24 September 2022

Starcrawler(スタークローラー)|Arrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)ネット上のヘイトについて語る

 

End of the Road Festival (2022) @UK (Photo: Burak Cingi/Redferns)


Starcrawler(スタークローラー)の3枚目のアルバム<She Said>の海外盤が2022年9月16日にリリースされた。関連する英語記事やインタビュー動画をチェックしていたところ、ちょっと前(2022年6月17日)、アロウ嬢が自分の体型に関するヘイトについてインスタグラムに投稿した件を取り上ている記事を発見。アロウ嬢が自分のことをいろいろ話していて興味深いので翻訳してみることにする。

【元ネタ英語記事】Starcrawler's Arrow de Wilde on battling body-shaming trolls and being proudly different: 'My worst fear is just being forgotten'(Yahoo Entertainment 2022年9月20日)


以下、当サイトによる翻訳

ロサンゼルスのネオ・グラム、ガレージ・ロックバンドStarcrawlerは、3枚目のアルバム<She Said>のリリースに向けBig Machine Records(ビッグ・マシーン・レコード)と契約。今や新しいロックシーンをけん引する存在となった彼らは、My Chemical Romance(マイ・ケミカル・ロマンス)、Jack White(ジャック・ホワイト)、Nick Cave(ニック・ケイヴ)のようなメンツとツアーし、Dave Grohl(デイヴ・グロール)、Elton John(エルトン・ジョン)、Sex Pistols(セックス・ピストルズ)のSteve Jones(スティーヴ・ジョーンズ)、Tom Petty(トム・ペティ ※Tom Petty and the Heartbreakersのこと)のギタリストMike Campbell(マイク・キャンベル)、Nikki Sixx(ニッキー・シックス)等の有名人のファンを獲得。特に、Garbage(ガービッジ)のShirley Manson(シャーリー・マンソン)はフロントウーマンArrow de Wilde(アロウ・デ・ワイルド)の激しく恐れを知らぬ姿に自身の姿を重ねているようだ。

が、残念なことに、Starcrawlerの知名度が上がるにつれ、23才のデ・ワイルドの細身で長身の体型に、主にネガティブな注目が集まるようになった。やがてネット上のヘイトは激しさを増し、デ・ワイルドはインスタグラムで荒らし的なコメントに対処せざるを得なくなったという。


「こんなこと書くべきじゃないし、絶対に書かないと自分に言い聞かせてた。子供の頃から私の身体を見てあれこれ決めつけてくる人達に対処してこなきゃならなかったけど、ここ数日はこれまで経験した中で一番酷かった」。

 

デ・ワイルドはインスタグラムのキャプションにそう書き込み、昔からズバ抜けて背が高く痩せていたことを示す子供の頃の写真を添えた。


「インスタグラムやTikTokでの私の身体に関するヘイトの数ってバカみたい。この件についてこれまで取り上げることはしなかった。正直、誰に説明する必要もないと思ってたから。自分の両親や親戚は今の私より痩せてるとは言わないけど、私と同じくらい痩せていた。瘦せ型なのは遺伝で、背が高いのも遺伝。自分は身長6フィート3インチ(=190cm)あって、異常に代謝が良く、ウンコは1日3回するし、誰よりも大食い。コレについてはホントどうにかしたくても何も出来ないんです。だけど自分が本気でイヤなのは、仮に私に摂食障害があるとして『チーズバーガーを食え』だとか『死にそう』だとか言ってくることが本気で私のためになると思ってるわけ?『痩せ過ぎだ、もっと食べなきゃ』『デカ過ぎだ、もう食べるな』。こういう人達って、自分が持ってる偏見を"アドバイス”だとか”心からの心配”だとか偽ってるだけで、実際はろくでもないヘイトだったりする。どんな体型の女性だって体型を変えろなんて言われる筋合いはないはず。苦しんでるんじゃないかって思う人が自分の娘、姉妹、妻だったら、そんなこと言います?ヒトの身体についてあれこれ言う権利があるってなんで思うんだろう?それになぜ私の身体には"個人的なアドバイス(PSA:Personal Self Advice)"が付いてまわらなきゃならないわけ?」



(Photo: Gilbert Trejo)



「長いことそういうのが続いてたから、頭の片隅ではいつか何か言わなきゃな~とは思ってたんです」。LAの自宅の裏庭からZoom経由でYahooエンターテイメントと繋いだデ・ワイルドはそう語った。ちょうどTroubadour(トルバドゥール ※ハリウッドのライブハウス)でのプロムをテーマにしたShe Said発売記念パーティーを盛大に行うための飾り付けを作っているところだった。「でもいつも先延ばしにしちゃってて。それに絶対に望ましくない方向には行ってほしくなかった。でもTikTokを始めたら…、コメントが何百件も来てほとんど全部が私の身体のことを言ってた。そういうのには慣れてるんですけど、投稿1件につき数件みたいなのには慣れてたんだけど、今回のは殺到と言った方が良くて『死ねばいいのに』みたいなのとか、もう異常でした」。

あのインスタグラムの投稿は、彼女が拒食症であるとの噂を打ち消すためにしたのではないとデ・ワイルドは強調する。そんなことをしても無駄だからだ。「自分の言うことを全然信じてくれない人達っていうのがいて、どうすることも出来ないんです。生まれつきこんな風に痩せてるんだって言っても全然信じてくれない。どうしろっていうのか全然分からない!やりたいんならチーズバーガー20個、強制的に食べさせてもいいけど、そんなことしても私の見た目は何も変わらないって断言しときます」。むしろ彼女は実際に摂食障害に苦しむ人が日常的に戦わねばならないネット上での侮辱に異議を唱えるため、あの投稿をしたのである。

「自分には摂食障害はないけど、摂食障害がある人をヘイトする人がいるっていうのが本当に変。仮に私が拒食症か過食症だったとして、こんな酷いコト言って私のためになると本気で思ってるわけ?効果があるとかマジで思うわけ?拒食症とかで苦しんでる人のことが気に入らないっていう人達がいるの、本当に面倒くさい」。デ・ワイルドはそう不満を漏らす。「メッセージでああいうのを見つけるのはもうウンザリ。『なんでそんなに怒ってんの』って感じ。他人の脳ミソの中までは分からないけど、ますます落ち込んじゃうと思う。だって、自分が本当に摂食障害だったら、ああいうコメントを見たらさらに悪化すると思う。…私に『ちょっと心配で』とか言ってくる人の意味が分からない。超気が狂ってること言ってるのに、『ちょっと心配になって!ヘイトのつもりはないです!ただ心配で!』みたいな感じ。こっちとしては、アナタ何も心配してないっしょ。私のこと知らないでしょ。なのに何で心配する必要があるわけ?って感じ」。



Starcrawler - "Roadkill"



子供の頃からずっと、デ・ワイルドは周囲に馴染めず、小学校ではあまりに他の子と違っていたため「ちょっとイジメられた」のだと明かしてくれた。実は、Starcrawlerの2019年の楽曲「Lizzy(リジ―)」は、「子供の頃にトラウマになったある出来事」について書かれたものだという。小学1年生の時、Lizzyという名前のクラスメートが、まるで映画<Carrie(キャリー ※アメリカのホラー映画(1976年))>のワンシーンのように学校のトイレでアロウを待ち伏せしていた。「トイレの個室でオシッコしてたら、突然Lizzyが友達とやって来たのが聞こえて、誰かをヤル気満々だった」アロウは回想する。「足を隠そうとしたんだけど(※アメリカのトイレのドアは防犯の為短く、足が丸見えになる)、Lizzy達は中に誰がいるのか確かめようと個室のドアをバンバン叩いてきて、私はウンコもしてたからホント恥ずかしかった。で、Lizzy達は私を見つけて悪態をつき、私の足首を掴みながら何か叫んでた」。



Starcrawler - "Lizzy"


Sleeping in the bathroom stall

Teacher screaming at me

Lizzy wants to have some fun

But I know what that really means

Took my lollipop, ripped my valentine

Little miss garbage girl

Push me for the very last time

I think I'm falling down

I'm falling down...


またデ・ワイルドには、名高いロックフォトグラファーでありビデオディレクターでもあるAutumn de Wilde(オータム・デ・ワイルド)とベテランドラマーAaron Sperske(アーロン・スパースク:Beachwood Sparks(ビーチウッド・スパークス)、Father John Misty(ファーザー・ジョーン・ミスティ)、Ariel Pink(アリエル・ピンク)、Pernice Brothers(パーニス・ブラザーズ)等で活躍)の娘として、普通でない環境で育った為、周囲に馴染めないという悩みもあった。「ウチにはいつも色んなバンドメンバーが泊まりにきたり、訪ねてきたりしていて、自分はそういう環境で育ちました。それが普通だと思ってたんです」。アロウは肩をすくめた。10才位になるまで両親のロックンロールなライフスタイルが普通ではないことに気付かなかったという。自分の家より標準的で保守的な友人宅のディナーに招かれた時のエピソードを話してくれた。

「全員でテーブルを囲んで食事したんですが、そんなことしたこともなかったんです。理由の一つは両親が離婚してたこと、二つ目の理由はウチはいつもテレビとか見ながら食事していたこと。(食事は)大切な儀式的なものじゃなかったから、そういうのを経験したことがなかったんです。で、そこんちのパパはアイルランド系カトリック教徒だったから『それでは感謝の祈りを捧げましょう(=Say grace)』みたいなノリで。自分の両親は信心深いとかそういうのではなかったから、自分はもう食べ始めちゃってて、そこんちのパパに怒られちゃった」。アロウは回想する。「そこんちのパパの顔が真っ赤になってて超怒ってたけど、自分にはどうしてか全然分からなくて。『グレース(Grace)って誰?』って感じだった。あの時が『あ、そうか。きっとこっちが普通なんだ』ってはっきり自覚した瞬間だと記憶してます」。



Starcrawler - "Stranded"



しかしながら、子供時代の変わった環境はアロウをロックンロールの道へと導くことになる。「ウチの両親って、インスピレーションを掻き立てるように音楽を教えてくれたんですよ。必ず会話の一部になってて、やらされてる感がない」。そして中学生になるまでに「自分のスタイルが見えてきた」のだという。「Bikini Kill(ビキニ・キル)にハマって、Black Flag(ブラック・フラッグ)、それからOzzy Osborne(オジー・オズボーン)やその周辺の音楽に出会って、クールなモノにハマり始めたんです。まだあんまりよく分かってなかったですけどね。自分はちょっとしたTumblr女子的な感じだったんですが、そのおかげで自分以外にも世間の標準からズレてる女子がいることに気付けたんです」。また彼女は「ロックの世界にいる人ほぼ全員」が、自分のような社会不適合者であることに誇りを持っているのに気付いたという。「高校時代、カッコいいとされてたロックスターで私が知ってるのって、Mötley Crüe(モトリー・クルー)のVince Neil(ヴィンス・ネイル ※破天荒キャラで有名)だけだったと思いますが、なるほどって感じですよね」彼女は笑う。

皮肉なことに、アロウは彼女が通う高校で最もクールなキッズだったとも言えるだろう。10代になる頃までには自分の個性を受け入れ、KISS(キッス)をテーマにした16歳の誕生パーティーを開催、ハリウッドにある70年代にインスパイアされたヒップスター・バー<Good Times at Davey Wayne's>で父親の結成したカバーバンドで歌うことさえして、敬愛するCherie Currie(シェリー ・カーリー ※The Runawaysのリードボーカル)をコピーしてThe Runawaysの<Cherry Bomb(チェリー・ボンブ)>をシャウトしていた。「パフォーマンスの良い練習になりましたね」と彼女は語る。アロウはまた、年上の友達でThe Runawaysの熱狂的なファンであるLily(リリー)とLAのクラブシーンに繰り出すようになる。「リリーは過酸化水素水で脱色したFarrah Fawcett(ファラ・フォーセット ※テレビドラマ<チャーリーズ・エンジェル>等で有名なアメリカの女優)の髪型で、短いホットパンツにシルクのボンバージャケットを着て学校に通ってた。自分も髪をブロンドにブリーチしていろんなクラブに一緒に行ったけど、クラブに潜り込むのはそんなに難しくはなかったです」。




(Photo: Gilbert Trejo)



そしてついに反逆者仲間であるHenri Cash(ヘンリー・キャッシュ)を誘いStarcrawlerを結成。クラブシーンを制覇し始めた頃、アロウはまだ高校生だった。校内でヘンリーに近付いたのはアロウからだったが、初めての台詞は「キミカッコいいじゃん。ギターは弾く?」だったという。「自分はまだ良いパフォーマーではなかったし、ステージ上ではめちゃビビってた」とアロウは語る。Starcrawlerがレコード契約を獲得するのには時間がかかったが、天性のアロウのカリスマ性はスタートの頃から明らかだった(アロウ談:「StarcrawlerのことをIndustry Plant(インダストリー・プラント ※自然に売れたように見せかけて実は業界のバックアップを受けている / 実際にはメジャーと契約しているのにインディペンデントだということにしているアーティスト)だと思ってる人がいたら、信じて。LAではそんなの関係ない。デモ音源を送っても返信はゼロだったんだから!)。バンドはやがて地元でバズることになるわけだが、それはStarcrawlerが2015年頃のLAの他バンドとは全く違っていたからであろう。

「高校の頃に自分が行ってたライブって、悪いけど、つまらなかったんですよ。見てて退屈だったから自分でやってみたいと思うようになりました」アロウは語る。ステージ上で目立つため、アロウはCherie Currie(シェリー ・カーリー ※The Runawaysのリードボーカル)のようなコルセットやAlice Cooper(アリス・クーパー)風の拘束衣を着てステージに立ち始め、Gene Simmons(ジーン・シモンズ)がやるように偽物の血を吐いた。初期のStarcrawlerのライブは、前述した映画<Carrie>のプロムのシーンを連想させる残忍で挑戦的な見世物だった。「人の注目を浴びることをやりたかったんです。少なくとも記憶に残るもの。嫌われたとしても忘れることは出来ないから」アロウはそう説明した。「自分にとって一番怖いのは、ただ忘れ去られることなんです」。




Arrow de Wilde (2019) (Photo: Tim Mosenfelder)



やがて、忘れられない存在となったアロウとバンドメンバーはRough Trade(ラフ・トレード)と契約を結び、ロックの新しい救世主として歓迎された。GarbageのShirley Mansonは「Starcrawler、特にアロウは音楽業界で女性が置かれている規範に挑戦しているように思う」と述べている。事実Mansonは、アロウがステージ上で自信が持てるようになるようアドバイスをくれたとアロウは明かす。「彼女は私を叱咤激励してくれた人のひとりだった。『そんなに怖がるのは止めて。アナタがイケてるって私には分かるけど、そんなに観客を怖がってちゃダメ』って言ってくれた」。

最近のアロウは、もうハリウッド的な芝居がかった演出で人目を惹く必要はないと感じているという。Big Machine(ビッグマシン・レコード)でのデビューで、Starcrawlerのサウンドが、アメリカーナ(※カントリー、ルーツロック、フォーク、ゴスペル、ブルーグラスなど、アメリカの様々なアコースティックルーツ音楽スタイルの要素を取り入れた音楽ジャンル)や90年代のインディーズのテイストを取り入れて進化したからだ。「もう血はやってないんですよ。飽きちゃったし、わざとらしくなっちゃってるし。ラスベガスのアトラクションに転向したいわけでもないですから」アロウは語る。しかし最近のロック復活の渦中において、Starcrawlerの時代は間違いなく到来しているようだし、ロックの復活をリードしているとも言えるだろう。今やStarcrawlerのやっていることは、ノーマル(!)と見なされてさえいるかのようだ。



Starcrawler - "She Said"



「高校生の頃、…って2017年卒業だから、そんな昔のことじゃないですけど、ロックが好きな人なんてマジでひとりもいなかったんです。今はまたロックを聴くのが普通のことになったって感じるけど、長い間ロックは親世代の音楽だと思われてて、普通キッズ達って親が聴いてる音楽なんて聴かないですよね」アロウは語る(アロウの血筋を考えると間違いなく皮肉なコメントであるが)。「だけどロックは、キッズ達も共感できるような新しいフレッシュな感じで復活しつつあるって感じるし、キッズ達もそのうち古いものを評価するようになるんだろうなって思います」。


※本インタビューの一部は、Starcrawlerが出演したSiriusXMの番組「Volume West」から抜粋している。SiriusXMのアプリでインタビューのフル音源が聴取可能。


◆あわせて読みたい当サイトStarcrawler(スタークローラー)記事:



18 August 2022

Simone Marie Butler | プライマルスクリームのシモーヌ・バトラー出演ドキュメンタリー映画「Year of The Dog」(2021年)

"Year of the Dog" - サウンドトラックは全曲Little Barrieが担当


Primal Screamのベーシスト、ラジオDJ、他バンドへの参加等、多彩な活動を見せる”僕らの姉貴”ことシモーヌ・マリー・バトラー(Simone Marie Butler)。実は2021年に、路上で暮らすホームレスとその飼い犬についてのドキュメンタリー映画の製作に携わり、自ら出演&ナレーションまで務めている。

この1時間7分のドキュメンタリー映画であるが、日本からはダウンロード不可のようで、あまり報道もされてないようなので、シモ姐のコメントが一番多く載っていた英語記事を翻訳してみることにする。とにかくトレーラーだけでも見てほしい。ちなみにサウンドトラックは、全曲あのバーリー・カドガン(Barrie Cadogan)が担当している。


Year of the Dog | Official Trailer


【元ネタ英語記事】Primal Scream’s Simone Butler on her “eye-opening” new documentary, ‘Year Of The Dog’ (NME 2021年11月12日)

以下、当サイトによる翻訳


ドキュメンタリー映画の新作『Year of the Dog』のプレミア上映に先立ち、プライマルスクリームのベーシスト、シモーヌ・マリー・バトラーが、ホームレスとその犬達を描いた映画の製作中に見出した様々な発見についてNMEに語ってくれた。

本新作はポール・スン(Paul Sng)監督(『Poly Styrene: I Am a Cliché』『Dispossession: The Great Social Housing Swindle』『Sleaford Mods: Invisible Britain』等の作品で知られる)のディレクションによるもので、ミュージシャンでありDJでもあるシモーヌ・バトラーが、Dogs On The Streets(DOTS)(ホームレスとその犬達の健康と福祉のために活動するボランティアグループ)とタッグを組み、彼らが路上生活から永遠に抜け出せるよう支援する様を描いた作品となっている。

映画の概要はこうである。「世界的なパンデミックは社会で最も弱い立場にある人々がいかに危うい存在であるか露呈させた。『Year of the Dog』はストリートドッグとその飼い主の絆に光を当て、英国最大の試練の時に繰り広げられた小さな生き残りの物語を描いた作品である』。


雑誌「Big Issue」のベンダーとシモーヌ・バトラー


動物好きのシモーヌ・バトラーが初めてこの団体の存在を知ったのは、犬を飼おうといろいろリサーチしていた時のことだった。Soho Radioの自身の番組『Naked Lunch』でDOTSの創始者ミッシェル・クラーク(Michelle Clark)をインタビューしてから、本ドキュメンタリー作品のアイディアはすぐ形になり始めた。

「DOTSの活動はとても素晴らしいのに、メディアが十分報道していないと感じたんです」バトラーはNMEにそう語った。「住む家を失ったことや路上生活者だということ、それにそういう人たちが犬を飼うことにつきまとう偏見に一石を投じたくて、何か発信しようと考えたんです」。

バトラーは、この映画製作がいかに「目から鱗の経験」だったかについても語ってくれた。ホームレスの人々が路上で犬を飼うことに対する誤解や通説の数々を払拭する手助けをした経験のことである。




「自分が責任を持たなければならないもう一つの命がそばにいるのって大きな安心感につながるし、路上で生活する人達にとって手助けにもなるんです。やるべきことや責任が生じますからね」バトラーは言う。「それに頑張る理由が出来ますよね。路上で生活するのって絶望的で過酷な状況にもなりますから。犬の面倒を見ることやその犬との尊い絆が、そういう状況に置かれた人達にとってどれほどの生命線になるのか、この経験のおかげで本当によく理解できたんです」。

バトラーはこう続けた。「ちょっと前に友人に言われたんです。自分の犬を飼ったら一瞬で家族になってその子のために死ねるって。住む家がない状況だと人との交流やつながりが希薄になることもあると思いますが、犬の存在や、犬のおかげでできたコミュニティーが、彼らに帰属意識を与えてくれるんです。路上生活ほど孤独で危険な場所はないでしょうから、そういう関係性ってとても大切なんです」。

映画製作への参加から学ぶことも多かったと認めながら、バトラーは過去に抱いていた自身の思い込みが覆されたことも話してくれた。「以前の自分は(路上生活者に飼われるのが)犬にとって良いことなのか疑問に思っていました。でも犬の世話をする路上生活者の人達って、自分より先に犬に食事を与えるんですよね。そういう犬って信じられないくらいよく躾けられているんですが、きちんと社会化されていて、自分を守りケアしてくれる飼い主といつも一緒にいられるからですよね」。

「そういう犬達って、自分を無条件に愛してくれる人間と信じられないくらい素晴らしい生活を送っていて、気性もとても穏やか。問題行動がある犬は一匹もいませんでした。中傷するつもりはないですが、犬のしつけに真面目に取り組もうとしない飼い主だっていますよね。でも路上で四六時中飼い主と一緒に過ごせる犬は、飼い主といつも変わらない関係を保つことができています。お互いに本当に気遣い合ってるんです」。

また本作では、英国の路上生活に関する厳しい統計データにも目を向け「深刻な社会問題」だとしている。バトラーが本作の製作から導き出した結論は、「路上で暮らすホームレスとその犬達に対し、もっと正しい知識を持って思いやりのある見方をすべきであり、この問題にどう対処すべきかもっと深い知識が必要」とのことである。<以降、上映イベントスケジュール部分省略>


ダウンロードはこちらから(UKとアイルランドからのみ可)


◆あわせて読みたい当サイトSimone Marie Butlerインタビュー記事翻訳:


9 August 2022

テンプルズ(Temples) | メンバーが語るサム・トムズ(Sam Toms)脱退の真相とは?

 


2018年のドラマー、サミュエル・トムズ(Samuel Toms)の突然の脱退。これについて無難な答えに終始していたテンプルズ(Temples)のメンバーが、独メディアにチラっと本音を語ったインタビューがあったので、遅ればせながら翻訳してみることにする。思えば初来日の時も、サムだけがUKから直行。他のメンバーはドラムに代役を立てたSXSWを終え、アメリカから来日…。他のメンバーが長年、サムのバンドに対する姿勢に不満を持っていたことが読み取れる内容となっている。

【元ネタ英語記事】Temples - Interview (Bedroomdisco 2019年9月27日)

以下、当サイトによる翻訳


これまでアルバム3枚をリリースされているので、アルバムの制作過程について、スタートから完成までどう進めていくか、バンドなりのお考えがあると思います。テンプルズの通常進行のレコーディングって、ざっくり言うとどんな感じなんですか?

トム:僕らの場合、いつも時間がかかりますね。作曲とレコーディングについては、かなり集中的に取り組んでいるので、もしアルバムを6週間で完成させるとしたら、どうすればいいか分からないかも…。じっくりアイディアを練り上げてから、1枚のアルバムと呼べるものに時間をかけて仕上げていくスタイルが僕らは好きですね。

ジェームス:曲によってはコアとなる要素が出来上がるのにミニマムな時間しかかからないこともある。例えば『Hot Motion』がそうで、リズムセクションとメロディーが先に上がっていて、僕的にはあの曲を盛り上げてるのはベースだと思うんだけど、完成まで数日しかからなかった。曲によっては熟成するまでに時間を要するものもあるから、平均的なやり方みたいなのはないんですよ。他の曲を仕上げるのにかかりっきりで2ヶ月位ほったらかしにしてた曲もあったかもしれない。ある曲のアルバム内での位置付けとか、どこを変えなきゃならないとかは後になって初めて気付くものだし、なかなか分からないものなんです。じっくり考える期間を経たからこそフレッシュな視点が持てるんですよ。

アダム:このアルバムは、プロダクションとか、しっくりくるアレンジの仕方だとかに重点的に取り組んでいて、余分なものは削ぎ落されてる。前作ほどエフェクトも多くないし。


ファーストアルバムを出してから、60年代志向のヴァイブスから脱皮したいと思われていましたか?

ジェームス:アプローチの仕方を変えたいとは思ってましたけど、60年代風なサウンドはもう出来ない、シンセサイザーは止めようとかは思ってなかったです。ファーストアルバムについては、昔の誰かのモノマネに過ぎないから好きじゃないって人が割とたくさんいたことは心に留めておくべきで、そういう人達にとってあのアルバムは目新しくもなく、オリジナリティーにも欠けるわけです。(2枚目以降について)僕らはもっと現代的なものを作りたかったんだと思います。そうする上で、自分たちの本能的な直感とは真逆なものを追い求める形になって、自分達の特徴的なキャラクターの中には楽曲から抜け落ちたものもありました。ファーストアルバムは基本、直感に従っただけ。セカンドアルバムは直感との闘いで、自分たちが前にやったことより優れた何かを生み出せれば…って考えながら制作した感じ。


ファーストアルバムが好きだって公言した人もいましたよね。ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)は、ああいう音楽をもっとラジオで聴きたいって言ってましたし。そういう期待に応えるのは難しいと感じていましたか?ハードルが上がって重たいとか?

アダム:最初の頃は、そんなこと考えてる時間さえあまりなかったですね。すぐにツアーに出なきゃならなくて、それも世界中を廻るハードなツアーで、今まで見たこともない場所に行ったり、アメリカのテレビ番組に出たのはとても奇妙でシュールな体験だったんだけど、全てが本当にあっという間だった。それから2年間ツアーを中断して、内に籠って『Volcano』を作り始めたんですが、重たいとかは思わなかったですよ。

ジェームス:セカンドアルバムっていうのはかなり特殊で、この感覚は、1枚目にしてアルバムを大当たりさせた人じゃないと、説明しても分かってもらえないと思う。取るべき道はたった2つ。ファーストアルバムと同じことをしてファンの多くをキープするか、何か新しいことをするか。ホント、特殊な状況なんですよ。次回作を作りたいわけなんだけど、そこには一定レベルの期待値みたいなのがあるから、ファーストと全く同じことはやりたくないっていう…。プレッシャーはあったと思いますよ。曲は書けるんだけど、セカンドにふさわしいサウンドを探しあぐねてた。サウンドは見つかったし、シンプルにまとまったアルバムにはなったけど、もう二度とセカンドアルバムを作らなくていいっていうのは最高ですね。


Temples - "You're Either on Something"


サム・トムズ(Sam Toms)がバンドのドラマーでなくなった理由を明かして頂けますか?

ジェームス:サムとはずっと話し合う必要があると思ってたんだけど、それで脱退してもらうことになったんです。バンドっていうのは、いつもメンバーの顔触れが固定されてなきゃならないなわけで、お互いに気遣いあう関係性も必要。個人的なレベルだけじゃなく音楽的にもね。僕らは自分たちが作る音楽に真剣に取り組んでいるし、それがライブパフォーマンスっていう話になると、ステージで全員揃って演奏するっていうのが絶対ハズせない肝になるわけです。ライブ後に何が起ころうと全然構わないんだけど、そのことでライブや自分たちの音楽活動に支障が出るとしたら、それってクールだとは言えないですよね。僕らは何年もそういうのに目をつぶってこなきゃならなかった。だから決断する必要があったんです。


ある意味、自己管理がなってなかったということ?

トム:そうだと思いますよ。それって無条件なことですよね。僕らは皆、ノーサンプトンシャーにあるケタリングっていう町で一緒に育ったようなもので、そういう絆って人と人を団結させるものじゃないですか。バンドの中では自分の担当するパートを演奏しなきゃならないわけで、ジェームスが言ったように、もしライブをやるのに支障が出るとしたら、それは僕らの音楽活動に妥協することになってしまう。


支障が出るってどんな風に?

ジェームス:(現場に)来ないとか?

トム:うん、主にそれだよね。4人組として演奏出来ないことが結構あったけど、気分のいいものではなかったですね。


えっと、サムは今、規律にうるさいことで知られるファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)でプレイしてますよね。完璧にうまくやっていくには…。

全員:(笑)

アダム:彼らは全員同時に遅刻するだろうから、誰も遅刻してないってことになる。なかなかしたたかな策略かも。


このアルバム(3作目の『Hot Motion』)のドラムパターンは面白いですよね。まるでディストピアのマーチングバンドからやって来たようなサウンドに聞こえる楽曲も多いです。事前に発表されたコメントの中で、『The Howl』のことを、『古代の祖先に敬意を表し、足を踏み鳴らし前進していくリズムセクションに鼓舞される戦闘への招集』と表現していらっしゃいます。(サードアルバムは)歴史的な意味での英国人気質的なものを狙った作品なのでしょうか?

トム:そうですね、(3作目は)英国の歴史だとか感性から来ている部分は多いですね。ストーリーテリングやソングライティングに対するアプローチの仕方や歌詞、楽曲の壮大さ、メロディーに対するこだわりとかもね。今僕らがやっていることの強味でもあり、自分達のことをそれほど真剣に考えない英国人的な気質とブラックユーモアなコメディーの要素が組み合わさってるっていうか。

アダム:でも意図的にではないよね。『この曲は英国っぽくなったかな?』とか、じっくり考えてやったわけではないです。僕らが英国人で英国音楽のファンだからそうなっただけで、持って生まれた気質なんでしょうね。

ジェームス:コメディーでも童謡でも脚本でも、悲劇とユーモアをほぼ一言で言い表すことが出来るのは、僕らのDNAの中にあるものだよね。このアルバムにはそういった要素がある。うん、これは英国のレコードなんだけど、僕らの中にあるヨーロッパ人の部分も現れてる。だからブレクジット(Brexit)なアルバムじゃないし、『ブリテン・ファースト(Britain First)』でもない。


国民投票には行かれたんですか?

全員:はい。




EU残留に投票?

アダム:僕ら3人共、それと僕らと同世代の知り合いは、ほぼ全員そうだよね。

トム:統計的に言うと、(投票後に)亡くなった人の数と参政権を得た人の数をプラスして投票結果に足せば、今なら残留っていう結果になるらしいよ。

アダム:僕らの故郷ケタリングは、離脱のパーセンテージが最も高い地区のひとつだったよね。

トム:ってことは、僕ら残留組3人は孤立しちゃってるってことか(笑)。


アレクサンダー・ボリス・ド・フェファル・ジョンソン(Alexander Boris de Pfeffel Johnson)が次期首相になることについてはどう思われますか?

ジェームス:崩壊していく世の中を目の当たりにするっていうのはエキサイティングかも(笑)。保守党が与党でいる限り、僕らとの共通点は何もないですね。国民をさらに分断するおかしなことさえ導入しなければ、誰が首相になろうとどうでもいいかな。僕らの国で助けを必要とする人達にとって、首相が誰とかあまり関係ないんですよ。いいなって思える候補者はゼロだから。ホント笑っちゃいますよね。ボリスって道化師みたいで、まるで漫画のキャラクター。一国のリーダーって感じではないですよね。


『Atomise』という曲は、我々が種として生き残る為、環境に配慮すべきだという警告とも取れます。迫りくる危機に対して行動を起こそうといったメッセージを発信すべきだと思われていますか?

トム:そうですね、全くその通りです。自分達を取り巻く環境とのスピリチュアルな繋がりというか、一方で自然を恐れながら、究極的には自然と繋がっていたい…みたいな。でも6月のベルリンが摂氏40度とかって恐くありませんか?氷冠が溶け出して、やがて世界が水没するとしたら?僕らは母なる地球を大切にしないといけないんです。


特に、皆さんは島国出身ですから…。

全員:その通り!

アダム:みんな忘れちゃってるけど、英国はあんなに小さな島なんだし、僕らは小さな島国の民族でしょ?小さな変てこな島の民でしかない。もし母なる自然が津波か何かを引き起こすことがあれば、もう壊滅的ですよね。


もっと軽い話題に移りましょう。サイモン・レイノルズ(Simon Reynolds)が最近、グラムロックとそのレガシーに関する著書『Shock and Awe』を出版しました。『The Beam』や『Step Down』といった楽曲には、このジャンルと同様の興味が見て取れますが、バンドとして、耽美なグラムロックからどんな影響を受けていますか?

トム:僕もあの本を買って半分読んだところです。レイノルズの言葉を借りれば、1950年代以降の音楽でアイコンという概念が生まれ、そのアイコンに1970年代の奇妙キテレツな加工が施された結果、狂気な世界観で面白みのある新たな一面が音楽にもたらされた…ってことだと思います。

ジェームス:グラムロックにはちょっといかがわしいいところもありますよね。ヘアグラムとか、呼び方はどうであれ、グラムロックのパクリとか思われたらヤだなぁ(笑)。ああいうアンドロジニー(両性具有)なところが、ちょっといかがわしく感じるし、ブリティッシュなのかも。だけどレコーディング方法を除けば、音楽的にそんなに変わってるわけじゃない。トムが言ったように、50年代の曲のセンスって、基本コード少なめで、ハッピーでメランコリックなメロディーで、ちょっと童謡チック。でも70年代になると、カミソリの刃みたいな、ミキサーにかけられたか、おろし金の上に乗っけられたようなギターサウンドの渦に放り込まれる。かなりヘビーで、グラムロックにもそういうところがあるんだけど、とても本質的で直感的で大胆不敵、誰かが身を潜めて隠れてるみたいなサウンドじゃない。グラムロックには僕らも感じるものがあるし、アイディアを取り入れてる曲もあります。まぁ音楽の引き出しの一部ですね。

トム:でもグラムロックのサウンドにはもっと注目すべきじゃないかな。例えばボウイ(David Bowie)やボラン(Marc Bolan)。グラムロックに必須の神秘性や魔力がなければ、うわべだけの使い捨てとしてすぐ忘れ去られてしまう。賞味期限だって短い。僕らがグループとしてグラムについても追求しようとしてるって、みんな分かってくれるといいんだけど。


Temples - "Hot Motion"


-------------------------------------------------------
あわせて読みたい:


24 June 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| ガーディアン(The Guardian) インタビュー

 Photograph: Jamie Wdziekonski


【元ネタ英語記事】Japanese rockers Kikagaku Moyo: "Watching people board a train - that's psychedelic!"(The Guardian 2022年6月23日)




日本のロックミュージシャン幾何学模様:「電車に乗る人を見ているのもサイケデリック!」

最後となるツアーでグラストンベリーに出演するKikagaku Moyo(幾何学模様)。見逃せないサイケデリックロックバンドである彼らが、徹夜のジャムセッションから生まれたサウンド、「クリエイティブな不完全さ」、自分たちの流儀で身を引くことについて語った。



サイケデリック音楽と言えば、Jimi Hendrix Experience(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)、The 13th Floor Elevators(13thフロア・エレベーターズ)、ウッドストックのぼやけた画像等を思い浮かべるだろう。しかし、日本のバンドKikagaku Moyoにとってサイケデリアとは、母国のカウンターカルチャーのヒーローであり強烈なファズの嵐を吹かせるAcid Mothers Temple(アシッド・マザーズ・テンプル)やFlower Travellin' Band(フラワー・トラベリン・バンド)等に代表されるものである。Kikagaku Moyoのフロントマン・Go Kurosawaが、現在の東京についてコメントする。「東京の音楽、映画、カルチャー、技術の完璧さを求められるんじゃなく、何にも縛られない自由さ。僕らにとってのサイケデリアは、ヒッピーシーンから来るものではなく、自然の中や、お寺から聞こえる読経の中にあるもの。毎日電車に乗る人を見てるんだったら、それだってサイケデリックだと思います」。

Kikagaku Moyoのライブでは、時に長髪のメンバーが10分に及ぶジャムセッションを繰り広げるが、そのダイナミックなエネルギーの源は、2010年代初頭の大学の街・高田馬場(東京都新宿区)まで遡る。ヴィンテージショップ、大学生が集うバー、深夜営業のレコーディングスタジオを転々としながら、Kikagaku Moyoは5人組のバンドとして結成され、今や日本のロックシーンの最前線に立つ存在だ。彼らの空中浮遊に近い感覚に誘うライブパフォーマンスや、聞くものを虜にするアルバムの数々の賜物であろう。しかし、5枚目のアルバム『Kumoyo Island(クモヨ島)』のリリース後、お別れの海外ツアーが終了すれば、Kikagaku Moyoは解散してしまう。自らが創り上げてきた世界観の継続を断ち、それらが希釈されていく可能性を回避するというのは、実に非アメリカ的な選択である。

KurosawaとTomo Katsuradaが初めて出会ったのは2012年。Kikagaku Moyoというバンド名は「幾何学模様」と訳される。「夜中から朝6時までジャムセッションのやり過ぎで、気を失う頃にはまぶたに幾何学模様が見えていた」とKatsuradaは語る。Kurosawaの弟Ryuが、シタールの修行を受けたインドから帰国し、その後すぐベースのKotsu GuyとギターのDaoud Popalが加入。Kurosawaがドラム、Katsuradaがギターで、ヴォーカルを2人で担当するようになる。初期のジャムセッションには、よくあるヒップホップ、メタル、インド古典音楽、ブルース等、メンバーの多種多様な音楽の趣味が表れていた。経験の浅さゆえ、バンドには自由さがあったし、サウンドにもはっきりとした輪郭はなく、ループのあるアンビエントなストーナーロック、レトロなファズギター、魅惑的なシタール…と様々だった。



フロントマンでドラマーのGo Kurosawa (Photograph: Burak Çıngı/Redferns)



2枚目のアルバム『Forest of Lost Children』では、技巧を凝らさない自然なジャムセッションである「Semicircle」から始まり、ブルージーなギターの「Kodama」、Ananda Shankar(アナンダ・シャンカール)のカバー曲「Street of Calcutta」の熱のこもったシタール、暗く哀愁漂う「White Moon」等を収録。本作は、後発のアルバムで彼らが繰り返すことになるある種のパターンが顕著になった作品だ。つまりKurosawaのドラムがクレッシェンド(次第に強く)に向けてスタートを切り、盛り上がり、そして瞑想的な終わり方をするという形である。

「歌詞が少ないのは、音楽で自分の旅を想像する余地を与えたいから。アルバム1枚1枚は、1本の映画のようなもの」だとKatsuradaは言う。確かに『Kumoyo Island(クモヨ島)』は、広大な土地を孤独に旅しているような気分にさせる。「曲を作る時は、まずメンバー5人が楽しく遊べる遊び場を作ろうとします」Kurosawaは語る。「そこに言葉を加えるのは、さっき言った想像力(イマジネーション)を限定してしまう気がするんです」。

『Kumoyo Isaland(クモヨ島)』は、「ツアーの経験、車窓やステージからの風景、僕らが経験したカルチャーに影響を受けています」とKatsuradaは言う。日本やヨーロッパでの公演を経て、Kikagaku Moyoがアメリカでのデビューを飾ったのは、ニューヨークのBerlin(ベルリン)という、壁の中にある穴蔵のような薄暗いヴェニューで、ステージは地面からわずか数インチ程の高さの小さな壇だった。筆者はそのライブ会場におり、Kurosawa弟のシタールに触れることができるほど近くに立っていた。その後、ヴェニューは大きくなっていったが、彼らの遊び心、リフやソロを想像を超えて膨らませ、観客を集団的心理に浸らせるという姿勢は未だ健在だ。ステージ上の彼らは、催眠術のようでファンキーで、ユーモラスで親しみやすく、鼓膜が破れそうな長いソロを変わらぬ笑顔で弾き続けている。

アルバムが完成すると、別れを告げるという決断がバンドに訪れた。それは彼らの音楽同様、本能的なものだった。「僕らはやりたかったこと全てを実現させたんです。サイケデリックのフェスに出て世界ツアーをするという野望、これも叶いました。曲を作るだけじゃなく、アートやグッズ、Kikagaku Moyoが何であるかというヴィジョンを創るのにも時間とエネルギーを費やしました。だから今、僕らの旅を僕らの思いどおりの形で、出来るだけ最高の形で完結させることができるんです」とKurosawaは語る。




ジャムセッション … 2018年、ステージでの幾何学模様 (Photograph: FilmMagic)




バンドは今月、グラストンベリーを含むヨーロッパツアーを行っており、その後アメリカを周るが、最後のライブは母国のフジロック・フェスティバルで行うことになっている。まさに完璧な一巡だ。KatsuradaとKurosawaは自ら選んだベースであるアムステルダムに戻るが、2人はそこでGuruguru Brainというレーベルを運営し、彼ら以外の秘蔵アーティストのサポートに注力する。Kikagaku Moyoのレガシーは、バンドの「クリエイティブな不完全さ」にあり続けるのだとKatsuradaは言う。そして、笑顔でこう締めくくった。「若い世代に受け継いでもらえるような場所を残したいんです。専門的な技術がどれくらいあるとか、世界のどこの出身かとかは全く関係ない。僕らが発信し続けてきた『音楽は国境や言葉の壁を超えられる』っていうメッセージが届いているといいなと思います」。




●Kikagaku Moyoは6月25日(土)現地時間午前11時30分、グラストンベリー・フェスティバルのWest Holtsステージに出演。6月27日(月)は、ロンドンのEarHで公演。




25 May 2022

幾何学模様(Kikagaku Moyo)| GRAMMY.com Interview

 Photo: Jamie Wdziekonski


無期限の活動停止を発表後、現在北米ツアー中の幾何学模様(Kikagaku Moyo)。グラミー賞の主催で知られるザ・レコーディング・アカデミー(The Recording Academy)にギターのTomo Katsurada氏が取材を受けたインタビュー記事を翻訳しました。インタビュアーは、サンフランシスコ州立大学やUCバークレーで音楽ジャーナリズムを教えるジャーナリストGary Moskowitz氏


【元ネタ英語記事】Behind The Smoke & Mirrors With Japanese Psych-Rock Legends Kikagaku Moyo(2022年5月4日)

以下、当サイトによる翻訳

................................................................................

紫煙と鏡(Smoke & Mirrors)の裏側へ

 日本発サイケデリックロックの伝説(レジェンド)・幾何学模様と共に

「音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能」。5枚目のアルバムのリリース(5月6日)とファイナルツアーを目前に控え、幾何学模様(Kikagaku Moyo)のギタリスト、Tomo Katsuradaはいう。

................................................................................


日本発サイケデリックロックバンド幾何学模様の創設メンバーが、新宿エリアの高田馬場駅前ロータリーでジャムセッションを始めたのは10年前のことだった。界隈にはスケートボーダーやアーティスト、近くの大学生が多く屯していたが、そんな環境の中、Tomo KatsuradaとGo Kurosawaは、毎回顔ぶれの変わるミュージシャンたちを引き連れ、夜通し終わりのない音楽探検の旅に出かけていた。70年代のサイケデリックロック、昔ながらの民謡、インドの古典音楽、クラウトロックが合わさったような音だった。


バンドの編成をドラム、ベース、ギター2本、シタールに固定すると、二人はレコーディングを始め、都内でのライブ活動を開始。東京のあちこちでサイケデリックロック・フェスを主催していると、オースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest /訳者注:現レヴィテーション(Levitation))から声が掛かり、その後10年をオーストラリア、ヨーロッパ、日本、英国、アメリカ合衆国でのツアーに費やすこととなり、年間約100本ものライブをこなしてきた。


Kikagaku Moyo - "Smoke and Mirrors" Live at Austin Psych Fest (2014)


幾何学模様はこれまで、フルアルバム4枚とEP数枚をリリースしている。Spotifyで最も人気の高い曲の中には、7分超の大作にもかかわらず600万回以上再生されているものもある。が、それら人気曲には、すぐに展開が読めるポップソングのようなシンプルさはない。幾何学模様の楽曲は、ゆっくり時間をかけて広がり、再びキュッと引き締まり、最終的に、「落としどころ」と思われた場所を超越する。


例えば、2018年のアルバム「Masana Temples」に「Dripping Sun」という定番曲がある。この曲は、ビートを刻むベースラインと控えめなワウギターで始まるのだが、そこにギターのメロディーが乗り、ドラムに駆り立てられそのまま駆け上がっていくかと思いきや、ささやき声のヴォーカルと共にスローダウンして静かに落ち着き、小気味良いコーラスへと滑らかに移行。…そこからは一気に、サイケデリックロックの絶頂に向けジャムセッションに突入。結局、最後はまた静かに落ち着く…という構成だ。「Green Sugar」、「Smoke & Mirrors」、「Tree Smoke」のようなファンの人気曲は、激しくインプロビゼーション(即興演奏)され、ライブで演奏される度に進化し続けている。


Kikagaku Moyo - Dripping Sun


やがて幾何学模様はカルト的な地位を確立させていくのだが、その理由のひとつに彼らのDIY的アプローチがある。幾何学模様はバンド独自のサウンドを作成・レコーディングし、バンドが所有するレーベルGuruguru Brainからリリースする。ちょうど今年まで、ツアーさえステージクルーなしで行っていたくらいだ。


幾何学模様は、小規模なバーから正統派の音楽ホールまで様々な場所でライブをこなしてきた。ここ数年は、ちょっとユニークな場所でもライブを行っていて、サンフランシスコのカストロ劇場(Castro Theater)、アムステルダムにある以前は教会だったパラディソ(Paradiso)等のヴェニュー、またPALPフェスティバル(PALP Festival)ではスイスアルプスの山頂でライブしたこともある。グッチ(Gucci)やイッセイ・ミヤケ(Issey Miyake)といったファッションデザイナーともコラボしており、彼らのライブ演奏によるユニークな音響がファッションショーに花を添えた。


Kikagaku Moyo @ Swiss Alps for PALP Festival (2017)


Kikagaku Moyo @ Paris for Issey Miyake Fashion Week Show (2016)


2022年5月6日、幾何学模様は最後の作品となる5枚目のアルバムをリリース予定で、無期限の活動停止を前に長いファイナルツアーを行う。先日GRAMMY.comは、アムステルダム在住のギタリストTomo Katsuradaの自宅をZoomで繋ぎ、バンドの始まり、この10年の歩み、バンド休止の決定について話を聞いた。


Kikagaku Moyo - Kumoyo Island (Full Album-2022)


5枚目のアルバムはこれまでの作品とどう違うんですか?


これまでのアルバムは、全部ツアーで経験したことからインスピレーションを得て、それを元に曲作りをしていました。毎日が違う街なわけですから、とてもトリッピーな経験です。メンバーと一緒に出かけたり、いろんな街を散策したり、外食したり、映画を観たり、音楽を聴いたり…。


でも今回はコロナのせいで、あまりライブができなかったので、リモートでの曲作りになりました。この曲を一緒に演るとしたらどうやるだろうってイメージしながら…。(ツアー中のように)メンバーと一緒に過ごす時間があまりなかったので、あらゆる元ネタが想像上のコンセプトになりました。僕らの頭の中にある架空の遊び場的な…。もう完全に空想の世界に入り込んじゃってましたから、アルバムが僕らっぽいサウンドになっているか不安でしたが、とても幾何学模様的なサウンドに仕上がってると思います。


今回のワールドツアーを終えた後、バンド活動を休止すると決めたのはなぜですか?


5人でやれることは全部やり遂げたって心から思えたからです。僕らはいつも、時を重ねても色褪せない作品を作ることと、心の底から誇れる音楽を作ることにコミットしてきました。究極的には、僕らのバンドとしての旅を自分たちの思いどおりの形で、最高潮の状態で完結させたいっていうのがありました。ファンからのサポートもそうですが、これまでのことは本当にありがたく思っています。


僕的には、サイケデリックの音楽シーンに場所を空けて身を引くことで、後進に道を譲りたいっていう気持ちも強いです。音楽が国境や言葉の壁を越えるのも、ガチガチに完璧にせず制作するのも絶対に可能ですし…。僕はインスピレーションのサイクル(輪)的なものを信じていて、将来僕らのオーディエンスの中からそういった輪がどんな風に繋がっていくのか見届けるのをとても楽しみにしています。


話をバンドの始まりに戻しましょう。TomoとGoはどうして一緒にバンドを始めることにしたのですか?幾何学模様を結成する前は何をしていた?


3才から13才まではチェロを弾いていて、毎日練習していました。それから僕の姉がパンクバンドでギターを弾き始めたんですが、その影響は結構デカかったと思います。スケボーにハマって、スケートボードの動画制作をして、高校ではポップパンクバンドのギターを担当していました。


僕がGoと出歩くようになったのは、Goがアメリカ留学から帰ってきてからです。映画をたくさん一緒に観て、Goのバンドのポスター制作もやりました。曲を作るようになったのは、僕がオレゴン州ポートランドの大学から帰国してからです。


アメリカでの生活からはどんな影響を受けた?


2010年頃、スゴいレコード屋にいろいろ出かけてサイケデリック音楽にハマっちゃいました。その頃はまだまともに英語も話せなかったのに。


外国にいてレコ屋に行くとホッとしたんですよ。日本って皆が同じような考え方をして協調性を重んじるような集団思考で、アメリカの個人主義的な思考と全然違うんですよ。20才の時、ホントそれは感じました。おかげで僕は自由になれたんです。アメリカ人っていつも自分のことばっか話してるじゃないですか。僕的には「うわ~!僕もそれやっちゃっていいの?」って感じでしたね。


Kikagaku Moyo performing at St. George Church (Lisbon)
 with Bruno Pernadas and Jacco Gardner


サイケデリックロックに魅かれたのはなぜですか?


Goと僕が一緒に行動するようになってから、60年代や70年代のサイケデリック的なものについていろいろ話してたんです。本とかバンドとか映画とか…。僕が今まで観た中で一番綺麗なモノクロ映画は、「エロス+虐殺」っていう作品なんですが、すごくクールな3時間の映画で、少なくとも4回は観ました。


「エロス+虐殺(Eros + Massacre)」Intro(YouTubeに完全版アリ)


日本だと、ミュージシャンって言うと職人技的なことになっちゃうんですよ。一方通行の音楽、ちゃんとした方式の音楽。でも僕が交流するようになったのは、音楽やってる若手アーティスト、音楽やってる映像作家とかスケートボーダーで、皆んな自分達が受けた影響をうまく組み合わせて音楽制作をしていて、それこそ僕らが本当にやりたかったことだったんです。


バンド初期の頃のリハーサルってどんな感じだったんですか?


夜中の12時から朝5時まで演奏できる場所を確保したんですが、僕とGoだけの時もありました。2週間に一度、5、6人で6時間のジャムセッションをしてたんですが、参加しないか友達を誘っていました。いろんな人が出たり入ったりで、その頃はまだ曲とかは作ってなかったです。どうやるのかも分からなかったし。ちゃんとしたギターの弾き方も知らなかったけど、特に気にしていませんでした。フィーリングだけで弾けちゃってましたから。音楽の理論とかどうでもよくて、6弦がEだってことも知りませんでした。ひたすら他の人が出す音を聴いて弾く。本当にユルかったです。


最初に幾何学模様をスタートさせた頃、東京でライブするのってどんな感じだったんですか?


東京・サイケ・フェス(Tokyo Psych Fest)っていう音楽イベントを月イチで始めました。サイケデリックって、いろんなものからの影響が組み合わさって出来てる音楽だと思うんですが、僕らが好きなものが好きな人達が東京中から来てくれたらいいなと思ってやっていました。で、フェスからのコンピレーションを出すのにレーベルを立ち上げて、LPやカセットテープのリリースを始めました。本当に楽しかったです。僕らはオースティン・サイケ・フェス(Austin Psych Fest)に出たくてたまらなかったんですが、東京・サイケ・フェスを始めて1年でオファーをゲットすることができました。それからですね、すべてが変わったのは。すぐにヨーロッパや英国から呼ばれるようになりました。


Guruguru Brain's 1st. Compilation Album "Guruguru Brain Wash" (2014)


バンド初期に経験したツアーはどんな感じだったんですか?


2013年くらいの頃は、まだ学生だったり仕事してるメンバーもいて、職場や学校から1週間休みを取ったりしてやってたんですが、ツアーをするには時間の制約があって、事はゆっくりとしか進みませんでした。アメリカツアーに向けてビザを取ろうと一年前から働いて貯金し始めました。


はじめは自分達のレーベルがなかったので、いろんな面でとてもDIY的でした。好きなアメリカのバンドに一緒にライブしないか声を掛けてみたり…。サンフランシスコのムーン・デュオ(Moon Duo)とか、ポートランドのエターナル・タペストリー(Eternal Tapestry)とか。ムーン・デュオの日本ツアーのブッキングを手伝ったりして、いろんなことを教えてもらいました。で、アメリカツアーをやるべきだとか言ってもらって、アメリカに挑戦する自信を深めるようになりました。


Tokyo Psych Fest Spinoff (2013) - Moon Duo X Kikagaku Moyo



幾何学模様のライブって、スピリチュアルで瞑想的なところがいいですよね。潮の満ち引きみたいに穏やかな音とアグレッシブで派手な音とで緩急があって…。ライブでのパフォーマンスについてはどんな風に取り組んでいるのですか?


演奏する時はとにかく楽しみたいと思っています。で、そのためにはインプロビゼーション(即興演奏)するところを空けておく必要があるわけです。毎回ライブで同じセットをやったりはしないので、ひとつとして同じライブはありません。セットリストは、僕が毎晩変えてるんですが、自分のバイブスとメンバーのバイブスを考えて、ストーリーライン(筋書き)を作っていく形で、僕らのアルバム全曲から選曲するDJミックスみたいな感じですね。で、メンバーで出来上がったセットリストを見て、演る。(インプロ部分については)前もって何も決めてないわけですから、難易度は常に高いですね。


今回のことでTomoやバンドメンバーにとって、ひとつの時代が終わってしまうわけですが、次は何をする?


自分はホントまだ何も考えてないです。ただ考える時間がたくさんあるってことだけは分かってます。たぶんメンバーは、それぞれ新プロジェクトをやっていくんじゃないかな。僕は今年、初めてギターのレッスンを受けました。あとWorldwide FMで「Bootleg Bunny Show」っていうラジオ番組をやっていて、ソウルとかサイケデリック、あとジャズの7インチをかけたりしてるんですが、とても気に入っています。


Katsurada氏選曲によるWorldwide FM "Bootleg Bunny Show"


15 July 2019

Trampolene(トランポリン)|Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)The Zine UKインタビュー


未だ来日が実現していないUKウェールズの3ピースバンド「Trampolene(トランポリン)」のベーシストWayne Thomas(ウェイン・トーマス)が、一部日本への熱い思いを語ってくれたインタビューを翻訳しました。


【元ネタ英語記事】Wayne Thomas of Trampolene(The Zine UK 2019年6月28日)

以下、当サイトによる翻訳(前文省略)

Photo & Text by Elly Bailey


ウェールズのオルタナティブ・ロック・バンド「Trampolene(トランポリン)」(メンバーはJack Jones(ジャック・ジョーンズ)、Wayne Thomas(ウェイン・トーマス)、Rob Steele(ロブ・スティール))は、誰もが「知ってる」と言うバンドであるが、世界中のサポーターたちにとってその存在は、未だ好奇心を掻き立てられる未知なるコンセプトのバンドのままである。

バンドの結成以来、ステージやバックステージでのワイルドなアクションの虜となったファンは多いが、ライブ後に時間を割いてファンたちを旧友のように迎え入れる姿を見れば、メンバーたちが人を惹きつける誠実なパーソナリティーの持ち主であることもまた隠し切れない真実である。

フロントマンであるジャック・ジョーンズとは、2018年4月、バンドについてインタビューする機会があったが、今回はウェインとの番だ。ジャックとはまた違うバンドに対する見方をシェアしてもらい、今後の展望についても少し手掛かりを得てみたい。

ウェインが才能あるサッカー選手だったとの噂は知っていたが、インタビュー中「音楽が常に人生のキャリア・パスだったのか」尋ねてみた。


「10年くらいサッカーをやってて、その時ジャックと出会ったんだ。二人ともスポーツ万能だったよ、僕がウェールズのナショナルチームでプレーしてた時の話ね。僕がサッカーに行ってる間、ジャックは僕の母親に隠れて僕んちで暇をつぶしてて、僕が帰ったら二人でつるんで一緒に音楽をやって、まるで二重の生活をしてるみたいだった。 
だけど、サッカーから音楽に転向したのは年齢的なものだったと思うよ。6歳で何か始めても、親に言われたからやってただけで、本当はそれが何なのかよく分かってなかったりするよね。その位の年の頃って何でも楽しめちゃったりするものだし。 
…で、スポーツのやり過ぎで背骨を骨折しちゃったんだ。脊椎の骨が2本折れたままプレーしてたんだけど、あれで人生の方向性が変わったと思う。手術を受けなきゃならなかったり、ひどい経験ではあったんだけど、新しい生き方を選択する機会になった。ティーンエージャーとして、アートや音楽のヴァイブスにはいつも憧れてたし、ただグランドを走り回ってるよりスペシャルなことに思えたんだ」。


2017年にデビュー・アルバム「Swansea To Hornsey」、2018年にはコンピレーション・アルバム「Pick A Pocket Or Two」をリリース、2018年11月~12月にはヘッドライナー・ツアー「This Feeling Aliveツアー」を行ったトランポリンであるが、最近、バンドは沈黙を守り続けていた。

だが数週間前、彼らはカムデン・タウンのThe Dublin Castleで一夜限りのライブを行った。客で満杯になったヴェニューが、まだまだ献身的なファンベースがバンドに存在することを証明していた。


「大勢の人が来てくれたのは素晴らしかったね。あんまりライブの宣伝をしてなかったから特にね。大体の人は無料で入場してもらったとは思うけど」。


ファンについて語るウェインの声からは温かみさえ感じられる。単なる「ライブに参戦してくれた人」以上の存在としてファンを認識しているのは明らかだった。


「もうホント人生で最高の喜び。僕らのファンベースって親戚みたいなもの。変なんだけど、ライブを演ればツアーに出たとしても誰だか分かる人たちが毎日大勢いるし、そういうのが世界中で起こるんだ。ライブ10本演ったとしたら、毎日知ってる人たちと祝賀パーティーをやってるみたいで何か特別な感じがする。多少カオスではあるけど、僕らはそういうのをとても気に入ってる。 
ゲストリストがあるときは、割と気軽に名前を載せがちだね。チケット代を払えない奴がいれば、入場させてあげるし。前に、IDを持ってこなかった奴がいて、入場させないって言うから演奏を拒否してやったこともあったかな。その後、当時のプロモーターが、僕らのことをブッキングしたがらなくなってライブをやらない時期があったりしたけど、クソっ!ライブやりたいぜってなって、皆んなの家をツアーで廻って、前に僕らを観損ねた奴んちのガレージでプレーしたりしてた」。


以前リリースされた数枚のEPから構成されたコンピレーション・アルバム「Pick A Pocket Or Two」についても尋ねてみた。本作をセカンド・アルバムと考えているのか、それとも次回作としてリリースされる作品がこの括りに入るものになるのかに関心があったからだ。


今レコーディングしてるのがセカンド・アルバムだよ。僕らは作品をリリースし続けたいって考えてて、過去にやったいろんなリリースをまとめておきたかったんだ。ファンが1枚だけ買えばいいようにね。それが「Pick A Pocket Or Two」というわけさ。可笑しいんだけど、結局あれは1枚目より良く売れたんだ。あの作品が発売される頃までに、またたくさんの人たちと出会ったから、きっとその人たちが買ってくれたんだと思うよ。 
次のアルバムについては、もうレコーディングを始めてる。スタジオに飛び込んでいきなり2曲やってから、暫く顔を合わせてないなぁ。でもジャックがツアーから戻ってきたら、またスタジオに入ってその曲をちゃんとレコーディングする予定。曲のレコーディングについてはいろいろ実験中で、バンドのサウンドをどうすべきか様子見してるところだけど、日に日に変わっていくんだ。ファースト・アルバムと同じことの繰り返しはイヤだから、僕らを刺激することなら何でも試してみてるところ。 
こっちの方向に行くんだろうなって思ってても、何か他のことをやってみたら方向性が変わったりとかってあるよね。だから時間切れになってレコーディングするまでは、何が起こるか誰にも分からない。バンドとしては今年の終わりまでに出したいって思ってるけど、どうなるか分からない」。


ウェインが軽く触れたように、ジャックは「Peter Doherty and the Putas Madres」のメンバーとしてツアーに出ているのだが、いつも近くにいるわけじゃないメンバーとやっていくことに何か問題はあるのか、この機会に質問してみた。


ジャックが他のバンドでプレーすることに不満を持ってた頃もあったかな。今、音楽を作りたいってなっても、ジャックがいないと、バンドの活動が止まっちゃうって意味でね。特にジャックが海外にいる時とか。携帯を持ってても奴は毎日のように失くしちゃうから意味がないんだ。ちゃんと持ってる時だって電話に出やしないしね。 
だけどジャックは僕の親友さ。兄弟でもあるし、彼の冒険を否定したりはしない。ああいうツアーに出て、大きく成長して、たくさんのインスピレーションを得て帰ってくる。誰かが冒険に出るのを見てるのは好きだよ。冒険って人をテストするものだし。ジャックは疲れを知らない働き者だから、帰ってきたらまた一緒にスタジオに戻るんだ。 
この僕でさえちょっとツアーから離れたいって時があって、1月にインドに行ってきたよ。あっちは全く違うカルチャーだから、ちょっと自分自身を試してみたいっていうのもあった。ある意味イギリスよりインドの方が気に入ったし、戻ってきたくなかったくらい」。


自分だけの音楽を作るのに時間を使いたいのか…とも思ったが、ウェインの場合、クリエィティビティに対しては、よりヴィジュアル的なアプローチをしているようである。


「自分だけの音楽を作ることについては大いに実験していて、いろいろやってきたよ。僕の弟のLee(Lee Thomas)がEPをやりたがってたから4曲録音したんだ。彼の作品なんだけど、参加させてもらって、僕にとっては良いチャレンジになったよ。リードヴォーカルを結構やったからね。あとジャックも1曲リードヴォーカルをやったし、Jay Bone(Carl Barat and The Jackalsのドラマー)もドラムで参加することになるはず。これで何をしようとしているのかはまだ分からないけど、完成したら何らかの形で出すつもり。 
トランポリンでの僕はヴィジュアル担当で、ジャックが歌詞全般を担当。音楽については共同作業だね。僕は全く詩人じゃないけど、ジャックの書く詩はいつも自分の言葉のようによく分かる。でも僕としては、自分のアートワークの展示会みたいなのをやってみたいな。 
ミュージック・ビデオについては、確かなコンセプトが僕にはあってそれを表現しようとしている。「Divided Kingdom」のMVは自分たちで撮影したしね。確か11時間かかったはず。友達と僕らで1日がかりで撮影して、Leeが1本のビデオに編集したんだ。 
最近リリースしたシングル2作、「The One Who Loves You」と「Hard Time For Dreamers」のアートワークは僕が手掛けたんだ。以前のアートワークには写真を使ってたんだけど、僕らの音楽で何か新しいことをしてみようって時にそのやり方を変えることを思いついた。あの曲(The One Who Loves You)はElton John(エルトン・ジョン)も気に入ってくれてるよ!」








既に多くのことを成し遂げているトランポリンであるが、バンドの将来の野望について質問することでインタビューの最後を締めくくってみた。


「ゴールは、次のレコードを引っ提げてもっと多くの国を旅することかな。UK以外の国を周れない時には、バリやドイツからUKまで来てくれる人たちがいる。前にSwansea(スウォンジー)でライブした時には、僕らを観るため、単身日本から来てくれた奴もいた。ジャックでさえ自分の友達をライブに来させられないっていうのにさ。忠誠心だよね。だから、そういう人たちに来てもらうより、自分たちが彼らの国に行きたいって思うよ。
早く日本でライブしてみたいんだ。変なんだけど、トランポリンって日本でビッグなんだよね。僕らのレコードが発売されると、UKより日本のレコード店の方がディスプレイがデカいんだ。僕らのホントの最初のリリースはEPのコンピレーションだったんだけど、それがリリースされたのも日本だったしね。
多くの人と同じように、バンドとして僕らも、あるポイントを目指してはいると思うけど、でもじゃあ、あるポイントを目指すとして、それを達成しちゃったら一体どうすればいいわけ?僕らはただ成り行き任せで、自分たちの行きたい方向に行くだけさ。まだ達成とか全然してないし、スタートさえまだしてないんだけどね」。

 Vinyl Junkieから発売された日本独自企画盤(2012年/廃盤)。



◆あわせて読みたい当サイトのTrampolene(トランポリン)記事


13 December 2018

元テンプルズ(Temples)サム・トムズ(Sam Toms)インタビュー | 脱退の真相とは?


バンド公式から何の発表もないまま、テンプルズ(Temples)のドラマー・サミュエル・トムズ(Samuel Toms)が突然消えた。現在テンプルズのドラムはサポートメンバーであるオランダ人レンズ・オットインク(Rens Ottink)が務めている。誰もが知りたかったサム脱退の真相がついに本人の口から語られた!…というわけで、檀家(テンプルズのコアファン)注目の本記事を和訳してみることにする。

【元ネタ英語記事】[Interview] With ... Samuel Toms(IT'S ALL INDIE 2018年12月6日)

以下、当サイトによる翻訳



インディーロックのベストドラマーというキャリアは、憧れと羨望の的であり続けているが、テンプルズ (おそらく世界的に最も高く評価され愛されている現代のサイケデリックロックバンド)から脱退する際、サミュエル・トムズが確かな希望を抱き、エネルギーとクリエイティビティーに溢れていたことは間違いない。才能あるドラマーでありソングライターでもある彼は、ケタリング出身の4ピースバンドからの脱退以来、いくつかの音楽プロジェクトを同時進行させるのに超多忙な日々を送っている。

最初にサミュエルがやったことの1つは、ドラマーとしてエクスペリメンタル・ポストロックバンドファット・ホワイト・ファミリー(Fat White Family)への加入の誘いを受けたことだった。元々ファンでありバンドの友人でもあった為、そこに迷いはなかった。またサミュエルには、かねてからソロ・アーティストでありたいとの考えもあった。1人で音楽をやるのは真新しい夢などではなく、何年もの間思い続けてきたことだった。決意というよりは自然な成り行きで次のステップに進んだ…ということのようであるし、まだテンプルズに所属している頃からずっと作詞作曲も行っていた。

サミュエルはリズムギターを弾き、そして歌う。曲を書き、素晴らしいミュージシャンとプレイし、奇抜でエッジの効いたエンターテイメント的ライブをする…というのが彼のやりたかったことだ。6年いたバンドを抜けるのには、明らかにアドバンテージがあったし、脱退によってさらに大きな解放感とインスピレーションも得られた。いきなりオファーを選べる立場になったのは、彼に好奇心と情熱があったからである。またサミュエルはシークレット・フィックス(Secret Fix)のフロントマンでもあり、トーイ(TOY)やザ・プロパー・オーナメンツ(The Proper Ornaments)のメンバーであるマックス・オスカーノールド(Max Oscarnold)とコラボし、ザ・テレスコープス(The Telescopes)ではギターもプレイする。

あれだけの長い期間テンプルズの正式メンバーを務めたのが特別な経験であるのは言うまでもない。そんなバンドを脱退し、次に進んで新プロジェクトに身を投じ、別のミュージシャンと共にやっていくには、相当な努力や献身、頑張りとエネルギーが必要になる。だがサミュエル・トムズはそれらの全てを注ぎ続けている。そんな1人のミュージシャンの新しいキャリア、過去と未来の思考や考えをもっと聞きたいとの好奇心から、この非凡なミュージシャンと貴重な独占インタビューを行い、皆さんにお届けできるのは我々IT'S ALL INDIEにとって誇りを超えて余りあるものがある。


すっごく色々変化したわけだけど、自分の現在の状況についてどう感じてる?

とてもラッキーだったと思ってる。なるべくしてこうなったって感じで素晴らしいし、これがずっと続くことを願ってる。

ファット・ホワイト・ファミリーのメンバーになるなんて想像したことはあった?

ファット・ホワイト・ファミリーのライブには何度か行ったことがあった。以前テンプルズで何度か同じフェスに出てたから。それから別の友達を通じてパーティーで出会って頼まれた。最初はSecure Men(訳者注:FWFメンバーであるソウル・アダムチェイスキー(Saul Adamczewski)率いるインセキュア・メン(Insecure Men)のこと)でプレイするはずだったんだけど、まだテンプルズにいた頃で忙し過ぎたから結局誰か他の人が入ったんだけど。でもすべてがうまく運んで、テンプルズを抜けた時、ファット・ホワイト・ファミリーが「メンバーになりたい?」って聞いてきたから「もちろん!」って感じだった。

ソロに転向するのってどんな感じ?今のところは楽しい?

ソロに関しては、僕的にはずっとやり続けてきたことだと思っていて、まだテンプルズにいる頃から曲は書いてたけど、脱退してからさらに多くのインスピレーションが得られるようになったのは確か。何曲かレコーディングする予定だからどうなるか見てて。自分だけのことだから、今自分がしてることをどうにでも出来ちゃうわけで、全くもってすべて自分次第。アルバム1枚作ってそこからスタートしたいと思ってる。誰かリリースしたいって人がいてくれればクールだけど、誰もいなきゃ自分でプレスしてDIYで発売するさ。

自分のサウンドや歌詞をどう説明する?

ある意味、大人のテーマを持った子供の曲みたいな感じ。サイケデリックロック全般にはうんざりしてて、僕がお決まりのサイケデリックものについてじゃあ話しましょうって言ってる間にも、パンダ・ベア(Panda Bear)みたいなアーティストはどんどん前進してるわけでさ、ギターバンドにリバーブかけまくらせてるだけじゃなくて。

ポップなメロディーに本当にくだらない歌詞っていうのにマジで興味がある。自分の曲は雰囲気モンじゃなくてかなりドライにしたかったんだ。風刺とか社会的メッセージにも興味はあるけど、あんまり真面目にはしたくなかったんだよね。ふざけてスタートしたものなら誰も後から馬鹿にしたり出来ないしね、自分だって似たようなことやってきたわけだから。シンプルな曲が書きたかったっていうのはあるね。まだ直しを入れるかもしれない曲もあって、もっとモダンなサウンドにするかも。ダブとか何かのミックスとか、まぁどうなるか見ててよ。

どんな主題や状況からインスピレーションを得ているの?

ヒドいこととか、いろんなものにイラっとしてるんだ。多分皆んなの多くがイラっとしてるものにね。でもアートに政治を持ち込むって考えはキライだから、僕の曲は生活とか人間、アティチュードについてだね。「ウォーク・ハード:ロックへの階段(The Dewey Cox Story)」って映画観たことある?「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(Walk The Line)」のパロディーみたいなやつ。映画の途中で何かが起こって「ちょっと待った!それって曲になるかも」みたいなのがあって、そういうのが僕の頭にセンサーを送ってこようとする。何かイラっとくる時とか、何かが目に付く時とかいつでも。この映画が他の人にとって面白いかどうかは分からないけど、気晴らしにはなると思うよ。

音的にどんな影響を受けているのかは単純な話ではないし、それが何であるか見極めるのも容易ではない。だがサミュエルのライブを観たことがある者は皆、その表現のユニークさには同意する。オリジナリティーと個性があるのだ。スクイーズ(Squeeze)、シド・バレット(Syd Barrett)、テレヴィジョン・パーソナリティーズ(Television Personalities)、アイバー・カトラー(Ivor Cutler)と自分を重ねる人もいるとサミュエルは語る。

テンプルズのスタイルは曖昧でとても詩的だったけど、僕の作品は完全にストレート。


Photo Credit: Martin Shaw



テンプルズと同じぐらい最高のミュージシャンでバンドを固めなきゃっていう考えはある?

ラッキーなことに仲がいい友達は皆んな素晴らしいミュージシャンなんだ。モノを分解するみたいなことは大好物でマックス(・オスカーノールド)とはそれをやってるよね。例えばマックスがチープなYAMAHAのキーボードを弾いて、僕がギターとかでもいいかも。今夜のセットはちょっとプロトパンク寄りでもっとエレクトリックにする予定。バンドで3曲演って、それから僕だけで1曲演ることになると思う。ポップソングか酒飲みの曲。大体いつも楽しいよ。

サミュエルの曲のタイトルには「Booze and Hippies For Hate(憎むべき酔っ払いとヒッピー)」というのがあり、そのうちリリースされるデビューアルバムに収録するつもりらしい。「The Professional(ザ・プロフェッショナル)」という知人についての曲もある。

曲のタイトルには何となく自虐的な「Useless Pr*ck(役立たずのペニス)」とかもあるけど、僕に同情してもらうための曲じゃないよ。「Jimmy Riddle's Milk(ジミー・リドルの牛乳)」とか「Special Disease(特殊な病気)」って曲もある。僕にとって曲のタイトルはとても重要でアートワークと同じくらい力を入れてる。タイトルを書いてる時はあらゆることを考慮するようにしてる。

リリースはどうするつもり?誰かアプローチしてきた人はいる?

今のところまだ誰も。たぶんまずは何かを仕上げなきゃならなくて、シングル曲作ってビデオを公開して、そしたら何か具体的なものを示せるよね。シングル曲って、今僕がやってるのはコレですって皆んなに知らせるためのものだからね。とある有名でビッグなバンドをマネジメントしてる男性とずっと話してるんだけど、僕をヘルプするのに興味を持ってくれるかも。

テンプルズのことに話題を移すけど、脱退についての情報発信がほとんどないようだけど、それについてはどう考えてる?

テンプルズの誰も何も言ってないよ。ファンからのメッセージで「どうなってんの?」「なぜ一緒にプレイしないの?」みたいなのが来てるから、(脱退を)認めるとか、ありがとうとか何でも、テンプルズがちょこっと投稿してもいいんじゃないかとは思うけど。

脱退する時点での雰囲気はどうだった?

メンバーにとって僕はちょっと頭の痛い存在ではあったけど、要は僕らって家族みたいなものなんだよね。全員同じ小さな町で育ってるんだけど、家族とだって一生一緒に住んだりしないよね。どっかの時点で家を出て新しい悪友が出来るわけで、僕がやったのはそういうこと。

脱退のきっかけは?

メンバーに出ていくように言われたんだ。詳しくは今言わないけどそんなひどいものではなかったよ。僕らのどっちもそろそろ別々の道を行く時期だって感じてはいたんだけど、たぶん僕自身に今イチそれを認めてないところがあったかも。(脱退については)その人が考えるようにその人なりのストーリーを作り上げてくれればそれでいいし、それがどういうものか知りたいよね。

でも脱退についてはだいぶ前から考えてはいたんだけど、ツアーに出て世界中廻って稼いでたし、途中で止めるわけにもいかないから難しかったんだ。誰でも自分っていう存在が何なのか自問自答する時期ってあるけど、多分僕はもうちょっと早く脱退するべきだったんだろうなって思う。自分自身と他の人達にもフェアでいるためにね。

彼らとこの先長くは一緒にやらないだろうなって悟ったのはどの時点で?

多分、バンドに加入してそんな経ってない頃。僕っていつも物事にきちんと関わるのを楽しむタイプの人間なんだけど、テンプルズに関してはすっごい他人事だった。ある意味、それってクールなことではあるんだけど。ドラムだけ叩いてその他諸々については心配しなくていいっていうのは良かったんだけど、その一方で誰か他の人が舵取りする船に乗ってるっていうのは好きじゃないんだ。それってちょっと怖いことだし。あんまり嬉しくない決定がされちゃうとかそういう類のことだね。だけど本当に素晴らしい時間を過ごせたし、それが6年続いた。世界中ツアーしたし、素晴らしい人達とも出会ったし、すっごい楽しんだよね。

テンプルズの長期間の世界ツアーの中でどのライブが印象に残ってる?

日本のフェスでのライブには、本当にスペシャルなものもあった。単独で演った日本のライブの多くも素晴らしかった。マンチェスターはいつでも間違いなく凄かったね。キッズ達がいつもバカ騒ぎで、テンプルズの曲でモッシュするのが好きなんだ。メンバー全員ガチで具合悪かったライブもあったな。イピサ島でプレイしたんだけどあれは変な経験だった、僕らに合わなかったってだけだけど。

翌日ベニカシズム(訳者注:スペインのフェス)で演ることになってたんだけど、ちょうど僕らが大きくなりかけで人気が出始めたぐらいの頃で、僕らを観に来る人なんているのか全く分からなかった。(最初行ったら)誰もいなくて僕らは全員バックステージに下がってたんだけど、(本番で)ステージに歩いていったら何千という観客が僕らを観に来てた。ちょうど日没の時であれは最高のライブだったなぁ。まだ具合悪かったけどアドレナリンに助けられて何とかやり切った。あれはとってもマジカルだったなぁ。

最も思い出深い瞬間や経験ってどんなのがある?

間違いなくあの頃出会った人達だろうね。今じゃほぼどの大陸に行っても一緒に過ごす友達がいるし。だけど単なる友達なんかじゃなくて素晴らしいキャラクターの持ち主でもある。この世に存在するとさえ想いもしなかった人達なのに、そういう人達の人生がまるで映画みたいだったりするんだ。今まで自分が出会った人達に思いを巡らすのはとても楽しいし、皆んな本当にいい人達なんだ。

カンザス・シティに素晴らしい友人がいて、ただ彼の家に行くってだけでスペシャルなんだ。皆んなあんな場所に行ったことないと思うよ。高価とかではないんだけどベランダがあって、家の前に座って行きかう人達に挨拶して、マジでロマンチックで素晴らしいんだ。

クリントンって奴なんだけど、彼と友達になって、次回テンプルズでライブしにカンザス・シティに来たら「君たち全員迎えに行くから。30分で着くよ」とか言われてたんだ。で、その後僕に電話を掛けてきて、外を見ろって言うから見てみたら、ピンクのキャデラックに乗っててさ。めちゃ明るいピンク。それからその車で遠出したんだけど、どこに連れて行くのか言ってくれなくて。結局どこだかよく分からない場所にある年配の女性が経営してる古いヴィンテージショップだった。

その女性は1970年代からこの店をやってるんだけど、僕らにスーツをくれたから2人でちょっとフレッド・アステア(Fred Astaire)みたいになって店を出た。シルクハットも被ってね。クリントンとピンクのキャデラックで街中をドライブして最高の日を過ごしたな~。ま、そういう感じのことだよね。そういうのがツアーを特別なものにして、勿論いいライブも出来ちゃうわけで、その2つのために僕は生きてるよね。

自分にはあまり特別には聞こえなかったけど…。そのような出来事はあなたのアイディアやクリエイティビティにどの程度影響するんでしょう?

ある時ドキュメンタリー制作のアイディアが浮かんだんだけど、いつかそれを形にしたいと思ってる。「Ambassadors(アンバサダー達)」っていうんだ。ツアーに出た時に出会う人達は皆んなアンバサダー(大使)みたいだから。とある街に行って、その人がその街にいて街中案内してくれて楽しませてくれる。僕のアイディアは誰かと一緒にいることについてで、そういう人達のリストを作って、リストの中の人のところに行って一緒に1週間過ごして生活の様子を撮影するんだ。アンバサダー全員が僕のところに会いに来て、僕の家で盛大なパーティーをするなんてのもいいかも。世界中から、最高の人達全員。

クールなアイディアだと思うよ。たくさん追跡取材できるしアンバサダーになるバンドをピックアップしたりとかさ。例えばだけど、ファット・ホワイト・ファミリーをフィーチャーしてアンバサダーとして撮影したら、彼らのクレイジーな友達のこと全員見せられるよね。そういう友達の皆んなにもギャラをもらう価値があるし、彼らの周りにいると凄くインスパイアされるんだ。だからバンドの華やかな面だけにフォーカスするんじゃなくて、表面を掘り下げてバンドのルーツを見せる。

ファット・ホワイト・ファミリーに関する最新情報は何かある?彼らとのこれからのプランについて話してもらえますか?

今レコードを1枚仕上げてるところ。めちゃカッコいいサウンドだよ、すばらしいんだ。彼らは常に本当に素晴らしいものを作ってるし、レコーディングによってかなりサウンドが違ってくる。あんまり詳しくは話せないけど。喋り過ぎると殺されるかもしれないからさ。でも来年僕らは新しいマテリアルをリリースする予定で、それからはツアーの毎日だね。だから自分のソロの作品を早くやっちゃわないとね。


-------------------------------------------------------
あわせて読みたい: