。ステージ4の大腸ガンの治療を続ける友人、DelaysのGreg Gillbert(訳者注:残念ながら2021年逝去)のため、2月17日にCavalry(訳者注:資金集めの為に設立された団体名)によるチャリティーライブを開催するのである。シモーヌはMystery JetsやBand Of Skullsと共に参加予定だ。「自分達はGregの命を救いたいだけなんです。NHSでは必要な治療を受けられないから」。そう答える彼女の目は一転して哀しみで曇っていた。「彼は信じられないくらい綺麗なソウルの持ち主で、これまで出会った中で1番優秀な人物のひとり。ヴァレンタインにDelaysのシングル『Valentine』を1位にしようというキャンペーンもやっています。皆んなの魂が集まれば、誰かの人生を変える力にだってなれるんです。自分の人生で出会えた素晴らしい人達がまだこの世にいるうちに、心から感謝の意を表すべきなのにそうしないっていうのもアリかもしれませんが…我々には細かいことを言っている暇はないんです」。



12 June 2017

Starcrawler(スタークローラー)|LAのカルチャー誌ISSUEによるバンドメンバー全員へのインタビュー



【元ネタ英語記事】  http://issuemagazine.com/starcrawler/#/ (Issue Magazine 01-2017)

以下、当サイトによる翻訳

Starcrawler(スタークローラー)
 ロサンゼルスを拠点とし、メンバーはArrow de Wilde(17才・リードヴォーカル)、Henri Cash(16才・ギター)、Austin Smith(21才・ドラムス)、Tim Franco(19才・ベース)。現在、元WhiskeytownのRyan Adamsプロデュースによるファーストアルバムをレコーディング中。デビューシングル「Ants」は、AppleのBeats 1で初披露され、Elton Johnの番組「Rocket Hour」でかけられた。
Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)
Starcrawlerのリードシンガー。ロックフォトグラファーAutum de Wildeと Father John MistyのドラマーAaron Sperskeの娘。ロサンゼルス在住の高校3年生。

Arrow de WildeのTwitterプロファイルには「私は神。私は犬。@thestarcrawler の カルトメンバーでもある」と書かれている。ひたむきなまでにそのスタイル、パフォーマンス、そして創造力豊かな非日常的狂気を追求するこの17才は、ロサンゼルス拠点のバンドStarcrawlerのフロントを務めている。その赤く染まった口腔、大きく見開いた目、そして熱狂的なエネルギーにより、彼女は容赦なくライブハウスをパンクロック劇場に変えてしてしまう。高校を卒業したばかり(さもなければほぼ卒業しかけ)で、ライブ演奏の経験もまだ少なく、1枚のシングルしかないものの、Stercrawlerは既に我々の注目を欲しいままにしている。


 (左)ベーシストTim Franco(ティム・フランコ) (右)リードヴォーカルArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)


皆んな出身はどこなの?

Austin Smith(以下Austin): 全員LAが地元。

どうやって知り合ったの?

Arrow de Wilde(以下Arrow): Austinと自分が共通の友人を介して知り合って、ジャムセッションをするようになった。ある日学校でHenriが歩いてるのに気付いてカッコいいと思って近付いて…。アタシ何て言ったんだっけ、Henri?

Henri Cash(以下Henri): 学校のこんくらい狭い階段でケースに入ったチューバを運んでたんだ。そのケースにハンドルが付いてなくてさ、ヒドイよね。マジで持ち上げなきゃならないんだから。疲れたからケースを床に置いて休憩してたらArrowが近付いてきて、「キミ、ギター弾きそうに見えるんだけど」って言ったんだ。

Arrow: 「キミ、カッコいいじゃん」って言ったんだよ。

Henri: 「キミ、カッコいいじゃん」。

Arrow: 「ギター弾く?」

Henri: それが始まりだったんだ。
 
Arrow: チューバ吹けるんなら、ギターも弾けるだろって思って。あと、Timとはちょっと前から知り合いだった。

Austin: 共通の友人を介してTimにまた遭うまで、他のベーシストともやってたんだけどね。僕らはこうしてつながったんだ。

Henri: Timは陰の実力者さ。

皆んな一緒の学校に行ってるの?

Austin: 僕とArrowだけだよ。(※Henriの発言の間違い)

学校にはあと何年行かなきゃならないの?

Arrow: 今年で最後。Henriが最年少。

Henri: 僕はあと1年あるんだ。そのうち分かると思うけど、アルバムが出て来年ツアーに行く時が来たら、オンラインスクールにするつもり。

何年くらい一緒にプレイしてるの?

Arrow: 4年ちょっと。

Austin: 今みたいな形になるまでには何段階かあったんだ。僕とArrowは多分1年半かほぼ2年くらい一緒に演ってて、それからユニットとして全員一緒に演るまでに1年くらいかかった。

ライブするようになってからどのくらい経つの?

Henri: 一番最初のライブが1年前の2月、サンセットにある「Damn」って店。それ以外はただリハーサルと練習あるのみ。

Arrow: アタシ達って普通と逆のやり方だったよね。3ヶ月くらい曲を作って練習して、Steven McDonaldとデモテープをレコーディングして、それからライブをやり始めたっていう。

Austin: ライブデビューさえしてないのに「Ants」をレコーディングしたからね。



(左)ドラマーAustin Smith(オースティン・スミス) (右)ギタリストHenri Cash(ヘンリ・キャッシュ)


今のところ「Ants」が唯一の公式リリースなわけだけど、今後何を期待していいかな?

Austin: 今フルアルバムの制作中なんだ。これがちゃんと計算どおりリリースされるよう自分達の時間を使いたいと思ってる。多分、どこかのタイミングでシングルをもう1枚リースすることになると思うけど。でも今のところ、フルアルバムについてはゆっくり慎重に進めてる。

新曲は今もまだ作ってるの?

Austin: 新曲は常に作ってるよ。

大人になる過程でどんな影響を受けてきたの?

Arrow: 一番最初にハマったのはThe Beatlesで、すっごく好きだった。子供の頃聴きたかったのはとにかくThe Beatles。もうちょっと大きくなってから、Ozzy Osbourneのことがマジで好きになった。カトリックの女子校に通ってたから、あの頃Ozzyと出会ったのは大きかった。

Henri: 小2からずっとJack Whiteに夢中だった。フォンダ・シアターのJack Whiteのライブで最前列のセンターを取りたくて7時間待ったこともある。その後、Captain BeefheartとかFrank Zappaみたいな、より実験的なものにハマっていった。変わってるやつなら何でも好きなんだ。Morphineってバンドも大好きだよ。2弦ベースとかバリトンサックスとかマジでちっちゃいドラムを高音でプレイするバンドなんだ。

Austin: 僕のルーツはクラシックロックにある。子供だった頃はLed Zeppelinを聴いてたけど、ティーンになって音楽の趣味がメタルやハードコアパンクに変わっていった。Cro-MagsとかBad Brainsみたいなね。そこからガレージロックや、よりノイジーなエクスペリメンタルロックに傾倒していった。

Tim Franco(以下Tim): 子供の頃、僕の母親はBob Seger、Billy Joel、The Beatles、Scorpions、Led Zeppelinみたいな大御所をかけてたと思う。成長するにつれて、すっごくマイナーなものにハマっていって友達とバンドを始めたんだ。その友達のおかげでボサノヴァやジャズが好きになった。それからHarry NilssonやRandy Newmanにハマった。

Starcrawlerの音楽スタイルをどう説明する?

Henri: 今のところいろいろ全部のミックスだな。

Austin: 僕らとしては、皆んなにライブに来てもらって、僕らの音楽がどんな風なのか自分で判断してもらいたいって思うよ。他のバンドが「僕らってこうなんです」みたいに言ってるのを聞くと違和感を覚えるからね。僕らは自分達独自の影響を受けてるから、演奏には影響を受けたものがそのまま反映されてる。だからライブに来て自分で確かめてみてね!

歌詞を書いてるのは主に誰なの?

Arrow: Henriと自分がほとんどの歌詞を書いてる。

Henri: リフを作るのが得意なんだ。いつもギターを手放さないよ。だけどバンドって話になると、僕らはとってもうまくかみ合ってるよね。各プレーヤーが自分だけの特技を持ってるからね。誰が欠けてもStarcrawlerじゃなくなるだろうね。





まだ皆んな非常に若いわけだけど、これがやりたいことなのかな?

Henri: もちろんさ。

Arrow: バンド全員そうだよね。

Henri: 音楽を演ることって、自分達が(人生の)秘訣を知ってるってこととほぼ同じじゃないかなって思う。

Arrow: そうだよね。自分は常に音楽に傾倒してるような子供じゃなかったけど。父がドラマーで母がバンドの写真を撮影してたから常に周りに音楽はあったんだけど、音楽がやりたいかどうかハイスクールの1年生まで分からなかった。

Henri: 僕は家族が皆んなミュージシャンだから、ミュージシャンになりたいと思いながら育った。伯父さん達がロサンゼルスでプレイする、で、その次はConanのテレビショーやら何やらでプレイする…みたいなのを見てて、僕もやりたいなと。僕もジャンプしまくって伯父さん達みたいになりたいって思ってた。面白そうに見えた。

Austin: 僕は子供の頃からずっとドラムを叩いてきた。でもそれを職業にしようとは思ってなかったな。ドラムを叩いてるとただ幸せだったんだ。だから初めの頃、ドラムはアーティスティックな手段って感じだった。

Tim: 音楽をやり始めたのはここ3年くらいのことなんだ。それ以前はビデオゲーム以外何の興味もなかった。だから全部最近の話なんだけど、今は音楽のことをとても真面目に考えてるし、毎日新しいことを学んでる。

皆んなにとってパフォーマンスってどのくらい重要?

Henri: それが全てだよね。

Austin: 僕らは本当によく練習していて、自分達が理想とする形にライブを近付けるようにしてる。僕らはいい加減なバンドじゃないんだ。ライブ前はイントロが正しいか確認したり、曲終わりをどうすべきか決めたりしてる。

パフォーマンスの美意識みたいなことについてはどうなの?

Austin: 僕らはある種の空気感を創り出そうとしているから、美的なものが果たす役割はあると思う。ただ4人がステージに立たされてるだけみたいなパフォーマンスにはしたくないんだ。僕らに本物を感じてもらえるようなパフォーマンスがしたいと思ってる。

Arrow: バンドってだけの話じゃなくて、全部ひっくるめてだよね。ショーを観てるんだから。

Henri: 毎晩違うものになるしね。

Austin: かなり即興的なものだよね。

Arrow: だけど何をやるかについては計画しておく。

…っていうと?

Arrow: 昔の自分はシャイで、ここ数年くらい何が起こってるかよく分かってなかった。前に別のバンドをやってたんだけどうまくいかなかったし。その時もまだ自分はシャイで、ただステージにつっ立ってただけでつまらなかった。「何を怖がってるの?」って自分に問いかけてた。だけどある日The Runawaysを聴いてたことを思い出して、「血を吐きたい。誰かの顏を嫌悪感で歪ませてやりたい」ってなった。それからキャラクターを作っていった。

Henri: もう一人の自分ってヤツだね。

Arrow: そう。まさに自分の分身。ステージからハケて20分経っても、まだ精神状態が行っちゃってるから。消えるのにはしばらくかかる。

そういうのに関して尊敬してる人はいるの?

Arrow: 間違いなくOzzy、Iggy Pop、あとAlice Cooper。ちびっ子版Alice Cooperみたいには見られたくないから、自分自身のものにしようとしてるけど、そういうアーティストからインスピレーションを得てるのは確か。

誰とでもコラボレーションできる機会があるとしたら、それは誰でその理由は?

Henri: Tom Waits。アルバムのサウンドが大好きだし、彼のドラム部屋の話を聞いてるからね。ギターはMarc Ribotっで…って完全に変わってるよね。曲はオーケストラみたいな感じでいきたいな。

Austin: Steve Albiniだね。繊細さがとってもいいよね。彼の作品は体系的で定型的でもあって、僕はかなりインスパイアされてる。

Arrow: Ozzy。80年代にOzzyがLita Fordとやった「Close My Eyes Forever」が好きだから、多分あんな感じのがやりたい。




音楽以外だとどんなことに興味があるの?

Henri: 雨降りとハイキングが好きだよ。住んでるのAltadenaだから、毎日ハイキングしてる。

Arrow: 雨キラ~い。

Austin: 僕はファインアートに興味がある。自分で作って鑑賞したりする。映画全般も好きだな。

Arrow: 自分もアート作品を作るのが好き。あとファッションにも興味ある。変わってる昔のコスチュームを探すのが好き。

Tim: 僕はビデオゲームが好き。

Arrow: Taco Bellもハズせない。

10 June 2017

Rough Tradeからデビュー曲「Ants」7インチ発売|LA発4人組バンド・Starcrawler(スタークローラー)インタビュー


紅一点のヴォーカル・Arrow de Wildeの存在を知ったのは、まだStarcrawler(スタークローラー)が話題になる前、彼女の母であるフォトグラファー・Autumn de Wildeインスタグラムがきっかけだった。現在人気急上昇中のブルックリン出身の兄弟バンドThe Lemon Twigsの弟Michael D'Addarioとタダならぬ雰囲気で2ショット写真に収まる手足の長いモデル体型女子、それがArrow de Wildeだった。

Arrow de WildeとMichaelの間には、特にロサンゼルスにおいていくつかの接点が見られる。Arrow de Wildeの母はLemon Twigsのアーティスト写真も手掛けているし、The Lemon TwigsのD'Addario兄弟はデビュー作「Do Hollywood」のレコーディングをロサンゼルスで行っている。また、StarcrawlerはLemon Twigsのサポートアクトを務めたこともある。バックグラウンドの似通った同い年の2人の間に何かあっても、まぁ不思議はないわけである。


右からAustin Smith(dr)、Arrow de Wilde(v)、Henri Cash(g)、Tim Franco(b)


・・・と(タダの友達かもしれないのに)思わせぶりなことを書いてしまった。そんなArrow嬢も2017年6月、無事高校を卒業。というわけで、ずっと翻訳したかったニューヨークのメディア「W Magazine」によるStarcrawlerインタビューをご覧ください。

【元ネタ英語記事】 Meet High School Rockers Stacrawler, Here to Prove Metal Isn't Dead(2017年5月5日付)

以下、当サイトによる和訳

--------------------------------------------------------------------------------

ロサンゼルスにあるライブハウス「The Echo(ザ・エコー)」での対バン企画が初ライブだった4人組バンド・Starcrawler(スタークローラー)が、初ライブ翌日から1年の時を経て、まさにその同じステージにヘッドライナーとして登場した。彼らにとって初のトリを務めるライブである。

それは2月26日のことだった。その翌日、バンドのフロントウーマンであるArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)ギタリストHenri Cash(ヘンリ・キャッシュ)は、重い足取りで学校へと向かい、前夜からの疲労困憊のまま学業に戻るのだった。

「人が入ってたよな~」、ロサンゼルスからの電話越しにCashが話す。「前より稼げたよね」、de Wildeが口をはさむ。彼女とCash、そしてドラマーのAustin Smith(オースティン・スミス)は電話の向こうで大爆笑している。Starcrawlerが今の評判を築き上げたのは、The Echo(ザ・エコー)のステージである。そこはまた、木曜日 [訳者注: 2017年5月4日] 公開されたバンドのデビューシングル「Ants」のプロモーションビデオを撮影した場所でもある。


Starcrawler - Ants (Official Video)  


その動画の中でのde Wildeは、ステージ上に滑り落とされ、両腕は拘束衣でその自由が奪われている。マイクにうめき声をあげde Wildeは歌う:「蟻(アリ)なんていやしないのに身体を蟻が這う、蟻なんて来やしないのに身体を蟻が這う、椅子の上でも蟻が這う、乱暴者みたいに噛みついてくる」。

"I got ants when I don't, I got ants when I won't, I got ants on my chair, they bite like a bear."

公式リリースになったばかりであるものの、彼らはこの曲をほぼバンド結成時から演奏し続けている。「Ants」はStarcrawlerにとって初めての曲であり、またElton JohnがBeats 1 の自身のラジオ番組「Rocket Hour」で1曲目にかけた曲でもある。

「“目立つ”ってことの象徴みたいにステージで振る舞うのは好きだけど、単に蟻について歌ってるだけなんです」、笑いながらde Wildeは語った。「Ants」はCash宅で起きた蟻侵入事件 [訳者注: 別記事によると、バックパックにサンドイッチを入れっぱなしで週末放置していたのが原因らしい] ― かなり酷いもので、ある日学校に登校したCashは、先生にRAID [訳者注: 殺虫剤の商品名] をスプレーされた ― にインスパイアされた2分に満たない曲である。「Ants」は、まるで電気的な衝撃の如く、グロテスクなエッジの効いた70年代後期ヘアメタルのエネルギーを伝えてくる。動画の中で、ステージ上のde Wildeは衣服や下着を引き裂くのであるが、その衣服とは、医療機関のユニフォームである患者着であり、前述した拘束衣である場合も多い。彼女の口は血まみれであり、胸は赤色に汚されている。「退屈することにうんざりしてたんです」、自身のステージ衣装についてde Wildeはそう語った。



Starcrawlerは、メンバーそれぞれがこれまで受けてきた音楽的影響の集合体として、2015年夏、誕生した。De Wildeの母親は、フォトグラファーでありElliott SmithやRodarte [訳者注: ファッションブランド] を設立したMulleavy姉妹等ミュージシャンやデザイナーを題材としたドキュメンタリー作家でもあるAutumn de Wilde、父親は元Ariel Pink's Haunted GraffitiのドラマーAaron Sperskeである。彼女はThe BeatlesやCat Stevensといった古典的作品に加え、彼女曰く「その時ママが撮影してたバンドなら何でも」聴きながら成長した。「一番最初の音楽の記憶は、多分まだよちよち歩きの子供だった頃、膝の上に乗っけられて聴いたパパのドラムじゃないかな」と彼女は語る。彼女は中学生でOzzy OsbourneやBlack Sabbathと出逢い心を奪われた。CashはMuddy WatersやProfessor Longhairのようなブルーズを聴いて育ったが、後にAC/DCやThe Ramonesに転向している[訳者注: ちなみにCashも父親を含め親戚にミュージシャンが多いらしい]。


アメリカの人気子供音楽番組「Pancake Mountain」に出演したStarcrawler


「演奏方法に関して僕らが受けてきた影響は全く違うんだ」、Smithは語る。「だけど一緒に演ってみると結構近いものがあって、うまく調和する」。Smithとde WildeはStarcrawler結成以前から共にプレイし始めていたものの、ギタリストとベーシストを探していた。「ある日学校でHenriを見かけて、『君、カッコいいね。ギター弾く?』って声を掛けた。だってチューバのケースを運んでたから」、de Wildeは回想する。「彼、何か変に目立ってた思う」。ベーシストのTim Franco(ティム・フランコ)と彼女は元々知り合いで、その後すぐバンドに誘い入れた。初めてライブをやることになった時、ライブ直前にバンドの名前を考え出した。何だって良かったのだが、ポスターに載せるのに必要だったのである。

Starcrawlerは昨年末、de Wildeの母親の友人であるRyan Adamsとスタジオ入りし、デビューアルバムをアナログテープにレコーディングした。発売日はまだ仮決めであるものの、今月後半[訳者注: 2017年5月後半] 、Starcrawlerは英国で数日ライブをする為ツアーに出発し、再びカリフォルニアに戻る予定だ。その後、6月にはde Wildeの高校卒業も控えている(FrancoとSmithは既に卒業済み。Cashはde Wildeの1年後輩)。

では、アルバムはどうなる?

Cashは言う。「ロックンロールはまだ生きてるって確信する作品になるよ」。


8 June 2017

LA発4ピースバンド・Froth (フロス)|「Outside (Briefly)」レコ初インタビュー

RIDE北米ツアー・サポートアクトに決定で、今がチャンスとばかりにFroth(フロス)を布教する企画第2弾(第1弾はこちら)。アメリカ西海岸・ロサンゼルスを拠点とする4人組バンドである。

元はと言えば、冗談から始まったバンドFroth。友人から無料でレコードを作ってやると言われ、まだ楽器さえ弾けないというのに架空のアルバムのアートワークを作成、20分の無音レコードを制作したのはVocalのJoo-Joo Ashworthと、同じ高校(El Segundo High School)の先輩であり初期メンバーとしてオムニコードを担当していたJeff Fribourgである(結局脱退後も含めFroth全3枚のアルバム・アートワークを担当)。




1作目「Patterns」、2作目「Bleak」までは地元のレーベルBurger RecordsLolipop RecordsからLPやカセットテープを発売していたFroth。2017年2月24日リリースの3作目「Outside (Briefly)」では、ロンドンを拠点とするWichita Recordings(ウィチタ・レコーディングス)と契約。事実上ワールドワイドなバンドの仲間入りを果たしたのである。

というわけで、最新作「Outside (Briefly)」発売前に行われたJoo-Joo Ashworth(g&vo:上写真左端)、Jeremy Katz(ba:上写真青シャツ)、Cameron Allen(dr:上写真バイク)へのインタビュー和訳を掲載。


【元ネタ英語記事】 Froth: "Everything changed once we got in the studio..."(2017年2月9日付)

以下、当サイトによる和訳

-------------------------------------------------------------------------------------------------

「Bleak」のリリースから2年が経ちました。「Bleak」への反響はどんな感じでしたか?

Joo-Joo Ashworth(以下A): まあ良かったよ。正直言って「Bleak」についてはあまりプッシュできなかったんだ。やろうと思えばできたんだろうけど。ツアー廻ってる時、フィジカルな音源がなかったからね。まぁあったとしても、それでどの位の差がつくのか分かんないけど。まあ良かったよ。もうちょっと行くかなって期待してたかもしれないけど。

Jeremy Katz(以下K): 1枚目のアルバムが好きだった人の中には、多分離れちゃった人もいるんじゃないかな。「Bleak」の方をもっと好きになってくれた人もいたけどね。

Froth2作目のアルバム「Bleak」


「Bleak」以降のバンドはどんな感じだったのですか?

A: たくさんツアーを廻ってた。でも大体は(3作目の)次のアルバムのことで盛り上がりまくってた。絶対、全3作の中で一番盛り上がってたと思うよ。

(3作目の)ニューアルバムにはいつから取り掛かったんですか?

A: 「Bleak」をリリースしてほぼすぐ。曲によって早く仕上がったり時間がかかったり。

K: ニューアルバム1曲目の「Contact」については、「Bleak」をリリースした週にJoo-Jooがデモを持ってきたのを覚えてる。「Contact」はニューアルバム用に作った最初の曲だったと思うよ。僕らは常に曲作りをしていて、必ずしもアルバムのためってわけじゃないから、最終的に曲が溜まった頃に「じゃぁアルバムを作ろう」ってなるんだ。


3枚目のアルバム「Outside (Briefly)」より:1曲目・「Contact」公式PV



アルバムの曲作りの際、何からインスピレーションを得ているのですか?

A: Elliott SmithとかThe Beatlesとかいろいろ。ニューアルバムについてはこの2つから一番大きな影響を受けたって言えると思う。Julian Lynchもそうだね。

K: 面白いって思った本があったんじゃなかったっけ?

A: ああ、そうそう。歌詞の多くはRichard Brautigan村上春樹の本が基になってるんだ。


左からJoo-Joo Ashworth(g&vo)、Cameron Allen(dr)、
Nick Ventura(g)、Jeremy Katz(b)

レコーディングの場所は?あとアルバムの制作期間はどのくらいでしょうか?

K: 今僕らがいる場所から、ちょうどその通りを進んだところだよ。僕らの友人にThomas [Dolas]ってヤツがいて、結局このアルバムのプロデュースをやってくれちゃったわけだけど、Thomasが自分のスタジオを作ったんだ。DIYスタジオとプロ仕様のスタジオの真ん中って感じのね。結局僕らはそのスタジオでThomasと一緒にアルバム制作をしたんだ。あそこにいるとすごくリラックスできる。ホント良かったよね。

A: 2ヶ月くらいかかったんだっけ?40セッションしたのを覚えてるから、だいたい2ヶ月超えだと思う。


最新作「Outside (Briefly)」(2017年2月24日発売)


このアルバムのレコーディング過程はどんな感じでしたか?

A: バンドとして既に完成させてたのは数曲だけだったように思う。それからは他の新曲の制作を頑張った。だから古いデモをチェックして、メンバー全員が賛成できて、メンバー全員が好きなものを見つけたら、各メンバーのデモをフルバンドでレコーディングしていった。

そのように長い時間をかけて制作していく中で、最初に曲作りをしていた頃と較べてアルバムの曲が変化したことはありましたか?

A: もちろんあったよ。「Contact」がいい例だね。最初は全然違う曲だったから。シンセも何も入ってない、ただのギター・ソングだった。

Cameron Allen(以下Allen): あの曲は何回も録り直したよね。

K: 僕らは「Contact」を演奏するのを一旦中止したんだ。この曲に関しては何もしない…みたいな。で、後になって復活させた。

A: 「Petals」はとてもスローな曲なんだけど、最初に書いた時はやたら明るい曲だった。大体スタジオに入ると全てが変わっちゃう。今ライブだと新しいパートを付け足してる曲もあるし。多くの場合、スタジオでやってることと同じだよね。


3枚目のアルバム「Outside (Briefly)」より:4曲目・「Petals」公式PV


アルバムタイトルは「Outside (Briefly)」ですね。タイトルの裏に何かストーリーはありますか?

A: Richard Brautiganの「The Abortion」っていう本の章のひとつから取ったんだ。ただカッコいいと思ってね。個人的な僕の身の上には特に何も起こってなかったから、「あ~、今この本読んでるからこれついて何か作っちゃおう!」みたいな方が簡単だったんだ。

K: 僕らのバンドって見た目や響きがクールなフレーズや言葉を見つけて、それを基に曲作りをすることもあるよね。

アートワークはどうしてるんですか?

A: 数年前までFrothのメンバーだったJeff Fribourgが担当したんだ。Jeffは僕らのアルバムカバーを全部やってくれてる。いつだって僕らの気に入る作品を作ってくれるから、アルバムカバーについてはJeffに好きにやってもらってるんだ。Jeffだったら何をやってもいいものを作るって皆んな分かってるからね。

K: 何でそれがクールかっていう話だけど、Jeffが最初にアルバムカバーのデザインを始めた頃、レコーディング中の僕らの所にやって来て、スタジオの片隅で音を聴きながら作業するんだ。デザインと音楽が奏でるサウンドがリンクするんだろうね。きっと音楽がデザインにちょっと影響するんだと思う。僕らが曲を作ってた時、Jeffはその場にいるんだから。


旧メンバーJeff Fribourg(オムニコード担当)
Frothのアルバムカバーの全てを手掛ける



今回はWichita Recordings(ウィチタ・レコーディングス)からの初めてのリリースになります。Wichitaと組み始めたのにはどんな経緯があったのでしょう?

A: レーベルを経営してるMark [Bowen]が僕らのマネージャー・Sofia [Karchi]の友人だったんだ。Markは僕らをチェックしに、とあるライブにやって来たんだ。僕は知らなかったけど。

K: その後もMarkはライブに足を運び続けた。何回か僕らを見て、契約することに決めたんだ。素晴らしいことだね。

A: Markが自分のレーベルに僕らを連れ去った…みたいなね。


「Outside (Briefly)」を一文にまとめるとしたら、どう表現しますか?

Allen: 「パパのお気に入りのFrothのレコード」。


アルバムの中で好きな曲や、特に聴いてもらいたい曲はありますか?

A: 「Petals」って曲がとっても気に入ってる。僕のお気に入りはコレだな。

K: 僕も賛成しなきゃな。

Allen: うん、あの曲は僕のお気に入りでもあるよ。「New Machine」も大好きだけどね。

K: そうそう、「New Machine」もいいよね。実は「Petals」はニューアルバム用に初めてレコーディングした曲でもあるんだ。

Allen: それってもう1年半も前の話だぜ。

K: また別のスタジオでね。ひたすらレコーディングしまくって、その曲だけ何回もやってた。

A: 同じエンジニアだけどね。

Allen: そう、やっぱりThomas。

K: だから面白い曲が出来た。


Joo-Joo Ashworth (vo&g)   Photo by Sara Amroussi-Gilissen


アルバムをリリースするにあたって何か希望することはありますか?

A: 特にないかなぁ。大体僕らは何をやってもとてもハッピーだからね。皆んながアルバムを気に入ってくれたらいいなって思うだけかな。でも、もう作っちゃってるから僕らができることはあまりないんだけどね。

K: 今回はアメリカでもうちょっとウケて欲しいって思うけどね。Frothのツアーはヨーロッパだと、いつも本当にいい感じで楽しいんだ。アメリカはまだ怪しい時があるよね。アメリカの僻地の真ん中から誰か来てくれたらいいんだけど。これを読んでるネブラスカ州の誰か!ライブに来てね~。


アルバムが出たら、次はどうするんですか?

K: Desert Daysのツアーをやって、それからまだ発表になってないけど、アメリカでヘッドライナーツアーをやってから、ヨーロッパツアーがある。で、また8月に別のヨーロッパツアーに行くんだ。だからたくさんのツアーが待ち構えてるってことかな。いいことだけどね。だってこのアルバムがリリースされるのを数ヶ月も待ち続けてたわけだから、メンバー全員ツアーに出るのをとても楽しみにしてるよ。


将来について一番恐れていることや、楽しみにしていることは何ですか?

K: 僕が恐れてるのは自分の結婚だけだよ。だってこんなにたくさんツアーに出なきゃならないんだから。

A: 僕が怖いのは友情をダメにしてしまうようなケンカ。ツアーだと時々起っちゃうからね。

Allen: 怖いものは特にないと思う。またツアーが始まることが楽しみで仕方ないだけさ。

A: そうだね。僕ら全員またツアーが始まって、行ったことのない場所に行けるのをめちゃくちゃ楽しみにしてるよね。冬じゃない時期にヨーロッパに滞在するのはいいだろうね。

K: ヨーロッパには2、3回行ってるんだけど全部2月だったんだ。天気のいい時期じゃなかったからね。5月のヨーロッパはいいだろうね。


お金が目的じゃないとして、バンドとして何が一番したいですか?

K: 飛行機が欲しい。僕個人用のね。あとアルバムをレコーディング出来る僕ら専用のスタジオが欲しい。

Allen: …で、僕らが今していることが出来ること。ツアーをして快適に過ごせること。

A: お客さんを確実にライブに来させることは出来ないけどね。― ライブのお客さんは買収出来るか!そうすれば観客の規模がもっとデカくなるよな。

7 June 2017

LA発4ピースバンド・Froth(フロス)|Jeremy Katz(ジェレミー・キャッツ)インタビュー

日本では知る人ぞ知る4人組バンド、ロサンゼルスを拠点とする「Froth(フロス)」。サーフロック、ガレージ、サイケデリック、シューゲイザー等、そのサウンドの多様性ゆえカテゴライズするのはなかなか難しいのであるが、何と言っても一部の音楽ファンの間に彼らの名を知らしめたのは、当時イブ・サンローランのクリエィティブ・ディレクターだったHedi Slimane(エディ・スリマン)による「General Education」の2014年秋冬コレクションへの起用である。


 Froth(フロス)のメンバー
右からJeremy Katz(b)、Joo-Joo Ashworth(g&vo)、Cameron Allen(dr)、Nick Ventura(g)。


アルバム3作目「Outside (Briefly)」にしてWichita Recordings(ウィチタ・レコーディングス)と契約したFroth。同じくWichita Recordingsから21年振りにスタジオアルバムをリリース予定であるUKの大御所バンドRIDE(ライド)の2017年7月北米ツアーのサポートアクトに大抜擢され、本人達も「This is "Like a day dream for us"」とツイートしてしまう夢の事態に!


2017年RIDE北米ツアーをサポートするFroth


というわけでSkiddle.comによる腹が出過ぎなベーシスト・Jeremy Katz(ジェレミー・キャッツ)のインタビュー(2017年3月)の和訳を掲載。日本におけるFrothの知名度向上を狙おうという目論見である。ほとんど楽器を演奏したこともなく、20分も無音でスピンするレコードをふざけて制作していた冗談半分の"架空の"バンドFrothは、いかにして成長していったのか?


【元ネタ英語記事】  Froth interview: From a joke to a successful touring band.(2017年3月29日)

以下、当サイトによる和訳

-------------------------------------------------------------------------------------------------

バンド名の由来は?

Jeremy Katz(ベース)(以下略):ホントに冗談でしかなかったんだ。僕らはサーフィンをしながら大人になったんだけど「Frothing」ってオーストラリアでよく使われるサーフィン用語なんだ。

(訳者注:「とても興奮している」の意。しかしながら、バンド初期2013年にヴォーカルのJoo-Jooが明かしたところによると、「Froth」にはよりセクシャルな意味がある模様。詳しくはこの記事の中盤参照。)

今年(2017年)はいろいろありますよね。まずは最近アルバムをリリースされました。アルバムへの反響には満足されていますか?

反響はとてもいいみたいだよ。いまのところUKやヨーロッパの方が反響がいいように感じる。まぁ僕らにとってはいつものことなんだけど。

新アルバム「Outside (Briefly)」の中で一番気に入ってる曲は何ですか?


アルバム3作目「Outside (Briefly)


僕個人としては「Petals」って曲が好きかな。アルバムの中のお気に入りなんだ。2曲目の「Shut The Windows」も好きだな。うん、でもアルバム全体についてとても満足してる。

ツアースケジュールを見せて頂いたんですが、本当にノンストップですよね。睡眠不足で死なないようにどうやってこのスケジュールをサバイバルするのですか?

そうなんだけど、分かんないや!アルバムが出て、9月半ばまでは基本的にツアーなんだ。ちょうど昨夜1ヶ月のツアーから戻ったばかりでめちゃくちゃ疲れてるよ。今は2週間の休暇中なんだけど、その後また2ヶ月ツアーに行くんだ。

バンド初期の頃の話についてですが、バンドの中には最初、楽器の演奏の仕方をほとんど知らなかったメンバーもいるって話を読んだのですが、今のFrothの牽引力を考えるととても感慨深いものがあります。あまり経験のなかったメンバーがどうしてこんなに早く自信をつけることが出来たのでしょう?

バンドを始めた頃、僕とJoo-Joo(ヴォーカル&ギター)はバンドで演奏したことなんてなかったんだ。Joo-Jooはほんの数ヶ月ギターを弾いてただけでかろうじて歌えるって感じだった。僕なんてバンドに入る前は楽器の演奏さえしたことがなかった。

最初は面白がってジャムりまくってるだけだった。それからドラマーのCameronが加入したんだけど、Cameronはとても巧いドラマーだったから、僕らにしてみればCameronの加入のおかげで簡単にバンドが巧くなったよね。大体Cameronはバンドをまとめる接着剤みたいな存在だった。Cameronとプレイするようになってから、僕らは上達し始めたんだ。頼りになるヤツで全部をうまくまとめてくれるんだから。

ちょっとした遊びや冗談で始まったバンドということですが、今現在のスケールにまで到達するって思ってらっしゃいましたか?

全然!もちろん思ってなかった!

数年前、イブ・サンローランがファッションショーでFrothの1曲を取り上げて、モデルとしてメンバー2人を起用したことがありました。あれはどういった経緯で?

イブ・サンローラン2014年秋冬のショーでランウェイを歩いたJoo-Joo


Hedi Slimane(イブ・サンローランのデザイナー(訳者注:2016年退任)がずっとカリフォルニアにいて、Burger Records(訳者注:Frothの所属レーベルのひとつ)関連のありとあらゆるライブに顔を出してたんだ。一度僕らがライブをした時、Hedi Slimaneが写真を撮りに来ててFrothの1曲を気に入ってくれた。それでファッションショー用に15分ヴァージョンを作って欲しいって頼まれたんだ。

あの時のメンバー全員にとって、人生で一番クールな出来事だったよ。


旧メンバー・Jeff Fribourg(右端:オムニコード&アルバムアートワーク担当)がいた頃



その時点で「成功した」と思いましたか?

世界の反対側までタダで行けるのは素晴らしかったよね。当時ツアーさえしたことなかったんだから。動揺しまくってパリまでひとっ跳びって感じだったな。

成功っていう風には思わなかったけど、多分「あぁ、これってマジなんだ」みたいに思ってた頃かな。

では将来的にFrothにはどのくらいビッグになってほしいですか?

出来るだけ多くの人に僕らの音楽が届いて欲しいって思うだけだよ!名声を手に入れるのも素晴らしいことだけどね。名声について時々考えてるのも事実だけど、僕にとってはクールなアルバムを作ることの方が重要だね。いつだって最終的なゴールはそこにある。

バンドが形になっていく上でロサンゼルスという街からはどのような影響がありましたか?

Frothを始めた頃、ロサンゼルスには揺るぎない音楽シーンがあった。その音楽シーン全体がエコパーク辺りで開花したって感じだった。本当にたくさんのバンドがひしめいてた。友達は皆んなバンドやってたし。ロリポップレコード(訳者注:Jeremy Katz本人も参加しているレーベル)もあったね。皆んなライブに出て一緒にブラブラしてた。だからFrothが形になっていく上で影響しているのは間違いないよ。僕らの周りで起こってたことを見れば明らかだよね。

ロサンゼルス以外だと、アメリカのどこで演奏するのが一番楽しいですか?

メンバー全員にとって西海岸のツアーは楽しいよね。休暇みたいだからってだけなんだけど、景色もとても綺麗だし。やることもたくさんあるよね。運転する距離もそんなに遠くないし、観客はいつだって素晴らしいよ。僕らはテキサスでプレイするのも大好きだなんだ。何でだか分からないけど、テキサスだとライブがうまくいく。

僕はフロリダ出身だからいつもツアーはマイアミで終わるんだ。ツアーでフロリダまで行くバンドは多くないけどね。ツアーでは大体アメリカのはずれまで行くよ。アメリカ中部は全体的にちょっとクソだけどね!

今年はSXSWでもプレイされましたよね。実際、英国ではSXSWに関する情報がたくさん飛び交っています。有名な音楽ジャーナリストがSXSWをレポートしようと集まってくる傾向にあります。SXSWは報道されるほど素晴らしいものなのでしょうか?


【SXSW 2017】 Froth Live in Las Vegas (March 10, 2017) (Full Set) 


個人的にはキライだけどね!死ぬほど知り合いに会えるしいろんな人を見れるから、あそこに2日いると、いつだって結局は楽しめるんだけど、個人的な意見を言わせてもらえば僕らみたいなバンドにとっては全く時間とカネの無駄だよね。

英国とかヨーロッパからライブを観に来る人にとっては楽しいんだと思う。だってバンドをたくさん観たいわけだから。だけど狂ってるよね。カネはかかるしかったるいし、馬鹿げてるよ!初めて行った時は最近行った3回よりは楽しめたけどね。

SXSWの出演者として名前があった海外の複数のアーティストが国籍のせいで今年、入国を拒否されました。トランプ大統領のせいで海外からの優秀なアーティストがツアーのためアメリカにやって来るのを抑えられる状況は続くと思いますか?

そうならないといいけどね。だけどヤツに何が出来るかなんて誰にも分からないよ。だから多分トランプ以外の皆んなが嫌がることをすべてやってみるつもりなんだろうね。

では大西洋を越えてパフォーマンスのために英国まで行くわけですが、楽しみにしていらっしゃることは何ですか?

僕らは全員いつも英国に行くのを楽しんでるよ。特に僕はずっと行きたかったグラスゴーに初めて行けるからワクワクしてるんだ。マンチェスターにも行ったことないけど行くよ。あとブリストルも。イングランドの新しい街がたくさん。いつだってライブするのにお気に入りの街だから、僕らはとってもワクワクしてるんだ。

英国でのライブについてファンが期待出来ることは何でしょうか?

レコードよりちょっとだけ早めの曲を聴けるって思ってくれていいよ。図らずも僕らがいつもやっちゃうことだけどね。次回のツアーではヴィジュアル的な何かも取り入れてエネルギをー高めにキープしてみるつもり。英国の皆んなはライブに来て自分自身で体感してみるべきだよ!


最新作「Outside (Briefly)」より1曲目「Contact」