1 July 2025

【祝再来日】Tramhaus(トラムハウス)日本に関する発言まとめ

 

Photo: Marc Elisabeth


ついにロッテルダムのポストパンクバンド・Tramhaus(トラムハウス)の2度目の来日ツアーが本日7月1日福岡からスタートする。今回はあのele-kingにLukas (Vo.)のインタビュー記事が掲載され(!)、Tramhausの日本での知名度向上を願う自分としては嬉しい限りである。…というわけで、2023年11月初来日時の翻訳ボランティアをきっかけに彼らを追い続けてきた自分が読み溜めたTramhausのWeb記事の中から、取り急ぎ彼らの日本に関する発言をキュレーションしてみることにする。


■ 夢は日本でのライブ

まず前回の初来日時の主催・村田タケル氏によるインタビューで、ヴォーカルのLukasは「1年前のインタビューでバンド最大の夢は日本でプレイすることと答えた」と発言していた。そのインタビューがロックダウン中のこれである。


Lukas: 僕らは本当に日本に行きたいと思ってる。とにかくツアーに出たくて、もちろん今は無理だけど、日本は(行きたいツアー先)リストの上位にある。

Source: Heet zonder zweet: de Rotterdamse postpunkers van Tramhaus (Effenaar 2022年1月26日)

■ 日本語が話せるメンバー・Jim(Drs)

そんな彼らの夢が、デビューアルバム発売を待たず早々に実現したのは、2023年11月Dutch Music Export主催のライブ・ショーケースイベントに招聘されたのが大きかったと思う。彼らの自国オランダでの人気もさることながら、Jimの流暢な日本語力が招聘の決め手のひとつになったであろうことは想像に難くない。

実際、各国インタビュー記事のJim発言では村上春樹細野晴臣の名前が挙がる等、かなりの日本通のようである(邦楽に関しては主催の村田タケル氏より詳しいらしい)。自分は前回の来日ライブ最終日、下北沢Basement Barの前で本番用レモンサワーの買出しから帰ってきたJimと鉢合わせたのだが、顔を見て咄嗟に英語で会話した後、「てゆ~か、日本語話せるんですよね?」と話しかけたら、返ってきたJimの日本語力は本当に素晴らしいものだった(このことは自国オランダでもっと知られるべき!)。実は日本育ち…的な答えを期待しながら「何でそんなに日本語上手なの?」と質問してみたら、日本育ちのドイツ人からプライベートレッスンを受けているそうである。

Julia: ドラマーのJimは日本の大ファンで、毎年日本に行って1ヶ月くらいステイしてる。日本語のほぼバイリンガルで2時間抜けてカフェでレッスンを受けたりしてる。

Source: [INTERVIEW] Tramhaus aux portes du succès (Listenup! 2023年11月22日)

■ 一度ファンになったらとことん応援する日本人ファン

今やTramhaus研究家(?)みたいになってしまった自分にとって、ギタリスト・Michaはバンドの中で少し異色な存在である。オランダが誇るサキソフォーンプレーヤー・Benjamin Hermanのアルバムへの参加(なんと彼の苗字である「Zaat」という曲もある!)、共著ではあるがロッテルダムのライブ会場の歴史に関する本の執筆Webメディアへの寄稿等、吉本興業で言えば、又吉的な立ち位置にいると思っている(*万一、英語に自動翻訳された場合に備え補足しておくと、日本のお笑い芸人のエージェント・吉本興業に所属する又吉直樹とは、小説家でもあり、2015年名誉ある芥川賞を受賞)。有名大学卒で歴史や哲学を勉強していたが、今はポストパンクバンドのギタリストとして世界中をツアー中、という異色な経歴の持ち主である。

そんなMichaは折に触れて、日本のファンについて言及してくれるのだが、ツアーでの忘れ難いエピソードについて聞かれた際の答えがこちら(他にも課金は必要だが、オランダ語記事の見出し:日本にも熱狂的ファン「ファンになったら日本人はとことんファンになる」)。


Micha: 日本は本当に何か違っていて、他のどの国の観客とも比べ物にならない。日本の人って音楽を気に入ってくれたら、本当に大好きになってくれる。あの国で経験したホスピタリティーとか謙虚さとか、僕らの方も大好きになっちゃった。

Source: Start Listening To: Tramhaus (Still Listening 2024年5月28日)



Photo: Marc Elisabeth


■ ライブでの日本の観客の反応

個人的に最も興味深かったのは、2024年4月のThe Quietusの英語記事だった。翻訳してブログ記事にしたかったが、あのMichaが「もうこのインタビュアー以外の取材は受けたくない」とインスタで言っていたように、哲学の知識がないと訳しきれない部分が多々あり断念した経緯がある。

この英語記事によると、彼らは初めて訪れた未開の地である日本を「とてもクレイジー」で「細部にこだわる」場所だと感じたようだ(それでもSXSWで訪れたアメリカほどは異質に感じなかった…との記述もあり具体的に訊いてみたい気もする)。


Lukas: すっごく面白いと思ったのは、日本のお客さんってどうリアクションすればいいかこっちに教えてもらいたがるってこと。あるレビューで誰かが「どう振舞えばいいか知りたかったけど、どう振舞おうが関係ないって分かった」みたいなことを書いてた。日本に行って気付いたんだけど、僕がこう(動いてみせる)したら、お客さんが皆んな同じように動いてくれる。めっちゃ覚えるのが早いんだ。だから次のライブでは、よし!これを利用してやろうって思ったよ。

Jim: 日本のお笑い芸人は全員大阪出身。大阪でのライブでは皆んながシンガロングしてくれた。東京のライブはそうでもなかったけど。

Julia: ウチらがやることをマネして(ここでの)ルールは何なのか探ってる感じだった。

Jim: この曲でモッシュピットが見たいって言えば、たぶんやってくれると思うよ。

Source: One Direction: An Interview With Tramhaus (Quietus 2024年4月23日)


この辺りのコメントは初来日した海外アーティストにほぼ共通している気もする。ちなみにお馴染みの「曲間のシーン(静寂)」については特に何も言及がなかった。


■ ギタリストNadyaについて

…とここまで爆速で書いて、Tramhaus結成の張本人・Nadya姐さんが登場していないことに気付いてしまった!前回の来日時、一番長く話ができたメンバーがギタリストのNadyaだったが、それは初来日インタビュー翻訳の為の鬼リサーチで浮かんだ疑問点への答え合わせがしたかったから。

Tramhaus結成前、NadyaはJazz歌手だった少し年上のルームメートの女性とVulva(女性器の外陰部を示す学術用語)というユニットを組んでいて、ジャンルは何と書くのが正しいか質問したところ、Sludge(スラッジ)だと教えてくれた(その手の音楽に無知な自分の為にSpotifyでMelvinsの「Houdini(1993年)」を例として見せてくれた)。どちらかと言うとTramhausではボーイッシュなイメージのあるNadyaであるが、女性の中絶の権利を主張するポリティカルなユニット・Vulvaではフェミニン全開なヴィジュアルでドラムを叩く姿がとてもクールである。赤ん坊の人形を燃やし物議を醸したVulvaのミュージックビデオ「Kill The Baby」(2023年オランダ映画祭ノミネート作品)を見れば、Tramhausでの彼女のサウンド面での役割や影響力をより深く理解できるのではと思う。


最後になりましたが、フジロック出演圏内に入りつつあるTramhausを今回の来日で見届けることが出来れば、近い将来「あ、俺、福岡/大阪で見たし」と自慢できる"I was there"案件になるのはまず間違いないので、平日の労働後、疲れた身体を引きずってでも観に行くことをお勧めします。このブログをほぼ記憶だけで書けてしまうオタク全開な自分からのレコメンドです!(時間がないのであまり推敲できないままUPします)



TRAMHAUS JAPAN TOUR 2025

チケットは下記リンクから!

https://lit.link/tramhausJapantour2025

9 June 2025

Tramhaus(トラムハウス) | Julia & Jimインタビュー

Photo: Elmo Taihitu


ロッテルダムのインディーズシーンを牽引するTramhaus(トラムハウス)が日本に帰ってくる。前回の初来日から1年8ヶ月、今回はデビューアルバム「The First Exit」リリースツアーとして福岡(!)・大阪・東京の3公演となる。現在欧州ツアー真っ最中の彼らは、6月27日ベルギーのBear Rockフェスティバル出演後、休む暇もなく7月1日福岡から開始されるアジアツアーに臨む形となる。

なお、DIY精神にコミットするTramhausの来日ツアーを主催するのは、またもや個人、つまり元School in Londonの村田タケル氏である(初来日ツアーで奇跡の黒字化を達成!)。…というわけでいろんな意味でドキドキが止まらないまま、取り急ぎTramhaus最新インタビューを翻訳してみることにする。今回フランスのメディアのインタビューに答えているのは、メンバー内で1番ピアスの数が多いPUNKなベーシスト・Juliaと、流暢な日本語を話すドラマーのJim 。2人の自然体の受け答えから今現在のバンドのヴァイブスが伝わってくると思う。

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【元ネタ記事(フランス語)】INTERVIEW - Tramhaus (Goûte Mes Disques  2025年6月1日)


以下、当ブログによる翻訳(前文省略)


「The First Exit」のリリース後、インタビューの度にデビューアルバムのリリース日を聞かれなくなってホッとされたのではないでしょうか?

Jim: その質問をされなくなったのは良かったんだけど、すぐにセカンドアルバムがいつ出るか聞かれるようになっちゃった!

Julia: 少なくとも1年待って。

Jim: 今のところファンは充分満たされてるみたいだけどね。


「The First Exit」の評価が概ね良かったことで、期待に応えねばというストレスから解放されたと感じましたか?

Jim: あのアルバムには相当プレッシャーがあってめちゃビビってた。人それぞれ基準が違うから何を期待されてるのかも分からないし。プレスやファンからの反応がポジティブなのはバンドにとってとても良かった。ネガティブな反応を全く聞いたことがないとか、信じられないよね。

Julia: ホントほっとした!でも同時にセカンドアルバムにかなりプレッシャーがかかってる。


バンドが次にどうなるかかなり不安に思われてるってことですね。アーティストという存在は苦悩する運命にある?

Julia: そう、自分たちにはマゾの気質があると思う。

Jim: ちょうどこれから新曲を書き始めるところで、スゴくワクワクしてる。「The First Exit」のリリースは2024年の9月だけど、2023年の夏にはもう完成してたから、皆んなにはまだ新鮮だろうけど、バンドにとってはもう魂の一部になっちゃってる。次に進む準備は出来てるよ。


「The First Exit」の楽曲はツアーの合間の数日で書かれたそうですが、Tramhausの楽曲制作については、そういうやり方しかないのでしょうか?

Julia: 2週間きっかり。そのやり方しかないと思う!自分ら、いつもギリギリにならないとやらないから。

Jim: バンドの初期の曲はコロナのとき書いたから、リハをやる時間がたっぷりあった。ツアーをやり始めたら、すぐにごたついて、3年間で増えた曲って「Minus Twenty」と「Erik's Song」くらい。

Julia: あの2週間の自分らのマインドって「何かが生まれるよう祈ろう!」って感じだった。あの頃はお金もなかったし、皆んなまだ副業もやってた。ホテルの部屋や楽屋で曲を作るとか、ヴァンの中でアイディアが浮かんだ…みたいなバンドの話をよく聞くけど、自分らはそんな感じでもない。そういうのに何度かトライしてみたこともあるけどダメだったし…土壇場のプレッシャーが必要!





Tramhausはいつもツアーをされてるので「ロックンロールの最も多忙なバンド」の称号を差し上げられると思います。心と体をパーフェクトな状態に保つヒントや秘訣は何かありますか?

Jim: バンドとしてDIYの精神を忘れないようにしている。運転も自分たちでするし、僕らに同行するのはバンド専属のサウンドエンジニア1人だけ(※上の写真の撮影者でもある「6人目のTramhaus」ことElmo Taihituのこと)。Tramhausにはツアーマネージャーもいないけど、全部自分たちでやれるって意味でその方が都合がいいんだ。そんな訳で、セルフケアをして頭をスッキリさせたり、1人で散歩に出かけたりする時間を持つのは特に重要。ツアースケジュールがびっしりな時はそういう休憩時間が欠かせない。

Julia: 今回のツアーではたくさん本を読んでる。自分らは本を交換するのが好きなんだけど、個人的にはそれがとても楽しい。


本屋で働くオタクとして質問せずにいられないのですが、最近のおすすめ本は何ですか?

Jim: 去年のツアー中、村上春樹の「コインロッカー・ベイビーズ」を読んで大好きになった。PUNKで奇抜でクール!あれ以来皆んなに薦めてるよ。

Julia: 今たくさん読んでるから色々あるけど…ハニヤ・ヤナギハラ(※アメリカの小説家)の「To Paradise (2022)」かな。その前の「A Little Life (2015)」もアルバムのレコーディング中に読んだんだけど、赤ん坊みたいに泣かされた(※本作は、幼い頃から性虐待を受け続け心と身体に深い傷を負った弁護士の青年を親友が愛で救おうとする重い内容。日本語の訳書は未刊)。「To Paradise」も同じくらい素晴らしいけど。今回のツアーで読書は絶対外せない。皆んなでFortnite(※無料のバトルロイヤルゲーム)をやりたくなることもあるけどね。そういえばNintendo Switchを持ってきたけどまだ触ってもいない。

Jim: 手元に本があってこれから何時間もドライブできると思うと、どんなに幸せな気持ちになることか…。幸い僕らは乗り物酔いとは無縁だし!


インタビューでは必ずTramhausの素晴らしいライブパフォーマンスが話題に上りますが、スタジオワークの方をもっと熱心に掘り下げてほしいと不満に思うことはありますか?

Jim: いや、インタビューではアルバムに関する質問もたくさんされるから。同じ答えを繰り返さないようオリジナリティーのある答えをするのが難しいこともあるけど。

Julia: ジムと私はスタジオでの作業があまり好きじゃないから…アルバムのレコーディング方法に関する具体的な話は、きっと他のメンバーなら気の利いた答えをするんだろうけど、自分らはダメ!すべての音符にこだわるみたいなのって自分らの域を超えてる。スタジオワークってホント苦痛。


バンド活動に集中する為、メンバー全員で仕事を辞める決断をされたようですが、それはTramhaus史上最も難しい決断でしたか?

Jim: 完全に仕事を辞めたわけじゃないんだけど、かなり調整とかして変化があったよね。僕はまだフルタイムの仕事をしてるけど、とても融通が利くから助かってる。今Nadya (gt.)とLukas (vo.)が僕のために仕事してくれてるから、皆んなにとってワークするシステムが実現できてる。

Julia: 自分はバーで働いてるから、ツアーがない時は出来るだけ多くシフトに入るようにしてる。その前はあまり融通の利かない所で6年間働いてたんだけど(※フランスでのブレイクのきっかけとなったセッション動画「Roodkapje Session (2021)」を撮影したアートスペース兼ライブハウスの中にあるハンバーガーショップ。マネージャーだったJuliaは急な呼出し等あって大変だったらしい)、ツアーバンドの生活とは両立出来なかった。そこを辞めるのはとんでもなくリスキーだったんだけど!でも自分たちは何も後悔してない。どんな(ライブの)日程にも「Yes」って言えるから。





Tramhausは完全にヨーロッパのバンドだと思いますが、欧州ツアーで体験した最悪の体験談って何かありますか?

Jim: あんまりそういう話ってないんだよなぁ。オランダ、ベルギー、フランスで出会う人にはとてもよくしてもらってるし…今はもっと大きめの会場でライブするようになったけど、それでも何もかもがプロフェッショナル。例えば、今回のツアーで初めてセルビアに行った時、ベオグラードには知ってる人が2人しかいなかったけど、とてもクールだった!もっと正確に質問に答えるとすれば1つネタがあって…僕らはどこか人里離れた場所で眠っていたんだけど、僕が寝転んでた薄いマットレスは黒胡椒の臭いがしてた。必ずしも不快ってわけじゃないんだけど、ちょっと変だと思った。その翌日臭いの原因を確かめたくてググったら、最初にヒットしたのが「ネズミの問題をどう解決するか」。足の指が失くなったりTシャツに穴があいたりする前に急いで逃げ出したよ。

Julia: 最初のツアーで車が故障しちゃってメンバー皆んなで一緒に泣いたのはあれが初めてだった。代車が来なくて4日間もポーランドから出られなくて、全部キャンセルすべきか悩んで、希望を持ち続けるのが大変だった。結局どうにかなったんだけど、地獄の底に落ちたって感じだった!ワルシャワがどんなにクールな街か分かったのは良かったけど…(※英語の通じないポーランドで四苦八苦するバンドの様子を綴った2022年8月のMicha(gt.)によるダイアリー記事はこちら)。


どこかで読んだのですが、時間とお金があればオーケストラや大合唱団とコラボしてみたいそうですね。PUNKシーンにクラシック音楽を広めようとされている?

Jim: 誰が言ったのか知らないけどNadyaかLukasが言いそうだね!今、初めて聞いたよ。例えば、ビートルズの曲みたいにオーケストラの壮大な感じをやれたらきっと素晴らしいだろうね。

Julia: オーケストラのサウンドなら大好き。特にバイオリンとかの弦楽器。映画音楽にもとても惹かれるし、Tramhausがサウンドトラックを作れたらいいなと思う。とてもドラマチックなものになるだろうし、大胆な試みになるはず!


19 September 2024

Tramhaus(トラムハウス) | Micha Zaatインタビュー


ロッテルダムのポストパンクバンド・Tramhaus(トラムハウス)のデビューアルバム「The First Exit」がついに9月20日リリースされる。直近ではBBC Radio 6 MusicのSteve Lamacq(スティーヴ・ラマック)、Radio XのJohn Kennedy(ジョン・ケネディー)の番組で「Ffleur Hari」がオンエア、既にUKメディア・The Quitusにインタビュー記事(4月23日)が掲載される等、国外での滑り出しも上々だ。

新人ながら自国オランダやフランスで確固たるファンダムを誇る彼らは、10月から欧州&UKアルバムリリースツアーに出発するが、当然次に狙うのは(日本を含む!)世界進出となるだろう。その際、最難関となり得るのがアメリカツアーだ。ご存じの通り、バンドがアメリカツアーするのに必要なPー1Bビザの申請費用は2024年4月1日から爆上がりしており、「国際的に認められたグループ」であることを示す書類等の提出も必要になる。Tramhausの場合、ESNS 2024(Eurosonicフェスティバル)のMME(Music Moves Europe)アワードのオランダ代表にノミネートされた経歴が大きいとは思うが、やはり英語圏での高評価の証しも欲しいところ…。

そこで「持ってる男」ギタリスト・Micha(ミシャ)の登場である。彼は「ある特別な裏技(?)」でアメリカに行くことなくシアトルの有名ラジオ局KEXPのDJ・Kevin Cole(ケビン・コール)とコネクションを作ったのである。詳しい話はMichaが(たぶんメールで)回答した下記インタビューを読んでほしいのだが、非英語圏のニューカマーにとってKEXPで2度もオンエアしてもらえたことは大きな意味を持つはずだ。

ファンとしては近い将来、Kevin ColeのホストでTramhausがKEXPでプレイする姿を見てみたい。同郷のIguana Death Cult(イグアナ・デス・カルト)先輩が昨年USツアーに絡めてKEXPライブに出演済みだから、きっとTramhausも!…と思いたいが、実はイグアナ先輩はアメリカのレーベル所属なのである。

来日直前日本語インタビューで、海外に軸足を移す方策を取る同胞にほろ苦い気持ちを覚えつつ「地元ロッテルダムのシーンにもっと誇りを持ちたい」と語っていたTramhaus。世界を狙えるポジションに位置する彼らの今後の展開から目が離せない。

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【元ネタ記事】Start Listening To: Tramhaus (Still Listening 2024年5月28日)


以下、当ブログによる翻訳(インタビュー回答者:Micha(Gt.))


Tramhausの音楽をよく知らない人に、バンドが誰で、どこ出身で、どんな音楽をやっているのか教えてもらえますか?

僕らはロッテルダム出身の5人組インディーロック/ポストパンク/ノイズロックのバンドで、名前はLukas(ルカス/Vo.)、Nadya(ナジャ/Gt.)、Julia(ジュリア/Ba.)、Jim(ジム/Drs.)、Micha(ミシャ/Gt.)。激しいけど踊れる曲、暴れて爆発してるみたいだけど、いろんな形の愛や人生を祝福する音楽を作ってる。メンバーは皆んなそれぞれ、ちょっと違ったジャンルを聴いてるから、バンドのサウンド的には結構振れ幅があるかも。

デビューアルバム「The First Exit」のリリース、おめでとうございます!アルバムのタイトルに込められたインスピレーション、バンドにとってそれが何を意味するか教えてもらえますか?

Lukas(Vo.)がこのタイトルを思いついたんだけど、数年前、彼がゲイだとカミングアウトしたことを言ってるんだ。リリック的には、それがアルバム全体のテーマになってる(※別インタビューでLukasは「ストレートの世界でゲイとして育った若者のことを歌っている。意図的ではなかったが書き始めたらそうなった」と語っている)。僕にとってサウンド的には、閉塞感とか、常に一番近い出口はどこか探してるようなちょっと不安で落ち着かない感じを意味していて、その感覚をギタープレイに取り込むようにした。緊張と解放みたいなね。

ニューシングル「Once Again」はKEXPで初公開されました。あんな有名なプラットフォームで曲が紹介されるのってどんな感じでしたか?

この話にはちょっとした前フリがあって、1年くらい前にアゾレス諸島(※ポルトガル領。大西洋に浮かぶ9つの島で構成され、フェスは最大のサンミゲル島で開催)のTremor(トレモア)フェスティバルに出演(※2023年3月29日)したんだけど、ホテルがサウナ付きで僕とサウンドテックのElmo(エルモ)で朝、行ってみることにしたんだ。そしたらKEXPのKevin Cole(ケビン・コール)も同じことを考えてたみたいで、蒸し暑いサウナの中で結構長く話をすることになったんだ。僕らのファンだと言ってくれたんだけど、サウナでのランデブーの後、KEXPでもっとオンエアするって約束してくれた。そう、だからKEXPでのプレミア公開はとても有難いし光栄に思ってる。サウナがあってマジ感謝だね。


【補足】 

2023年3月29日+ サウナでKevin Coleと偶然知り合う

2023年4月19日 "Make It Happen"がKEXPのSong of the Day

2024年5月24日 "Once Again"がKevin DJのKEXP「Drive Time」でオンエア

「Song of the Day」に選ばれた際の地元ロッテルダムのメディア記事によると、Kevin Coleはライブ会場が混雑し過ぎていてTramhausのステージを見逃していたが、その後サウナでMichaと遭遇。最初Michaは彼と気付かず話していたとのこと(Lukas談)。なお、Kevin ColeはTramhausがノミネートされた2024年MME(Music Moves Europe)アワードの審査員としても名を連ねていた。

Source: Open Rotterdam (2023年4月19日) 

 

「Once Again」のMVは、ロックダウン中のタイトルもないYouTube動画がランダムに使われているユニークなものでした。このコンセプトの着想はどこから?

このアイディアは、以前から何度も組んでるビデオアーティスト、Peter Marcus(ピーター・マーカス)(※「I Don't Sweat」「The Goat」「Minus Twenty」のMVも担当)の閃きから生まれたものなんだ。このミュージックビデオは、僕らが生きるデジタル時代の不条理を物語ってる。何でもかんでもキャプチャされ、何百万もの知らない人達に見られる可能性がある時代。このアイディアに僕らはすごく魅かれた。このMV自体に特に美的な価値やリアルな物語性はないから、映像から何を生み出すかは全部視聴者任せ。その辺にあるものを何でも使って自分だけのストーリーをクリエイトする、その人の生まれ持った才能にかかってるってわけ。




「The First Exit」のトラックリストのタイトルには「Semiotics」や「Ffleur Hari」のように面白いものがあります。これらの曲にまつわるテーマやストーリーについて少し教えてもらえますか?

えっと、「Fleurr Hari」っていうのはLukasが急ぎで曲の構成を書いてた時に浮かんだ実在しない言葉で、メンバーが気に入ってそのまま使うことにした。有名なボクシングのチャンピオン、Badr Hari(バダ・ハリ ※オランダ出身のキックボクサー)の親戚のことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。「Semiotics(※記号論)」はLukasの性的な逸脱についての曲だから、それは置いておくことにしよう。





ヨーロッパ、日本、アメリカと世界中をツアーしてますよね。ツアーでの忘れられないエピソードは何かありますか?

沢山あるな…。日本は本当に何か違ってて他のどの観客とも比べものにならない。日本の人って曲を気に入ってくれたら、ホント大好きになってくれる。で、僕らの方も大好きになっちゃった。あの国で経験したホスピタリティーとか謙虚さとか…。ここ数ヶ月ツアーが集中してたけど、おかげで家族のように成長できたかな。

SXSW(アメリカ)、Best Kept Secret(オランダ)、Sziget Festival(シゲト・フェスティバル/ハンガリー)等メジャーな音楽フェスに出演されてますよね。これまでで最も印象に残っているフェスは何ですか?

ヨーロッパのいろんな大規模フェスに出演するのは、知り合いのミュージシャン達と楽屋(かなりゴージャスな場合が多い)で再会できるのが嬉しいよね。数ヶ月の海外ツアーを終えて里帰りするみたいな気分。ずっとバンドメンバーとしか過ごしてなかったわけだから。「また1年生き延びられた、共に祝おうぜ」みたいな。

次回のツアーは28公演10ヶ国だそうですが、大体的なツアーに向けてどんな準備をするのでしょう?最も楽しみなことは何ですか?

あらかじめ十分な数の下着を買っておくこと。一番楽しみにしてるのは、自分が今やってるのが本当に特別なことだと実感する、ふとした瞬間を味わうこと。

2021年の結成以来、シングル数枚とEP1枚をリリースされています。初期のリリースから今度のデビューアルバムまで、バンドはどのように進化してきましたか?

ロックダウンの最中にバンドを始めた頃は、単に退屈してて怒りのパンク音楽を作りたかっただけだけど、バンドはもっと内省的で物事を深く考えるスタイルに移行してきてる。相変わらずサウンドは威嚇的で危険だけど、それだけじゃなく、より考え抜かれた音になってる。バンドとしてはもうちょっと実験してみたいかな。自分達とバンドの限界を試してみたい。

今、気に入ってるのは何ですか?

ケンドリック・ラマ―とドレイクのビーフ(※対立・抗争)。

今、嫌いなのは?

ケンドリック・ラマ―とドレイクのビーフ。

子供の頃から聴いてるアルバムを1枚挙げて、それが今も大切な理由を教えて下さい。

The Strokes(ザ・ストロークス)の「Is This It」。10才位の時、CDをゲットして何週間も聴くのを止められなかった。今でもヤラれてるよ。シンプルで真っすぐなところが良くてアルバム全曲が最高。シンプルな時代を思い出させてくれる。

リスナーには「The First Exit」やTramhausの楽曲全般からどんなメッセージやフィーリングを受け取ってほしいですか?

たくさんのことを感じてほしい。何かその人の感情が搔き立てられるなら、どんな感情かはあまり気にしない。無感覚に消費される業界の製品を押し付けられる時代、僕らのアルバムが気に入ってもらえなかったとしても、その人に無表情でいられるより、その方が僕は納得できると思う。


Micha Zaat(右端)


Tramhaus

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■ Instagram: https://www.instagram.com/tramhaus.rtm

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25 July 2024

【祝初来日】Carlos O'Connell(カルロス・オコネル)インタビュー | Fontaines D.C.(フォンテインズD.C.)

 

Photo: Tom Atkin


ついにFontaines D.C.のカルロスが来日する。フジロックRed Marqueeのカルロス側最前エリアは、例のブートレグ風味の公式Tシャツを着たファンで溢れかえることであろう。― 思えば2023年豪州・ニュージーランド・日本ツアーへのカルロス不参加の発表はショックだった。2022年のフジロック出演キャンセル後、待望の初来日だったのにカルロスが来ない。しかもその発表はツアー初日(クライストチャーチ)の前日(2023年1月26日)とかなり急だった。

が、本人のInstagramに上がった抱っこ紐着用のカルロスを見て「なんも言えねぇ~!」となったのもまだ記憶に新しい。結局、女児誕生は2023年2月14日で、日本ツアー初日の大阪公演(2月17日)直前だった。1才になるまで顔出しNGだった女児も、最近ではパパとお揃いのジャージ(今はトラックスーツと呼ぶらしい)姿で2ショットを披露してくれたりとカルロスもすっかり父親の顔である。フランス人パートナー・Joséphine de la Baume(ジョセフィーヌ・ドゥ・ラ・ボーム)が「Glad I could clone you(あなたをクローンできて良かった)」と投稿していたのが面白かった。

ちなみに女優、モデル、ミュージシャンの肩書を持つジョセフィーヌとカルロスを結びつけたのはやはり音楽だったようである。当時(2020年)パリに住んでいたカルロスが、ジョセフィーヌが弟と組んでいるバンドFilm Noir(フィルム・ノアール)のライブを観に行って意気投合、カルロスの選曲でLee Hazlewood(リー・ヘイズルウッド)の「For A Day Like Today」のカバーレコーディングしたという。なお、カルロスのパートナー(10才位年上らしい)については、Childhood(チャイルドフッド)のBen Romans-Hopcraft(ベン・ロマンス・ホップクラフト)とのつながりに始まり、婚姻歴や家柄に至るまでいろいろ興味深い情報がWeb上に上がっているが、ここでは省略しておく。

スペイン人の父とアイルランド人の母の間に生まれ、18才でBIMMダブリン校に入学するまでマドリードで過ごしたカルロス。今回選んだインタビューは、アムステルダム拠点のエッジの効いたファッション&アート誌「Glamcult」からのもので、前文に「音楽とファッションは表裏一体」とあるとおり、音楽とスタイルの関連性に切り込んだ内容となっている。個人的に、最近のカルロスのファッションスタイルへのこだわりはジョセフィーヌの影響が大きいのではと思っているが、ヒップホップに傾倒するカルロスのギターバンドに対するコメントは衝撃的である。

【元ネタ英語記事】Music and style: Carlos lays out the blueprint(Glamcult 2024年2月8日)


以下、当ブログによる翻訳(前文省略)


初めてギターを手にしたのはいつですか?

6才くらいのとき、ゴッドマザー(※代母。キリスト教の宗派カトリックで洗礼式に立ち会い名前を与え、霊魂上の親として保護する役割を担う)が小さなクラシックギターを買ってくれた。で、まず自分がやったのがサッカーのシールを貼りまくること。そしたら皆んな「台無しにして!クラシックギターなんだからシールだらけにするもんじゃない」ってなってさ(笑)クラシックのレッスンを何回か受けたけどあまり楽しめなかった。ちょっと退屈だったよね。

それから何が変わりましたか?

そのレッスンを止めてから、またギターを手にしたのが10才か11才のとき。親を説得してエレキギターを買ってもらった。それから音楽にのめり込んで従兄から沢山曲を教わった。

不幸にも、その従兄は僕が13才のとき、23才で亡くなってしまって、そのせいで音楽に閉じこもるようになった。従兄に話し掛ける術として曲を作ってたら、何もかもが変わっていった。従兄がいなきゃ今の自分はなかったと思えるし、従兄はその一部として存在してる…て、素敵なことだけどエモーショナルでもあるよね。

それによって自分と音楽との精神的なつながりが深まったと思いますか?

絶対そう。精神的なつながりとか、音楽を通じて人とどうつながっていくのかとか。そういうのは、これからもずっと自分の中にあると思う。従兄が生きてて今の自分を全部見ててくれたら…とも思うけど、従兄が生きてたら見てもらいたいような今の自分はないわけだから、不思議だよね。そういう意味では、従兄と一緒にやってるような感覚はあるね。踏み台にしたとかじゃなくて。

それは素敵なことですね。たとえその人がそばにいなくても、音楽に人を結びつける力があることの証にもなりますし。Fontaines D.C.の煌びやかな成長を振り返ってどう感じますか?

変な感じもするけど、認められた感があるし自分としては落ち着ている。もう娘とか、自分の家族だっているし。

お父さんになられたそうですね。おめでとうございます!

ありがとう。とても素晴らしいよ。よく一緒に音楽を聴くんだけど、あの娘はヒップホップの大ファンでさ、彼女が生まれてからヒップホップに詳しくなったし、その価値もよ~く分かった。

娘さんのお気に入りは?

Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)とかA Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)とか古めのが好きみたいだね。ああいう感じの、グルーブが続いて踊りたくなるようなやつ。

ノリ方を知ってるってことですよね。最もインスピレーションを受けたのはどんなことですか?

月並みかもしれないけど、何事にも一生懸命取り組むことかな。それが自分達に出来るベストな生き方だと思うし、必ずしもそんな風に生きられないことに罪悪感があったりもする。見て見ぬふりをしたり、スマホの画面を見てる方が気が楽だけど、そんな生き方じゃダメだ。そういうことをかつてないほど大事だと感じてる。自分の生き方があの娘の生き方のテンプレ(手本)になるわけだから。

今の世の中、存在感があるって重要ですよね。

だね。あと世の中がどんな風に回ってるのか、ひどい状況を理解して情報を知っておくのも重要。今、世の中の成り立ちに怒りまくってるところだけどね。僕らは音楽を演って進むべき方向を示すしかないから、最近「Ceasefire(停戦)」っていうプロジェクトでYoung Fathers(ヤング・ファーザーズ)やMassive Attack(マッシヴ・アタック)とコラボしたよ。ガザへの支援で25万くらい(※通貨不明。ユーロなら約4千万円+(1ユーロ=170円で換算))寄付金を集めたよ。

すごいですね!

皆んなも生活していく中で自分の持つエネルギーをポジティブな行動に移すべき。どんな政府も僕がどう曲を作るか、その方法を変えさせたりは出来ない。政府の影響で家賃が上がって苦しまされるっていうのならあり得るけど、僕にとって重要なのは、政府が家賃の額を決めたりは出来ないってこと。

ホントその通りですね。それって体制や政治家が僕らに何を優先させたいかじゃなくて、僕らが何を優先したいかって話ですよね。

そういうこと。

公私ともにそのファッションスタイルが有名ですが、音楽とファッションの関係についてどう捉えているか教えてもらえますか?

その二つの関係はとても重要だと思う。ヒップホップにハマったとき、自分のスタイルのセンスが一変した。ヒップホップとスタイルには密接な関係があるし、その影響はよく知られてるよね。今の自分にとって最大のインスピレーションはギターミュージック以外のアーティストだね。彼らって表現についてより深く理解してるし、どう見られるか、何を発言するか怖がったりしない。最近のギターバンドって大体ビビっててあからさまに腰が低いだろ。ちょっと情けない感じがするし中道的になってしまってる。で、何の信念もないから誰かの食い物にされるまでずっと同じことをしている。ロックンロールミュージックは、この中道的なメンタリティーの被害者だよな。ヒップホップグループが何年も「ファック・ザ・ポリス」とか言ってるのに、ギターバンドの奴らはライブを中断して、仕事してくれてるセキュリティーの皆さんに感謝しようとか嘘くさいし、そういうバンドって自分たちの方が警備のヤツらとかより上だと思ってるんだぜ。

ロックミュージックがアナーキーで真の表現者だった歴史を考えると残念ではありますよね。

だろ。自分的にはああいう輝きをもうちょい復活させたいんだよ。誰かがSex Pistols(セックス・ピストルズ)の曲に出会ったときみたいな。で、父親の中古のリーバイスをゲットして穴を開けたりして、何かの(ムーブメントの)一部になった気になったりとか。

ファッションって大衆を引き付けるパワフルな表現の形を提供するっていう重要な役割を果たしてますよね。

間違いないね。自分はKendrick Lamar(ケンドリック・ラマ―)の大ファンなんだけど、Kendrickの「いばらの冠」はホワイトダイヤモンドで覆われてて、いろんな解釈ができる。でも自分をイエス・キリストみたいな救世主に見立てて、あのレベルの宝石を身に着けるのって考えさせられるよね。彼は「いばらの冠」を身に着けて、普通は屈辱的とされるものを誰もが欲しがるものにしてのけた。身に着けたものを通してKendrickが生み出したものはそうとう深いよね。



Photo: Tom Atkin


今ハマってるブランドやデザイナーはありますか?

ちょっと前はGucci(グッチ)がやってることを面白がってた。凡人には分かりにくいブランドをマニア向けに発信…!みたいな。ストリートファッションがウザい奴らから解放されたのも良かったよな(笑)アイルランドのパブでの話なんだけど「トラックスーツ禁止」って貼ってあってさ。自分は全身Adidas(アディダス)のトラックスーツを着てたんだけど「知るかよ」って入って席に座ってやった。どんなアイテムを着てるかで客を選ぶとか何で出来るわけ?スーツ着てるヤツが店に来たとして、そいつは大バカ野郎かもしれないし、それと同じでトラックスーツのヤツが来ても、そいつだってバカかもしれないだろ。

そうですね。服装で人を決めつけるのは良くないですよね。

だからそういう思考回路をなくすのが大事なんだよ。僕らのバンドだっていろいろだよ。ストリートファッションもスーツ着るのも両方いいと思うぜ。

ストリートファッションは誰でも着こなせるのがいいですよね。アーティストにとっては、あのヴァイブスを自分のルックスと調和させられるのも大きいと思います。特に観客が若めの場合には。

全くそのとおり。前作「Skinty Fia」のアートディレクションをやったとき、ヒップホップを聴きまくってたんだけど、ギターバンドっぽくないジャケットにしたくてさ。っていうのも…引かないでほしいし、言うのは気が引けるんだけど…バンドやってる知り合いが読んでないことを祈るし気を悪くしないといいんだけど…今のギターミュージックってめちゃイケてないと思う。自分が子供でアレに囲まれて育ったら、だいぶ苦手になるだろうね。

そうですね。あと何か変わったことをしようとしてるバンドにとって、アルゴリズムに合わせてるその他大勢のギターバンドと一緒にされないようにするのは、なかなか大変でしょうね(笑)

100%そう。ヒップホップがなんであんなに人気なのかよく分かるんだ。ヒップホップは自分の世界のすべてになって、それで飯を食っていけるんだから。今ギターミュージックで飯を食うのはキツいし、それはバンドやレーベルのせいっていうのもちょっとあると思う。ヒップホップの世界から学ぶべきものはあるよね。

この例えは合ってると思ってるんだけど…もし展覧会を見に行って美術館がイケてなかったら、中の展示まで見ないで帰っちゃうだろ。だから美術館もアートの一部である必要があって、アートの延長線上になきゃいけない。

スタイルに当たるのが建物で、中で音楽を聴かせるインフラなんだよ。

「Skinty Fia」のスタイルは、どう音楽の延長線上にあるのでしょうか?

まずアルバムのジャケットを形にすることから始めた。あの赤と黄色…。それからその色を使って飾り付けていった。

世界観の構築ですね。

そう!自分はバンドが創り上げた世界を生きたいと思ってる。ヘッドフォンを付けてるときだけじゃなくて常にその世界にいたいんだ。それってとても重要なことだし、人にインパクトを与えるっていうのはそういうことだと思う。例えば、あんな風にパンクミュージックが生まれたのは、あの見た目のせいなわけで、あのスタイルが、連中がその一部になれる世界とか仲間を創り出したのさ。

カルロス、一緒に話せてとても楽しかったです。Fontaines D.C.がインストールする次の世界を見るのを楽しみにしています。


14 May 2024

Tramhaus(トラムハウス)| ニューシングル「Beech」について語る

Photo: Elmo Taihitu


Tramhaus(トラムハウス)を初めて観たのは2023年11月14日、下北沢Basement Barのジャパン・ツアー最終日だった。当時、日本で無名だったTramhausがSNSの口コミで徐々に盛り上がりを見せ、ほぼフルハウスで最終日を迎えられたのは、まさにDIY精神の体現であり、近い将来あの場にいたことを誇れる"I was there"案件となったのはまず間違いがない。

あの段階で奇跡の初来日が実現したのには、いくつかのマジックの連鎖があった。TramhausがMusic Moves Europe Awards 2024のオランダ代表になるほど自国で勢いがあること(他国代表を見ても、いわゆる"ポストパンク"で選ばれたのがレア)、2023年11月9日東京開催のライブ・ショーケースイベント(一般社団法人Independent Music Coalition JapanとDutch Music Exportが共同主催)に招聘されたこと(ドラムのJimが流暢な日本語を話せるのが理由の一つにあるはず)、来日の交通費をオランダ大使館が負担してくれるというチャンスを生かし、バンド側が原宿のBig Love Recordsに連絡を取り日本ツアーをしたい旨伝えたこと、そして何よりも、金銭的リスクを厭わずライブ公演主催の決断をしたSchool in London代表・村田タケル氏の心意気である。

自分は来日PRインタビューの翻訳ボランティアをやらせて頂いたおかげで、やたらTramhausに詳しくなってしまった。今秋待望のデビューアルバム"The First Exit"をリリースする彼らは、日本やアメリカに降り立つタイミングでアルバムからの曲を初披露しているようだが、前述の来日時にプレイしてくれたのが"Beech"と"Once Again"だった(SXSWでは"Ffleur Hari"を演奏)。「あれ?ちょっとスロー?」が第一印象だったが、その時は歌詞の内容までは分からなかった。

2024年4月23日、デビューアルバムからようやく"Beech"の配信がスタートしたタイミングでいくつかのインタビュー記事が公開された。サウンド面についての言及は今のところあまり見かけないが、彼らはいわゆる”ポストパンク・バンド”と呼ばれることに違和感を覚え始めているように感じるし、新型コロナウイルスのロックダウン中に暇を持て余したロッテルダムのシーンの実力者達が「Viagra Boys的なバンドをやろうぜ!」と集まった初期衝動から徐々に変化を遂げ、デビューアルバムにして早くも最初の脱皮(The First Exit)を図ろうとしている…ということのようにも映る。

「ロッテルダムよ、行動せよ」と歌い地元ファンダムを獲得したTramhausは、少なくともリリック的には内省的な方向に向かうようだ。今回翻訳した電話インタビューでVo.のLukasは、それがどう受け止められるかに多少の戸惑いも見せている。"Beech"の歌詞については、本ブログ記事の末尾に(あくまで自分の解釈による)抄訳を載せたので参照して頂ければと思う。そして自分は、"Beech"がLukasが若い頃(といっても来日時まだ25才だと言っていたが)通っていたバーの名前であること、アムステルダムが東京ならロッテルダムは大阪であること、英語の歌詞で歌うのはオランダでごく普通であること等を、下記インタビュー記事に登場する「あの人」から聞いた気がする。Tramhausライブの熱気冷めやらぬ、あの下北沢Basement Barのフロアで…。


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【元ネタ記事(オランダ語)】Tramhaus tapt uit nieuw vaatje op emotionele punk-tune (3voor12 2024年4月23日)

以下、当ブログによる翻訳


Tramhausの最新曲は、どこからインスピレーションを得ているのだろう? 今回はバンド初期の楽曲の多くに見られる陰鬱な世界情勢(あるいはロッテルダムの社会情勢)からではない。そう、”Beech(キャッチ―で爆発的なヴォーカルが光る超エネルギッシュなパンク・チューン)”でのTramhaus(ロッテルダム)は、全く異なるアプローチを試みたのだ。正確には、シンガー・Lukas Jansen(ルカス・ヤンセン)が抱く感情である。「ロッテルダムとか世界で起こってることだけ書いていれば、そのうち先が見えてしまう」電話越しにJansenが笑う。「ちょっと深く掘り下げて、もっと自分自身について書くときが来た。それがセラピーにもなったしね」

本ニューシングルでJansenが回想しているのは、彼がカミングアウト(*原文は斜字)する布石となった、ある人物との交際についてである。大変難しいテーマだが懐かしい思い出でもある。「とてもエモーショナルな曲。あのシチュエーションからとても美しい友情が芽生えたわけだから。つまり"Beech"に注いだ情熱は、すべてあの人への愛から生まれたってこと」


"Beech" - Tramhaus


"Beech"は、今秋発売のTramhaus待望のデビューアルバム"The First Exit"から試聴可能な最初の曲である。もう1年も前に完成済みのアルバムだ。本作では"Beech"と同じようなテーマがほぼ全曲で取り上げられており、社会批判的な曲がきっかけでファンになった人には少々受け入れ難いかもしれない。が、Jansen自身も、このように私的な楽曲を世に送り出すことにさほど興奮を覚えていない。「自分のことを書いたとてもパーソナルな曲。だからこの曲について意見があるとしたら、皆んなどんな風に思うんだろう? ちょっと興味あるよね。自分もロッテルダムのことを歌うよりエキサイティングじゃないって感じるかもしれないし、結局皆んな何か思うところがあったりするんだろうな」

"The First Exit"は9月20日リリース予定。その後、Tramhausはバンド史上最大の欧州ツアーに出発、Paradiso(*アムステルダムにある教会を改装したヴェニュー)のメインホール(*キャパ1,500人)で10月2日にライブを行う。またBest Kept Secret(*オランダの音楽フェス)にも出演予定(6月8日)。



"Beech(ブナノキ)" 歌詞抄訳

囚人と道化師

街にある

樹木と同じ名前のバー

知らぬ者同士、だから会話が始まる

心を解き放ち"誰でもないこと"を楽しんだ


Ya ya ya...

何でも揃ってる気もするけど

何か足りない

僕は、僕は...

君といると心が楽になる

そばにいて欲しい

君が必要、君が必要なんだ


胃が痛むのはいつものこと

恋に落ちる前からずっと、そこが僕の居場所

もうだいぶになる

知らぬ者同士じゃないけど、会話が始まる

ゆっくりしてくれて構わないけど

僕は行かなくちゃ、行かなくちゃならない

*歌詞を若干修正しました。


4 December 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| Bandcamp Daily インタビュー

 



幾何学模様(Kikagaku Moyo)を初めて観たのは2014年吉祥寺のWARPだった。2013年から始まった東京サイケフェスもその頃にはもう国際的になっており、ブリスベンやインドネシアのバンドの面々が出番を終え客席から他バンドを盛り上げる等、本当に楽しそうで若さが眩しかったのを覚えている。

そんなわけで2022年12月3日のファイナルショーが終わってしまい、(きっとまた戻ってくるという予感はありつつ)幾何学模様の残したレガシーについてずっと考えている。目黒パーシモンホールのMCで桂田氏は「僕たちは自分でレーベルをやって、自分でマネジメントをやって、この場で一緒に時間を共有するところまで出来たっていうのが僕らの財産かなと思います」とコメントしていた。海外進出するバンドは数あれど、幾何学模様は自主レーベルでツアーのロジ周りからマーチのデザインまですべてDIYでやってのけた唯一無二の日本のバンドと言ってよいはずだ。

今回選んだBandcamp Dailyのインタビューでは、彼らがなぜ自主レーベルから3作目をリリースすることになったのか等、幾何学模様の苦難の歴史についても触れられているので、彼らの残したレガシーとして後に続く日本のバンドのためにも翻訳しておくことにする。

【元ネタ英語記事】A Farewell to Kikagaku Moyo, Psych Lords of Japan(2022年8月9日)

以下、当サイトによる翻訳


10年前バンドを始めた頃に決めた目標のことを幾何学模様(Kikagaku Moyo)のメンバーは覚えている。世界を見て回り、オースティンサイケフェス(※現レヴィテーション(Levitation))のようなサイケデリックロックのイベントでプレイしたいと考えていたのだ。

「で、気付いたんです。やりたかったことはほぼ全て実現させたって。いや実際、それ以上ですね」アムステルダムの自宅からビデオチャットで繋いだドラマーのGo Kurosawaが言う。

「アメリカのバンドって大体『ビッグになれ、成長しろ!ハイ次!前進あるのみ、絶対止まるな、終わっちゃダメだ」みたいな感じですよね」ギタリストのTomo Katsuradaが、同じくアムステルダムの自宅から笑いながら付け加えた。「そういうのすごく資本主義的だと思うんです。どうして終わりにして新しいことができないのか?って」

それはまさに幾何学模様が5枚目にしてファイナルとなるアルバム<Kumoyo Island(クモヨ島)>(2022年5月に自主レーベル<Guruguru Brain>からリリース済) のレコーディングの最中に決めたことだった。決して妥協を許さないバンドの姿勢によって、幾何学模様の5人(Katsurada、Kurosawa、Kurosawaの弟Ryu、Kotsu Guy、Daoud Popal)は、この10年で東京のアンダーグラウンドロックシーンを代表する世界的存在に成長した。幾何学模様は、スモーキーなフォークジャム、静かに燃え上がる壮大なシタールの世界観、そして波のように押し寄せる反響の中繰り広げられる激しいロックのライブ空間を創出してきた。

「あぁ、ひとつの事をやり遂げたなって感覚が僕らにはあったんです。だから『OK、次は何か違うことをしよう』ってなるのは自然なことなんです」Kurosawaは語る。

二人がBandcamp Dailyの取材に応じたのは、グラストンベリーフェスティバルのウエストホルツステージ(※2022年6月25日)でのセットを含め、彼らにとって最後となるヨーロッパツアーを終えた数日後だった。「ウエストホルツステージ史上、最高のレコードセールスを記録したって言われたんですよ今回の大陸横断ファイナルツアーでの最も特別な思い出としてKatsuradaが語ってくれた。それをDIY的なオペレーションでやってのけたことにもプライドを持っている。

「アムステルダムでのライブ(※2022年6月22日)はヨーロッパツアーのループ(輪)が閉じたって感じがした」とKurosawaは言う。「ヨーロッパで演った最初のライブがオランダだったし、それが僕らの始まりだったから」

幾何学模様には、この秋の最後の北米ツアー(※2022年9月14日~)を目前に控え、まだ一連のライブが残っている。その後バンドは終焉を迎えるが、彼らの創り上げた新たな表現方法を探索するのは誰にでも可能だ。幾何学模様が21世紀のサイケデリックロック最強のディスコグラフィーを完成させたバンドの一つであることを考えれば、それは我々に与えられた正当な機会でもある。




Kikagaku Moyo


KatsuradaとKurosawaの出会いは、Katsuradaがポートランドでの留学から東京へ戻ってきて間もない頃だった。「Go君の出身地、高田馬場(東京)の共通の友人が多かったし、僕は近くの早稲田大学の学生だったんです」Katsuradaが語る。「Go君の小学校や中学の友達が作ったスケーターグループに僕もいたんです」二人は音楽や映画、食べ物を通じて意気投合し、膨大な時間を共に過ごすことになる。

「海外とコミュニケーションできる日本人が自分らの周りにあまりいなかったんです。結構言葉の壁ってありますし、日本から出て生活した経験がないと世界はとても閉鎖的に見えてしまう」とKatsuradaは言う。「全部日本でやらなきゃ、みたいなね。だけど選択肢はたくさんあるわけだし、僕らはいろいろとアイディアを出し合っていました」

二人は自分たちの持つエネルギーに気付いて音楽をやってみることになるのだが、Kurosawaによると、ただひとつ問題があり、それは二人ともあまり楽器の演奏の仕方を知らなかったことだという。Kurosawa曰く「ドラムの叩き方も分からなかった」そうで、Katsuradaは初期の自分たちを ”高校の前座バンド” に例えた。

その後すぐ他のメンバーをバンドに引き入れてライブ活動を開始。テクニック不足を自称する彼らであったがアイディアは豊富にあり、ジャムセッションをしまくってどんなサウンドを出したいのか、歌に対するアプローチはどうすべきか考えるのに多くの時間を費やした。「特にはっきりとした歌詞を歌う必要はないと思ったんです。歌詞をメロディーとして使うか、感情を込めた楽器にすればいいって」そう語るKatsuradaは、自分が日本育ちで何を言っているか全く分からないままミッシー・エリオット(Missy Elliott)を聞いていたことを例に挙げた。

「最初のレコードはほとんどデモみたいなものだった」Kurosawaは2013年のデビュー作であるセルフタイトルアルバムについてそう語った。「ムーン・デュオ(Moon Duo)のオープニングアクトをやった時、人に配れるものを何か録音しろって言われたんです。ただライブをやりまくるだけじゃ何もならないって」その結果リリースされた作品は、畳み掛けるようなスピード感のあるロック("Zo No Senaka")、フォークサウンドの断片("Lazy Stoned Monk")等、その後10年に渡り彼らが応用することになるサウンドの原型を模索したものとなった。技術的な習熟度に比較的欠ける点が特に障害となることもなく、むしろ自由な実験を可能にする強みにさえなっていた。

技術的に優れていないと彼らは言ったかもしれないが、それは自分たちのサウンドを広く知らしめる可能性を広げたに他ならなかった。


Forest Of Lost Children


幾何学模様は都内各所でライブ活動を続け、日本では一般的なノルマ制(Pay-to-Play)にこだわらない小規模なヴェニューを中心に活動していた(時々、路上ライブも)。だが、5ピースのこのバンドは海外ツアーをスタートさせたいと目論んでいた。

世界ツアーをやるにはアルバム1枚作る必要があるって分かったんです」Katsuradaは笑いながら2枚目のアルバム<Forest of Lost Children>を制作した経緯について説明した。「急いでたのは僕らの方だったんです」(※別インタビューによると、オースティンサイケフェスへの出演(2014年5月)が決まったので急いでセカンドアルバムを制作したとのこと)

2枚目のフルアルバムは、制作に要した超特急のスピードにもかかわらず、彼らの持つコンセプチュアルな衝動と世界中から受けた多種多様な影響が見てとれる作品となっている。「ある部族が住んでる架空の島からの音楽…的なのを作りたかったんです。"Street of Calcutta” とか、いろんなサウンドをミックスしました」とKatsuradaは語る。曲の多くはデビュー当時に書かれたものだったが <Forest of Lost Children> で見事に融合し、そのハイライトとなったのは変幻自在のサイケデリックロック ”Smoke and Mirrors” であった。

あるレーベルがバンドのバックアップに興味を示したため意気込んで本作を送ってみたところ、「レーベル全員が『ダメだ、気に入らない』って言ってきて、結局契約できなかった!」とKatsuradaが語る。それでも世界への野望を叶えるべく、幾何学模様はニューヨークの小規模レーベル<Beyond Beyond Is Beyond Records>を見つけ、この作品をリリースした。このこともあり、バンドの夢の舞台のひとつである2014年のオースティンサイケフェスへの出演をはじめ、アメリカでのライブの数々が実現した。本国日本では未だニッチな存在であったにもかかわらず、幾何学模様は瞑想的で幻覚をもたらす音楽でその名を轟かせ始めていた。





House In The Tall Grass


どのような注目を幾何学模様が集め続けていようと、彼らのレーベルに関する欲求不満がそれに影を落としていた。「3枚目のアルバムでレコードレーベルと契約するのを僕らは心待ちにしてたんです。なのに誰も興味を持ってくれなかった」Katsuradaは後に<House in the Tall Grass>となるアルバムについてそう語った。「皆んな『It's not my cup of tea(好みじゃない)』って言うんです。Facebookのメッセンジャーで何度見たことか。『好みじゃない、好みじゃない…』」

「それで自分たちでリリースしてみようってことになったんです」彼はそう結んだ。

2016年までには、既にKatsuradaとKurosawaは自主レーベル<Guruguru Grain>を立ち上げていたのだが、そのきっかけとなったのが渋谷のルビールーム(Ruby Room)というヴェニューで定期開催していたパーティー(※東京サイケフェスのこと)だった。このイベントに出演していたサイケデリックなアーティストを集めたコンピレーションアルバムの制作を決め、2014年レーベル第1弾としてリリースしたのだ。彼らのレーベルはすぐ、シベールの日曜日(Sundays & Cybele)、クラウトロックにインスパイアされた南ドイツ(Minami Deustch)といった日本のサイケデリックロックに加え、アジア各国のバンドの音楽にスポットを当てる場となった。

「(自主レーベルを)始めた当初は、セルフリリースは考えてなくて、バンドとは別物だった」とKurosawaは言う。「でもレーベルが見つからなかったとき、自ずと自分たちでやることになったんです。他に選択肢がなかったから」

<House in the Tall Grass>は二人にとって重要な作品となった。仕事を終えてスタジオに向かい、2,3時間かけて制作し、帰りの電車でラフミックスを聴く。そんなアルバムの制作過程をKurosawaは誰よりもよく覚えているという。

「その時点でやっと、前よりずっと多くの海外ツアーができるようになっていました。その頃ですね。バンドを皆んなにとって経済的に安定したものにして、他のレーベルに頼らなくてもやっていけると悟ったのは。<House in the Tall Grass>は、すべてDIYでやるって決めたときのアルバムなんです」そう語るKatsuradaは本作のレコーディングで自分のソングライティングのスキルが上がったと感じたという。

このアルバムは国際的に評価される幾何学模様の始まりを告げた作品である。デモやその他諸々に対するレーベルの反応など気にせず好きなことが自由にやれるのだ。「バンドのメンバー5人がいいと思えば、もう何も話す必要はない。フィルターは一切ないんです」Kurosawaは言う。これ以降、幾何学模様はEP、コラボレーション、フルアルバムの全てを自分たちの思い通りの形でリリースすることになる。


Kumoyo Island


幾何学模様のアルバムの多くは、ツアー先でのジャムセッションや巡業中の思い出からメンバーがインスピレーションを得て生み出されたものである。だが新型コロナウイルスのせいで、そんなクリエィティブなパイプラインが断たれてしまった。

「ツアーができなかったので、一緒に演奏するとしたらどうやるだろうって全部想像して生まれたアルバムなんです」とKatsuradaは言う。「おそらく曲の半分はリモートで作曲したものじゃないかな」

以前のアルバムとは異なり<Kumoyo Island>は、Kurosawaが "宅録感覚" と呼ぶものを特徴とした作品となっている。世界情勢がもたらした制限のおかげで、各メンバーが作曲に時間をかけることができたのがその理由である。「一緒に演ったらどんなサウンドになるだろうって想像する必要はあったんですが、各メンバーが実験的なことをすることもできたし、いい感じにメンバー5人のバランスが取れたんです。そういうのが透けて見える作品になってると思います」

「でも最終的にはバンドサウンドっぽい音になってるから満足してます」Katsuradaは言う。「僕らって本当によく一緒にツアーしてライブをやりまくってるから、自宅で曲作りをしてもバンド的なものになるんです」




アルバムを完成させるためにメンバー全員1ヶ月間東京に戻り、バンドをスタートさせたときと同じレコーディングスタジオ(※ツバメスタジオのこと)で最後のアルバムを録音した。おかげでいつもより自由な感じでセッションできたという。「快適でしたよ。スタジオも知ってるし、サウンドエンジニアも知り合いだし。失敗してもいいし試行錯誤だってできる」Katsuradaは語る。

<Kumoyo Island>はこれまでで最も意外性のある作品であり、バンドのサイケデリックな側面を、ファンク(”Dancing Blue”)や癒しの音の風景(”Daydream Soda”)と融合させたものとなっている。”Cardboard Pile” のようなファズを効かせたロックからラストを飾る ”Maison Silk Road” のシタールの瞑想まで、幾何学模様の全キャリアの音楽スタイルがよく現れている。彼らの日本人としてのルーツは、オープニング曲  ”Monaka” によりはっきりと見て取れるが、この曲はKatsurada曰く、石川県の「あまり豪華とは言えない」温泉地(※加賀温泉のこと)やスキーリゾートで育った子供の頃、彼がよく聞いた民謡を取り入れたものである。

このアルバムはバンドにふさわしい最終作であり、KatsuradaとKurosawaは本作を「二人にとって今、最も意味のあるアルバム」と自負している。

一連のファイナルツアーが終われば、二人は<Guruguru Brain>に注力することになり、今後たくさんのリリースが予定されている(同時に二人は、バンドメンバーに送金する等、幾何学模様に関するあらゆる事務作業もこなさなければならない。これは彼らがバンドの権利関係の全てを所有しているからである)。また二人はこれからも個人、場合によっては新たな編成で音楽活動を続けていくようだ。でもまずは、しばしのお別れである。

Katsuradaは今回のフェアウェルツアーについて「とても楽しんでいます。かなり感情的にはなるけど」「これまで音楽をやっていて最高の経験です」と語った。



◆あわせて読みたい当サイト幾何学模様(Kikagaku Moyo)記事:



25 November 2022

【祝来日×3】Starbenders(スターベンダーズ)in JAPAN |メンバーは日本をどう思っているのか?

In Kyoto | Japan Tour 2022 
 


3度目の来日で、弾丸ツアー前半戦を無事走り抜けたUS発「美し過ぎる☆グラムロックバンド」ことStarbenders(スターベンダーズ)。これまでキットカット抹茶味、富士山、新幹線、京都観光…と日本進出中の海外アーティスト初期の「お約束」を一通り体験した4人。そんな彼らのSNSをチェックするのは毎度とても楽しい。

ではメンバーの4人は「日本や日本のファンのことをどう思っているのか?」日本に関する小ネタを含め、スターベンダーズの過去記事&過去インタビュー動画から気になるこの点をキュレーションしてみた。

*All photo credit: B.I.J.Records


Video Shoot in Harajuku (Japan Debut Tour 2018)


まずは日本デビューツアー(2018年10月24日~)出発前のキミ・シェルター(Vo&G)のコメント:


キミ:バンドにとって海外ツアーの実現はずっと大きな夢だったし、中でも日本は最重要視してた。「Closer Than Most」っていう曲に「Tokyo in the fall(秋には東京で)」っていう歌詞があるんだけど、自分が未来を予言していたのかは分からない!メンバー全員、東京に行って東京を体験できるってことにとても興奮してる。 

Source: https://showsigoto.com/starbenders-interview/ (2018年10月5日)



Japan Debut Tour 2018 Flyer



その後、日本デビューツアー(2018年)を終えて帰国し、「日本はどんな感じだったのか、アメリカで演るのと何が違うのか」訊ねられたクリス・トカイ(G)とアーロン・レセイン(B)は次のように答えている。


クリス:日本は信じられないくらい素晴らしくて、観るもの体験するものがありまくりだった。文化もとても魅力的。東京は活気に溢れて賑わいがある素晴らしい街だった。日本でのライブは、アメリカではあまり見かけない音楽への尊敬や情熱が見てとれた。すごくポジティブでアーティスティックな環境だったよ。僕らのライブに来てくれた人は皆んな純粋に音楽やライブが好きで来てくれていた。本当に真剣に聞いてくれて、リアルで確かな何かを見て感じるためにそこにいる感じだった。

アーロン:アメリカだと音楽に対してちょっとシニカルになったり知ったかぶりしたりすることもあるよね。日本は音楽全般の価値を認めるってことに、もっと堂々としてる感じがする。そういう音楽熱があるのはすぐ分かるよ。街中にレコード屋があるし、トラックが側面にアーティストの画像が貼りつけて走ってたりするから。どこに行ってもデッカいLEDスクリーンでニューアルバムを宣伝してたりとかね。オーディエンスの音楽に対するアティチュードは全体的にとてもピュアで楽しんでるって印象を受けたな。

Source: https://www.audiofemme.com/playing-atlanta-starbenders-interview/ (2018年12月5日)


アーロン:僕らのバンドだけかもしれないけど、僕にとってスゴく印象的だったのは、日本人がどれだけピュアに音楽全般を愛してるかってこと。あれにはホント衝撃を受けた。アメリカだと、音楽に対してちょっとシニカルになったりもするよね。自分の左っ側の人が手拍子してなければ自分もしない…みたいな。日本だとそんなの全く気にしない。好きな曲が聞こえてくれば、人目なんて全然気にせずその世界に浸る。日本以外ではあんまり見かけないけど、そういう情熱的で堂々とした音楽愛があるんだ。日本版<JULIAN>リリース時の前回の日本ツアーでタワーレコードで歌ったりしたんだけど、アメリカにはもうタワーレコードだってないよね!僕的にそういうのは意味のあることで、日本でのアート全般に対するアティチュードを反映してると思う。

Source: https://wildspiritzmagazine.com/starbenders(2019年5月21日)



Final "Uchiage" Party in Harajuku (October 29, 2018)


また「今までで最も自慢できること&大変だったこと」について質問されたエミリー・ムーン(Dr)とクリス・トカイ(G)が挙げてくれたのは、なんと日本のこと!


エミリー:日本ツアーが一番自慢できることでもあり大変だったことじゃないかな。海を渡って14時間フライトして全く違うカルチャー(を持つ人達)に向けて音楽を演奏するのは、アワアワしたりもしたけど充実感があった。これから旅が始まる!なんて実感は空港に着くまであんまりなかった…って言えば、メンバー全員の気持ちを代弁出来てると思う。日本に着いてからは言葉の壁が大変だった。サウンドチェックの時のことはハッキリ覚えてる。箱(ハコ)専属のPAの人にこれっきゃ言えないの。「レッド・ツェッペリン!レッド・ツェッペリンみたいな音にして!」

クリス:日本でプレイするっていうのは、まさに夢が叶ったってことと同じだった。ライブでは素敵な人に何人も会えたし、素晴らしいアーティストと同じステージに立つことも出来た。ロックンロールがいかに万国共通であるかの証拠だよね。僕らの間には何千マイルもの距離があるのに、爆音のギターやドラムへの愛と情熱を感じるのは同じなんだから。素晴らしい経験だったよ。バンドにとって一番大変だったのは言葉の壁じゃないかな。あと馴染みのない習慣とか生活スタイルに慣れるのも。東京で時間が経つにつれ、だんだん周りの環境にも順応していろいろ覚えたし、おかげで僕らは日本のカルチャーに開眼したよ。

Source: https://www.audiofemme.com/playing-atlanta-starbenders-interview/ (2018年12月5日)



Japan Tour 2019 Flyer


さて、ここからはスターベンダーズが語った日本絡みのエピソードを紹介したいと思う。1つめは、ギタリストの「機材トラブルあるある」について質問されたキミ・シェルター(Vo&G)のコメントで、彼女が「センセイ」と日本語で呼ぶニコ・コンスタンチン(※スターベンダーズのMD。以前レディー・ガガの音楽ディレクター兼ギタリストも務めていた)に叱られた話(笑)


キミ:前に日本ツアーをした時、何も持ち込めなくて、エフェクターを含めギア一式全部レンタルしなきゃならなかったんだけど、Gipson Japan(ギブソン・ジャパン)が良いギターを貸してくれて、ライブハウスにあるアンプもMarshall(マーシャル)のシルバージュビリーとか超イケてたんです。トラブったりとかもなかったし。…で、最初のライブが数回終わったんだけど、バンドのプロデューサー兼マネージャーのセンセイ(※ニコ・コンスタンチンのこと)がギターのチューニングが合ってないってずっと言ってて。「君ら何かおかしいぞ!ライブの始めから終わりまでずっとチューニングが狂ってたの、分からないのか?!」的な感じで。で、ニコがギターとかいろいろいじくりまわしたんだけど、どこも変じゃないから、結局また自分達3人が責められ続けてた。時差ボケのせいでニコは喜怒哀楽が激しくなってたと思う。

とうとう自分はそれに耐えられなくなって「ねぇ、私たちバカじゃないよ、これには何か単純な原因があるはず」って心の中で思って、「誰かチューナーのセッティング、チェックしてたっけ?」って考えてみたら…。何とクリスとアーロンのチューナーはレギュラー設定なのに、自分がレンタルしたBOSS(ボス)のチューナーが半音下げにセットされてて、そのせいでずっと怒られっぱなしだったのが分かった。この話から得た教訓は、自分はバカじゃないと信じるなら細かい点までチェックせよってこと。

Source: https://v13.net/2020/03/geared-up-starbenders-kimi-shelter-discusses-her-les-paul-set-up-influential-guitarists-and-new-album-love-potion/ (2022年3月31日)


@Tower Records in Osaka (2019)


最後に、「ステージではよく冗談を言うか」と訊ねられたキミ・シェルター(Vo&G)が、笑いをこらえながら答えた2回目の日本ツアーでのエピソードを(リンク先動画9分20秒~)。

 

キミ:あの時のツアーは長丁場だったから、ちょっと小さめな街(※熊谷)にいた時の話なんだけど、メッシュのボディースーツを着てたんですよ。ちょっと裸に見えるんだけど、裸じゃないみたいな(※下の写真参照)。で、出番の前にチームの人に「I'm not naked(私は裸ではない)」って日本語でどういうのか訊いたんです。そしたら教えてくれて…何だっけ…「ワタシハハダカデハナイ」。で、ステージに上がってそれを言ってみたら(笑)観客の皆んなが…(笑)一瞬意味分かんない…みたいになって(笑)、自分はまた「ワタシハハダカデハナイ~!」って叫んだんです。そしたら皆んなが「イェ~~!!!」みたいになって。…まさかそんなこと言うとは思わなかった!みたいなことを日本語で言うだけで日本の人を笑わせられるってことよね。皆んな「やられた!」みたいになっちゃてたし。努力を重ねてそこの文化とかいろいろ楽しんじゃえば一瞬で壁はなくせるし…、まぁ前回のツアーはそんな風に進んでいったってわけ。

Source: https://www.youtube.com/watch?v=CyBbxABEDjw (2022年9月2日)



in Kumagaya (April 27, 2019) | "I'm not naked"



今ではステージを去る時、「Good NIght!」の代わりに「オヤスミナサイ!」と叫んでいるキミ・シェルター。今回の日本ツアーも残すところ後半戦あと5本。後悔しないよう、まだスターベンダーズを目撃していないなら、是非ライブハウスに足を運んでほしい(今ならまだ小さい箱(ハコ)で観れる!)。


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