8 July 2017

The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)について知るべき6つのこと


【ネタ元英語記事】 Six Things to Know About Teen Sensations the Lemon Twigs (2016年10月19日)

以下、当サイトによる翻訳



The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)は、2016年に出現したバンドの中でも最も気になるバンドのひとつである。ニューヨーク州ロングアイランド出身のこのバンドは、Brian D'Addario(ブライアン・ダダリオ)とMichael D'Addario(マイケル・ダダリオ)の二人兄弟から成り、彼らは類い稀なる音楽的才能を誇る神童なのである。時代に逆行したエキセントリックなヘアスタイルや衣装のせいで、アヤシイ少年との印象を受けてしまうかもしれないが、デビューアルバム<Do Hollywood>(4ADからリリース済)が示すとおり、彼らはただ自分たちの才能に全力投球しているだけなのだ。

先日、「Exclaim!」はThe Lemon Twigsの全てについて知るためD'Addario兄弟と話をすることができた。



10代のセンセーション「The Lemon Twigs」について知るべき6つのこと:



6. The Lemon Twigsは小学生の時から一緒に演奏を始めた。

まだティーンエイジャーだというのに ― Brianは19才、Michaelはたった17才 ― 二人はもう10年もバンド活動をしている。

「最初のバンドは小学校の3年か4年か、5年生とかで始めた」、Brianは認める。「とあるバンドを学芸会でやったんだけど、それからもっと真面目にやるようになって…。“MOTP(Members of the Press)”ってバンドだったんだけど、もうその名前は他のバンドに使われてた。ほとんどカバーソングをやってたんだけど、それから時々曲作りをして発表したりしてた」。


MOTP(Members of the Press)


The Lemon Twigsは10代になってから結成した。「Michaelが14才、僕が16才の時」だとBrianは言う。「Michaelには素晴らしい曲作りの才能があって、自分で曲を書いて歌ったりしてたんだけど、それって僕の曲には欠けてることだったんだ。Michaelの曲を聴くまで、僕はひとりで曲作りをするのに夢中で弟のことは分けて考えてた。でもMichaelの曲を聴いてから彼の助けを借りない手はないと思ってね。それから僕らのコラボレーションが本格的に始まったんだ」。


5. The Lemon Twigsは音楽一家の出身である。

彼らの父親であるRonnie D'Addarioは、優れた作曲家であり、セッションミュージシャンであり、またプロデューサーでもあり、1970年代~1980年代にかけて活躍していた。父親のThe Beatlesに対する愛情は、The Lemon Twigsがようやく歩けるようになった頃には、既に受け継がれていた。一方、彼らの母親は音楽を鑑賞する方法を教えた。

「父親からかなり影響を受けたけど、母親からもそうだよね」、Brianは語る。「母親は歌が巧くて、まだ幼い頃から兄弟でハモることを教わったんだ。でも父親ははミュージシャンだから、歌はポップであるべきだけど、そこにはある程度の深みもなきゃダメだって考えで…。メロディーと一緒にコードを付ける時は特にそうだった。コードは最初に思い付くものを使っちゃダメなんだ。シンプルなコード進行を避けられるなら、そうすべきだって教わったんだけど、成長しながら父親の音楽の中に父が言ったとおりのことを感じてた。僕らは父親を本当に尊敬してるし、母親からの影響も大きいんだ。ウチの母親って、音楽のこととなると決して飽きることを知らないから…。複雑な音作りをする努力は大事だけど、他の音楽をくだらないって全否定すべきじゃないって。だから母親からは他の違ったタイプの音楽も愛するよう教わった」。


4. D'Addario兄弟は子役として有名だった。

The Lemon Twigsの誕生以前、兄弟は二人とも子役として活躍していた。兄Brianは、ニューヨークで「Law & Order:性犯罪特捜班」「CSI:科学捜査班」のエピソードに出演していた。一方、弟Michaelは兄よりさらに成功しており、「Sinister(邦題:フッテージ)」ではEthan Hawkeの息子役、「People Like Us」ではChris Pineの疎遠な甥役という重要なポジションを演じていた。D'Addario兄弟によれば、演技をした経験は音楽でのキャリアをスタートさせる良い準備になったという。


「People Like Us」 - Michaelの役名は“Josh”


「パフォーマンス面から言うと、ステージ上であまり緊張しないよね。台詞を覚えたかったらあんなに小さくてもちゃんとしてなきゃならなかったから」、Brianは言う。「たくさんのことを無意識にやる方法を覚えるんだ。それで間違いを防げるようになる。どうしてそうなるかっていうと、毎日同じセリフを繰り返し練習しなきゃならなかったから」。

彼らのどちらも“演劇の虫”を完全に捨てたわけではなさそうだ。「間違いなくThe Lemon Twigsはフルタイムのプロジェクトだけど、将来また役者に戻りたいって僕らは思ってる」、Brianはそう付け加えた。「演じることと僕らが音楽でやってることの間に何かつながりがあったらクールだよね。昔よくロックンロール映画みたいなのがあったけど、そういうのをやれたらカッコいいかもね。もちろんThe Beatlesの映画と較べたらかなり小規模になるだろうけど」。


3. The Lemon Twigsのニューアルバム<Do Hollywood>はデビューアルバムと言われているが、実はそうではない。

2014年、The Lemon TwigsはWinspearから限定版のカセットテープ<What We Know>をリリースした。100個限定のリリースであり、バンドはまだ自分たち独自のサウンドを追求している段階だった。


The Lemon Twigs - What We Know


「<What We Know>は僕らが作りたいと思ってた音楽で、<Do Hollywood>は実際僕らが作りたい音楽」、Brianは説明する。「<What We Know>をやってすぐ、サイケデリックバンドになりたいっていうゴールを達成できてないことに気付いたんだ。それにサイケデリックバンドっていうのが自分たちにはしっくりこないってことも分かった。<Do Hollywood>の制作で曲を書いて2年経ったんだけど、今はこっちの方がいいって思える。それにに気付けたってことが重要だったと思うんだよね」。


限定100個のカセットテープ(もちろんSOLD OUT)



2. <Do Hollywood>はFoxygen(フォクシジェン)のJonathan Rado(ジョナサン・ラドー)がプロデュースした。

<Do Hollywood>収録曲はすべて、彼らがRadoと共にスタジオ入りし、作曲・アレンジしたものである。Radoは、ごく最近Whitney<Light Upon the Lake>もプロデュースしている。


The Lemon Twigs - These Words


「デモ音源には1曲1曲愛着が湧くものだけど、フル音源を通しで聴いた時、Radoが全体的なサウンドに貢献してくれてるのが分かったんだ」、Brianは言う。「完成版の方が断然いいと思ったよ。彼はプロデューサー以外の何者でもないんだ。だって、レコーディングのサウンドに関して、すごく責任を負ってたわけだしね。ドラムやギターのサウンドもそうだし、各パートにどんなシンセサイザーを使うかとかも分かってるわけだし。僕ら二人が安心していられて、レコーディングについてのアイディアが僕らと同じっていうのもとても重要だったよね」。


1. The Lemon Twigsは二人とも<Do Hollywood>で曲を書いているが、一緒には書いていない。

BrianとMichaelは、ソングライティング作業を二人でシェアしているものの、一緒にはやらなかった。実際アルバムでは、それぞれの曲が交互になるようアルバムに収録されている。

「それって僕らがスゴいエゴの持ち主だってことなんだ」、Michaelは言う。「そうじゃないなら、当時僕らがもっとスゴいエゴの持ち主だったってことかな。もう一人の曲なんてやりたくないってお互い思ってたんだ。二つの別々のバンドでいたい…みたいにさ。でもBrianの曲も自分の曲と同じくらい好きだし、だからソングライターは一人より二人いた方が、良いバンドって言えるんじゃないかって僕らは考えたんだ」。




だが、<Do Hollywood>の完成以来、彼らのソングライティングのプロセスは変化している。今や二人はコラボレーションするようになったのだ。「うん、アルバムが完成してからすぐのことだよ」、Michaelはそう認める。「偉大なソングライターの多くが共作してるし、その方が簡単なんだ。まぁ簡単になり過ぎる場合もあるけど…。自分以外の人間に影響され過ぎる場合もあるから、僕らが共作するのは限られてて、同時にひとつのアイディアが浮かんだ時か、曲作りに煮詰まってる時に同じ答えを見つけた時だけなんだ。曲を作ってて流れるようにうまく行ってる時、他の誰かのエネルギーを注入したいなんて僕は思わないよ。だってホンモノの曲って多分、ひとりの人間のヴィジョンについてのものだと思うんだ。だから共作について僕らは、元々良いアイディアだとは思ってなかったけど、今じゃ良いかもって思ってるって感じに近いね。僕らは高慢過ぎたんだと思うよ。今はもう共作のメリットも分かってる」。



5 July 2017

Childhood(チャイルドフッド) | "Universal High" | Ben Romans Hopcraft(ベン・ロマンス・ホップクラフト)インタビュー


 
【ネタ元英語記事】 Childhood - California Light So Young Magazine Issue #13

以下、当サイトによる翻訳


Childhood(チャイルドフッド)のデビューアルバム「Lacuna」のリリース以来、サウスロンドンの音楽シーンは繁栄を続け、Ben Romans Hopcraft(ベン・ロマンス・ホップクラフト)は忙しい日々を送っていた。シンガーとのコラボレーション、作曲活動、またWarmduscherとのレコード制作では、Fat White FamilyのSaulやSean Lennonと非常に目新しい音作りに取り組んだ。

そうしている間にも、BenとChildhoodの他のメンバー(やはり音楽のサイドプロジェクトで活動していた)は、素晴らしいニューアルバム「Universal High」、そしてロンドンへのラブレターとして、本アルバムからファーストシングル「California Light」を制作していた。Childhoodに今何が起こっているのか、また2017年の彼らに何が待ち受けているのか、Benに話を聞いた。

Ben Romans Hopcraft(ベン・ロマンス・ホップクラフト)
 
  
Childhoodでの活動や、Warmduscher、Insecure Men等他のバンドでの活動で、サウスロンドンの音楽シーンに大きく貢献されてますよね。Goat GirlShameHMLTDみたいな新人バンドがシーンに出てきていることについてはどう思いますか?「Lacuna」のリリース以来、随分状況が変わってきているようですが…。
 
確かに変わってきてるよね。素晴らしいことだよ。皆んなが自分たちのサウンドを発展させて、Windmill [訳者注: ブリクストンにあるライブハウス] でプレイしてライブ会場を賑わしてる。全ての音楽が僕の好みってわけじゃないけど、サウスロンドンの音楽シーンは間違いなく栄えてる。良いことでしかないよね。
 
あなた方の音楽にはいつもエレクトロミュージックのリミックスの影響が見て取れますが、このアルバムを制作していた頃は、どんなアルバムを聴いていたのですか?
 
いつも聴いてるのと同じかそれ以上のものをたくさん。最初の頃はTodd RundgrenやShuggie Otisを多く聴いてた。それからフィラデルフィアソウルにめちゃくちゃのめり込んでたのを覚えてる。Smoky Robinsonの「Quiet Storm」とかGil Scot Heronの「Winter in America」に夢中だった。それからDoomやQ-Tipの自分のレコードを聴き始めて…そのサンプリングからたくさんのレコードを発見した。The Blackbyrdsの「Flying Start」とか、Black Ivoryの「Don't Turn Around」みたいなね。
 
自分たちがスタートした頃と較べて、今の新人バンドにより強いコミュニティー精神が存在すると感じますか?
 
難しいね。近くにもっとたくさんのバンドがいるってだけの話じゃないかな。それって助かるものだけどね。僕が10代の頃だと、サウスロンドンでバンドを始めるのってもっと大変だったんだ。A&R [訳者注: レコード会社の職種。アーティストの発掘・契約・育成等を担当] なんて来てくれやしないからノースロンドンまで行かなきゃならなかったし。ライブハウスももっとガラガラで、客は大体他のバンドの奴らだった。だから知り合いになる時は、ちょっとお互い気を使ってたと思うよ。だけど全体的に今の新人バンドって、いつも一緒にプレイして遊びに行くのも一緒って風に見える。皆んないい奴らで音楽に夢中なのっていいことだけどね。
 
新しいバンドの多くが自分たちの楽曲に政治的なスタンスを持ち込んで、今の政治情勢に悲観的になりかねない見解を持っているようです。ご自分の今現在の役割について、そういった終わりのない皮肉に対して、何か現実逃避的な夢を与えることってあると思いますか?
 
全然思わないな。政治について書くのって素晴らしいことだと思うよ。もし自分の作品の中で表現してる見解が本物であればね。だったらそれは重要で説得力のあるものなんだ。それがなければ自分が個人的に経験したことについて、本当に感じたことを書くだけさ。社会的な考えだったり、人とのつながりについてだったり、ストーリーだったり、何でも。大切なのは、そうしなきゃいけないって義務的に感じたり、そうするのがカッコいいって理由で書かないことだと思う。そういうのっていつも見透かされちゃうからね。
 
 
 
ニューアルバムについては、どう説明しますか?
 
ソウルを注入したポップアルバムかな。このアルバムが受けてる影響は「Lacuna」の時より意図的なものなんだ。それに全体的にもっと成熟したサウンドだと思うよ。Childhoodのヘビーな精神もまだ生きてるから、そのうち皆んな分かるよ。
 
 
Childhood - California Light
 
「California Light」のビデオには、ロンドンのソウルフルな景色がいろいろ出てきます。ニューアルバムを制作する上で、ロンドンというのは大きな影響をもたらしたものなのでしょうか?
 
もちろん。あの作品は、全部ロンドンでの今の生活について描いたものなんだ。今、大部分の人が苦しんでいるであろう集団の解体についてもちょっと触れた作品。それと人々の関係性がどんな風に形成されて、そこに現代のロンドンがどんな風に活気を与えているかについても描いてる。

残りの2017年、Childhoodに何を期待していいでしょうか?

ライブ。フェスにいくつか出るし、ツアーも企画して、作曲も続けるよ!
 
*2017年7月19日日本先行発売「Universal High」。日本語ページはコチラ(ボーナストラック2曲有)


1 July 2017

ストライプス(The Strypes)インタビュー|The Sunday Times(2017年6月4日)



【元ネタ英語記事】 Lean, mean writing machine (2017年6月4日)The Sunday Times

以下、当サイトによる翻訳


 
The Strypes(ザ・ストライプス)は目新しい存在のティーンエイジャーからタイトなポップパンクを演奏する大人へと進化を遂げた。が、キャバン発のこのバンドにとって、その変遷は決して容易なものではなかった。The StrypesがTony Clayton-Leaに語った。

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「動物や子供と一緒に出演するな」とは、昔からショービジネスの世界で言われてきたことである。よく知られた格言ではあるが、両者は予測不能な生き物であり、わんぱくな振る舞いをしがちで、眠って欲しい時に決して眠ることはない。

そんな言葉もキャバン出身のバンドThe Strypesが2010年に現れた頃には真実味があった。その年のLate Late Toy Showで、とっくに思春期を過ぎたような大人のリズム・アンド・ブルースをプレイした時、メンバーは4人共まだ13才か14才。同年代のバンドなら皆そう見えるだろう年相応のルックスをしていた。目新しくもあり、操り人形のようでもあり、また両親のレコードコレクションの影響の集大成のようにも見えた。まだ幼かったので仕方ないのだが、大人たちの困惑した気持ちは理解できていなかったようだ。

では今はどうなのか?21才のギタリストJosh McCloreyは、その物腰から「ロックスター」の風格がにじみ出ており、腕にはタトゥーが点在している。右腕には「未来は暗い」と刻まれ、左腕にはキャバンの紋章が見える。一方、20才のドラマーEvan Walshは、まるでMalcolm McLarenが1976年にあつらえたようなスマートなスタイルだ。つまり学校の授業は終わっているのだ。それも永遠に。

教科書を捨て去ることになる日は、早い段階でやってきた。2012年4月、デビューEP「Young, Gifted & Blue」によってElton JohnがオーナーであるRocket Musicとのマネージメント契約を取り付けた。その後、レコードレーベルの争奪戦が勃発。同年末、The StrypesはUniversal Music Groupの一員であるMercury Recordsと契約する。それ以来、大学進学のような古風な考えに迷っている暇はなくなった。急速に変化していく音楽業界の中で、バンドメンバーが成長するスピードは、恐らくあまりに早過ぎたのである。

The Strypesにとってティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった


「この4年間、音楽業界にどう対処すべきか学習したんだ」。そう語るMcCloreyは、謙遜してみせたり、スマートなユーモアのセンスをみせたりと、今やベテランのミュージシャンの趣だ。「ダブリンで小規模なライブをやり始めた頃、僕らは全員ヴァンの後部座席にいて、特に頭を使うこともなくて楽チンだった。ただ曲を演奏してればいいだけの話だったから。でも段々と業界にどう対処していくか学ばないといけなくなった。家から遠く離れなきゃならないとか、そういうこと全般についてだね」。

10代のバンドであるにもかかわらず、反X-Factor的なポップスや、ブルーズ、リズム・アンド・ブルース、激しめのソウル、プロトパンクのような古めかしい音楽スタイルを選んでいだことも厄介だった。1960年代初頭~半ばにかけてThe Yardbirds、The Pretty Things、The Who等によってプレイされたような音楽のことである。低年齢であるという理由から、親たちが音楽を学習させ、演奏できるよう過保護に育てたのではと見られがちというのもあった。Evanの父でありThe Strypesのツアーマネージャーを務めるNiall Walshは、1980年代、キャバンのポップパンクバンドThe Fireflysのメンバーだった。ちなみに、このバンドのローディーはMcCloreyの父である。

「僕らが音楽にのめり込むよう仕向けられたって思われてるけど、それは違うんだ」。Evan Walshはソフトな口調で話す。Walshの下襟はパンク音楽のバッジで飾られている。その口調は弁明しているというよりは本当のことに聞こえた。「僕らは両親のレコードコレクションから気に入ったものだけ選んで聴いてたけど、それの何がいけないのかな?このバンドのこのレコード持ってないのかって質問しまくって両親を困らせてたのは僕らの方なんだ。子供ってだいたい親の好きな音楽に反抗するものだけど、僕らはラッキーだったよね。実際、僕の場合だと、家族皆んなでそれぞれ好みの音楽について話したりしてるからね」。

The Strypesがプレイする音楽のジャンルが、バンドのスタート当時から混乱の原因だと見られていたことについて、Walshは否定しなかった。「幼い4人が演るような音楽じゃなかったよね。でも僕らはあそこから成長していったんだ」とWalshは言う。McCloreyによれば、初期のThe Strypesに起こった現象は、ほとんどのバンドに起こり得ることを反映しているいう。「最初は皆んな、昔、自分たちが聴いてたミュージシャンのサウンドに似てしまうものだけど、どのバンドも次第に成長していく。典型的な例がThe Who。1960年代初めにノイジーなブルーズバンドとしてスタートしたんだけど、その後どう成長していったか見てみてほしい」。



サードアルバム「Spitting Image」[訳者注:生き写し・そっくり・完全な類似の意] ― 確実に評論家たちが喰いつくであろうタイトルである ― リリースを間近に控え、バンドはより広範囲にそのスタイルを発展させていた。4年前の小生意気なバンドは、無駄はないが熱量は失わない有望なバンドへとその姿を進化させていた。その“テンプレート”は、スーツとブーツ着用のリズム・アンド・ブルース・スタイルからコマーシャルでタイトなポップパンクへと変貌している。Elvis Costello、The Attractions、The Jam、Nick Lowe、Buzzcocksといった、よりスマートで洗練されたパンクの影響が溢れ出している。しかしながら、かつて明らかに借り物に見えていたものが、今や自然な進歩のひとつとして認められるようになっていた。初めて全ての楽曲を自分たちで作詞したおかげで、The Strypes自身のものになったように感じられるのだ。The Strypesは未だ進むべき道を模索中ではあるものの、その地盤は固まりつつあるようだ。「それが16才と21才の違いさ」、Walshは断言する。「客観的に言えば、僕は古い曲の方が好きだけど、人生の大事な時期に当然人は成長していくものだからね」。

だが、ティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった。衆人環視の中で ― それはダブリン、ロンドン、東京あるいはキャバンだったりするのであるが ― 成長するのは容易ではないことをWalshとMcCloreyは共に認める。「あんなにたくさんの人にああだこうだ言われたら絶対影響されるよね。だけどそういうのを経験して、気にしないようにすることを学習するものなんだ。今じゃ自分が耐えられることと耐えられないことが分かるようになった。…って言っても、自分は今でも同じ人間だからね。16才の時の自分がどんなだったか考えるのは難しい。Facebookの思い出や自分の写真を見て、何やってたんだぁ~?ってなる。で、今から5、6年後、21才の時の自分を振り返ってまた同じことを言うと思うんだ。16才の頃の自分は、あらゆることについて確信を持ってた。自分がどういう奴なのかは今も良く分かってる。前よりいろんなことに対して知識があるし、人の言うことも前より絶対聞くようになった」。

Walshの評価も同じである。「これまでに起きたことって、僕の人生の中では出来るだけさっさと終わらせてしまいたい時期だったんだ。で、結局そういう風になったんだけど。何でもいいから人生に別のオプションがあれば良かったっていうような願望もあまりなかったから、僕らはどっちの世界のいいところも経験したってことだよね」。他のバンドメンバーや友人達と同じで、Walshもまた、あれこれ言われたり「ライブ演奏以外で注目の的となること」に乗り気ではなかった。「僕にはそういうのってしっくりこなかったんだ。もう気にしなくなったけどね」。

音楽業界からの要求や気まぐれはあれど、The Strypesの少年から大人へのストーリーには良い面もあったとMcCloreyは言う。「テストのプレッシャーもなかったし、大学へ行ってキャバン以外に住まなきゃならないってプレッシャーもなかった。それに今も子供の頃と同じ友達がいる」。キャバンを拠点としてツアーに出掛けることはできるが、その逆は不可能であることは、このギタリストの腕に刻まれたキャバンの紋章のタトゥーを見れば明らかである。「ニューアルバムの曲は全部、家で書いたんだ。ロンドンに住んでないって言うと皆んな驚くけどね。僕らはキャバンに住んでるんだ。 ― そうしない手はないよね?」

Spitting Imageは6月16日、Virgin/EMIからリリースされる。