【元ネタ英語記事】 Lean, mean writing machine (2017年6月4日)The Sunday Times
以下、当サイトによる翻訳
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「動物や子供と一緒に出演するな」とは、昔からショービジネスの世界で言われてきたことである。よく知られた格言ではあるが、両者は予測不能な生き物であり、わんぱくな振る舞いをしがちで、眠って欲しい時に決して眠ることはない。
そんな言葉もキャバン出身のバンドThe Strypesが2010年に現れた頃には真実味があった。その年のLate Late Toy Showで、とっくに思春期を過ぎたような大人のリズム・アンド・ブルースをプレイした時、メンバーは4人共まだ13才か14才。同年代のバンドなら皆そう見えるだろう年相応のルックスをしていた。目新しくもあり、操り人形のようでもあり、また両親のレコードコレクションの影響の集大成のようにも見えた。まだ幼かったので仕方ないのだが、大人たちの困惑した気持ちは理解できていなかったようだ。
では今はどうなのか?21才のギタリストJosh McCloreyは、その物腰から「ロックスター」の風格がにじみ出ており、腕にはタトゥーが点在している。右腕には「未来は暗い」と刻まれ、左腕にはキャバンの紋章が見える。一方、20才のドラマーEvan Walshは、まるでMalcolm McLarenが1976年にあつらえたようなスマートなスタイルだ。つまり学校の授業は終わっているのだ。それも永遠に。
教科書を捨て去ることになる日は、早い段階でやってきた。2012年4月、デビューEP「Young, Gifted & Blue」によってElton JohnがオーナーであるRocket Musicとのマネージメント契約を取り付けた。その後、レコードレーベルの争奪戦が勃発。同年末、The StrypesはUniversal Music Groupの一員であるMercury Recordsと契約する。それ以来、大学進学のような古風な考えに迷っている暇はなくなった。急速に変化していく音楽業界の中で、バンドメンバーが成長するスピードは、恐らくあまりに早過ぎたのである。
The Strypesにとってティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった
「この4年間、音楽業界にどう対処すべきか学習したんだ」。そう語るMcCloreyは、謙遜してみせたり、スマートなユーモアのセンスをみせたりと、今やベテランのミュージシャンの趣だ。「ダブリンで小規模なライブをやり始めた頃、僕らは全員ヴァンの後部座席にいて、特に頭を使うこともなくて楽チンだった。ただ曲を演奏してればいいだけの話だったから。でも段々と業界にどう対処していくか学ばないといけなくなった。家から遠く離れなきゃならないとか、そういうこと全般についてだね」。
10代のバンドであるにもかかわらず、反X-Factor的なポップスや、ブルーズ、リズム・アンド・ブルース、激しめのソウル、プロトパンクのような古めかしい音楽スタイルを選んでいだことも厄介だった。1960年代初頭~半ばにかけてThe Yardbirds、The Pretty Things、The Who等によってプレイされたような音楽のことである。低年齢であるという理由から、親たちが音楽を学習させ、演奏できるよう過保護に育てたのではと見られがちというのもあった。Evanの父でありThe Strypesのツアーマネージャーを務めるNiall Walshは、1980年代、キャバンのポップパンクバンドThe Fireflysのメンバーだった。ちなみに、このバンドのローディーはMcCloreyの父である。
「僕らが音楽にのめり込むよう仕向けられたって思われてるけど、それは違うんだ」。Evan Walshはソフトな口調で話す。Walshの下襟はパンク音楽のバッジで飾られている。その口調は弁明しているというよりは本当のことに聞こえた。「僕らは両親のレコードコレクションから気に入ったものだけ選んで聴いてたけど、それの何がいけないのかな?このバンドのこのレコード持ってないのかって質問しまくって両親を困らせてたのは僕らの方なんだ。子供ってだいたい親の好きな音楽に反抗するものだけど、僕らはラッキーだったよね。実際、僕の場合だと、家族皆んなでそれぞれ好みの音楽について話したりしてるからね」。
The Strypesがプレイする音楽のジャンルが、バンドのスタート当時から混乱の原因だと見られていたことについて、Walshは否定しなかった。「幼い4人が演るような音楽じゃなかったよね。でも僕らはあそこから成長していったんだ」とWalshは言う。McCloreyによれば、初期のThe Strypesに起こった現象は、ほとんどのバンドに起こり得ることを反映しているいう。「最初は皆んな、昔、自分たちが聴いてたミュージシャンのサウンドに似てしまうものだけど、どのバンドも次第に成長していく。典型的な例がThe Who。1960年代初めにノイジーなブルーズバンドとしてスタートしたんだけど、その後どう成長していったか見てみてほしい」。
サードアルバム「Spitting Image」[訳者注:生き写し・そっくり・完全な類似の意] ― 確実に評論家たちが喰いつくであろうタイトルである ― リリースを間近に控え、バンドはより広範囲にそのスタイルを発展させていた。4年前の小生意気なバンドは、無駄はないが熱量は失わない有望なバンドへとその姿を進化させていた。その“テンプレート”は、スーツとブーツ着用のリズム・アンド・ブルース・スタイルからコマーシャルでタイトなポップパンクへと変貌している。Elvis Costello、The Attractions、The Jam、Nick Lowe、Buzzcocksといった、よりスマートで洗練されたパンクの影響が溢れ出している。しかしながら、かつて明らかに借り物に見えていたものが、今や自然な進歩のひとつとして認められるようになっていた。初めて全ての楽曲を自分たちで作詞したおかげで、The Strypes自身のものになったように感じられるのだ。The Strypesは未だ進むべき道を模索中ではあるものの、その地盤は固まりつつあるようだ。「それが16才と21才の違いさ」、Walshは断言する。「客観的に言えば、僕は古い曲の方が好きだけど、人生の大事な時期に当然人は成長していくものだからね」。
だが、ティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった。衆人環視の中で ― それはダブリン、ロンドン、東京あるいはキャバンだったりするのであるが ― 成長するのは容易ではないことをWalshとMcCloreyは共に認める。「あんなにたくさんの人にああだこうだ言われたら絶対影響されるよね。だけどそういうのを経験して、気にしないようにすることを学習するものなんだ。今じゃ自分が耐えられることと耐えられないことが分かるようになった。…って言っても、自分は今でも同じ人間だからね。16才の時の自分がどんなだったか考えるのは難しい。Facebookの思い出や自分の写真を見て、何やってたんだぁ~?ってなる。で、今から5、6年後、21才の時の自分を振り返ってまた同じことを言うと思うんだ。16才の頃の自分は、あらゆることについて確信を持ってた。自分がどういう奴なのかは今も良く分かってる。前よりいろんなことに対して知識があるし、人の言うことも前より絶対聞くようになった」。
Walshの評価も同じである。「これまでに起きたことって、僕の人生の中では出来るだけさっさと終わらせてしまいたい時期だったんだ。で、結局そういう風になったんだけど。何でもいいから人生に別のオプションがあれば良かったっていうような願望もあまりなかったから、僕らはどっちの世界のいいところも経験したってことだよね」。他のバンドメンバーや友人達と同じで、Walshもまた、あれこれ言われたり「ライブ演奏以外で注目の的となること」に乗り気ではなかった。「僕にはそういうのってしっくりこなかったんだ。もう気にしなくなったけどね」。
音楽業界からの要求や気まぐれはあれど、The Strypesの少年から大人へのストーリーには良い面もあったとMcCloreyは言う。「テストのプレッシャーもなかったし、大学へ行ってキャバン以外に住まなきゃならないってプレッシャーもなかった。それに今も子供の頃と同じ友達がいる」。キャバンを拠点としてツアーに出掛けることはできるが、その逆は不可能であることは、このギタリストの腕に刻まれたキャバンの紋章のタトゥーを見れば明らかである。「ニューアルバムの曲は全部、家で書いたんだ。ロンドンに住んでないって言うと皆んな驚くけどね。僕らはキャバンに住んでるんだ。 ― そうしない手はないよね?」
Spitting Imageは6月16日、Virgin/EMIからリリースされる。