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13 July 2016

「Kid 4077」ことNile Marr(ナイル・マー)インタビュー(当時15才!)


Kid 4077ことNile Marr(2007年(当時15才))

元The Smiths (以下、ザ・スミス)ギタリスト・Johnny Marr (以下、ジョニー・マー)息子が、「Man Made (マン・メイド)」 なるバンドを結成し、デビューアルバムまでリリースしていることはイマイチまだ日本で知られてない。…で、翻訳記事にしようと思いリサーチしたら、何とNile Marr (以下、ナイル・マー)が若干15才の頃から「Kid 4077」名義で活動していたとの事実判明で、急遽予定変更。

2007年6月1日地元マンチェスターで、(自身が未成年なだけに)未成年OK対バン企画に「Kid 4077」名義で参加する前のナイル・マー・インタビューを和訳しました。当時15才のギター・レジェンド息子のフレッシュなコメントをご覧下さい。


【元ネタ英語記事】 http://designermagazine.tripod.com/Kid4077INTERVIEW.html

以下、当サイトによる和訳

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数ヶ月前、ナイル・マーは、キャパ4000人のライブ会場を満杯にする、とあるUKメジャー・バンドからサポート・アクトのオファーを受けた。だがその後、彼が15才であることが判明。保険関係のゴタゴタも絡み、元々他のサポート・アクトも企画されていたとあって、この話は白紙に戻されたものの、この人物こそがKid 4077名義のソングライターであり、Arctic Monkeys(以下、アークティック・モンキーズ)やThe Libertines(以下、ザ・リバティーンズ)より、Bob Dylan (以下、ボブ・ディラン)やJohn Martyn (以下、ジョン・マーティン)を好んで聴くというナイル・マーである。

ザ・スミスやModest Mouse (以下、モデスト・マウス)のギタリストであるジョニー・マーを父に持つナイル・マーは、常にミュージシャンに囲まれ成長した。しかしながら、そんな彼が公式ソロ・ライブのステージに立つのは、2007年6月1日の今回が初となる。ここに至るまでには、やはりKid 4077名義で、「Shameless(以下、シェームレス)」の放送作家であるPaul Abbott (以下、ポール・アボット)の息子をフィーチャーしたグループの解散もあった。プロデューサーになるのか、ピアニストになるのか、ドラマーになるのか・・・。数年に渡る葛藤の末、ギタリストでありソングライターになるとの選択をナイル・マーがしたのは比較的最近の話である。

この日、当Designer Magazine (デザイナー・マガジン)とのインタビュー後、ナイル・マーは一般紙「The Telegraph (テレグラフ)」のインタビューを受ける予定である。そのインタビュー内容は、ほぼソールド・アウトとなっている初ライブのこと、グラストンベリー・フェスティバルでPaolo Nutini (以下、パオロ・ヌティーニ)と会う予定になっていること、その後2人がアメリカで共作予定であること等であるらしい。ナイル・マーの未来は明るい。




ナイル・マー(My Space より)



― Kid4077名義のソロ・アーティストとしては2007年6月1日が初の公式ギグだよね。業界の批評家から絶賛されてるみたいだけど、ソロでステージに立つことをどんな風に感じてるの?

ワクワクしてるよ。実際、僕はこのギグを自分にとって大きなチャンスだと考えてて、ミュージシャンとして、パフォーマーとして成長出来ると思ってる。だから本当にこのギグが楽しみなんだ。ソロでやることについては、実際ホッとしてる。自分が演りたいことを演れるわけだし、最大限にクリエィティブでいられるチャンスだって思ってる。ギグの日は、曲の中の何かをいつもより長く演りたいと思えばそうするし、何かをちょっと変えてみたり、足してみたり…観客からもらったその日のヴァイヴスによって好きに出来るってことだよね。だから僕にとってソロっていうのは、いい流れでしかないんだ。作曲する時は、ロックな曲でも1人きりでアコギで作るけど、満足するまで何度も何度も演るんだ。だから自分の曲を作曲した時みたいにアコースティックで演ってみたり、完成形としてこんな風に演るつもりだった…みたいにロックっぽくも演れるわけで、そういう自由があるよね。


― 君のバンドには「シェームレス」の放送作家ポール・アボットの息子のTom Abbott(トム・アボット)がいたこともあったよね。一緒に演るようになったのはどんな経緯で?「次世代のスーパーグループ」みたいなレッテルを貼られるのは平気だった?

トムは学校の親友で、クラスは違ったけど中等学校に入学した時、一緒のバスになって初めて喋った時から意気投合したんだ。めちゃくちゃ仲が良かったよ。バカ笑いしたり、とにかく一緒にいると楽しかった。出会った頃、彼の父親が誰かなんて知らなかったし、そんなことどうでも良かった。

2人で同時にドラムを演ることに決めたんだ。ある日トムがフラっと僕んちにやって来て、僕のドラムセットを叩き始めたから、2人でドラムを学ぶことになった。トムは僕よりドラマーっぽくって、僕はというと、いつもメンタル的にギタリストとかミュージシャン寄りで、ドラマーとは言い難かった。だから僕のドラミングにはいつもそれが反映されてた。作曲のやり方を覚えてから、ドラマーになるためというよりは、曲を次のレベルに持って行くためにドラムをプレイしてた。

ギタリストになるっていう本能に自分が屈したことは嬉しく思ってる。ドラムセットを引きずってるよりギターを持ち運ぶ方が全然楽だしね。だから僕らは一緒に演ってたんだ。トムがドラムで僕がギター、僕らは友達でただ一緒にプレイしたかった。

で、次世代のスーパーグループとかってレッテルをどう思うかってことについてだけど…それは大したことじゃないと思う。僕がギターを弾いたら、どこかの誰かが絶対に父と較べるってことはもう分かりきっていて、でも父は父の音楽を、僕は僕のプレイしたいことをやる。つまり僕が思うに、僕のやってることがその人達にとって好きな音かそうじゃないかってことだけが問題なんだ。


― 初期の頃の話に遡るんだけど、君の1番最初のバンド「The Waves(以下、ザ・ウェイブス)」ではドラマーだったんじゃなかったっけ?1番最初はドラマー?それともギタリスト?音楽を人前で演るようになったのはいつが最初?

僕は音楽に囲まれて育ったし、周りにミュージシャンがたくさんいた。だから音楽は僕の人生の大部分を占めてるし、これからもそうだと思う。レコードを聴くと、なぜそのサウンドが素晴らしいのかよく分かるし、プロデューサーのマインドを常に持ってる。だから何か楽器を弾こうとすると大抵簡単に感じる。実際、ピアノは6才位で始めた。両親がコードとか楽譜の読み方を理解するのに役に立つんじゃないかって考えてやらせたんだ。ピアノは数年演ったけど、その時点ではミュージシャンになりたいなんて思ったことはなかったよ。ピアノの先生に言われた曲をこなして、ただそれだけだった。

数年後、ピアノは自分のやりたいことじゃないって思って止めちゃったんだけど、楽譜なんて読めるようになってなかった。でもピアノを弾くことは止めなかったんだ。必要な時は今でも、自分の曲に合わせてピアノで伴奏してる。それで13才位の頃、ドラムを始めた。その頃はドラム譜の読み方を勉強したことも、曲の中のドラムを耳コピーしたこともなかった。そんな能力があったらある程度は叩けるんだろうけど、僕の好みや僕の知ってるドラマーは普通過ぎてそんなことはやっちゃいなかったし…、だからドラムの先生みたいなドラミングをしようと思ったことは一度もなかった。その代わり、ギタリストみたいにドラムを叩いてた

で、ドラムがそこそこ叩けるようになった頃、ザ・ウェイブスのシンガーで同じクラスのヤツにドラムを演ってくれって頼まれたからOKしたんだ。楽しいに決まってるし、ザ・ウェイブスは僕らの世代で唯一まともなバンドだったから。でも僕が加入した頃、バンドはまだウェイブスって名前じゃなくて「The Void(ザ・ヴォイド)」って呼ばれてたんだ。酷い名前だよね?で、僕が「ザ・ウェイブス」って名前を思い付いて、そこから全てがスタートした。新しいベーシストを連れてきて、僕がドラマーをやった。しばらくすると、僕の中のギタリストの方が勝つようなってきて…ギターを弾きまくってたし、バンドのために作曲も始めてたし…。だからドラムよりギターを弾くようになってた。で、そろそろドラムは止める時期だって悟って、ギターだけに専念するようになったんだ。






― 子供の頃って親のやってることに反発したりするものだよね。君は覚えてる限り幼い頃から音楽に夢中だったの?それとも最初はお父さんの後は追わないぞって思ってたの?

ミュージシャンになろうなんてホントに思ったことはなかったんだ。父がそうだからっていうんじゃなくて、自分自身がやることとは思えなかったから。でも常に周りに音楽が流れているような環境で育って、自分の生活の中にミュージシャンが出入りしてると、自然と音楽とか音楽に関するいろいろが好きになっていくものだよ。


― お父さんはどんな風に君の音楽スタイルの形成を手助けしたの?お父さんはどんなレコードをくれて、聴いてみなさいって言ったの?

どんなに抵抗しようと誰でも皆、どんな形であれ親の影響を受けるものだと思うよ。ただ僕の場合、「ジョニー・マー」を父親として知ってただけなんだ。もちろん父は僕がギタリストになるのを手伝ってくれたし、僕らがプレイするのを聴いた人にはプレイスタイルが似てるって言われる。僕はそう思わないんだけど。アレが僕なんだし。

ギターを始めた初期の頃は、自分の好きな曲をどうやって弾くのか見せてくれって父に頼んだりして、父が弾いてくれたのを見て、自分のものにするまでただ弾き続けてた。それからまた別の曲をやって、自分の曲をステージで演れるまでになった。で、曲を練習したい時は1人で演って、父と2人で演る時はお互いがいいと思うものを一緒にジャム・セッションした。今思うと、父と一緒にプレイする時は、結局何の意味もない何か新しいものを作ってた。ただその瞬間の衝動的なものをね。

子供の頃から音楽に夢中で、父が最初に買ってくれたアルバムはボブ・ディランの「Desire(欲望)」だったんだけど、あれが僕の人生を変えたんだ。いつもそのアルバムを聴いてて、毎晩そのまま眠ってた。物心ついた頃からボブ・ディランを聴いたことは、僕のギター・プレイに影響を与えてると思う。父が1曲取り上げて出来るだけシンプルに弾いてみせてくれて…好きな曲も嫌いな曲もあったけど、人生の次のステージに連れて行ってくれた曲もあった。ディランのアルバムは僕を音楽好きにした1つの例だよね。1つの音楽や1人のアーティストに出会うことで1人の人間の人生が永遠に変えられてしまう。そんなことが出来るものって他にないよね。


― 古い曲やアメリカのバンドからたくさん影響を受けてるみたいだけど、アークティック・モンキーズやザ・リバティーンズみたいなバンドや新しいUKの音楽を聴いたりしないの?君にとって最も大きな音楽的影響は何?自分のプレイ・スタイルをどう説明する?

アークティック・モンキーズは好きだけど、何度も聴こうとは思わないよね。どういう意味か分かると思うんだけど、かかり過ぎだよね。ザ・リバティーンズみたいな新しいUKモノに関しては、ただ僕向きじゃないっていうだけで…ストレート過ぎるし単調過ぎてあんまりクリエィティブじゃないよね。もし何かのバンドがあんな風にプレイするようになったらすぐ聴くのを止めるよ。だってあのジャンルにハマろうとしてるだけなんだから。僕が何かのバンドを好きになるとすれば曲によるよね。

1番影響されたミュージシャンの1人はボブ・ディランで、ボブの曲は僕の人生を変えたんだ。だからちょうどボブ・ディランが曲を作ってきたように彼の曲を聴き続けてきたことは、僕のプレイに影響してると思うよ。だけど1番影響が大きかったのはジョン・マーティンだね。本当に夢中になって、彼みたいに弾いてるって感じることがある。偶然なんだけどね。ジョン・マーティンを聴き始めた頃、ギター・プレイの全く新しい側面を見た気がしたんだ。僕が夢にも思わなかったギターで、ソロ・アーティストとしてプレイする自分は、1時期ホントにインスパイアされてた。だけど演奏方法について言えば、僕はナイル・マーがするようにプレイしてて、いつだって自分独自のスタイルを追求している。まぁ僕のプレイが誰に似てるか決めるのは、僕じゃなくて他の人達次第なんだけどね。


―My Space(マイ・スペース)では、影響を受けた人物にモデスト・マウスを上げてるけど…、ザ・スミスは好きじゃないの?

ザ・スミスは僕が生まれる前のバンドだから、ザ・スミスの曲からはあまり影響を受けてないんだ。モデスト・マウスは僕が生まれてからのバンドだし、すごくファンなんだ。


― ソロ・アーティストか、またはバンドとして最初に作曲した曲は何?デビュー・アルバムはどんな感じになりそう?

僕が作曲するのは、すべてソロ・アーティストとしてで、それをバンドに持って行く感じ。最初に作曲したまともな曲は「Bethany Joy」って曲で、いつでも一番お気に入りの曲に入るんだ。今、デビューアルバムをレコーディングしてるんだけど、僕のベッドルームのラップトップを使ってやってて、レコーディングしてる時は毎分毎分その時間が愛おしくてたまらないよ。ただクリエィティブになれて自分自身を表現できるチャンスだからね。時間を見つけてはレコーディングしてるけど、学校が邪魔なんだよね。でも何とかやってて、今はまだ何をやりたいか探ってる段階。それが終わったら、次に自分がどうするかまだ分からないけど、とにかく作曲してレコーディングし続けて、次に何が起こるか見てみることだけは確か。


― どうして「Kid 4077」っていう名前にしようって決めたの?何か意味はある?この名前はどこから来てるの?

「Kid 4077」って名前は、響きがカッコいいと思ったから名乗ってるだけだよ。意味とかは特にないんだ。






― (2007年)6月1日のギグは未成年OKなギグだね。年齢が若過ぎるせいでUKツアーの大きいのを断わらなきゃならなかったんだって?未成年OKギグはこれから広まると思う?他にも断らざるを得なかった大規模なサポート・アクトはあったの?

僕とパオロ・ヌティーニは死ぬほど2人でプレイしたがっていてグラストンベリーとアメリカのフェスで落ち合ってブラブラしながら一緒にプレイするけど、どうなるか分からないよ。でも多分もう少し待ってどうするか考えなきゃならないと思う。未成年だとライブの機会を得るのがスゴく難しいから、年齢の問題って縛りがキツ過ぎだよね。未成年OKギグが軌道に乗ることを本当に願ってるよ。バンドには大きなチャンスになるし、これからのバンドにとっていいことしかないよね。


― 今回の未成年OKギグで対バンする他のバンド(El Policia/Little Engine/The Sidelines)についてはどう思う?

同じライブでプレイ出来るのをとても楽しみにしてるよ。他のバンドとは皆んな一緒に演ったことがあるし、僕ら全員にとってこの上ない経験になると思う。何が起こるか待ち切れないよ。


― 最後に、このギグではルーパーを使うみたいだけど…これから「Kid 4077」はどんな感じでやっていくつもり?コラボレーションとかは考えてる?

「Kid 4077」がどうなっていくか分からないけど、しばらくは1人で吟遊詩人的なことを演りたいんだ。でも誰かいいバンドメンバー達と出会うかもしれないし、そうなれば一緒に演るかもしれないし、演らないかもしれない。自分が今、特に何か決断する必要なんてなくて、人生の現時点でまだ好きなことをやれる自由があるっていう事実を、ちょうど今楽しんでるところだよ。