12 March 2018

Starcrawler(スタークローラー)|Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)インタビュー



【元ネタ英語記事】L.A. ROCKERS STARCRAWLER WANT TO PROVE THAT KIDS CAN STILL KICK ASS (Interview Magazine 2018年1月19日)


以下、当サイトによる翻訳(前文は省略)


どうやってスタークローラーが結成されたか話してくれるかな?


Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワルド、以下ADW):まず自分とオースティン(Austin Smith・ドラマー)が共通の友人を介して知り合ったんです。オースティンがドラムを叩くのは知ってて、自分はバンドやりたいって考えてて…。楽器を演っていて自分と音楽の趣味がカブるのはオースティンしかいなかったんです。それでジャムをするようになりました。自分とヘンリ(Henri Cash・ギタリスト)は学校が同じだったんですが、ヘンリのことは知らなくて、ちょうど夏になる前、ある日学校でヘンリにアプローチしてみたんです。チューバを抱えてたから、チューバなんか持ってんならギター弾ける気しないなとは思いつつ(笑)。「キミ、かっこいいじゃん。ギター弾く?」って訊いたらビビられたんですが、弾けるって言われたので電話番号を交換しました。3人で曲作りを始めて何人か違うベーシストとも演ってたんですが、そのうち旧友のティム(Tim Franco)がベースを弾くことを思い出して…。それからバンドがうまく行くようになったって感じですね。


エルトンジョンが君たちのバンドや「Ants」を発掘するに至ったのはどういう経緯で?


ADW:彼の周りの誰かがスタークローラーのバンドアカウントにメールしてきたんです。「オー、イェー、来週エルトンがラジオ番組で『Ants』をかけるよ」ってだけ書いてあって。思ってもみなかったクレイジーな出来事で本当に嬉しかったです。


ライアンアダムスが今度出るLPをプロデュースしたんですよね。彼とはどうやってつながったの?


ADW:インスタグラムで自分たちを見て興味を持ってくれたらしいです。ライアンと自分の母親は長年の知り合いで、特に90年代に親交がありました。最近は疎遠になってましたが、インスタグラムに母が上げたのを見てライブに来てくれて、スタークローラーのレコーディングにとても興味を持ってくれました。ウチの母親がバンドのために動いたんだろって思ってる人も多いんですが、ライアンのことは自分たちの眼中になかったし、それは違うんです。彼にプロデュースしてもらおうとか、「彼に聞いてみてくれない?」って母親に頼むなんて考えたこともなかったです。でもライアン側からバンドにアプローチがあった時、マジでクールで驚くべきアイディアだって感じたんですよね。仮にもし母親に頼んでいたとしても、多分ウチの母親、「ライアンは興味ないと思うよ~」とか言ってたと思いますけど(笑)。


君にアーティスティックな著名人の両親がいるせいで、今の地位は君自身が築いたものじゃないって思ってる人も多いんじゃないかなと思うんだけど。たとえ音楽を聴いてみればそうじゃないって分かるとしても…。この過程をスタートさせる時、キャリアパスについて考える上で役立った両親の教えみたいなのって何かある?


ADW:ありますよ、特に父親から。音楽業界界隈で大きくなったから、業界がどう回っているのかはもう分かるようになってました。最初にこのバンドを始めた時も、父から多くのアドバイスをもらいましたね。母親からもですけど、父は自分がどう進むべきかについて大きな手助けとなってくれました。







このLPの中の曲は全曲スタジオ入りする前に書いたの?


ADW:全部前もって作ってたんですが、完璧に出来上がってないのが2、3曲あったので、ライアンにもっと曲らしくなるようヘルプを依頼しました。作ってみたものの完成した感がないままの曲に「I Love LA」があったんですが、いろいろ変化を加えてくれてライアンの手助けは大きかったですね。


未完成曲を詰めるのをヘルプした以外で、プロデューサーとしてのライアンがレコードに施した具体的なことって何がありますか?


ADW:スタジオ入りする前、「I Love LA」はひどい状態だったんですが、ライアンが今の形にしてくれました。あとバラードで「Tears」っていう曲があるんですが、作ったはいいけどどうしたらいいのか、どんなサウンドにすべきか全然分からなくて…。ライアンは曲を解体してギター、ヴォーカル、ちょいシンセサイザーって感じに仕上げてくれましたね。


ロサンゼルスで育ったのは君の音楽スタイルにどう影響してる?


ADW:あそこで育ったのはとっても良かったです。シーンもいろいろたくさんチェックできたし、ライブに行きまくって大人になりました。週末とか、パーティーの代わりによくライブに行ってましたし。音楽みたいなことをやりたければロス出身ってことは大きいと思います。


スタークローラーはLAのバンドだって思ってる?


ADW:カテゴリーに当てはめるのはあんまり好きじゃないです。そこから抜け出せないって感じたりするから。だけどそうだとは思います。自分たちの出身地だし、ロスについての曲だってあるし(笑)。


スタークローラーはよく死にゆくロックンロールの再改革とか再活性とか言われてるけど、それは狙ってたことなの?


ADW:ロックはメンバー全員を団結させたし、自分たちが演りたいことでもあるんです。少なくとも自分は過去に戻ってロックを昔みたいにポピュラーにしたいと思ってます。だけど同時に、ただ楽しんでるだけだっていうのもあります。自分たちはただ音楽をプレイしてるだけなんです。






これまで聴いてきた好きなバンドの中で、今回のニューLPを作るにあたりインスパイアされたバンドって誰になるの?

ADW:間違いなくオジー(Ozzy Osbourne)。オジーとサバス(Black Sabath)。生まれて初めて好きになった最初のバンドはビートルズ。でも自分に音楽をやりたいって思わせたのはオジーですね。

フレッシュで新しいサウンドを追求しつつも、つい好きな音楽のオマージュにしようとしちゃってた…みたいなことってありましたか?

ADW:スローバック(過去の振り返り)バンドだみたいによく言われるんですが、スタークローラーは完全にオリジナルなことをやってるって今でも自分は思ってます。私がある種の衣装を着てるとかそういうことじゃないんですよね。いや、確かに自分はステージ衣装を着てるけど、自分のアイドルそっくりになろうとしてるわけじゃないし、インスピレーションを得て、それから自分自身のものに取り入れてるって感じですね。

スローバックだと言われたり、君の成功について両親のおかげだって思われることに困惑することはあった?

ADW:それについてはそんな大したことじゃないです。どう言われてるかにもよるけど…。いつだって人は何かをたくさんのカテゴリーに当てはめなきゃ気が済まないみたいだから、困惑することはあるかもしれないけど。

LAで育ってこれまで行ったライブの中で、音楽やパフォーマンスに人生を捧げたいと君に意識させたライブは何かある?

ADW:このバンドを始める前、友達のバンドが出るライブによく行っていました。ロックミュージックに近いものってそれだけで、自分はそういうライブが大好きでした。自分に音楽とは何かを教えてくれたのはLA界隈の普通と違うグラムにインスパイアされたバンドの数々でしたね。





スタークローラーのライブはその激しさとエネルギーで知られるようになって、君はステージで観客を挑発するのが好きだよね。そういう観客との絡みが裏目に出ちゃったことはあるの?


ADW:怒る人はよくいますね。そういうのなら簡単に思い出せますよ。皆んなとても心配してくれるんだけど、自分にとってはそれは可笑しなことなんです。自分がうっとうしい奴だからそういう人たちが暴力的になっただけの話。観客に向かって唾を吐いたり触ったりするの、好きなんですよ。そしたらそういうことをされた人たちが立ち上がって、ある女性なんてナイフを取り出して、自分を待ち伏せするために外に出てましたもん。自分と喧嘩か何かしたかったんでしょうね。ステージが終わったらセキュリティーのところに飛んで行って、自分が半殺しにならないようお願いしときましたけど。自分にとっては可笑しなことでも、あの女性にとってはイヤだったんでしょうね(笑)。


あのライブのエネルギーをレコーディングスタジオ用に変換するのは難しかったですか?


ADW:全然。だってほぼ一発録りだから。重ね録りもしたけど、トラックは全部ライブ録りしました。練習でやってるのと同じですね。簡単だし、ステージで演る感覚と同じに感じました。


スタークローラーが最初にライブをやり始めた頃、君はまだ高校生だったよね。全く異なる2つの生活のバランスを取るのってどんなだったの?


ADW:大変でした。公立の学校に通ってたし、欠席にはとてもウルサイ最終学年だったから。7日とかしか休めないのに、自分は30日も休んじゃってました。結局大丈夫だったんですが、あの頃午前2時に寝て6時に起きて学校に行かなきゃならなかったから最悪でした。容赦なかったし、もうアレをやらなくていいと思うと嬉しくて仕方ないです。


君の音楽的ヒーローがすごい有名人だってことを考えると、君にもスターダムに昇りつめたいって野望はあるのかな?


ADW:300万枚!それが目標(笑)自分は曲作りが好きだけど、公言してようがいなかろうが、誰だって一定レベルの成功を望んでると思います。うん、自分の夢はツアーバスとか、いろんな派手で悪趣味なヤツを全部手に入れること。だけど例えそうならなかったとしても音楽はやり続けるだろうし、ただ単に楽しいままなんだろうなって思います。



Starcrawler(スタークローラー)。メンバーは左からHenri Cash(ギター)、
Arrow de Wilde(ヴォーカル)、Tim Franco(ベース)、Austin Smith(ドラムス)


6 February 2018

Starcrawler(スタークローラー)|LA Weeklyインタビュー




【元ネタ英語記事】With Fake Blood and Frenetic Songs, Starcrawler Make Rock Feel Dangerous Again(2017年8月8日)

以下、当サイトによる翻訳


『偽物の血と激しい曲でロックはデンジャラスなものと再認識させるStarcrawler(スタークローラー)』

ロサンゼルス現代美術館の駐車場は日没となり、社会不適合者4人組(うちひとりはまだ高校卒業さえしていない)スタークローラーは「Pussy Tower」を発表 ― ライブ前、寿司レストラン<Sushi Joint>で、バンドのフロントパーソンArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド 18才)は「フェラチオについて歌った曲です、って何でもいっか」と肩をすくめていた。ライブでは、その曲が始まるや否やデ・ワイルドは姿を消し、そしてまた現れたかと思うと観客目がけて血のりを吐きつけた。叫び出す者に笑い出す者。まるでパーティーの出し物である。

ライブ前半、デ・ワイルドは病院着で暴れ回り、精神病患者のビデオを研究し盗み取ったであろう半狂乱の表情を浮かべていた。ステージ上の彼女の人格は、アーカム・アサイラム(訳者注:「バットマン」に登場する精神病院)からの架空の脱走者か、Nick Cave(ニック・ケイヴ)やPJ Harvey(PJハーヴェイ)の卵のようである。病院着の下にはヒカリ物の男性用ブリーフを着用。最後には衣服を脱ぎ捨てコウモリの如く自分の腕を身体に巻きつける。おそらくかつて影響を受けた彼女のヒーローOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)を真似てのことだろう。


(左から) Tim Franco(べース)、Henri Cash(ギター)、
Arrow de Wilde(ヴォーカル)、Austin Smith(ドラムス)


スタークローラーはここ1年程、よくグラムパンクのリバイバルバンドThe Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)と対バンで、ロサンゼルス界隈でライブ活動を行ってきた。恐らく実際に彼らを観る前にその瑞々しいロックンロールミュージックを聴いたことがある人も多いことだろう。先月、デ・ワイルドはジョシュア・ツリーにあるナイトクラブ<Pappy and Harriet's>で観客に向け赤い血のりを吐いた。それにブチ切れた1人の女性がナイフを握りしめステージに向かってきたという。

「本物の血だと思うみたいなんです」デ・ワイルドは言う。え、ホンモノ?「作り方は秘密だけど、すんごいマズイんです」。

この4人組はロサンゼルス現代美術館のライブでクライマックスを迎え、バンドメンバーが楽器と格闘している中、デ・ワイルドはステージから飛び降り、殴り合いのケンカを煽りながらモッシュピットを急ぎ足で立ち去った。最後にドラマーAustin Smith(オースティン・スミス 22才)が観客にドラムスティックを投げ入れ、ギタリストHenri Cash(ヘンリー・キャッシュ 16才)が「本当にありがとう。皆んなくたばっちまえ!」とシメる。

ベーシストTim Franco(ティム・フランコ 20才)と共に、スタークローラーは今夜のオープニングアクトを務めたのであるが、対バンの他のバンドまで帰ってしまいかねない勢いである。

2階の楽屋ではデ・ワイルドが穏やかに腰掛け、「今何があったの?」と尋ねるのだった。全くもって良い質問である。



Starcrawler "Pussy Tower"


数時間前、礼儀正しいキャッシュはサウンドチェックでスタッフ全員に挨拶していた。最年少で気さくなキャラクターの彼は、キャメロン・クロウ監督の<あの頃ペニー・レインと>のやり口でGeorge Harrison(ジョージ・ハリスン)の役割を引き受けている。幼稚園の頃、Ramones(ラモーンズ)のアンソロジーを持っていき、他の園児達に見せていたらしいが「誰も分かってくれなかった」のだと彼は言う。

キャッシュは手指がギターを弾くに足る大きさになる頃からギターをプレイしてきた。今では自身のアイドルJack White(ジャック・ホワイト)に対抗出来るまでになった。アドレナリンで麻痺して指から血が出ているのに気付かないこともよくある。去年<The Echo>でのライブではステージで鼻を骨折したものの、翌日、写真撮影で変形した自分の顏を見るまで気付かなかったという。

最年長のスミスはベニスビーチのスケーターの風貌であるがハリウッド育ちだ。そしてリズム隊のパートナーであるフランコは物静かな男である。「最初ティムのことヤな奴かもって思ってたけど、最高にいい奴だった」とはキャッシュの評である。

万一スタークローラーが暴漢に襲われても、リズム隊が守ってくれるとデ・ワイルドは太鼓判を押す。「あの人達、銃を持ってるから」。彼女は言う。

キャッシュが興奮気味に語り出す。「ステージでKeith Richards(キース・リチャーズ)がMick Jagger(ミック・ジャガー)の背後から来た奴をギターでブン殴ってる動画見たことある?」。キャッシュが他のメンバーに目を向ける。「僕らもアレのリハーサルをしなきゃね」。

デ・ワイルドはエコパークのアートコミュニティー生まれで、ドラマーであるAaron Sperske(アーロン・スパースク)(Beachwood Sparks(ビーチウッド・スパークス)、Ariel Pink(アリエル・ピンク)等で活躍)と、写真家であるAutumn de Wilde(オータム・デ・ワイルド)の娘である。子供の頃にはElliott Smith(エリオット・スミス)が身近にいた。<Teen Vogue>や<Paper>でモデルを務め、16才にしてLena Dunham(レナ・ダナム)が監督したBleachers(ブリーチャーズ)のミュージックビデオにも出演を果たしている。


Bleachers "I Wanna Get Better" (2014年3月27日公開)
当時16才、ショートカットのアロウ・デ・ワイルド出演(1分17秒~)


スタークローラーはデ・ワイルドとスミスがフェイスブックを通じて知り合い、ジャムセッションを始めた2年前に端を発する。「何回か一緒に演って『コイツ悪くないじゃん』って思って」とスミスは説明する。デ・ワイルドはキャッシュのことを2人が通っていたイーストロサンゼルスのパフォーミングアートスクールで見つけた。彼がチューバのケースを運んでいるのを見かけ、ギターを弾くか尋ねたのだという。フランコはデ・ワイルドの知り合いの中で唯一ベースを弾く人物だった。フランコは彼にとって最初のリハーサルに汗を滴らせながらバイクで乗りつけた。彼は燃えていたのか?「だって遅刻してたから」。フランコは表情を変えることなく答えた。

スタークローラーは、彼らにとって初のライブを去年の春、サンセット通りのヴェニューで行った。デ・ワイルドが「クローゼット」と表現する小規模なハコである。中には40人がすし詰めとなり、外には会場に入りきれない数十人が窓越しに見つめていた。「僕らが1発目のバンドだったんだけど、終わったら皆んな帰っちゃってさ」。笑いながらスミスが回想する。「対バンの奴ら困ってたよね。僕にしてみれば『君達お友達いないの?』って感じだったけど」。

最近のバンドは「退屈」だとデ・ワイルドは考えているようだ。そして自分自身を過去の神話に重ねることを彼女は好んでやる。「ロックスターが楽屋でどうしてるのか、どんな感じなのかって考えたりしちゃいますよね。でも今のバンドって、普通の人より高いところにいる存在って感じではもうない。ミステリアスな存在じゃなくなってしまってるんです」。デ・ワイルドはそう語った。

そんな訳で、デ・ワイルドもキャッシュもステージにふさわしいファッションをしているのだ。病院着はデ・ワイルドが着用する2つのコスチュームのうちの1つだ。キャッシュは黒のブレザーに赤いシャツを選択。「The Beatles(ザ・ビートルズ)みたいにね。The BeatlesとRamonesにはユニフォームがあったよね。今じゃバンドは帽子にギターの、ただのヒップスターだけど」。キャッシュはそう語った。

ツイッターでのスタークローラーのプロフィールには「We will kill you(お前を殺す)」とある。「殺っちゃうぜ!」とキャッシュが言う。「ウチらのショーで観客はショックを受けてビビるんだけど、そんなことが未だに出来ちゃうなんて知らなかったんです」。デ・ワイルドが語る。「怒っちゃったりとかもするんだけど、それが気に入っています」。

あまりスタークローラーに興味がない傍観者の目に、バンドの姿は「病んでいる」と映るようだ。「僕ら、拒食症のヤク中だって思われてる。あと女性蔑視とか」。キャッシュは冷笑する。キャッシュは、この日バンドのインスタグラムに届いた嫌がらせメールを読み上げた。標的になるのは大抵デ・ワイルドである。そのメールは「あんな女がアピールするものなんて何もない。あんなのが有名人だなんてあり得ないし、まさに拒食症のプロモーションをしているようなもの」と結ばれていた。

キャッシュは憤慨した様子でデ・ワイルドの天ぷらが盛られた皿を指差す。「アロウは拒食症なんかじゃないよ。食ってるじゃん!身長6フィート2インチ(188センチ)もあるんだぜ。アロウのママが同じ年の時の写真を見れば同じことだよ」。

「気にしてない」のだとデ・ワイルドは言う。「拒食症だみたいなことはずっと言われてる。可哀想だとか思われたくない。この件について発言してもいいんだけど、それを公言したらもっと…」。彼女は答えるべき言葉を探しあぐねているようだった。

いわゆる「ボディ・ポジティブ(訳者注:世間のステレオタイプな女性の「美」の概念に振り回されることなく、ありのままの自分の身体を受け入れようとするムーブメント)」を自称する男女同権主義者からデ・ワイルドが攻撃されることにスタークローラーは失望していた。彼女のステージ上での役割を考えればなおさらである。「この素晴らしい女性のフロントパーソンって思われたくない。他のメンバーと同じタダのフロントパーソンでいたいんです」。デ・ワイルドはそう言った。

ステージ上での彼女の奇妙な動きは、The Runaways(ザ・ランナウェイズ)やOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)に影響を受けたものである。彼女のオジーへの愛着は特に深いものがあるようだ。「<Blizzard of Ozz(ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説)>を聴いて、これまでの人生で聴いた中で一番最高のアルバムだって分かったんです。それからYouTubeの動画やインタビューを全部見て、オジーの本も読みました。オジーへの愛はロマンチックなものではないんです。Steven Tyler(スティーブン・タイラー)は今じゃうっとうしい存在になっちゃったけど、オジーは80年代に身に着けてたスパンデックスの服を着ようとしたりはしない。ただただシックなんです」。



2018年、ついに初来日を果たすStarcrawler(スタークローラー)


音楽の話となると、スタークローラーは本当に実直でちょっとプロっぽくさえある。ライブもまだ演ったことがないうちからファーストシングル「Ants」とそのB面「Used to Know」をレコーディング済みなのである。「Ants」は文字どおり毎年キャッシュ家を悩ませる夏恒例・蟻の大発生について歌った曲である。スピード感に溢れ、激しく、サクッと1曲演奏し終わるのと同様に即効完成させた曲でもある。「だってムカついてたから」とキャッシュは言う。

「Ants」はElton John(エルトン・ジョン)の手によって<Beats 1>のラジオでオンエアされたのだが、キャッシュによると、「面白いんだ。だって皆んな『エルトン・ジョンがお前の曲かけるんだってよ」とか言ってるのに、僕ときたら『そうそう!でも今この数学のテストやんなきゃ』みたいなノリでさ」という具合だったらしい。

スタークローラーは、同じミュージシャンである指導者としてシンガーソングライターのRyan Adams(ライアン・アダムス)を見出し、ハリウッドの彼の所有スタジオPax-Amスタジオで、アナログテープにデビューアルバムをレコーディングした。このデビューアルバムは、来年ラフ・トレードからリリース予定だ。アダムスは、デ・ワイルドの母オータムをインスタグラムでフォローしていたことからスタークローラーを発見したという。多くのロックミュージシャンがそうであるように、アダムスもまたオータム・デ・ワイルドに撮影されていたのだ。デ・ワイルドの母がアロウにアダムスからのメッセージを伝えた時、彼女の反応はと言えば、長い間行方不明の伯父のことを聞きつけた者のようだったという。「ライアン・アダムス?長いこと名前聞かないよね」と。

デビューアルバムやその背後にある意図を解説するよう彼らに求めると、スタークローラーは揃って口をつぐんだ。「僕らを皆んなのドラッグにしてくれよな」。キャッシュのその言い草は、まるで脅し文句のようにさえ聞こえたのだった。


◆あわせて読みたい当サイトStarcrawler(スタークローラー)記事:

27 November 2017

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| The Aquarium Drunkard インタビュー


2017年11月の”来日”ツアーが好評だった逆輸入バンド「幾何学模様(Kikagau Moyo)」。そんな彼らが最新EP「Stone Garden」のリリースに合わせ、渋谷の喫茶店茶亭羽當(さていはとう)で行ったインタビューを翻訳しました。

【元ネタ英語記事】Kikagaku Moyo :: The Aquarium Drunkard Interview(2017年4月20日)

以下、当サイトによる和訳(前文は省略)



幾何学模様はどんな風に結成されたんですか?

幾何学模様:僕[訳者注:ドラマー兼ヴォーカリストのゴウ・クロサワ氏]がギタリストのトモと出会ったんです。トモは映像で留学しててアメリカに住んでたんですが、帰国して再開して「OK、バンドやろうぜ」ってなったんです。2人だけで。僕はドラムをやりたかったんですが、やったことはありませんでした。トモはギターを弾くって言ってたんですが、本当は弾けませんでした(笑)。それでほとんど毎晩、古いスタジオに真夜中から朝まで籠るようになりました。友人が働いてたからタダで使わせてもらえたんです。エンドレスでジャムをしようとして「2人じゃ何もできない」ってことにすぐに気付きました。たった2ピースで何ができるの?ガレージロック的なガレージとか、サイケデリック、どちらにしてもつまらないかもってなって。

それでメンバーを探そうとしたんですが、僕らは経験のない人間を見つけたかったんです。演奏の仕方は知らないけど、ただ一緒に音楽をやりたいみたいな人。あちこちにビラを貼って、大学に行ってサイケデリックなポスターを作って配ったりしていました。トモなんてあちこち貼り過ぎてトラブルになってましたね。「ダメだよ~、何でこんなにサイケデリックのポスター貼りまくってるんだ!?」って(笑)。で、ある日ベーシストを見つけたんですが、彼は自分のドローンプロジェクト用に自動販売機の音をレコーダーで録音しているところでした。僕らが話し掛けて「何やってんの?音楽やろうぜ」「ああ、OK」ってなって。もう1人のギタリストはトモが通ってるのと同じ大学で働いてたんですが、見た目がすげぇ~変わってて。髭ヅラでロン毛でタバコ巻いてて…。「楽器やる?」「やる、やる、やる」「バンドで弾きたい?」「うん、OK」って。僕らはお互いを全然知らなかったんです。それから僕の弟がシタールを弾くんですが、インドから帰国したんです。こうして僕らは一緒に音楽をやるようになって幾何学模様が結成されたというわけです。

ライブについては、東京だと全くシステムが違うから難しいんですよね。演奏するのにお金払わないといけないんです。30分から35分のセットで300ドルが相場です。数回やって「これじゃ何にもならない」ってなって海外に出ることを決意しました。2週間オーストラリアツアーをやったら事がうまく運び始めました。とあるレーベルからオファーをもらって、2014年レヴィテーション(旧名称オースティンサイケフェス)に出演したんです。

それから最初の1枚は英国のレーベルからリリースしたんでしたっけ?

幾何学模様:1枚目はギリシャのレーベルからです。Bandcampに上げたら見つけてくれて「OK、ウチからリリースしてあげるよ」って言われて「ギリシャ?」ってなりました(笑)。他のレーベルにも送っててサウンドが弱過ぎとか言われてたのに。

大人になる過程で楽器はやらなかったんですか?

幾何学模様:あんまり。ピアノは弾いていました。クラシックピアノです。あと学校のブラスバンドでホルンや金管楽器も。トモはチェロを弾くんですが、バンドはやっていませんでした。

君達の始まりのストーリーって本当に素晴らしいですよね。僕はそんな風に結成したバンドを他に知りません。

幾何学模様:サイケデリックって演奏が巧いとかそういうことじゃなくて、もっと共同作業的なものなんです。メンバーのバックグラウンドが全く違ってて音楽も違うものを聴いている。それをどう融合させるか考えたんです。

バンドとして「自分達のサウンドに伝統的な音楽を融合したい」と考えたんですか?それとも弟さん[訳者注:ゴウ・クロサワ氏の実弟、シタール奏者のリュウ・クロサワ氏]がいるから自然とそうなったのでしょうか?

幾何学模様:自然の成り行きでした。僕の弟は今の音楽を全く聴かないんですよ。インドの伝統的なシタールを学んでいましたから。なのでそれをどう融合させるか考えるのは大変でしたが、どうにか形になりましたね。

幾何学模様のサウンドについてですが、特に初期のものはかなり瞑想的ですよね。それって能力不足のせいだったのかな?それとも…。

幾何学模様:能力不足のせいです(笑)。日本のバンドって総じて技術的に巧いんですが、僕らは本当に演奏が下手だったんです。だから「ごまかしちゃおうぜ」「どうやって?」「ドローンをやればマジで瞑想的な感じになる」。そうすれば、何かテーマみたいなものがあってやってるんじゃないかって思ってもらえる(全員笑)。

スモークマシーンを2台買ったんですが、出し過ぎちゃって観客から僕らが見えなくなってしまって(笑)。笑っちゃいますよね。何回か火災報知器が鳴ったみたいで警察と消防が来て止めていました。凄く怒られましたね(笑)。

じゃあ宗教的アプローチだったというわけではないんですね…。

幾何学模様:違います。でも最初僕らは曲作りの方法を知らなかったんです。「どうやるの?」ってコード進行も知らない。何も分かってなかったんです。それで音楽以外の経験からアイディアを得ようとして、キャンプに行ったり山に数日間籠ったりして楽しく過ごしていました。で、「この経験をどう音楽に変えるんだ?」ってなっても多くのことはできないわけです。だけど、僕らが共有した感覚はこんな感じだったっていうのは確かにある。僕らはまた山に楽器を持っていって、その感覚を曲にしようと楽器を弾いてレコーディングしていました。曲作りについて何も分からなかった頃、僕らはそんな風にして自分達だけの場所でスタートしたんです。

友人から聞いたのですが、バンド名は「数学的模様」って意味なんですよね。

幾何学模様:「幾何学」です。

幾何学模様ですか。可笑しいですね、マスロックをやってるバンドかと思ったら君達がやってることは全然違いましたね。

幾何学模様:(笑)。(バンド名の由来は)僕らが夜通しジャムセッションしてたからなんですよ。昼間だとお金がかかるから夜中しか長時間プレイできなかったんです。さっきも言ったようにスタジオで働いてる友人がいたから、真夜中から朝7時まで、夜しかスタジオに行けなかったんです(笑)。だから超疲れてましたね。働いてからスタジオに入ってジャムセッション。あまりたくさんはできませんでしたね。1音出すだけで精一杯(笑)。で、スタジオを真っ暗にするんです。そうすると睡魔が襲ってくるんですが、ノイズ系のライブを観る時って最後まで音を出し続けてたやつが勝ちみたいなのってあるじゃないですか(笑)。最初に止めて見回したやつが負け。ノイズを出し続ける最後の人間にならないといけない。そんなノリでしたね。だから本当に疲れてる時でもプレイし続けるんです。そしたらヴィジュアルが見え始めちゃって…。暗くて何も見えないから皆んな目を閉じてたんですよ。そしたら瞼に模様がたくさん見えるようになって、その経験を皆んなにシェアしたら「いいね、バンド名は幾何学模様にしよう」ってことになりました。

睡眠不足に起因するサイケデリックな経験ですね。

幾何学模様:そのとおり(笑)。

大人になる過程で、メンバーの皆さんは、今、幾何学模様がやってることに影響するようなバンドを何か聴いていましたか?

幾何学模様:日本のバンドで?

日本でも海外でも。

幾何学模様:僕らって「どんなの聴いてた?」って話そうとしても共通するものが何もなかったんです。で、一緒にやり始めて1年後位に共通項が出始めるようになった。ダウド[訳者注:ライブでセンターに所在するリードギタリスト]はヒップホップを聴いてたし、僕は全く違ったクレイジーなのを聴いてた。トモはパワーポップが好きだし、ガイ[訳者注:長身のベーシスト]はブラックメタル好き。だから僕らのうち2人が同じ音楽を気に入った時は「おい、聴いてみろよ」ってなるんだけど、ダウドが「ヤだよ、好みじゃない」って…。CANとかクラウトロックなら好きなんだけど、そんなでもないとか、ホント難しいんです。



それってバンドが本当にピュアなところからスタートしてるってことだから素晴らしいですよね。無理に作られたものじゃないところが。バンドがスタートした頃は、ただ出来ることをやるっていう音楽への実用的アプローチってことだったようですが。

タイラー・ブローレン(マネージャー):サイケデリックを聴いてたのって多分ゴウだけだよね。

ゴウ:うん。他のメンバーは皆んな全然違うからね。そうでもないか(笑)。

タイラー:でも最初出会った頃、日本のサイケデリックのカッコいいのを、ゴウはたくさん聴かせてくれたよね。Strawberry Pathとか。

ゴウ:Flied Egg[訳者注:原文は「Fried Egg」となっているが、正しくは「Flied Egg」]とか。Blues Creationとか。

タイラー:もちろんFlower Travellin' Bandも。

Strawberry Path?

幾何学模様:うん、70年代のヘビーなサイケ・プログレって感じのバンドです。ギターソロだらけの。音楽を聴き始めた頃、昔の欧米の音楽から聴き始めたから、日本にああいう音楽があるってことを知らなかったんです。90年代のJポップを聴き始めた頃「本当にくだらない」、僕の聴く音楽じゃないって思ったんですが、20才位の頃ああいうのを聴き始めて「日本にもこんなカッコいいのがあるんだ」ってなりました。70年代以降のものですが、今では完全に忘れ去られていますね。

見つけるのは大変?

幾何学模様:本当に大変です。でもああいうバンドは欧米での知名度の方が高かったりするんですよ。Flower Travellin' Bandみたいに、ロックンロール好きなら大抵の人は知ってる。

残念ながら僕は知りませんでした。僕が知ってるのは、主にAcid Mothers TempleBoredomsです。

幾何学模様:Boredomsは80年代後半にノイズバンドとして結成されました。80年代の日本はノイズ戦争の様相を呈していて、誰でも何かもっとクレイジーなことをやれる時代だったんです。Boredomsは大阪出身ですが、大阪は音楽的により極端なんですよ。東京はちょっとお高く留まってる感じ。だからBoredoms以前にはハナタラシのようなクレイジーなバンドがたくさんいたんです。観客にウンコを投げたり、ブルドーザーでライブハウスに来て破壊したり、酒樽を壊して投げたり、クレイジーなやつを誰でもいいから殴りつけたり、放火したり(笑)。小便にゲロ…そういった類の強烈さ。ハナタラシは日本のエクスペリメンタルやノイズのはじまりですよね。








今、皆さんはご自身のレーベルを運営されてるんですよね。日本でそれをやるのって大変なことなんですか?政府から補助金を受けたりしているの?

幾何学模様:いえ、自分達の資金でやっています。Guruguru Brainって名前のレーベルなんですが、東京でいくつかライブをやってみてから設立しました。日本では、通常ライブハウス側に「ウチでイベントやりたいの?ライブのブッキングしたいの」って言われる感じなんですが、それは日本にプロモーターがいないからなんです。日本にはそういったシステムがなくて、プロモーターが存在しないんです。プロモーターのシステムは、メジャーなアーティストだけのものなんですよ。だから普通バンド自身がオーガナイザーになる訳ですが、週末のイベントをやるのに1,500ドル位かかるんです。キャパ100名の小さなハコでもそうです。だから「そんなのアリかよ」って思って他を探すようになりました。タダでライブできるバーとかハコとか何でも。それで東京中50ヵ所以上に電話をかけまくって、とある場所を見つけたんです。“ライブバー”みたいな所で小っちゃくて機材もボロかったんですが、無料でライブさせてくれたんです。そこで毎月サイケデリック・ライブを開催するようになって、今のようなシーンを創り出そうとしていました。

東京近辺だとフツーの地元のバンドのライブでもチケットは2,000円位します。それにワンドリンクプラスして2,500円。高過ぎでしょう。で、ワンドリンクも600円とか700円とかする。東京でも日本国内でも、一度もライブに行ったことがない人がたくさんいるんです。「人生で一度もライブに行ったことがない」っていうのは高過ぎるからなんですよ。だからアンダーグラウンドなままなんです。

そこで、これを変えたいと考えるようになりました。もっとライブに行きやすいようにしたいと。でもそうするには、ライブハウスのシステム全体を変える必要がありました。ライブハウス側が全ての機材やサウンドエンジニアを握ってるわけですから。だからライブハウス側が支払いを要求できるんです。バンドに金を請求できるからプロモーションにも全く関心がない。バンドから金を巻き上げればいいわけですから。で、ライブに来るのはバンドの友達しかいなくて、3人とか(笑)。大体来てるやつもバンドをやってて、友達3人か4人だけ。そうじゃなかったらカノジョ。ショボ過ぎますよね。

キャパ60名位のハコで500円のイベントをブッキングすることから始めました。クールなポスターを制作して日本のバンドをたくさん発掘できたので、「OK、レーベルやろうぜ」ってなってコンピレーションアルバムを制作したんです。無料のコンピレーションです。そしたらアメリカやヨーロッパから寄付がたくさん集まりました。無料だというのに、たくさんの人たちがBandcampで10ドルとか20ドル寄付してくれたんです。そこで僕らは「これはポテンシャルあるな」と考えるようになりました。

アメリカ人の多くが、日本の、あるいはアジアの音楽シーンがどんなものか知りたがっていますが、彼らには分からないわけです。BorisMonoやAcid Mothers Templeは知っていてもそれだけなんです。だからアジアのバンドを欧米のマーケットに売り込むのをアシストしたいと考えるようになりました。それが僕らのレーベルの始まりです。

幾何学模様のレコード以外で何バンド位リリースしたんですか?

幾何学模様:13枚か14枚リリースしましたが、バンドとしては6バンドか7バンドですね。日本中のバンドをリリースしましたし、韓国や台湾のバンドもリリースしました。台湾は2バンド。インドネシア、パキスタン。タイやベトナムも。

大体がサイケデリック?

幾何学模様:そうでもないです。サイケデリックもちょっといますが、ドローン、エクスペリメンタル、フォーク、ドゥーム、スペースロックやエレクトロニックも。ジャンルにはあまりこだわってなくて地域に重点を置いています。お客さんはアメリカやヨーロッパ在住がほとんどですね。

最近まで流通をやってくれる人がいなくて、以前はメールオーダーのみでやっていました。500枚とかプレスしたらあっと言う間に売り切れました。

そうでしょうね。幾何学模様のレコードはDiscogsに上がりまくっててヨーロッパの変わった国に存在してますよね。

幾何学模様:(笑)そうそう。ギリシャとかイタリアとか。

東欧の国々とか。

幾何学模様:セルビアにイスラエル。5枚とか6枚オーダーしてDiscogsで売ろうとする人もいる。

幾何学模様があの位の数でリリースするのって、金銭的にあの位なら出せるからですか?それとも意図的に限定的なものにしているの?

幾何学模様:僕らとしてはソールドアウトにしたいっていうのがまずあります。それに資金的なサポートがないっていうのもあります。工場がヨーロッパにあって日本まで送らなきゃならないから本当に高くつくんです。それでまた(アメリカやヨーロッパの注文先に)送り返すというね。だから流通をやってくれる業者を探すまでは本当にやってる意味がなかったんです。今は工場からアメリカの業者に送るだけでよくなりましたが、メールオーダーもまだやっています。


インタビューに答えているゴウ・クロサワ氏(中央) Photo by SUB-LATION.



レーベル以外の仕事もやられてるんですか?

幾何学模様:僕はレーベルとバンドしかやっていません。でもトモと他の2人はフリーランスで翻訳やアートディレクションをやっています。そういう仕事ならツアー中や移動中でもできますから。だからダウドはいつもコンピューターを持参していますし、ガイはリハーサルスタジオで仕事してます。

東京のスタジオの状況はどんな感じなんですか?たくさんあるの?

幾何学模様:たくさんありますね。渋谷だとたぶん20軒位。機材がすべて揃ってて時間制で借りられるからとてもいいんです。PAまでいて、やりたければそこでレコーディングだってできちゃいます。ギター、ベース、エフェクター、マイクも借りられて必要なものは何でも揃っています。

僕の妻が言ってたんですが、彼女の学生の中に前回の幾何学模様のアメリカツアーを3回観に行った学生がいたらしいんです。多くの人からそのような熱い反応があったのでしょうか?

幾何学模様:そうですね、中にはマニアックなファンもいます。ギリシャはクレイジーで年配のレコードコレクターの人がたくさん来ました…(笑)。英国の観客は年齢層高めですね。年配のサイケ信者。アメリカの観客はもっと若めです。アメリカはロックンロールの国ですよね。僕はそう理解しました。アメリカに住んでた時には分かりませんでしたが、ヨーロッパを周ってからアメリカに戻ると、ロックンロールのヴァイブスがあるのを感じるんです。

日本の観客からの反応はどんな感じなんですか?

幾何学模様:日本ではほぼ2年間ライブをしてなかったんです。2年前Moon Duoと対バンして、それっきりでした。それ以降、海外ばかりでやり続けてましたから。今ちょうど日本ツアーが終わったところなんですが、お客さんが来てくれるか分からなかったので結構ヒヤヒヤしていました。結局、客入りはとても良くて東京の観客は300人ほどでした。皆さんエキサイティングだったし、僕らは長いジャムセッションをやりました。





今でも日本での僕らの知名度は低くてレコードも売ってないんです。下北沢にJet Set Recordsっていうのがあるのですが面白かったんですよ。僕らがコンタクトしても返信がなかったのに、ウェブサイトを見たらアメリカからの僕らの輸入盤が売られてたんです。

もっと日本でライブをやりたいとは思うのですが、あまりたくさんやりたいという訳でもないですね。東京、ロンドン、ニューヨークみたいな大都市をグローバルな視点で見てみると、ロンドンで1年に2回ライブするとして、東京がベースだってだけでここで7回やらないといけないってことにはならないですよね。

東京だとどんな場所でライブしてるんですか?

幾何学模様:渋谷O-NESTです。ここから近いですね。2階建てになってて、上階がレストラン併設のバーエリアでDJもあって、下の階がライブ会場になっています。

東京で気に入ってるバンドは何かありますか?

幾何学模様:僕らはMinami Deutschってバンドと一緒に住んでます。「南ドイツ」って意味でクラウトロックのバンドです。1枚目のアルバムではモトリックだけ演っていました。ニュービートですね。去年1度ヨーロッパでツアーをやったんですが、もう1度やる予定なのでチェックしてみて下さいね。

そのバンドも君達のレーベル所属なんですか?

幾何学模様:
はい、僕らもMinami Deutschの曲をリリースしていますが、ヨーロッパのレーベルからもCDが出ています。

彼らのレコードもソールドアウトしているの?

幾何学模様:はい、でもリイシューする予定です。

他には?

幾何学模様:Dhidalahですね。DhidalahもGuruguru Brain所属でもっとヘビーでドゥーミーなスペースロックのバンドです。21分、1トラックみたいな。ウチから10インチをリリースしていますが、片面1トラックで2トラックのみです。




月にまたツアーされますよね?新曲は何か予定されてますか?

幾何学模様:はい、EPをリリースします。アメリカツアー前の4月末に発売予定です。去年プラハでスタジオに入る時間が2日あったので、2日間通ってジャムセッションしました。まだよく聴いてないのですが、その時の全トラックをプロデュースやミキシングをお願いしている友人の一人に託しました。彼は「OK、この2日間のトラックだけ使って全部作るよ」って言ってくれて、それぞれ違うトラックを使って曲にまとめてくれたんです。エクスペリメンタルですが、もっとヘビーなものに仕上がっています。やってみたかったんですよ、バンドを結成した頃って、あるのはエネルギーだけじゃないですか。細かいこととか気にしてなくて何も分かっちゃない。このEPでは、再びそういうエネルギーを生み出してみたかったんです。だからもっと生っぽいサウンドに仕上がっていると思います。

幾何学模様がたくさんってことですね?

幾何学模様:そのとおり。

20 November 2017

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| The Japan Timesインタビュー



【元ネタ英語記事】 Psych-rock act Kikagaku Moyo makes a virtue of DIY and keeping it ‘sloppy’ (2017年10月17日)The Japan Times

以下、当サイトによる翻訳


彼らの2017年度ツアー日程を見てみると、幾何学模様が日本人のバンドであることは容易く忘れてしまうだろう。サイケデリックロック5人組である幾何学模様は、今年の前半、北アメリカでのライブ26本達成後、最近ほぼ50日間に渡るヨーロッパツアーの第2レグを完遂させた。それに較べると来月の日本ツアー5日間はちょっと駆け足ではある。

幾何学模様は厳選された日本人アクトのひとつとされており、バンドの自国より海外でかなり多くのファンを率いている。Acid Mothers Templeの如く、未だ1973年であるかのようにエネルギッシュにプレイする長髪の日本人グループに対し、海外から確固たる需要が存在することを幾何学模様(バンド名の訳は「geometric patterns」)は発見済みだ。しかしながらバンドのドラマーであり事実上のスポークスマンであるGo Kurosawaは、”異国からのアウトサイダー”と見られれるのは避けたいと強調する。

「それだと、もっと“日本的なもの”になってしまう。僕らはそっちのカテゴリーには入りたくなかった。本当の意味でシーンに巻き込まれたかったんです」。

彼は本気で言っているのだ。渋谷区のカフェで会った時、Kurosawaは、ギタリスト兼ヴォーカリストであるTomo Katsuradaと共にアムステルダムへ移住する直前だった。他のバンドメンバー  ーリードギタリストDaoud Popal(当インタビューの一部に参加)、ベーシストKotsu Guy、シタールプレーヤーでGoの弟であるRyu Kurosawa - は東京に残る予定だ。

「5年間、音楽をやりながらサラリーマンみたいに働いていましたが、何か行き詰っまってしまったんです」。Kurosawaは東京での生活についてそう語る。「クールな場所でまぁ快適ではあるんですが、安全地帯から抜け出してみたかったんですよね」。

2012年結成後、幾何学模様は高円寺や高田馬場でストリートパフォーマンスをしながら、またリハーサルスタジオでの深夜のセッションや片田舎の保養地で、そのヘビーで即興的なサイケデリアを研ぎ澄まし、ゆったりと何に縛られることもなく進化していった。Ryuこそインドでシタールの教祖Pandit Manilal Nagに師事していたものの、音楽的熟練は彼らにとってそれほど大切なものではなかった。彼らは技術者というよりはむしろ探究者だったのだ。

「テキトーな感じのバンドが好きなんですよ」。Kurosawaは語る。「だからサイケデリックロックが好きなんです。下手クソでも良いバンドだったりしますから」。

東京のライブシーンがどんな風に回っているのか、メンバーの中に十分な経験がある者はいなかった。また彼らにとってその最初の経験は、嫌な現実を突きつけられるものだった。Kurosawaは従来型のライブハウスでの初期のライブについてこう振り返る。「ライブ後、ハコの人が『ああ、すごく良かったよ。じゃ3万円ね』みたいな感じで。僕らが『マジかよ!』ってなったら、あっちは『金払わなきゃダメだ』って」。

このように演奏するために支払いをするシステムは、日本でノルマとして知られており、多くの若いミュージシャンを”ライブハウス”界隈から遠ざける結果となっている。代わりにあまり経費のかからない格安の会場でライブを企画するか、リハーサルスタジオでやることさえある。2013年から2014年にかけて、幾何学模様は金に厳しいミュージシャンの行きつけである渋谷のRuby Roomで東京サイケフェスを主催していた。ショーは安価で日本語と英語でプロモーションしたものの、バンドとしてもっと勢いをつけたいともがいていた。

「行き詰まりを感じていましたね」。Kurosawaは語る。「インパクトを与えるには小さ過ぎたしアンダーグラウンド過ぎたんです」。

また、東京でアンダーグラウンドなロッカーでいることが、最もセクシーな職業だとも思えなかった。

「普通の女の子に『あ、僕バンドにいるんだ』って言ったら大体は『OK、じゃあアナタとはデートしたくない』みたいな感じ」だとKurosawaは語る。「東京じゃお笑い芸人の方がミュージシャンよりカッコいいんです」。

「ガールフレンドがいてその子をライブハウスに連れていくと、大体いいデートスポットとは言えない」。Popalは言う。「狭過ぎるし煙た過ぎるしステージ以外何も見えない。ちょっと退屈なんです。会話する場所もないしね」。

日本の音楽シーンの制約に苛立っているうちに、幾何学模様はすぐに国境を超えたファンを獲得していった。バンド名を冠したデビューアルバム - 最初はBandcamp経由で 、その後アナログ盤としてギリシャのレーベルCosmic Eye Recordsからリリース - は、2013年2週間に渡るオーストラリアツアーへの道を開いた。その翌年、バンドは最初のUSツアーに乗り出し、有名なオースティンサイケフェスへの出演を果たした。

Kurosawaは、バンド自らの手によってUSツアーをいかに企画したか解説してくれた。ライブ手配のため様々なバンドに直接コンタクトを取り、ヴァンをレンタルし、機材を購入、そしてまたリセールし、時には出演料の交渉の為、偽の”マネージャー”のフリをしたことさえあったという。

「日本のバンドの多くは『僕らの仕事は音楽をプレイすること』って思ってるんです」。彼は語る。「DIYがクールだって考えてるヤツなんていない。大きなレーベルと契約することだけがゴールなんです」。

彼はこのことを、彼自身が海外で出会ったもっとビジネスに精通したインディーズミュージシャン達と比較する。幾何学模様が真似ているのはそのような人々のやり方である(Kurosawaが少しの間レーベルを手伝っていた日本人バンドBorisの例に従い、今や幾何学模様はアンプや機材をヨーロッパと北アメリカに所持しており、ツアーの主だった出費の一部を削減している)。

幾何学模様は自身のレーベルGuruguru Brainから音源をリリースする傍ら、海外のレーベルにもアルバムをライセンシングし、コレクターのためのアナログ盤やカセットテープをリリースしている(美しくもドローンな2014年のEP<Mammatus Clouds>からスタートするのが良いだろう)。

Guruguru Brainはアジアの様々なアーティストによる音源もリリースしており、台湾のドローンデュオScattered Purgatory(破地獄)、パキスタンのサウンド制作者Nawksh、ベトナムのアシッドフォークシンガーJ. William Parker等がいる。KurosawaとKatsuradaは新しいベースとなるアムステルダムをこうのようなアーティストのヨーロッパツアーを実現させるために利用しようと考えている。

「Guruguru Brain所属の全バンドが西洋のロックカルチャーに貢献出来ると考えています」。レーベルの運営には関わっていないものの、Popalはそう語る。「彼らは自分達だけの何かを持っているんですが、それは現在のインディーロックシーンには存在しないものです」。

「アメリカのインディーバンドとそっくりなサウンドのバンドなら日本にたくさんいるんです」。Kurosawaは言う。「でもそれじゃ聴く意味ないでしょう。しかも英語で歌ってるし…」。

「ただ見た目が違うだけだよね」。Popalが口を挟む。

「タイのバンドを探してた時、Mac DeMarcoみたいなサウンドのバンドがいっぱいいたんです」。Kurosawaは続ける。「英語も上手いんだけど、でもだから何?タイ語で歌えよ!ってね」。

1 August 2017

The Strypes (ザ・ストライプス) | Ross & Evan (ロス&エヴァン)インタビュー



【元ネタ英語記事】 The Strypes Interview (2017年7月18日)The Seventh Hex

以下、当サイトによる翻訳



爆発的な勢いを誇るアイルランドのバンドThe Strypes(ザ・ストライプス)がサード・アルバムと共に帰ってきた。ウェールズにある伝説のスタジオ「ロックフィールド・スタジオ」で、プロデューサー Ethan Johns(イーサン・ジョーンズ)(Kings of Leon、Laura Marling、Ryan Adams等とも共作)とレコーディングした作品である。アルバムのトラックは全て、当スタジオでリハーサルし、メンバー4人全員で生演奏/生歌で一発録りしたものであるが、ほとんどのトラックは全員が満足のいくトラックを録るのに、ほんの数テイクしかかからなかった。その瞬間的な生音や彼ら独自の直感的エネルギーは、「Spitting Image」を特徴づけているだけでなく、レトロな曲のマニアだった時代に別れを告げ、新しいニューウェーブ・ポップ・サウンドを祝福するかのようなバンドの方向性をも象徴している。本作は時代を遡っているかもしれないが、それは音楽への愛情がそうさせたのであり、決してクールな存在になりたいという欲望によるものではない。我々はバンドメンバーのEvan Walsh(エヴァン・ウォルシュ)Ross Farrelly(ロス・ファレリー)に、個人的経験から生まれるバンドの原動力や、Conan O'Brien(コナン・オブライエン)[訳者注:アメリカ合衆国のテレビ司会者] について聞いた。


これまでバンドがとても自然に進化し続けていて、順応性があることについて満足していますか?

Evan: うん、嬉しいことだね。メンバー間の音楽的パートナーシップって、意識的なものじゃなくてシームレスなものなんだ。たぶんお互い長い付き合いだっていうのがあると思う。仲間とのつながりで仕事する以外、他の働き方を知らないからね。僕らの間に生まれる原動力はいつも安定してるけど、自分達の音楽スタイルに変化が見えるのって本当にクールなことだと思う。このアルバムでは、Elvis Costello(エルビス・コステロ)みたいなパンクやニューウェーブ的なサウンドに寄せてみたんだ。今自分達が興味があるものって、必ず音楽に現れてしまうものだし、僕らのサウンドを決定づける鍵でもあるよね。

最新作「Spitting Image」ではプロデューサーにEthan Johns(イーサン・ジョーンズ)を迎えています。Ethanがアルバムの総指揮をとったことで、どんな良い面がありましたか?

Evan: Ethanは素晴らしかったよ。彼がいると何もかもが自然に進むんだ。それに曲作りについて僕らには、このアルバムではこうしたいっていうクリアなヴィジョンがあった。去年、このアルバムの曲作りにほとんどの時間を費やしたから、Ethanとスタジオ入りした時は本当に楽しかった。やりたいことを自由にやらせてくれたし、作りたいアルバムを作るのをアシストしてくれた。彼とは波長が合ったから、心が通じ合ったって感じだったね。

Ross: うん、僕らはたくさん曲を用意してたんだけど、Ethanがそれを仕上げるのを手伝ってくれた。僕らの中から最高のものを引き出すのがとても巧いんだ。

歌詞で言おうとしていることについては、要約するとどんな傾向がありますか?

Evan: 正直、僕らが現代のことについて歌うことってなくて、もっと個人的な経験から歌詞のヒントを得てるんだ。大体は自分達の生い立ちや環境から来るもので、特に一緒に育った人間とか、これまで日常的に関わり合いのあった人達とかからだね。

Ross: そう、僕らの人生観って70年代で止まっちゃってるから。

Evan: ハハ!そうだね。僕らはアイルランドの田舎に住んでるから、ロンドンやニューヨークに住んでたとしたらこういう物の見方をしただろう…っていうのとはちょっと視点がズレてるよね。本当にシンプルで素朴な経験をして育ったから、そういうのがこの最新アルバムにもよく出てると思う。

実家に留まってその恩恵に感謝するのが大切と…。

Evan: 確かに。僕らは強い人間性を持ってるってことを重視しがちだから、メンバーの中でも他人に対しても、バカげた行動にハマったりはしないんだ。僕らって「それはくだらない」ってすぐ思っちゃう方だから。今、バンドを取り巻くくだらないことってたくさんあるし、音楽業界の人達の中だってそう。大体、僕らは全員ずっと家にいるタイプの人間だしね。僕らってホントにそういう人間なんだから仕方ないさ。

「Grin and Bear It」[訳者注:「笑って耐えろ」の意] という曲はどうして生まれたんですか?

Evan: あの曲は、昔に遡ったちょっと複雑な曲なんだ。僕とPete(ピート)の共作なんだけど、デモ音源に落としたコード進行があったから、大体、曲のアイディアっていうのはあった。歌そのものは僕らの母親世代の女性についてで、僕らの両親って70年代や80年代の世代で、特にアイルランドだと、ある特定のクラスの人達は人生でたくさんの困難について我慢を強いられてた。その時代、結婚だとか出産だとかは人生の早い時期に経験してしまうものだったから、自分が一体何をしたいのか、自分が誰なのかさえ分からないまま…みたいな女性もいた。そういうことに気付く前に、人生の多くのことが過ぎ去ってしまっていたんだ。でもそんな母親達には、人間を育て上げて人格形成させる責任があった。だからこの曲は、そういう大変さとか、家族のモラルや揺るぎない価値観の為に母親が払った犠牲に対するトリビュートなんだ。

あと「Turn My Back」のような曲の中心にあるのは何なのでしょう?

Evan: あれは僕が作曲して、家でデモも録った。あの曲についてはっきりしてたのは、シャウトするようなコーラスにしたかったってこと。アイディアとしては、騒々しくてガタガタしててパンクなロックンロールを作ること。スピードが速くて動きまくってるってことが肝だった。



アメリカ横断ツアーをしながら車で移動するのってどんな感じでしたか?

Evan: 素晴らしかったよ。あのドライブは僕らが経験した中で一番ハッピーな時間のひとつだった。アメリカの道路や景色を見てるのはとても面白かった。

Ross: それに僕らがアメリカで成功したってことも信じられなかった。だってアメリカに行ったことさえなかったんだから。名も知られてないバンドがアメリカで観客とあんなに良い経験をしたってことが素晴らしかったよ。ニューヨークやロサンゼルスではクールなギグも出来た。

Evan: Letterman(レターマン)[訳者注:Late Show with David Letterman。アメリカCBSで放送されていたトーク・バラエティ番組] とConan(コナン)[訳者注:Conan O'BrienによるケーブルテレビTBS放送のトーク番組「Conan」] でもプレイした。変な感じだったけど、同時に素晴らしい経験でもあったね。

Conanにも会ったんですよね…。

Evan: うん、会えて嬉しかった。とてもいい人だしね。Conanはザ・シンプソンズの脚本を書いてて僕らは大ファンだったから、彼に会えてとても興奮した。

過密なツアーの間はどうやって集中力を保っていますか?

Evan: ツアーに出てる時って毎日がとても短いんだ。ツアーって酷くストレスフルなものにもなり得るけど、僕らは笑いを忘れないようにしてる。自由時間は少ないし、ライブ会場での待ち時間も多いけど、僕らはちょっとでも時間があったら、トランプするか映画を観るかしてる。他に重要なのは、お互いに干渉しないこと。こんな風に頭突きしたりしないようにね!

バンドっぽい見た目でヴィジュアルが良いこともThe Strypesにとって大切でしょうか?

Evan: うん、バンドマンにとって一番大切なことのひとつだね。僕にとっては、ほぼ音楽と同じくらい大切。楽曲に内容が伴ってるってことももちろん大切だけど、ビジュアル的に自分を説得力のあるものに見せるべきだと思う。どんなタイプの芸術であれクリエィティブであれ、完璧なプロジェクトにしたいよね。僕らだってあらゆる面で基準を満たすバンドでありたい。最近だと、全部の面でイケてるってことはバンドに期待されてないのかもしれないけど、何か大切なものであることは間違いないと思う。The Who(ザ・フー)、The Jam(ザ・ジャム)やDavid Bowie(デヴィット・ボウイ)を見れば分かるけど、彼らみたいなアーティストにはしっかりしたイメージがある。特徴のあるヴィジュアルが、バンドのアイデンティティーにとって重要なのは間違いないよね。

数年前、若いファンが呪いの人形をくれたそうですが、未だにそれはこれまでもらったプレゼントの中で一番変わったプレゼントですか?

Evan: うん、未だにあれは僕らがもらった物全部のうちで一番変わったプレゼントだね。あれもらったの、バーミンガムだったと思う。僕の人形は長いことジーンズの後ろのポケットに入ってる。どうりでずっと首が痛むはずさ。


 The Strypes - Great Expectation



最近「Rock Against Homelessness」でも演奏されましたよね。自分達がスポットライトを当てたいと考えている問題について世間の認知度を高めるのは、君達にとって重要なことですか?

Evan: もちろん。アイルランドで「Rock Against Homelessness」がスピーディーに成長していってるのは本当に嬉しいよ。自分達に出来ることをして世間の認知度を高めるのって、どんな立場にいても大切なことだと思うよ。僕らがとても大切に思ってるチャリティーには「Teenage Cancer」もあるけど、僕らは注目を集める必要があるものを世間に広めたいと思ってるだけさ。

充電したりリラックスすることには時間をかけていますか?

Evan: 変なんだけど、僕って1分でも時間があったら必ず音楽に関することに使っちゃうんだ。映画を観るにしても何か音楽に関わる作品だし、読書するにしても多分誰かの伝記なんだよな~!

Ross: 正直、僕も同じ。でも僕は写真を撮るのが好きだから、大体自然の中に出掛けることが多い。

これからバンドが好調に成長していくには何が一番大切でしょう?

Evan: バンドが結構スムーズに前進してるのは好ましいことだと思ってる。アルバム3枚共それぞれ全然違うけど、1枚1枚違った目標があったわけだし、それぞれに違った深みがある。要するに、僕らがミュージシャンとして成長して、個人として成熟して、リリースするレコードを高いクオリティーを保ったものにしたいって願うだけさ。


8 July 2017

The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)について知るべき6つのこと


【ネタ元英語記事】 Six Things to Know About Teen Sensations the Lemon Twigs (2016年10月19日)

以下、当サイトによる翻訳



The Lemon Twigs(ザ・レモン・ツイッグス)は、2016年に出現したバンドの中でも最も気になるバンドのひとつである。ニューヨーク州ロングアイランド出身のこのバンドは、Brian D'Addario(ブライアン・ダダリオ)とMichael D'Addario(マイケル・ダダリオ)の二人兄弟から成り、彼らは類い稀なる音楽的才能を誇る神童なのである。時代に逆行したエキセントリックなヘアスタイルや衣装のせいで、アヤシイ少年との印象を受けてしまうかもしれないが、デビューアルバム<Do Hollywood>(4ADからリリース済)が示すとおり、彼らはただ自分たちの才能に全力投球しているだけなのだ。

先日、「Exclaim!」はThe Lemon Twigsの全てについて知るためD'Addario兄弟と話をすることができた。



10代のセンセーション「The Lemon Twigs」について知るべき6つのこと:



6. The Lemon Twigsは小学生の時から一緒に演奏を始めた

まだティーンエイジャーだというのに ― Brianは19才、Michaelはたった17才 ― 二人はもう10年もバンド活動をしている。

「最初のバンドは小学校の3年か4年か、5年生とかで始めた」、Brianは認める。「とあるバンドを学芸会でやったんだけど、それからもっと真面目にやるようになって…。“MOTP(Members of the Press)”ってバンドだったんだけど、もうその名前は他のバンドに使われてた。ほとんどカバーソングをやってたんだけど、それから時々曲作りをして発表したりしてた」


MOTP(Members of the Press)


The Lemon Twigsは10代になってから結成した。「Michaelが14才、僕が16才の時」だとBrianは言う。「Michaelには素晴らしい曲作りの才能があって、自分で曲を書いて歌ったりしてたんだけど、それって僕の曲には欠けてることだったんだ。Michaelの曲を聴くまで、僕はひとりで曲作りをするのに夢中で弟のことは分けて考えてた。でもMichaelの曲を聴いてから彼の助けを借りない手はないと思ってね。それから僕らのコラボレーションが本格的に始まったんだ」


5. The Lemon Twigsは音楽一家の出身である

彼らの父親であるRonnie D'Addarioは、優れた作曲家であり、セッションミュージシャンであり、またプロデューサーでもあり、1970年代~1980年代にかけて活躍していた。父親のThe Beatlesに対する愛情は、The Lemon Twigsがようやく歩けるようになった頃には、既に受け継がれていた。一方、彼らの母親は音楽を鑑賞する方法を教えた。

「父親からかなり影響を受けたけど、母親からもそうだよね」、Brianは語る。「母親は歌が巧くて、まだ幼い頃から兄弟でハモることを教わったんだ。でも父親ははミュージシャンだから、歌はポップであるべきだけど、そこにはある程度の深みもなきゃダメだって考えで…。メロディーと一緒にコードを付ける時は特にそうだった。コードは最初に思い付くものを使っちゃダメなんだ。シンプルなコード進行を避けられるなら、そうすべきだって教わったんだけど、成長しながら父親の音楽の中に父が言ったとおりのことを感じてた。僕らは父親を本当に尊敬してるし、母親からの影響も大きいんだ。ウチの母親って、音楽のこととなると決して飽きることを知らないから…。複雑な音作りをする努力は大事だけど、他の音楽をくだらないって全否定すべきじゃないって。だから母親からは他の違ったタイプの音楽も愛するよう教わった」


4. D'Addario兄弟は子役として有名だった

The Lemon Twigsの誕生以前、兄弟は二人とも子役として活躍していた。兄Brianは、ニューヨークで「Law & Order:性犯罪特捜班」「CSI:科学捜査班」のエピソードに出演していた。一方、弟Michaelは兄よりさらに成功しており、「Sinister(邦題:フッテージ)」ではEthan Hawkeの息子役、「People Like Us」ではChris Pineの疎遠な甥役という重要なポジションを演じていた。D'Addario兄弟によれば、演技をした経験は音楽でのキャリアをスタートさせる良い準備になったという。


「People Like Us」 - Michaelの役名は“Josh”


「パフォーマンス面から言うと、ステージ上であまり緊張しないよね。台詞を覚えたかったらあんなに小さくてもちゃんとしてなきゃならなかったから」、Brianは言う。「たくさんのことを無意識にやる方法を覚えるんだ。それで間違いを防げるようになる。どうしてそうなるかっていうと、毎日同じセリフを繰り返し練習しなきゃならなかったから」

彼らのどちらも“演劇の虫”を完全に捨てたわけではなさそうだ。「間違いなくThe Lemon Twigsはフルタイムのプロジェクトだけど、将来また役者に戻りたいって僕らは思ってる」、Brianはそう付け加えた。「演じることと僕らが音楽でやってることの間に何かつながりがあったらクールだよね。昔よくロックンロール映画みたいなのがあったけど、そういうのをやれたらカッコいいかもね。もちろんThe Beatlesの映画と較べたらかなり小規模になるだろうけど」


3. The Lemon Twigsのニューアルバム<Do Hollywood>はデビューアルバムと言われているが、実はそうではない

2014年、The Lemon TwigsはWinspearから限定版のカセットテープ<What We Know>をリリースした。100個限定のリリースであり、バンドはまだ自分たち独自のサウンドを追求している段階だった。


The Lemon Twigs - What We Know


「<What We Know>は僕らが作りたいと思ってた音楽で、<Do Hollywood>は実際僕らが作りたい音楽」、Brianは説明する。「<What We Know>をやってすぐ、サイケデリックバンドになりたいっていうゴールを達成できてないことに気付いたんだ。それにサイケデリックバンドっていうのが自分たちにはしっくりこないってことも分かった。<Do Hollywood>の制作で曲を書いて2年経ったんだけど、今はこっちの方がいいって思える。それにに気付けたってことが重要だったと思うんだよね」


限定100個のカセットテープ(もちろんSOLD OUT)



2. <Do Hollywood>はFoxygen(フォクシジェン)のJonathan Rado(ジョナサン・ラドー)がプロデュースした

<Do Hollywood>収録曲はすべて、彼らがRadoと共にスタジオ入りし、作曲・アレンジしたものである。Radoは、ごく最近Whitney<Light Upon the Lake>もプロデュースしている。


The Lemon Twigs - These Words


「デモ音源には1曲1曲愛着が湧くものだけど、フル音源を通しで聴いた時、Radoが全体的なサウンドに貢献してくれてるのが分かったんだ」、Brianは言う。「完成版の方が断然いいと思ったよ。彼はプロデューサー以外の何者でもないんだ。だって、レコーディングのサウンドに関して、すごく責任を負ってたわけだしね。ドラムやギターのサウンドもそうだし、各パートにどんなシンセサイザーを使うかとかも分かってるわけだし。僕ら二人が安心していられて、レコーディングについてのアイディアが僕らと同じっていうのもとても重要だったよね」


1. The Lemon Twigsは二人とも<Do Hollywood>で曲を書いているが、一緒には書いていない

BrianとMichaelは、ソングライティング作業を二人でシェアしているものの、一緒にはやらなかった。実際アルバムでは、それぞれの曲が交互になるようアルバムに収録されている。

「それって僕らがスゴいエゴの持ち主だってことなんだ」、Michaelは言う。「そうじゃないなら、当時僕らがもっとスゴいエゴの持ち主だったってことかな。もう一人の曲なんてやりたくないってお互い思ってたんだ。二つの別々のバンドでいたい…みたいにさ。でもBrianの曲も自分の曲と同じくらい好きだし、だからソングライターは一人より二人いた方が、良いバンドって言えるんじゃないかって僕らは考えたんだ」




だが、<Do Hollywood>の完成以来、彼らのソングライティングのプロセスは変化している。今や二人はコラボレーションするようになったのだ。「うん、アルバムが完成してからすぐのことだよ」、Michaelはそう認める。「偉大なソングライターの多くが共作してるし、その方が簡単なんだ。まぁ簡単になり過ぎる場合もあるけど…。自分以外の人間に影響され過ぎる場合もあるから、僕らが共作するのは限られてて、同時にひとつのアイディアが浮かんだ時か、曲作りに煮詰まってる時に同じ答えを見つけた時だけなんだ。曲を作ってて流れるようにうまく行ってる時、他の誰かのエネルギーを注入したいなんて僕は思わないよ。だってホンモノの曲って多分、ひとりの人間のヴィジョンについてのものだと思うんだ。だから共作について僕らは、元々良いアイディアだとは思ってなかったけど、今じゃ良いかもって思ってるって感じに近いね。僕らは高慢過ぎたんだと思うよ。今はもう共作のメリットも分かってる」



1 July 2017

ストライプス(The Strypes)インタビュー|The Sunday Times(2017年6月4日)



【元ネタ英語記事】 Lean, mean writing machine (2017年6月4日)The Sunday Times

以下、当サイトによる翻訳


 
The Strypes(ザ・ストライプス)は目新しい存在のティーンエイジャーからタイトなポップパンクを演奏する大人へと進化を遂げた。が、キャバン発のこのバンドにとって、その変遷は決して容易なものではなかった。The StrypesがTony Clayton-Leaに語った。

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「動物や子供と一緒に出演するな」とは、昔からショービジネスの世界で言われてきたことである。よく知られた格言ではあるが、両者は予測不能な生き物であり、わんぱくな振る舞いをしがちで、眠って欲しい時に決して眠ることはない。

そんな言葉もキャバン出身のバンドThe Strypesが2010年に現れた頃には真実味があった。その年のLate Late Toy Showで、とっくに思春期を過ぎたような大人のリズム・アンド・ブルースをプレイした時、メンバーは4人共まだ13才か14才。同年代のバンドなら皆そう見えるだろう年相応のルックスをしていた。目新しくもあり、操り人形のようでもあり、また両親のレコードコレクションの影響の集大成のようにも見えた。まだ幼かったので仕方ないのだが、大人たちの困惑した気持ちは理解できていなかったようだ。

では今はどうなのか?21才のギタリストJosh McCloreyは、その物腰から「ロックスター」の風格がにじみ出ており、腕にはタトゥーが点在している。右腕には「未来は暗い」と刻まれ、左腕にはキャバンの紋章が見える。一方、20才のドラマーEvan Walshは、まるでMalcolm McLarenが1976年にあつらえたようなスマートなスタイルだ。つまり学校の授業は終わっているのだ。それも永遠に。

教科書を捨て去ることになる日は、早い段階でやってきた。2012年4月、デビューEP「Young, Gifted & Blue」によってElton JohnがオーナーであるRocket Musicとのマネージメント契約を取り付けた。その後、レコードレーベルの争奪戦が勃発。同年末、The StrypesはUniversal Music Groupの一員であるMercury Recordsと契約する。それ以来、大学進学のような古風な考えに迷っている暇はなくなった。急速に変化していく音楽業界の中で、バンドメンバーが成長するスピードは、恐らくあまりに早過ぎたのである。

The Strypesにとってティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった


「この4年間、音楽業界にどう対処すべきか学習したんだ」。そう語るMcCloreyは、謙遜してみせたり、スマートなユーモアのセンスをみせたりと、今やベテランのミュージシャンの趣だ。「ダブリンで小規模なライブをやり始めた頃、僕らは全員ヴァンの後部座席にいて、特に頭を使うこともなくて楽チンだった。ただ曲を演奏してればいいだけの話だったから。でも段々と業界にどう対処していくか学ばないといけなくなった。家から遠く離れなきゃならないとか、そういうこと全般についてだね」。

10代のバンドであるにもかかわらず、反X-Factor的なポップスや、ブルーズ、リズム・アンド・ブルース、激しめのソウル、プロトパンクのような古めかしい音楽スタイルを選んでいだことも厄介だった。1960年代初頭~半ばにかけてThe Yardbirds、The Pretty Things、The Who等によってプレイされたような音楽のことである。低年齢であるという理由から、親たちが音楽を学習させ、演奏できるよう過保護に育てたのではと見られがちというのもあった。Evanの父でありThe Strypesのツアーマネージャーを務めるNiall Walshは、1980年代、キャバンのポップパンクバンドThe Fireflysのメンバーだった。ちなみに、このバンドのローディーはMcCloreyの父である。

「僕らが音楽にのめり込むよう仕向けられたって思われてるけど、それは違うんだ」。Evan Walshはソフトな口調で話す。Walshの下襟はパンク音楽のバッジで飾られている。その口調は弁明しているというよりは本当のことに聞こえた。「僕らは両親のレコードコレクションから気に入ったものだけ選んで聴いてたけど、それの何がいけないのかな?このバンドのこのレコード持ってないのかって質問しまくって両親を困らせてたのは僕らの方なんだ。子供ってだいたい親の好きな音楽に反抗するものだけど、僕らはラッキーだったよね。実際、僕の場合だと、家族皆んなでそれぞれ好みの音楽について話したりしてるからね」。

The Strypesがプレイする音楽のジャンルが、バンドのスタート当時から混乱の原因だと見られていたことについて、Walshは否定しなかった。「幼い4人が演るような音楽じゃなかったよね。でも僕らはあそこから成長していったんだ」とWalshは言う。McCloreyによれば、初期のThe Strypesに起こった現象は、ほとんどのバンドに起こり得ることを反映しているいう。「最初は皆んな、昔、自分たちが聴いてたミュージシャンのサウンドに似てしまうものだけど、どのバンドも次第に成長していく。典型的な例がThe Who。1960年代初めにノイジーなブルーズバンドとしてスタートしたんだけど、その後どう成長していったか見てみてほしい」。



サードアルバム「Spitting Image」[訳者注:生き写し・そっくり・完全な類似の意] ― 確実に評論家たちが喰いつくであろうタイトルである ― リリースを間近に控え、バンドはより広範囲にそのスタイルを発展させていた。4年前の小生意気なバンドは、無駄はないが熱量は失わない有望なバンドへとその姿を進化させていた。その“テンプレート”は、スーツとブーツ着用のリズム・アンド・ブルース・スタイルからコマーシャルでタイトなポップパンクへと変貌している。Elvis Costello、The Attractions、The Jam、Nick Lowe、Buzzcocksといった、よりスマートで洗練されたパンクの影響が溢れ出している。しかしながら、かつて明らかに借り物に見えていたものが、今や自然な進歩のひとつとして認められるようになっていた。初めて全ての楽曲を自分たちで作詞したおかげで、The Strypes自身のものになったように感じられるのだ。The Strypesは未だ進むべき道を模索中ではあるものの、その地盤は固まりつつあるようだ。「それが16才と21才の違いさ」、Walshは断言する。「客観的に言えば、僕は古い曲の方が好きだけど、人生の大事な時期に当然人は成長していくものだからね」。

だが、ティーンエイジャーから大人への変遷は容易なものではなかった。衆人環視の中で ― それはダブリン、ロンドン、東京あるいはキャバンだったりするのであるが ― 成長するのは容易ではないことをWalshとMcCloreyは共に認める。「あんなにたくさんの人にああだこうだ言われたら絶対影響されるよね。だけどそういうのを経験して、気にしないようにすることを学習するものなんだ。今じゃ自分が耐えられることと耐えられないことが分かるようになった。…って言っても、自分は今でも同じ人間だからね。16才の時の自分がどんなだったか考えるのは難しい。Facebookの思い出や自分の写真を見て、何やってたんだぁ~?ってなる。で、今から5、6年後、21才の時の自分を振り返ってまた同じことを言うと思うんだ。16才の頃の自分は、あらゆることについて確信を持ってた。自分がどういう奴なのかは今も良く分かってる。前よりいろんなことに対して知識があるし、人の言うことも前より絶対聞くようになった」。

Walshの評価も同じである。「これまでに起きたことって、僕の人生の中では出来るだけさっさと終わらせてしまいたい時期だったんだ。で、結局そういう風になったんだけど。何でもいいから人生に別のオプションがあれば良かったっていうような願望もあまりなかったから、僕らはどっちの世界のいいところも経験したってことだよね」。他のバンドメンバーや友人達と同じで、Walshもまた、あれこれ言われたり「ライブ演奏以外で注目の的となること」に乗り気ではなかった。「僕にはそういうのってしっくりこなかったんだ。もう気にしなくなったけどね」。

音楽業界からの要求や気まぐれはあれど、The Strypesの少年から大人へのストーリーには良い面もあったとMcCloreyは言う。「テストのプレッシャーもなかったし、大学へ行ってキャバン以外に住まなきゃならないってプレッシャーもなかった。それに今も子供の頃と同じ友達がいる」。キャバンを拠点としてツアーに出掛けることはできるが、その逆は不可能であることは、このギタリストの腕に刻まれたキャバンの紋章のタトゥーを見れば明らかである。「ニューアルバムの曲は全部、家で書いたんだ。ロンドンに住んでないって言うと皆んな驚くけどね。僕らはキャバンに住んでるんだ。 ― そうしない手はないよね?」

Spitting Imageは6月16日、Virgin/EMIからリリースされる。