24 June 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| ガーディアン(The Guardian) インタビュー

 Photograph: Jamie Wdziekonski


【元ネタ英語記事】Japanese rockers Kikagaku Moyo: "Watching people board a train - that's psychedelic!"(The Guardian 2022年6月23日)




日本のロックミュージシャン幾何学模様:「電車に乗る人を見ているのもサイケデリック!」

最後となるツアーでグラストンベリーに出演するKikagaku Moyo(幾何学模様)。見逃せないサイケデリックロックバンドである彼らが、徹夜のジャムセッションから生まれたサウンド、「クリエイティブな不完全さ」、自分たちの流儀で身を引くことについて語った。



サイケデリック音楽と言えば、Jimi Hendrix Experience(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)、The 13th Floor Elevators(13thフロア・エレベーターズ)、ウッドストックのぼやけた画像等を思い浮かべるだろう。しかし、日本のバンドKikagaku Moyoにとってサイケデリアとは、母国のカウンターカルチャーのヒーローであり強烈なファズの嵐を吹かせるAcid Mothers Temple(アシッド・マザーズ・テンプル)やFlower Travellin' Band(フラワー・トラベリン・バンド)等に代表されるものである。Kikagaku Moyoのフロントマン・Go Kurosawaが、現在の東京についてコメントする。「東京の音楽、映画、カルチャー、技術の完璧さを求められるんじゃなく、何にも縛られない自由さ。僕らにとってのサイケデリアは、ヒッピーシーンから来るものではなく、自然の中や、お寺から聞こえる読経の中にあるもの。毎日電車に乗る人を見てるんだったら、それだってサイケデリックだと思います」。

Kikagaku Moyoのライブでは、時に長髪のメンバーが10分に及ぶジャムセッションを繰り広げるが、そのダイナミックなエネルギーの源は、2010年代初頭の大学の街・高田馬場(東京都新宿区)まで遡る。ヴィンテージショップ、大学生が集うバー、深夜営業のレコーディングスタジオを転々としながら、Kikagaku Moyoは5人組のバンドとして結成され、今や日本のロックシーンの最前線に立つ存在だ。彼らの空中浮遊に近い感覚に誘うライブパフォーマンスや、聞くものを虜にするアルバムの数々の賜物であろう。しかし、5枚目のアルバム『Kumoyo Island(クモヨ島)』のリリース後、お別れの海外ツアーが終了すれば、Kikagaku Moyoは解散してしまう。自らが創り上げてきた世界観の継続を断ち、それらが希釈されていく可能性を回避するというのは、実に非アメリカ的な選択である。

KurosawaとTomo Katsuradaが初めて出会ったのは2012年。Kikagaku Moyoというバンド名は「幾何学模様」と訳される。「夜中から朝6時までジャムセッションのやり過ぎで、気を失う頃にはまぶたに幾何学模様が見えていた」とKatsuradaは語る。Kurosawaの弟Ryuが、シタールの修行を受けたインドから帰国し、その後すぐベースのKotsu GuyとギターのDaoud Popalが加入。Kurosawaがドラム、Katsuradaがギターで、ヴォーカルを2人で担当するようになる。初期のジャムセッションには、よくあるヒップホップ、メタル、インド古典音楽、ブルース等、メンバーの多種多様な音楽の趣味が表れていた。経験の浅さゆえ、バンドには自由さがあったし、サウンドにもはっきりとした輪郭はなく、ループのあるアンビエントなストーナーロック、レトロなファズギター、魅惑的なシタール…と様々だった。



フロントマンでドラマーのGo Kurosawa (Photograph: Burak Çıngı/Redferns)



2枚目のアルバム『Forest of Lost Children』では、技巧を凝らさない自然なジャムセッションである「Semicircle」から始まり、ブルージーなギターの「Kodama」、Ananda Shankar(アナンダ・シャンカール)のカバー曲「Street of Calcutta」の熱のこもったシタール、暗く哀愁漂う「White Moon」等を収録。本作は、後発のアルバムで彼らが繰り返すことになるある種のパターンが顕著になった作品だ。つまりKurosawaのドラムがクレッシェンド(次第に強く)に向けてスタートを切り、盛り上がり、そして瞑想的な終わり方をするという形である。

「歌詞が少ないのは、音楽で自分の旅を想像する余地を与えたいから。アルバム1枚1枚は、1本の映画のようなもの」だとKatsuradaは言う。確かに『Kumoyo Island(クモヨ島)』は、広大な土地を孤独に旅しているような気分にさせる。「曲を作る時は、まずメンバー5人が楽しく遊べる遊び場を作ろうとします」Kurosawaは語る。「そこに言葉を加えるのは、さっき言った想像力(イマジネーション)を限定してしまう気がするんです」。

『Kumoyo Isaland(クモヨ島)』は、「ツアーの経験、車窓やステージからの風景、僕らが経験したカルチャーに影響を受けています」とKatsuradaは言う。日本やヨーロッパでの公演を経て、Kikagaku Moyoがアメリカでのデビューを飾ったのは、ニューヨークのBerlin(ベルリン)という、壁の中にある穴蔵のような薄暗いヴェニューで、ステージは地面からわずか数インチ程の高さの小さな壇だった。筆者はそのライブ会場におり、Kurosawa弟のシタールに触れることができるほど近くに立っていた。その後、ヴェニューは大きくなっていったが、彼らの遊び心、リフやソロを想像を超えて膨らませ、観客を集団的心理に浸らせるという姿勢は未だ健在だ。ステージ上の彼らは、催眠術のようでファンキーで、ユーモラスで親しみやすく、鼓膜が破れそうな長いソロを変わらぬ笑顔で弾き続けている。

アルバムが完成すると、別れを告げるという決断がバンドに訪れた。それは彼らの音楽同様、本能的なものだった。「僕らはやりたかったこと全てを実現させたんです。サイケデリックのフェスに出て世界ツアーをするという野望、これも叶いました。曲を作るだけじゃなく、アートやグッズ、Kikagaku Moyoが何であるかというヴィジョンを創るのにも時間とエネルギーを費やしました。だから今、僕らの旅を僕らの思いどおりの形で、出来るだけ最高の形で完結させることができるんです」とKurosawaは語る。




ジャムセッション … 2018年、ステージでの幾何学模様 (Photograph: FilmMagic)




バンドは今月、グラストンベリーを含むヨーロッパツアーを行っており、その後アメリカを周るが、最後のライブは母国のフジロック・フェスティバルで行うことになっている。まさに完璧な一巡だ。KatsuradaとKurosawaは自ら選んだベースであるアムステルダムに戻るが、2人はそこでGuruguru Brainというレーベルを運営し、彼ら以外の秘蔵アーティストのサポートに注力する。Kikagaku Moyoのレガシーは、バンドの「クリエイティブな不完全さ」にあり続けるのだとKatsuradaは言う。そして、笑顔でこう締めくくった。「若い世代に受け継いでもらえるような場所を残したいんです。専門的な技術がどれくらいあるとか、世界のどこの出身かとかは全く関係ない。僕らが発信し続けてきた『音楽は国境や言葉の壁を超えられる』っていうメッセージが届いているといいなと思います」。




●Kikagaku Moyoは6月25日(土)現地時間午前11時30分、グラストンベリー・フェスティバルのWest Holtsステージに出演。6月27日(月)は、ロンドンのEarHで公演。




25 May 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| GRAMMY.com Interview

 Photo: Jamie Wdziekonski


無期限の活動停止を発表後、現在北米ツアー中の幾何学模様(Kikagaku Moyo)。グラミー賞の主催で知られるザ・レコーディング・アカデミー(The Recording Academy)にギターのTomo Katsurada氏が取材を受けたインタビュー記事を翻訳しました。インタビュアーは、サンフランシスコ州立大学やUCバークレーで音楽ジャーナリズムを教えるジャーナリストGary Moskowitz氏


【元ネタ英語記事】Behind The Smoke & Mirrors With Japanese Psych-Rock Legends Kikagaku Moyo(2022年5月4日)

以下、当サイトによる翻訳

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紫煙と鏡(Smoke & Mirrors)の裏側へ

 日本発サイケデリックロックの伝説(レジェンド)・幾何学模様と共に

「音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能」。5枚目のアルバムのリリース(5月6日)とファイナルツアーを目前に控え、幾何学模様(Kikagaku Moyo)のギタリスト、Tomo Katsuradaはいう。

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日本発サイケデリックロックバンド幾何学模様の創設メンバーが、新宿エリアの高田馬場駅前ロータリーでジャムセッションを始めたのは10年前のことだった。界隈にはスケートボーダーやアーティスト、近くの大学生が多く屯していたが、そんな環境の中、Tomo KatsuradaとGo Kurosawaは、毎回顔ぶれの変わるミュージシャンたちを引き連れ、夜通し終わりのない音楽探検の旅に出かけていた。70年代のサイケデリックロック、昔ながらの民謡、インドの古典音楽、クラウトロックが合わさったような音だった。


バンドの編成をドラム、ベース、ギター2本、シタールに固定すると、二人はレコーディングを始め、都内でのライブ活動を開始。東京のあちこちでサイケデリックロック・フェスを主催していると、オースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest /訳者注:現レヴィテーション(Levitation))から声が掛かり、その後10年をオーストラリア、ヨーロッパ、日本、英国、アメリカ合衆国でのツアーに費やすこととなり、年間約100本ものライブをこなしてきた。


Kikagaku Moyo - "Smoke and Mirrors" Live at Austin Psych Fest (2014)


幾何学模様はこれまで、フルアルバム4枚とEP数枚をリリースしている。Spotifyで最も人気の高い曲の中には、7分超の大作にもかかわらず600万回以上再生されているものもある。が、それら人気曲には、すぐに展開が読めるポップソングのようなシンプルさはない。幾何学模様の楽曲は、ゆっくり時間をかけて広がり、再びキュッと引き締まり、最終的に、「落としどころ」と思われた場所を超越する。


例えば、2018年のアルバム「Masana Temples」に「Dripping Sun」という定番曲がある。この曲は、ビートを刻むベースラインと控えめなワウギターで始まるのだが、そこにギターのメロディーが乗り、ドラムに駆り立てられそのまま駆け上がっていくかと思いきや、ささやき声のヴォーカルと共にスローダウンして静かに落ち着き、小気味良いコーラスへと滑らかに移行。…そこからは一気に、サイケデリックロックの絶頂に向けジャムセッションに突入。結局、最後はまた静かに落ち着く…という構成だ。「Green Sugar」、「Smoke & Mirrors」、「Tree Smoke」のようなファンの人気曲は、激しくインプロビゼーション(即興演奏)され、ライブで演奏される度に進化し続けている。


Kikagaku Moyo - Dripping Sun


やがて幾何学模様はカルト的な地位を確立させていくのだが、その理由のひとつに彼らのDIY的アプローチがある。幾何学模様はバンド独自のサウンドを作成・レコーディングし、バンドが所有するレーベルGuruguru Brainからリリースする。ちょうど今年まで、ツアーさえステージクルーなしで行っていたくらいだ。


幾何学模様は、小規模なバーから正統派の音楽ホールまで様々な場所でライブをこなしてきた。ここ数年は、ちょっとユニークな場所でもライブを行っていて、サンフランシスコのカストロ劇場(Castro Theater)、アムステルダムにある以前は教会だったパラディソ(Paradiso)等のヴェニュー、またPALPフェスティバル(PALP Festival)ではスイスアルプスの山頂でライブしたこともある。グッチ(Gucci)やイッセイ・ミヤケ(Issey Miyake)といったファッションデザイナーともコラボしており、彼らのライブ演奏によるユニークな音響がファッションショーに花を添えた。


Kikagaku Moyo @ Swiss Alps for PALP Festival (2017)


Kikagaku Moyo @ Paris for Issey Miyake Fashion Week Show (2016)


2022年5月6日、幾何学模様は最後の作品となる5枚目のアルバムをリリース予定で、無期限の活動停止を前に長いファイナルツアーを行う。先日GRAMMY.comは、アムステルダム在住のギタリストTomo Katsuradaの自宅をZoomで繋ぎ、バンドの始まり、この10年の歩み、バンド休止の決定について話を聞いた。


Kikagaku Moyo - Kumoyo Island (Full Album-2022)


5枚目のアルバムはこれまでの作品とどう違うんですか?


これまでのアルバムは、全部ツアーで経験したことからインスピレーションを得て、それを元に曲作りをしていました。毎日が違う街なわけですから、とてもトリッピーな経験です。メンバーと一緒に出かけたり、いろんな街を散策したり、外食したり、映画を観たり、音楽を聴いたり…。


でも今回はコロナのせいで、あまりライブができなかったので、リモートでの曲作りになりました。この曲を一緒に演るとしたらどうやるだろうってイメージしながら…。(ツアー中のように)メンバーと一緒に過ごす時間があまりなかったので、あらゆる元ネタが想像上のコンセプトになりました。僕らの頭の中にある架空の遊び場的な…。もう完全に空想の世界に入り込んじゃってましたから、アルバムが僕らっぽいサウンドになっているか不安でしたが、とても幾何学模様的なサウンドに仕上がってると思います。


今回のワールドツアーを終えた後、バンド活動を休止すると決めたのはなぜですか?


5人でやれることは全部やり遂げたって心から思えたからです。僕らはいつも、時を重ねても色褪せない作品を作ることと、心の底から誇れる音楽を作ることにコミットしてきました。究極的には、僕らのバンドとしての旅を自分たちの思いどおりの形で、最高潮の状態で完結させたいっていうのがありました。ファンからのサポートもそうですが、これまでのことは本当にありがたく思っています。


僕的には、サイケデリックの音楽シーンに場所を空けて身を引くことで、後進に道を譲りたいっていう気持ちも強いです。音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能ですし…。僕はインスピレーションのサイクル(輪)的なものを信じていて、将来僕らのオーディエンスの中からそういった輪がどんな風に繋がっていくのか見届けるのをとても楽しみにしています。


話をバンドの始まりに戻しましょう。TomoとGoはどうして一緒にバンドを始めることにしたのですか?幾何学模様を結成する前は何をしていた?


3才から13才まではチェロを弾いていて、毎日練習していました。それから僕の姉がパンクバンドでギターを弾き始めたんですが、その影響は結構デカかったと思います。スケボーにハマって、スケートボードの動画制作をして、高校ではポップパンクバンドのギターを担当していました。


僕がGoと出歩くようになったのは、Goがアメリカ留学から帰ってきてからです。映画をたくさん一緒に観て、Goのバンドのポスター制作もやりました。曲を作るようになったのは、僕がオレゴン州ポートランドの大学から帰国してからです。


アメリカでの生活からはどんな影響を受けた?


2010年頃、スゴいレコード屋にいろいろ出かけてサイケデリック音楽にハマっちゃいました。その頃はまだまともに英語も話せなかったのに。


外国にいてレコ屋に行くとホッとしたんですよ。日本って皆が同じような考え方をして協調性を重んじるような集団思考で、アメリカの個人主義的な思考と全然違うんですよ。20才の時、ホントそれは感じました。おかげで僕は自由になれたんです。アメリカ人っていつも自分のことばっか話してるじゃないですか。僕的には「うわ~!僕もそれやっちゃっていいの?」って感じでしたね。


Kikagaku Moyo performing at St. George Church (Lisbon)
 with Bruno Pernadas and Jacco Gardner


サイケデリックロックに魅かれたのはなぜですか?


Goと僕が一緒に行動するようになってから、60年代や70年代のサイケデリック的なものについていろいろ話してたんです。本とかバンドとか映画とか…。僕が今まで観た中で一番綺麗なモノクロ映画は、「エロス+虐殺」っていう作品なんですが、すごくクールな3時間の映画で、少なくとも4回は観ました。


「エロス+虐殺(Eros + Massacre)」Intro(YouTubeに完全版アリ)


日本だと、ミュージシャンって言うと職人技的なことになっちゃうんですよ。一方通行の音楽、ちゃんとした方式の音楽。でも僕が交流するようになったのは、音楽やってる若手アーティスト、音楽やってる映像作家とかスケートボーダーで、皆んな自分達が受けた影響をうまく組み合わせて音楽制作をしていて、それこそ僕らが本当にやりたかったことだったんです。


バンド初期の頃のリハーサルってどんな感じだったんですか?


夜中の12時から朝5時まで演奏できる場所を確保したんですが、僕とGoだけの時もありました。2週間に一度、5、6人で6時間のジャムセッションをしてたんですが、参加しないか友達を誘っていました。いろんな人が出たり入ったりで、その頃はまだ曲とかは作ってなかったです。どうやるのかも分からなかったし。ちゃんとしたギターの弾き方も知らなかったけど、特に気にしていませんでした。フィーリングだけで弾けちゃってましたから。音楽の理論とかどうでもよくて、6弦がEだってことも知りませんでした。ひたすら他の人が出す音を聴いて弾く。本当にユルかったです。


最初に幾何学模様をスタートさせた頃、東京でライブするのってどんな感じだったんですか?


東京・サイケ・フェス(Tokyo Psych Fest)っていう音楽イベントを月イチで始めました。サイケデリックって、いろんなものからの影響が組み合わさって出来てる音楽だと思うんですが、僕らが好きなものが好きな人達が東京中から来てくれたらいいなと思ってやっていました。で、フェスからのコンピレーションを出すのにレーベルを立ち上げて、LPやカセットテープのリリースを始めました。本当に楽しかったです。僕らはオースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest)に出たくてたまらなかったんですが、東京・サイケ・フェスを始めて1年でオファーをゲットすることができました。それからですね、すべてが変わったのは。すぐにヨーロッパや英国から呼ばれるようになりました。


Guruguru Brain's 1st. Compilation Album "Guruguru Brain Wash" (2014)


バンド初期に経験したツアーはどんな感じだったんですか?


2013年くらいの頃は、まだ学生だったり仕事してるメンバーもいて、職場や学校から1週間休みを取ったりしてやってたんですが、ツアーをするには時間の制約があって、事はゆっくりとしか進みませんでした。アメリカツアーに向けてビザを取ろうと一年前から働いて貯金し始めました。


はじめは自分達のレーベルがなかったので、いろんな面でとてもDIY的でした。好きなアメリカのバンドに一緒にライブしないか声を掛けてみたり…。サンフランシスコのムーン・デュオ(Moon Duo)とか、ポートランドのエターナル・タペストリー(Eternal Tapestry)とか。ムーン・デュオの日本ツアーのブッキングを手伝ったりして、いろんなことを教えてもらいました。で、アメリカツアーをやるべきだとか言ってもらって、アメリカに挑戦する自信を深めるようになりました。


Tokyo Psych Fest Spinoff (2013) - Moon Duo X Kikagaku Moyo



幾何学模様のライブって、スピリチュアルで瞑想的なところがいいですよね。潮の満ち引きみたいに穏やかな音とアグレッシブで派手な音とで緩急があって…。ライブでのパフォーマンスについてはどんな風に取り組んでいるのですか?


演奏する時はとにかく楽しみたいと思っています。で、そのためにはインプロビゼーション(即興演奏)するところを空けておく必要があるわけです。毎回ライブで同じセットをやったりはしないので、ひとつとして同じライブはありません。セットリストは、僕が毎晩変えてるんですが、自分のバイブスとメンバーのバイブスを考えて、ストーリーライン(筋書き)を作っていく形で、僕らのアルバム全曲から選曲するDJミックスみたいな感じですね。で、メンバーで出来上がったセットリストを見て、演る。(インプロ部分については)前もって何も決めてないわけですから、難易度は常に高いですね。


今回のことでTomoやバンドメンバーにとって、ひとつの時代が終わってしまうわけですが、次は何をする?


自分はホントまだ何も考えてないです。ただ考える時間がたくさんあるってことだけは分かってます。たぶんメンバーは、それぞれ新プロジェクトをやっていくんじゃないかな。僕は今年、初めてギターのレッスンを受けました。あとWorldwide FMで「Bootleg Bunny Show」っていうラジオ番組をやっていて、ソウルとかサイケデリック、あとジャズの7インチをかけたりしてるんですが、とても気に入っています。


Katsurada氏選曲によるWorldwide FM "Bootleg Bunny Show"


15 July 2019

Trampolene(トランポリン)|Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)The Zine UKインタビュー


未だ来日が実現していないUKウェールズの3ピースバンド「Trampolene(トランポリン)」のベーシストWayne Thomas(ウェイン・トーマス)が、一部日本への熱い思いを語ってくれたインタビューを翻訳しました。


【元ネタ英語記事】Wayne Thomas of Trampolene(The Zine UK 2019年6月28日)

以下、当サイトによる翻訳(前文省略)

Photo & Text by Elly Bailey


ウェールズのオルタナティブ・ロック・バンド「Trampolene(トランポリン)」(メンバーはJack Jones(ジャック・ジョーンズ)、Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)、Rob Steele(ロブ・スティール))は、誰もが「知ってる」と言うバンドであるが、世界中のサポーターたちにとってその存在は、未だ好奇心を掻き立てられる未知なるコンセプトのバンドのままである。

バンドの結成以来、ステージやバックステージでのワイルドなアクションの虜となったファンは多いが、ライブ後に時間を割いてファンたちを旧友のように迎え入れる姿を見れば、メンバーたちが人を惹きつける誠実なパーソナリティーの持ち主であることもまた隠し切れない真実である。

フロントマンであるジャック・ジョーンズとは、2018年4月、バンドについてインタビューする機会があったが、今回はウェインとの番だ。ジャックとはまた違うバンドに対する見方をシェアしてもらい、今後の展望についても少し手掛かりを得てみたい。

ウェインが才能あるサッカー選手だったとの噂は知っていたが、インタビュー中「音楽が常に人生のキャリア・パスだったのか」尋ねてみた。


「10年くらいサッカーをやってて、その時ジャックと出会ったんだ。二人ともスポーツ万能だったよ、僕がウェールズのナショナルチームでプレーしてた時の話ね。僕がサッカーに行ってる間、ジャックは僕の母親に隠れて僕んちで暇をつぶしてて、僕が帰ったら二人でつるんで一緒に音楽をやって、まるで二重の生活をしてるみたいだった。 
だけど、サッカーから音楽に転向したのは年齢的なものだったと思うよ。6歳で何か始めても、親に言われたからやってただけで、本当はそれが何なのかよく分かってなかったりするよね。その位の年の頃って何でも楽しめちゃったりするものだし。 
…で、スポーツのやり過ぎで背骨を骨折しちゃったんだ。脊椎の骨が2本折れたままプレーしてたんだけど、あれで人生の方向性が変わったと思う。手術を受けなきゃならなかったり、ひどい経験ではあったんだけど、新しい生き方を選択する機会になった。ティーンエージャーとして、アートや音楽のヴァイブスにはいつも憧れてたし、ただグランドを走り回ってるよりスペシャルなことに思えたんだ」。


2017年にデビュー・アルバム「Swansea To Hornsey」、2018年にはコンピレーション・アルバム「Pick A Pocket Or Two」をリリース、2018年11月~12月にはヘッドライナー・ツアー「This Feeling Aliveツアー」を行ったトランポリンであるが、最近、バンドは沈黙を守り続けていた。

だが数週間前、彼らはカムデン・タウンのThe Dublin Castleで一夜限りのライブを行った。客で満杯になったヴェニューが、まだまだ献身的なファンベースがバンドに存在することを証明していた。


「大勢の人が来てくれたのは素晴らしかったね。あんまりライブの宣伝をしてなかったから特にね。大体の人は無料で入場してもらったとは思うけど」。


ファンについて語るウェインの声からは温かみさえ感じられる。単なる「ライブに参戦してくれた人」以上の存在としてファンを認識しているのは明らかだった。


「もうホント人生で最高の喜び。僕らのファンベースって親戚みたいなもの。変なんだけど、ライブを演ればツアーに出たとしても誰だか分かる人たちが毎日大勢いるし、そういうのが世界中で起こるんだ。ライブ10本演ったとしたら、毎日知ってる人たちと祝賀パーティーをやってるみたいで何か特別な感じがする。多少カオスではあるけど、僕らはそういうのをとても気に入ってる。 
ゲストリストがあるときは、割と気軽に名前を載せがちだね。チケット代を払えない奴がいれば、入場させてあげるし。前に、IDを持ってこなかった奴がいて、入場させないって言うから演奏を拒否してやったこともあったかな。その後、当時のプロモーターが、僕らのことをブッキングしたがらなくなってライブをやらない時期があったりしたけど、クソっ!ライブやりたいぜってなって、皆んなの家をツアーで廻って、前に僕らを観損ねた奴んちのガレージでプレーしたりしてた」。


以前リリースされた数枚のEPから構成されたコンピレーション・アルバム「Pick A Pocket Or Two」についても尋ねてみた。本作をセカンド・アルバムと考えているのか、それとも次回作としてリリースされる作品がこの括りに入るものになるのかに関心があったからだ。


今レコーディングしてるのがセカンド・アルバムだよ。僕らは作品をリリースし続けたいって考えてて、過去にやったいろんなリリースをまとめておきたかったんだ。ファンが1枚だけ買えばいいようにね。それが「Pick A Pocket Or Two」というわけさ。可笑しいんだけど、結局あれは1枚目より良く売れたんだ。あの作品が発売される頃までに、またたくさんの人たちと出会ったから、きっとその人たちが買ってくれたんだと思うよ。 
次のアルバムについては、もうレコーディングを始めてる。スタジオに飛び込んでいきなり2曲やってから、暫く顔を合わせてないなぁ。でもジャックがツアーから戻ってきたら、またスタジオに入ってその曲をちゃんとレコーディングする予定。曲のレコーディングについてはいろいろ実験中で、バンドのサウンドをどうすべきか様子見してるところだけど、日に日に変わっていくんだ。ファースト・アルバムと同じことの繰り返しはイヤだから、僕らを刺激することなら何でも試してみてるところ。 
こっちの方向に行くんだろうなって思ってても、何か他のことをやってみたら方向性が変わったりとかってあるよね。だから時間切れになってレコーディングするまでは、何が起こるか誰にも分からない。バンドとしては今年の終わりまでに出したいって思ってるけど、どうなるか分からない」。


ウェインが軽く触れたように、ジャックは「Peter Doherty and the Putas Madres」のメンバーとしてツアーに出ているのだが、いつも近くにいるわけじゃないメンバーとやっていくことに何か問題はあるのか、この機会に質問してみた。


ジャックが他のバンドでプレーすることに不満を持ってた頃もあったかな。今、音楽を作りたいってなっても、ジャックがいないと、バンドの活動が止まっちゃうって意味でね。特にジャックが海外にいる時とか。携帯を持ってても奴は毎日のように失くしちゃうから意味がないんだ。ちゃんと持ってる時だって電話に出やしないしね。 
だけどジャックは僕の親友さ。兄弟でもあるし、彼の冒険を否定したりはしない。ああいうツアーに出て、大きく成長して、たくさんのインスピレーションを得て帰ってくる。誰かが冒険に出るのを見てるのは好きだよ。冒険って人をテストするものだし。ジャックは疲れを知らない働き者だから、帰ってきたらまた一緒にスタジオに戻るんだ。 
この僕でさえちょっとツアーから離れたいって時があって、1月にインドに行ってきたよ。あっちは全く違うカルチャーだから、ちょっと自分自身を試してみたいっていうのもあった。ある意味イギリスよりインドの方が気に入ったし、戻ってきたくなかったくらい」。


自分だけの音楽を作るのに時間を使いたいのか…とも思ったが、ウェインの場合、クリエィティビティに対しては、よりヴィジュアル的なアプローチをしているようである。


「自分だけの音楽を作ることについては大いに実験していて、いろいろやってきたよ。僕の弟のLee(Lee Thomas)がEPをやりたがってたから4曲録音したんだ。彼の作品なんだけど、参加させてもらって、僕にとっては良いチャレンジになったよ。リードヴォーカルを結構やったからね。あとジャックも1曲リードヴォーカルをやったし、Jay Bone(Carl Barat and The Jackalsのドラマー)もドラムで参加することになるはず。これで何をしようとしているのかはまだ分からないけど、完成したら何らかの形で出すつもり。 
トランポリンでの僕はヴィジュアル担当で、ジャックが歌詞全般を担当。音楽については共同作業だね。僕は全く詩人じゃないけど、ジャックの書く詩はいつも自分の言葉のようによく分かる。でも僕としては、自分のアートワークの展示会みたいなのをやってみたいな。 
ミュージック・ビデオについては、確かなコンセプトが僕にはあってそれを表現しようとしている。「Divided Kingdom」のMVは自分たちで撮影したしね。確か11時間かかったはず。友達と僕らで1日がかりで撮影して、Leeが1本のビデオに編集したんだ。 
最近リリースしたシングル2作、「The One Who Loves You」と「Hard Time For Dreamers」のアートワークは僕が手掛けたんだ。以前のアートワークには写真を使ってたんだけど、僕らの音楽で何か新しいことをしてみようって時にそのやり方を変えることを思いついた。あの曲(The One Who Loves You)はElton John(エルトン・ジョン)も気に入ってくれてるよ!」








既に多くのことを成し遂げているトランポリンであるが、バンドの将来の野望について質問することでインタビューの最後を締めくくってみた。


「ゴールは、次のレコードを引っ提げてもっと多くの国を旅することかな。UK以外の国を周れない時には、バリやドイツからUKまで来てくれる人たちがいる。前にSwansea(スウォンジー)でライブした時には、僕らを観るため、単身日本から来てくれた奴もいた。ジャックでさえ自分の友達をライブに来させられないっていうのにさ。忠誠心だよね。だから、そういう人たちに来てもらうより、自分たちが彼らの国に行きたいって思うよ。
早く日本でライブしてみたいんだ。変なんだけど、トランポリンって日本でビッグなんだよね。僕らのレコードが発売されると、UKより日本のレコード店の方がディスプレイがデカいんだ。僕らのホントの最初のリリースはEPのコンピレーションだったんだけど、それがリリースされたのも日本だったしね。
多くの人と同じように、バンドとして僕らも、あるポイントを目指してはいると思うけど、でもじゃあ、あるポイントを目指すとして、それを達成しちゃったら一体どうすればいいわけ?僕らはただ成り行き任せで、自分たちの行きたい方向に行くだけさ。まだ達成とか全然してないし、スタートさえまだしてないんだけどね」。

 Vinyl Junkieから発売された日本独自企画盤(2012年/廃盤)。



◆あわせて読みたい当サイトのTrampolene(トランポリン)記事


13 December 2018

元テンプルズ(Temples)サム・トムズ(Sam Toms)インタビュー | 脱退の真相とは?


バンド公式から何の発表もないまま、テンプルズ(Temples)のドラマー・サミュエル・トムズ(Samuel Toms)が突然消えた。現在テンプルズのドラムはサポートメンバーであるオランダ人レンズ・オットインク(Rens Ottink)が務めている。誰もが知りたかったサム脱退の真相がついに本人の口から語られた!…というわけで、檀家(テンプルズのコアファン)注目の本記事を和訳してみることにする。

【元ネタ英語記事】[Interview] With ... Samuel Toms(IT'S ALL INDIE 2018年12月6日)

以下、当サイトによる翻訳



インディーロックのベストドラマーというキャリアは、憧れと羨望の的であり続けているが、テンプルズ (おそらく世界的に最も高く評価され愛されている現代のサイケデリックロックバンド)から脱退する際、サミュエル・トムズが確かな希望を抱き、エネルギーとクリエイティビティーに溢れていたことは間違いない。才能あるドラマーでありソングライターでもある彼は、ケタリング出身の4ピースバンドからの脱退以来、いくつかの音楽プロジェクトを同時進行させるのに超多忙な日々を送っている。

最初にサミュエルがやったことの1つは、ドラマーとしてエクスペリメンタル・ポストロックバンドファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)への加入の誘いを受けたことだった。元々ファンでありバンドの友人でもあった為、そこに迷いはなかった。またサミュエルには、かねてからソロ・アーティストでありたいとの考えもあった。1人で音楽をやるのは真新しい夢などではなく、何年もの間思い続けてきたことだった。決意というよりは自然な成り行きで次のステップに進んだ…ということのようであるし、まだテンプルズに所属している頃からずっと作詞作曲も行っていた。

サミュエルはリズムギターを弾き、そして歌う。曲を書き、素晴らしいミュージシャンとプレイし、奇抜でエッジの効いたエンターテイメント的ライブをする…というのが彼のやりたかったことだ。6年いたバンドを抜けるのには、明らかにアドバンテージがあったし、脱退によってさらに大きな解放感とインスピレーションも得られた。いきなりオファーを選べる立場になったのは、彼に好奇心と情熱があったからである。またサミュエルはシークレット・フィックス(Secret Fix)のフロントマンでもあり、トーイ(TOY)やザ・プロパー・オーナメンツ(The Proper Ornaments)のメンバーであるマックス・オスカーノールド(Max Oscarnold)とコラボし、ザ・テレスコープス(The Telescopes)ではギターもプレイする。

あれだけの長い期間テンプルズの正式メンバーを務めたのが特別な経験であるのは言うまでもない。そんなバンドを脱退し、次に進んで新プロジェクトに身を投じ、別のミュージシャンと共にやっていくには、相当な努力や献身、頑張りとエネルギーが必要になる。だがサミュエル・トムズはそれらの全てを注ぎ続けている。そんな1人のミュージシャンの新しいキャリア、過去と未来の思考や考えをもっと聞きたいとの好奇心から、この非凡なミュージシャンと貴重な独占インタビューを行い、皆さんにお届けできるのは我々IT'S ALL INDIEにとって誇りを超えて余りあるものがある。


すっごく色々変化したわけだけど、自分の現在の状況についてどう感じてる?

とてもラッキーだったと思ってる。なるべくしてこうなったって感じで素晴らしいし、これがずっと続くことを願ってる。

ファット・ホワイト・ファミリーのメンバーになるなんて想像したことはあった?

ファット・ホワイト・ファミリーのライブには何度か行ったことがあった。以前テンプルズで何度か同じフェスに出てたから。それから別の友達を通じてパーティーで出会って頼まれた。最初はSecure Men(訳者注:FWFメンバーであるソウル・アダムチェイスキー(Saul Adamczewski)率いるインセキュア・メン(Insecure Men)のこと)でプレイするはずだったんだけど、まだテンプルズにいた頃で忙し過ぎたから結局誰か他の人が入ったんだけど。でもすべてがうまく運んで、テンプルズを抜けた時、ファット・ホワイト・ファミリーが「メンバーになりたい?」って聞いてきたから「もちろん!」って感じだった。

ソロに転向するのってどんな感じ?今のところは楽しい?

ソロに関しては、僕的にはずっとやり続けてきたことだと思っていて、まだテンプルズにいる頃から曲は書いてたけど、脱退してからさらに多くのインスピレーションが得られるようになったのは確か。何曲かレコーディングする予定だからどうなるか見てて。自分だけのことだから、今自分がしてることをどうにでも出来ちゃうわけで、全くもってすべて自分次第。アルバム1枚作ってそこからスタートしたいと思ってる。誰かリリースしたいって人がいてくれればクールだけど、誰もいなきゃ自分でプレスしてDIYで発売するさ。

自分のサウンドや歌詞をどう説明する?

ある意味、大人のテーマを持った子供の曲みたいな感じ。サイケデリックロック全般にはうんざりしてて、僕がお決まりのサイケデリックものについてじゃあ話しましょうって言ってる間にも、パンダ・ベア(Panda Bear)みたいなアーティストはどんどん前進してるわけでさ、ギターバンドにリバーブかけまくらせてるだけじゃなくて。

ポップなメロディーに本当にくだらない歌詞っていうのにマジで興味がある。自分の曲は雰囲気モンじゃなくてかなりドライにしたかったんだ。風刺とか社会的メッセージにも興味はあるけど、あんまり真面目にはしたくなかったんだよね。ふざけてスタートしたものなら誰も後から馬鹿にしたり出来ないしね、自分だって似たようなことやってきたわけだから。シンプルな曲が書きたかったっていうのはあるね。まだ直しを入れるかもしれない曲もあって、もっとモダンなサウンドにするかも。ダブとか何かのミックスとか、まぁどうなるか見ててよ。

どんな主題や状況からインスピレーションを得ているの?

ヒドいこととか、いろんなものにイラっとしてるんだ。多分皆んなの多くがイラっとしてるものにね。でもアートに政治を持ち込むって考えはキライだから、僕の曲は生活とか人間、アティチュードについてだね。「ウォーク・ハード:ロックへの階段(The Dewey Cox Story)」って映画観たことある?「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(Walk The Line)」のパロディーみたいなやつ。映画の途中で何かが起こって「ちょっと待った!それって曲になるかも」みたいなのがあって、そういうのが僕の頭にセンサーを送ってこようとする。何かイラっとくる時とか、何かが目に付く時とかいつでも。この映画が他の人にとって面白いかどうかは分からないけど、気晴らしにはなると思うよ。

音的にどんな影響を受けているのかは単純な話ではないし、それが何であるか見極めるのも容易ではない。だがサミュエルのライブを観たことがある者は皆、その表現のユニークさには同意する。オリジナリティーと個性があるのだ。スクイーズ(Squeeze)、シド・バレット(Syd Barrett)、テレヴィジョン・パーソナリティーズ(Television Personalities)、アイバー・カトラー(Ivor Cutler)と自分を重ねる人もいるとサミュエルは語る。

テンプルズのスタイルは曖昧でとても詩的だったけど、僕の作品は完全にストレート。


Photo Credit: Martin Shaw



テンプルズと同じぐらい最高のミュージシャンでバンドを固めなきゃっていう考えはある?

ラッキーなことに仲がいい友達は皆んな素晴らしいミュージシャンなんだ。モノを分解するみたいなことは大好物でマックス(・オスカーノールド)とはそれをやってるよね。例えばマックスがチープなYAMAHAのキーボードを弾いて、僕がギターとかでもいいかも。今夜のセットはちょっとプロトパンク寄りでもっとエレクトリックにする予定。バンドで3曲演って、それから僕だけで1曲演ることになると思う。ポップソングか酒飲みの曲。大体いつも楽しいよ。

サミュエルの曲のタイトルには「Booze and Hippies For Hate(憎むべき酔っ払いとヒッピー)」というのがあり、そのうちリリースされるデビューアルバムに収録するつもりらしい。「The Professional(ザ・プロフェッショナル)」という知人についての曲もある。

曲のタイトルには何となく自虐的な「Useless Pr*ck(役立たずのペニス)」とかもあるけど、僕に同情してもらうための曲じゃないよ。「Jimmy Riddle's Milk(ジミー・リドルの牛乳)」とか「Special Disease(特殊な病気)」って曲もある。僕にとって曲のタイトルはとても重要でアートワークと同じくらい力を入れてる。タイトルを書いてる時はあらゆることを考慮するようにしてる。

リリースはどうするつもり?誰かアプローチしてきた人はいる?

今のところまだ誰も。たぶんまずは何かを仕上げなきゃならなくて、シングル曲作ってビデオを公開して、そしたら何か具体的なものを示せるよね。シングル曲って、今僕がやってるのはコレですって皆んなに知らせるためのものだからね。とある有名でビッグなバンドをマネジメントしてる男性とずっと話してるんだけど、僕をヘルプするのに興味を持ってくれるかも。

テンプルズのことに話題を移すけど、脱退についての情報発信がほとんどないようだけど、それについてはどう考えてる?

テンプルズの誰も何も言ってないよ。ファンからのメッセージで「どうなってんの?」「なぜ一緒にプレイしないの?」みたいなのが来てるから、(脱退を)認めるとか、ありがとうとか何でも、テンプルズがちょこっと投稿してもいいんじゃないかとは思うけど。

脱退する時点での雰囲気はどうだった?

メンバーにとって僕はちょっと頭の痛い存在ではあったけど、要は僕らって家族みたいなものなんだよね。全員同じ小さな町で育ってるんだけど、家族とだって一生一緒に住んだりしないよね。どっかの時点で家を出て新しい悪友が出来るわけで、僕がやったのはそういうこと。

脱退のきっかけは?

メンバーに出ていくように言われたんだ。詳しくは今言わないけどそんなひどいものではなかったよ。僕らのどっちもそろそろ別々の道を行く時期だって感じてはいたんだけど、たぶん僕自身に今イチそれを認めてないところがあったかも。(脱退については)その人が考えるようにその人なりのストーリーを作り上げてくれればそれでいいし、それがどういうものか知りたいよね。

でも脱退についてはだいぶ前から考えてはいたんだけど、ツアーに出て世界中廻って稼いでたし、途中で止めるわけにもいかないから難しかったんだ。誰でも自分っていう存在が何なのか自問自答する時期ってあるけど、多分僕はもうちょっと早く脱退するべきだったんだろうなって思う。自分自身と他の人達にもフェアでいるためにね。

彼らとこの先長くは一緒にやらないだろうなって悟ったのはどの時点で?

多分、バンドに加入してそんな経ってない頃。僕っていつも物事にきちんと関わるのを楽しむタイプの人間なんだけど、テンプルズに関してはすっごい他人事だった。ある意味、それってクールなことではあるんだけど。ドラムだけ叩いてその他諸々については心配しなくていいっていうのは良かったんだけど、その一方で誰か他の人が舵取りする船に乗ってるっていうのは好きじゃないんだ。それってちょっと怖いことだし。あんまり嬉しくない決定がされちゃうとかそういう類のことだね。だけど本当に素晴らしい時間を過ごせたし、それが6年続いた。世界中ツアーしたし、素晴らしい人達とも出会ったし、すっごい楽しんだよね。

テンプルズの長期間の世界ツアーの中でどのライブが印象に残ってる?

日本のフェスでのライブには、本当にスペシャルなものもあった。単独で演った日本のライブの多くも素晴らしかった。マンチェスターはいつでも間違いなく凄かったね。キッズ達がいつもバカ騒ぎで、テンプルズの曲でモッシュするのが好きなんだ。メンバー全員ガチで具合悪かったライブもあったな。イピサ島でプレイしたんだけどあれは変な経験だった、僕らに合わなかったってだけだけど。

翌日ベニカシズム(訳者注:スペインのフェス)で演ることになってたんだけど、ちょうど僕らが大きくなりかけで人気が出始めたぐらいの頃で、僕らを観に来る人なんているのか全く分からなかった。(最初行ったら)誰もいなくて僕らは全員バックステージに下がってたんだけど、(本番で)ステージに歩いていったら何千という観客が僕らを観に来てた。ちょうど日没の時であれは最高のライブだったなぁ。まだ具合悪かったけどアドレナリンに助けられて何とかやり切った。あれはとってもマジカルだったなぁ。

最も思い出深い瞬間や経験ってどんなのがある?

間違いなくあの頃出会った人達だろうね。今じゃほぼどの大陸に行っても一緒に過ごす友達がいるし。だけど単なる友達なんかじゃなくて素晴らしいキャラクターの持ち主でもある。この世に存在するとさえ想いもしなかった人達なのに、そういう人達の人生がまるで映画みたいだったりするんだ。今まで自分が出会った人達に思いを巡らすのはとても楽しいし、皆んな本当にいい人達なんだ。

カンザス・シティに素晴らしい友人がいて、ただ彼の家に行くってだけでスペシャルなんだ。皆んなあんな場所に行ったことないと思うよ。高価とかではないんだけどベランダがあって、家の前に座って行きかう人達に挨拶して、マジでロマンチックで素晴らしいんだ。

クリントンって奴なんだけど、彼と友達になって、次回テンプルズでライブしにカンザス・シティに来たら「君たち全員迎えに行くから。30分で着くよ」とか言われてたんだ。で、その後僕に電話を掛けてきて、外を見ろって言うから見てみたら、ピンクのキャデラックに乗っててさ。めちゃ明るいピンク。それからその車で遠出したんだけど、どこに連れて行くのか言ってくれなくて。結局どこだかよく分からない場所にある年配の女性が経営してる古いヴィンテージショップだった。

その女性は1970年代からこの店をやってるんだけど、僕らにスーツをくれたから2人でちょっとフレッド・アステア(Fred Astaire)みたいになって店を出た。シルクハットも被ってね。クリントンとピンクのキャデラックで街中をドライブして最高の日を過ごしたな~。ま、そういう感じのことだよね。そういうのがツアーを特別なものにして、勿論いいライブも出来ちゃうわけで、その2つのために僕は生きてるよね。

自分にはあまり特別には聞こえなかったけど…。そのような出来事はあなたのアイディアやクリエイティビティにどの程度影響するんでしょう?

ある時ドキュメンタリー制作のアイディアが浮かんだんだけど、いつかそれを形にしたいと思ってる。「Ambassadors(アンバサダー達)」っていうんだ。ツアーに出た時に出会う人達は皆んなアンバサダー(大使)みたいだから。とある街に行って、その人がその街にいて街中案内してくれて楽しませてくれる。僕のアイディアは誰かと一緒にいることについてで、そういう人達のリストを作って、リストの中の人のところに行って一緒に1週間過ごして生活の様子を撮影するんだ。アンバサダー全員が僕のところに会いに来て、僕の家で盛大なパーティーをするなんてのもいいかも。世界中から、最高の人達全員。

クールなアイディアだと思うよ。たくさん追跡取材できるしアンバサダーになるバンドをピックアップしたりとかさ。例えばだけど、ファット・ホワイト・ファミリーをフィーチャーしてアンバサダーとして撮影したら、彼らのクレイジーな友達のこと全員見せられるよね。そういう友達の皆んなにもギャラをもらう価値があるし、彼らの周りにいると凄くインスパイアされるんだ。だからバンドの華やかな面だけにフォーカスするんじゃなくて、表面を掘り下げてバンドのルーツを見せる。

ファット・ホワイト・ファミリーに関する最新情報は何かある?彼らとのこれからのプランについて話してもらえますか?

今レコードを1枚仕上げてるところ。めちゃカッコいいサウンドだよ、すばらしいんだ。彼らは常に本当に素晴らしいものを作ってるし、レコーディングによってかなりサウンドが違ってくる。あんまり詳しくは話せないけど。喋り過ぎると殺されるかもしれないからさ。でも来年僕らは新しいマテリアルをリリースする予定で、それからはツアーの毎日だね。だから自分のソロの作品を早くやっちゃわないとね。


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7 November 2018

Trampolene(トランポリン)|Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)NMEインタビュー


2018年11月、ギター&ヴォーカルのJack Jones(ジャック・ジョーンズ)は急遽来日を果たしたものの(11月5日Fred Perry東京でアコースティック・ソロライブを敢行)、来日しそうでしないバンドとして日本でのライブが切望されるUKウェールズの3人組Trampolene(トランポリン)。中でもその場末感(いい意味で!)でロックな生き様を体現するベーシストWayne Thomas(ウェイン・トーマス)は目が離せない存在である。副業でバーに勤務するウェインが「働きながらバンドをすること」について語ったNMEの記事を翻訳してみた。

【元ネタ英語記事】Don't give up the day job - the pop stars with 'proper' careers on the side(NME 2018年9月19日)

以下、当サイトによる翻訳(該当箇所のみ)


Text by John Earls

ストリーミングサービスがミュージシャンの稼ぎを激減させてからというもの、ポップスターはいかにして生活に十分な金を稼げばいいのか?NMEは3人のミュージシャンとそれぞれの(非常に異なる)副業について話しをした。

インディーズのバーテンダー
Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)、 Trampolene(トランポリン)

5年前スウォンジーからノースロンドンに引越してから、Trampolene(トランポリン)のベーシスト・Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)は自身の参加する3人組バンドがLiam Gallagher(リアム・ギャラガー)、The Libertines(ザ・リバティーンズ)、Kasabian(カサビアン)のアリーナツアーをサポートするのを見てきた。だがウェインは、それを地元のパブのバーカウンターで働きながらやらなければならなかった。そのような輝かしいサポート枠やフルデビューアルバム「Swansea To Hornsey」、多数のEPを収録した最近の28曲入りコンピレーションアルバム「You've Got To Pick A Pocket Or Two」にもかかわらず、Trampolene(トランポリン)はどことも契約しないままである。「長い間やってきて、バンドを走らせていくのが苦行でしかないこともあったよ。(副業するのは)ちょっと自分を擦り減らすようなものだからね」とウェインは認める。「金欠が足かせになるのはイラっとするよね。だけどA地点からB地点に行くのにレコードレーベルなんて必要ないってことを僕らは証明してきた」。

Trampolene(トランポリン)が止まったり進んだりを繰り返しながら上昇している中、ウェインはずっと同じバーで働いている。客には有名ミュージシャンも数名いるらしく、ウェインは名前を挙げるのを渋ったが、結局バンドが共にツアーしたLiam Gallagher(リアム・ギャラガー)がその中にいることを認めた。「生まれた時からテレビで見てるような人がそれでもまだごく普通の人間だってことが分かるし、そういう人達が礼儀正しく話し掛けてきて一緒に楽しく喋ったりできるっていうね」、ウェインは語る。「リアムみたいないい人達の周りにいられるのは、バンドでの自分自身の成長にとっては良いことだよね。人とどう接するべきかについてちゃんとしていられるからね」。


TRAMPOLENE - Friday I'm In Love


バーでバイトするというライフスタイルは、ウェインが言うようにオフの時間が必要なミュージシャンにとって完全に相性の良い職業である。「一番簡単に始められて抜けるのも簡単な仕事だよね。僕が働いてるバーのオーナーは、ゼロからあのパブを始めたから、Trampolene(トランポリン)に同じ精神があるのを分かってくれる。僕らが這い上がっていくのを見てるし、ずっと支えてくれる後援者だね」。

どことも契約がないというフラストレーションにもかかわらず、ウェインは代わりの昼間の仕事に集中したいとは思わないと断言する。彼もシンガーのJack Jones(ジャック・ジョーンズ)も前途有望な学校のサッカープレイヤーだった。ジャックはSwansea City(スウォンジーシティ)でプレイし、ウェインはWales Under-16やCardiff City(カーディフシティ)のライトバックだった。二人は出会った途端、その情熱を音楽に切り替え、ウェインは学校に行くのを止め、その代わり初期のデモ作りに取り掛かった。資格も何もないが、Trampolene(トランポリン)だけでなく、彼はアーティストでもあり「Artwork Of Youth」というアパレルの販売も行っている。「バンドにいるとクリーンな服って持たないものだよね。だから自分でデザインしたものを着るようにしてるんだ」。一方ジャックはPete Doherty(ピート・ドハーティ)のソロバンドでもプレイする詩人であり、またドラマーのRob Steele(ロブ・スティール)はまだスウォンジー在住で、フロテーションタンクセンター(訳者注:カプセルに入り水に浮かんでリラックスするための施設)を経営している。ジャックはそこの感覚遮断タンクを曲のインスピレーションを得るのによく利用していたという。

バーの仕事の方がライブするより儲かる場合もあるようだ。11月にヘッドラインナーツアーに出るウェインは言う。「ロンドンからダンディー(訳者注:Dundee。スコットランドの都市)まで運転して赤字でしょうもない奴らのためにライブしてまた帰ってくる価値なんてない。そういうのもやってきたけど、ああいう良くないライブってのは未だにあり得るからね。良いプロモーターは誰かってこともそういうイヤな経験から分かるようになるものさ」。


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5 November 2018

Trampolene(トランポリン)|Jack Jones(ジャック・ジョーンズ)インタビュー

Photo by Lee Thomas

UKウェールズの3ピースバンド、Trampolene(トランポリン)のJack Jones(ジャック・ジョーンズ)が11月5日午後7時~Fred Perry東京で緊急ソロライブ!!あまりにも急過ぎるお忍び来日案件がSNSで話題になったのはこの記事とジャック自身のハッシュタグ”JackInJapan”がきっかけだった。…というわけで、本Independent紙の記事を取り急ぎ翻訳!


【元ネタ英語記事】Now Hear This: New music from Robyn, Steve Aoki and BTS, NAO and The Struts, plus a Q&A with Welsh rock band Trampolene (Independent 2018年10月26日)

以下、当サイトによる翻訳(該当箇所のみ)



テキスト by Roisin O'Connor

今週の私のスポットライト・アーテイストは、過去に何度も取り上げているもう1つのバンド(デビューアルバム「Swansea to Hornsey」は自分的2017年ベスト10アルバムにさえ入っていた)。

ウェールズの青年達<Trampolene(トランポリン)>は、Jack Jones(ジャック・ジョーンズ)がフロントーパーソンを務めるバンド。彼はまた素晴らしい詩人でもあり、Peter Doherty(ピート・ドハーティ)のバンド<The Puta Madres>のギタリストでもあり、The Libertines(ザ・リバティーンズ)とも多くのツアーを行っている。

私はここでTrampolene(トランポリン)の「The One Who Loves You」のMVを先行公開させて頂いているが、これはベーシストであるWayne Thomas(ウェイン・トーマス)の弟Lee Thomas(リー・トーマス)の撮影によるものである。基本的にジャックが湖でボートを漕いでいるだけという作品だが、観るだけで不思議と心が鎮まるように仕上がっている。

本ビデオは、ジャックが最近受け取った不運な健康に関する知らせと重なるものとなった。その件や音楽、ピート(ドハーティ)に関して私が知らされたことについて下記でお読み頂きたい。



Trampolene - The One Who Loves You



OK、ジャック。調子はどう?

こんにちは、ロイシン。調子はまぁいいよ。僕と話してくれてありがとう。全てが君にとってうまくいってるといいんだけど。ちょうど電話を壊しちゃったばかりで…上に座っちゃってね。電話の受信しか出来ないから、このメールはJai(ジャイ:Peter Dohertyのマネージャー)の電話で、東京行きのフライトに間に合うよう急ぎながら打っています。東京ではソロでTrampolene(トランポリン)名義のインストアを演る予定になっているんだ。

関節炎の診断のニュースを聞いて残念に思います。あなた個人にとって、またあなたの音楽にとって、これは何を意味するのでしょう?

ずっと手と首がちょっとおかしくて…、主に酷い痛みとか腫れだったんだけど、それについてあまり調べたりはしてなかったんだ。で、The Sherlocksとのツアー後のある朝、両手が開かなくなってギターも弾けない、ペンを持って字も書けない、手でドアも開けられない…ってなって怖くなって、本当にビビっちゃって。僕は死ぬのか、無価値な人間になって人生をどうすればいいのかも分からないってなって…。でもOK…僕は死んだりしないよ。リウマチ性関節炎ってやつにかかっちゃったんだ。クローン病に関係する自己免疫性の疾患なんだ、長く続いちゃうヤツだね:)

これが何を意味するか…僕らはどのライブもキャンセルしないけど、11月と12月のAliveツアーの後、ちょっと休むつもりなんだ。それからレコーディングも来年まで遅らせて、その間に自分の病気や治療について理解して、あんまり痛みを感じずにギターを弾く方法を編み出すつもり。だから今はたくさんの愛と痛み止めの薬、それとおじいちゃんがよく言ってたように…「神に挑戦せよ」、つまり新しい方法を見つけるために何をするかってことだよね。

新しいPeter Doherty(ピート・ドハーティ)のアルバムについて少し話して欲しいのですが。どんなサウンドで、レコーディングはどんな感じだったのかと、あと彼自身はどうだったのか?

何て言えばいいのかな…レコーディングは海が見渡せるノルマンディーの綺麗な家で1週間以内でやったんだ。あのバンドにはジプシーっぽい感じがあるよね。The Puta Madres ― たぶんバンドメンバーの国籍がバラバラだからそういう風になるんだと思うんだけど ― キーボードのKatiaはフランス出身、ドラムのRafa(スペイン)、ヴァイオリンのMiki(アメリカ)、ベースのMiggles(フランス)、僕(ウェールズ)そしてピート(イギリス)。

「Who's Been Having You Over」「A Fool There Was」「Traveling Tinker」「Paradise Is Under Your Nose」みたいなほとんどの曲は、夏にフェスで演奏した曲で、Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)の素晴らしい「Ride Into The Sun」のカバーもあるよ。できるだけ自然になるようライブ録音したんだけど…彼が以前やったものとか僕が以前聴いたもの、うん、少なくとも僕の耳で聴いたものの何にも似ていないサウンドだね。あんな風にピートと一緒にギターを弾いて曲作りをすると、僕の心が開放されるんだ。彼自身は元気にやってるし、彼みたいな人って他にいないよね、いい意味でね。でもある種の人には彼を放っておいてあげてほしいって思うよ。


Photo by Daniel Quesada


音楽や詩の面では他にどんなことをやっていますか?

えっと…僕はいつも後ろポケットにいくつか詩や曲を入れています。先月、コンピレーション(2枚組アルバム)「Pick A Pocket Or Two」をリリースしたんだけど、僕らのデビューアルバム「Swansea To Hornsey」には収録していなかった曲や詩が全て入っています。ニューシングル「One Who Loves You」も発売されたところです。あと僕は本を書いてるんだけど、これはどうなるか分からないな。ほぼ完成してるバンドについてのドキュメンタリーもあって、新しいトランポリンのアルバムも既に半分できてるし、ちょうど故郷スウォンジーに戻っていたところだったんだ。

あなたの愛すべき故郷の3大ベストって何ですか?

それは簡単さ。僕のママ。僕の友達。僕の犬。




18 October 2018

プライマルスクリームのSimone Marie Butlerインタビュー | Evening Standard

Photo Credit: Eva K.Salvi


Soho Radioの自身の番組「Naked Lunch」でゲストがあまりよろしくない日本に関するジョークを言えば即座にフォローしてくれる僕らの姉貴ことPrimal Scream(プライマル・スクリーム)のSimone Marie Butler(シモーヌ・マリー・バトラー)。数年前のインタビューで「フィアンセ」という言葉を連発しており、最近愛犬絡みの投稿も多いことからもしかして…等思いつつ、UKのEvening Standardのショート・インタビューを翻訳してみた。

【元ネタ英語記事】Primal Scream's Simone Marie Butler interview: 'Mick Jagger is a very fit man' (2018年10月5日)

以下、当サイトによる翻訳



シモーヌ・マリー・バトラーは2012年以来、プライマル・スクリームをパワーアップさせてきた。前任のマニ(ザ・ストーン・ローゼズ加入の為、脱退)とベーシストを交代した年である。彼女はバンドメイトのボビー・ギレスピーやアンドリュー・イネスと共に世界ツアーを行い、Soho Radioに自身の番組を持つ。

「もし自宅が地面に飲み込まれるようなことがあれば、中に飛び込んでベースギターとパスポートを取ってくるでしょうね」。バトラーは言う。「そうすれば少なくともツアーには行けますから」。結局ベースがすべてなのである。


これまでステージから見た一番奇妙な光景は?

前、フェスで誰かが車輪付きのゴミ箱をステージ前でクラウドサーフさせてたことがありました。会場にはラブドールとかあらゆる物が飛び交ってますが、あれはかなり印象的でした。ああいうのってすっごく重いんですよね。


最も「夢じゃないか」と思った瞬間は?

グラストンベリーでローリング・ストーンズをサポートしたことは、自慢に聞こえないよう普通に話すのが難しいですね。でもあれが自分にとって人生のクライマックスなのは間違いありません。


完璧なロックスターを作り上げるのに必要なものは?

ミック・ジャガーのハムストリング筋。彼はとても壮健な男性ですよね。デヴィッド・ボウイの衣装。あとプリンスのヴィジョン。ダイヤモンズ・アンド・パールズ・ツアーの時、アールズ・コートの最前列にいた14才の自分を今でも覚えています。あの時もうプリンスは皆の憧れの存在だったけど、彼の功績はこの先ずっと生き続けるでしょうね。


ロンドンについて学んだことって何かありますか?

ピムリコ(Pimlico)は昔にタイムスリップした街だってこと。あそこはまだ1500のガス灯が現役で、係の人がハシゴ片手に全部廻って、朝晩毎日点灯・消灯してるんです。


何かジョークを言って下さい…。

少年が学校でベースのレッスンを始めました。最初のレッスンから帰宅した時、お父さんが言いました:「今日は何を習ったんだい?」。少年は言いました:「最初の2弦、EとA」。

次の日、帰宅した少年はお父さんに言いました:「パパ、今日は次の2弦を習ったよ。DとG」。3日め、少年は言いました:「今日はレッスンに行かなかった。ライブがあったから」。


※訳者注:ベースは4弦あり、4弦=E(ミ)、3弦=A(ラ)、2弦=D(レ)、
1弦=G(ソ)が開放弦(指で弦を押さえないこと)で弾ける。



シモーヌ・マリー・バトラーはFender社のアプリ(fender.com/play)のアンバサダーを務めている。



◆あわせて読みたい当サイトSimone Marie Butlerインタビュー: